第14話 決闘裁判
港町ムーナンの船着き場は、
夕刻にはまだ間があるが、船積みする荷を運んでいた人足達にとっては食事時だ。
港の岸壁近くに人足達を目当てにした鉢盛りの屋台が並び、威勢の良い呼び声が飛び交っている。
大勢の男達が
騒ぎは、そんな港の喧噪の一角で起こった。
初めは、また喧嘩騒動かと誰も目を向けなかった。
しかし、船積みの干し魚を売り終わって休んでいた行商人達が、少し様子がおかしいと気が付いた。
港に遊びに来ていた子供が岸壁から海中を指差して騒ぎ始め、周りに大人達も集まって
「イセリナ、あれは?」
大型船の船縁に出ていた貴族の女が、連れの侍女に訊ねた。名をルナ・ゼール。海を渡った向こうにある大きな島の島主、ゼール辺境伯爵の細君である。
「人をやりました」
侍女長が答えた。
停泊している船の中では一番大きい、マストが無い魔導船の甲板上である。船体が金属で出来た大型船は、多くの船が行き交う港町ムーナンでも非常に珍しく異彩を放っていた。
船首には、円形の盾と三叉の槍を握った
「使いの者が戻りました」
イセリナと呼ばれた侍女長が、背後に立つ女主人を振り返った。
待つほどもなく、市井の娘らしい格好をした年若い女が甲板に上がって来た。市民に紛れて情報を集めていた者の一人だ。
「討伐ギルドに、海トカゲを持ち込んだ者がいました」
「海トカゲ……ハグアンという魔物だったかしら?」
ルナは振り向いた。その動きで、長い黄金色の髪が陽光を滑らせて輝く。
「討伐者は、黒髪で紫色の瞳をした少年のようです。歳は十三。レインと名乗っております」
年若い女が淡々とした口調で報告をする。
「……なぜ、あのような騒ぎになったのでしょう?」
ルナが小首を傾げた。
厄介だが、さほど珍しい魔物ではない。
「少年の持ち込んだハグアンが、大きな魔晶石を呑んでいたそうです」
女が声を潜めた。
魔晶石とは、魔導船などの動力炉に使われている、魔力の貯蔵を行うことが可能な水晶石である。鉱石とは違い、どこかに鉱床があるわけではなく、長い時を生きた魔物が残す物だとされてはいたが、本当のところは分かっていない。
ムーナンで水揚げされる魚貝から時折小粒な魔晶石が出てくることがあり、それを求める多くの国々が港に商館を置いて市場に目を光らせている。
大きい魔晶石となると、市場が殺気を帯びる大騒動となる。冗談では無く、流血沙汰になってもおかしくない。
「その少年を食事に招待できるかしら? 少年の都合が合わないようなら時期の調整を……すべて、その少年の都合に合わせます。決して無理強いをしてはなりません。客人として招くのです。それから……石に興味はありません。少年との友好的な対談が目的です。使いの者によく言い含めておいて下さい」
ルナが命じると、即座に女が低頭し、足早に船の
下で待っていた平服姿の騎士が女に同行して船を離れていく。
「ルナ様?」
イセリナが主人の顔を見る。
「気になります」
ルナは短く言って、岸壁の人垣へ眼を向けた。
「海精霊様のお告げにあった呪術師ですか?」
イセリナが問いかけた。
「ええ……あれから、方々を探させましたが、それらしい人物の消息は掴めていません。お告げでは、この辺りに現れるとのことでしたが……黒髪紫瞳……でも、少年ですからね。別人だろうとは思うのだけれど……」
ルナは
「聖法国のハイアード神殿には今以上の治癒師の派遣を断られ、薬師の手配もままならず……足下をみられて抗呪薬の値は高くなる一方です。このままでは……」
「奥方様……」
イセリナが慰める言葉を探した時、岸壁に集まった人々がざわめいたようだった。
「何事でしょう?」
「あれを……ホルモス・ユマーンの手勢です」
セリアナが港の東を指差した。
各国の商館が建っている特別な区画から、派手派手しく黄金で縁取った甲胄姿の集団が大仰に旗を掲げ持って行進していた。
旗印は、"剣を抱く双蛇"だ。
南洋諸島を統治する新興の大国、シューラン共和国。その商館に駐在するホルモス・ユマーンという商館長が連れている戦士団である。ラデン皇国ナーガ領とは、海上の境界線を巡って幾度となく小競り合いを繰り返している。
旗を掲げているという事は、ホルモス本人が出張っているのだろう。
「如何なさいますか?」
イセリナの問いかけに、
「狙いが魔晶石なら放っておいても良いのですが……黒髪の少年を狙っての行動なら、阻止しなければなりません」
ルナは迷い無く答えた。
「畏まりました」
イセリナが
ただちに、ルナの命令が伝えられ、整列していた騎士の一隊が進発して行った。
自由交易港ムーナンでの諍いは協定によって禁じられている。だが、本件に限って、ルナには退く気がない。
向こうも、商館長自らが出て来ている以上退けないだろう。
互いに兵を繰り出して決着をつける事になる。
「場合によっては海戦に備えて沖へ出ることになります」
「畏まりました」
ルナの指示を受け、イセリナが騎士達に指示をする。
港の人々が遠巻きに離れて見守る中、ホルモス・ユマーン率いる戦士団の行く手をナーガの騎士達が
しばらくは、互いの正当性を主張する儀礼的な言い合いを行い、その後は互いに剣を抜いての闘争に移る。
そのはずなのだが……。
「様子がおかしいですね」
後詰めの騎士達に指示を出していたイセリナが戻って来た。
「言い争う声が聞こえなくなりました」
ルナは、小さく首を傾げた。
「騎士が一人戻ります。伝令でしょう」
イセリナが指差す先を、平服の騎士が馬を走らせて戻って来ていた。
今にも斬り合いが始まろうとする中、例え一人でもその場を離れて戻って来るというのは尋常ではない。
「何事だ?」
「伝令っ! シューラン共和国、ユマーン商館長から決闘裁判の申し入れがありました!」
「決闘裁判? それを、向こうが望んだのですか?」
不思議そうに呟いたのは、ルナだった。
決闘裁判とは、兵のぶつかり合いによる決着では無く、互いに代表者を出し合って決闘を行い、その結果で白黒をつける方法だ。
裁きの神である天秤神に祈りを捧げて行われる決闘は、神聖な"決着"として天秤神に奉じられ、例え一国の王であっても、その結果を覆すことは許されない。
最近では、滅多に行われなくなった決着方法だが……。
「向こうは、天秤神に仕える神官を連れているのですか?」
イセリナが、伝令の騎士に訊ねた。
神官の立ち会いが無ければ、そもそも決闘裁判が成立しないからだ。
「はっ! 光紋の確認を行いました。ハイアード神殿のルシオ・ミオレーネ神官です!」
騎士が背を正して声を張り上げた。
「シューランは、決闘で何を要求しているのです?」
「黒髪の少年の身柄を要求しております!」
直立不動で、騎士が返答した。
「他には?」
イセリナが問う。
「少年の身柄だけです」
「その決闘、受けましょう」
ルナは即断した。
「はっ!」
騎士が低頭した。
「しかし……肝心の少年の意思を無視してはなりません。彼の了承無くして、この決闘裁判は成立しませんよ? 少年がユマーンの誘いを受けると言うのなら、当家が横槍を入れることはできません」
「はっ! 少年は、先に交渉を行った当家の招待を優先したいと申しております」
若い騎士が直立不動のまま言った。
「では、遠慮は要りませんね。イセリナ、武名を上げて来なさい」
ルナは侍女長を振り返った。
「仰せのままに」
イセリナが低頭して、即座に
「五人、船に上がって御方様の盾となりなさい!」
決闘騒ぎに衆目を集めておいて、護衛が手薄になった船上を狙われる可能性がある。それを警戒しての指示だった。
「はっ!」
騎士達が背を正して応じ、
「先触れに!」
伝令の若い騎士が決闘の宣誓書を手に馬に跳び乗り、騒ぎとなっている岸壁に向かって駆け去った。
「侍女長!」
後ろから侍女二人が、長柄の先に斧と槍穂が付いた重そうな武器を運んできた。イセリナが愛用している
「夕刻、船上にお客様を招いて食事会を催します」
イセリナが前を向いて歩きながら指示をする。
生地は高級ながらも、灰色をした地味な侍女服姿である。これから決闘を行う者の服装としては相応しくないようだったが……。
「お客様は何人でしょう?」
「お一人です。お若い方ですが、御方様の客人です。粗相の無いよう万全を尽くしなさい」
斧槍を受け取りつつ、イセリナが指示をする。
その時、行く手の空に天秤神の紋章が顕現し、黄金色に輝き始めた。
ユマーン商館長が連れているというハイアード教の神官が、決闘者であるイセリナの到着を待たずに決闘の宣誓を開始したらしい。
空に浮かんだ黄金色の紋章光は、裁可の女神に決闘を捧げることを告げる宣誓紋だ。
これで、もう決闘を取り消すことはできない。
「決闘者同士の顔合わせもないまま、宣誓したというのですか? シューラン共和国は作法というものを知らないようですね」
低い声で呟くイセリナの背後で、年若い侍女達が顔を強ばらせて首を
そこへ、先触れに行った騎士が駆け戻って来た。斧槍を手にしたイセリナの正面に片膝をついてハイアード神殿の紋章が縫われた聖布を差し出した。
「申し訳御座いません! 名乗りの場も設けぬまま……ハイデールの神官が宣誓を開始してしまいました!」
「見えています。これがシューラン共和国の作法なのでしょう」
イセリナが決闘者の名が書かれた聖布を受け取って、天秤神に祈りの言葉を捧げた。
「向こうの決闘者は、サルベス・オーグ。シューランでは無敗の決闘士のようです!」
若い騎士が身を縮めるようにして告げた。
「そうですか」
イセリナが無表情に頷いた。
直後、イセリナの足下に、黄金に輝く召喚紋が出現して回転を始めた。
決闘は、神が定めた特別な空間で行われる。地面に浮かんだ召喚紋は、聖布を与えられた決闘者を決闘空間へ強制召喚するためのものだ。
決闘空間に招かれると、どちらかが命を落とすまで、閉鎖された空間から解放されることはない。
「ご武運を!」
侍女達が声を掛けた。
「すぐに戻ります。食事会の手配を終えておきなさい」
振り返ったイセリナの双眸が刃物のように冷え冷えと尖っている。その眼光に、侍女達はもちろん、若い騎士も首を
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