第12話 死闘の果て <下>

 

「あの骸骨……サドゥーラは、師匠が浄滅させました」

 

 レインは自分の身に起きたこと、ドリュス島であった出来事を話して聞かせた。

 

「あらま、不死者を気取った骨男を滅したの? 貴方の師匠って何者?」

 

「ワーグ司祭です」

 

「えっ、ワーグって……聖光のワーグ!? 彼はずっと前に亡くなったはずよ?」

 

 巨女が大眼をひん剥いた。

 この巨大な女の体は大昔に精霊界で命を落とした武人の姿を模して作った"人形ヒトガタ"らしい。精霊が現界に降りる際の仮初めの肉体として利用しているのだとか。

 

 説明されてもよく理解できなかったが、素材を揃えることが難しく、精霊にとっては極めて貴重な"人形ヒトガタ"なのだという。

 

「サドゥーラに騙し討ちにされた後、亡者としてドリュス島に縛られていたそうです。偶然だけど、僕が呪縛から解放したみたいで……それで、僕に退魔の法を教えてくれて……一緒にサドゥーラをやっつけたんです」

 

 レインの説明を、巨女が小さく頷きながら聞いている。

 

「そうだったの。ワーグ・カイサリス……彼の霊魂はとらわれていたのね。それなら……貴方は、ワーグのお弟子さん。そういうことね?」

 

「はい」

 

 レインは大きく頷いた。

 

「ドリュス島がサドゥーラから解放されたのなら、もうフェムノ寺院の転移門を見張らなくても良くなったわね。ここの魔法陣は消えかかっていたし……ちょうど良い頃合いだったわ」

 

 巨女が表情を和らげて小さく息を吐いた。

 

「ここって、寺院なんですよね?」

 

「ええ、フェムノ……とても古くからある寺院よ。アタシは、アイリス。ここの他に、いくつかの寺院を管理している家精霊よ」

 

「家精霊……って何ですか?」

 

「家を護る精霊よ」

 

 そう言って巨女がその場で回ると、着ている衣装が、光沢のある紫色の夜会服から地味な小豆色をしたメイド服に変化した。長い黄金色の髪が、団子状に丸まって頭の上に乗っている。

 

「家を護る……精霊ですか?」

 

 レインはいきなりの変化に瞠目しつつ、ゆっくりと周囲を見回した。

 寺院の地下にある小さな部屋だった。部屋の真ん中に大きな円卓が置いてある他は何も無い。

 

「風の精霊、水の精霊、火の精霊なんかと一緒よ。家の精霊だと思ってちょうだい」

 

「家の……修理とかやるんですか?」

 

「家に関することは何でもよ。ああ、そうだわ! せっかくのお客様だもの、ご馳走を用意するわね! もう日が暮れたから出発は明日で良いでしょう?」

 

 巨女が微笑を浮かべた。

 

「えっ?」

 

 レインの頬が軽く引き攣った。

 できれば、このまま穏便に退散したかった。

 

「アタシを相手に、あそこまで頑張ったご褒美よ。人の子の口に合うかどうかは分からないけど……とっても栄養のある食事を用意してあげましょう!」

 

「えっと……」

 

「すぐに持ってくるから、ここで待ってて!」

 

 レインの返事を待たず、メイド服の巨女がどこかへ行ってしまった。

 

(ご馳走? 家精霊の?)

 

 あまり良い予感がしない。少なくとも人が口にするような物では無さそうだ。おそらく味も人間向けではないのではないか?

 

(でも、今の僕じゃ勝てないし……逃げることもできない)

 

 まだ身体が回復していなかった。今は、できるだけ静かに肉体の回復を待たなければならない。

 何が出てくるにせよ、勧められるまま甘んじて食べるしかなさそうだ。

 

(飲んでおこう)

 

 レインは、ドリュス島で作った解毒薬を取り出して口に入れた。飲んでから三時間くらい効果が持続する薬だ。

 

「お待たせ!」

 

 沈鬱な面持ちで待つこと数分、銀盆を抱えた巨女が鼻歌を吟じながら戻ってきた。

 

「……早かったですね」

 

 レインの顔から血の気が引いた。

 目の前に、小皿が並べられると、とてつもない悪臭が鼻を刺激した。

 

(どれか腐ってるんじゃ?)

 

 レインは臭いの元を探して目の前に並んだ小皿を観察した。

 

 小ぶりな皿に、蒸した魚と焼いた肉、きのこを茹でて何かを掛けたもの、炒った木の実らしきものが入れてあった。見た目で判断するなら、茸料理が一番怪しい。

 

 幸いなことに、すべて少量ずつ、一口で無くなるくらいの量だったが……。

 

「どれも、この世に二つと無い食材を使った料理よ」

 

 メイド服の巨女が、青い顔をしたレインを見て優しく微笑む。

 

(この人が料理をしたの?)

 

 レインはお盆を持っている巨女の太い腕を見た。間近で見ると、とんでもなく太い筋肉の隆起である。こんな化け物と戦って生き延びた自分を褒めたくなる。

 

(これは……何かの煮込み?)

 

 レインは、端に置いてある匙を掴んで、どろりとした黄色い汁を掬った。

 

(解毒薬……効いてるよね?)

 

 先ほど口に入れた解毒薬は、ワーグ司祭に作り方を教わった強力な薬で、ドリュス島では毒のある生物を食べても耐えることができた。

 

(死なない……はずだけど)

 

 勇気を振り絞って、そっと口に含んだ。

 

(う……)

 

 嗅いだことのない刺すような臭いが鼻孔を抜け、舌先にピリッとした辛みがくる。わずかに臭みがある何かの動物の肉が細切れになって入っていた。

 

(何だろう? コリコリして……なかなか噛み切れない)

 

 舌触りは最悪だが、毒性による悪寒のようなものは感じなかった。

 

「雷喰いネズミのモツ煮よ。知覚力と俊敏さの向上が期待できるわ」

 

 レインの疑問に、巨女が答えてくれた。

 

「そうですか……鼠の……」

 

 レインは、表面を焼いて薄く削ぎ切りにされた肉を見た。

 

「そちらは、金光獅子の背肉ね。身体能力全般の底上げが期待できるわ。そこにある、赤いソースをつけて食べてみて」

 

「……はい」

 

 レインは、巨女に促されるまま、薄い肉を赤い液体に浸して口に入れた。

 

(ぐ……うぇっ)

 

 反射的にもどしかけ、レインは口を押さえ息を止めた。腐ったような臭いの根源は、この赤いソースだったらしい。

 

 レインは息を止めたまま耐え続け、嘔吐の衝動が鎮まる瞬間を待って何とか嚥下えんかした。

 

「あら? 少し刺激が強かったかしら?」

 

「……なんか、すごい臭いが……」

 

 ねっとりとしたものが喉に残ったままだ。少しどころではない。とんでもない悪臭と刺激が喉に留まったまま暴れ続けている。

 

「ソースの香りね。硫黄泉に住む腐蛙クサリガエルの血で作ったソースだから。独特の臭いはあるけど、毒耐性と免疫力向上の効果があるのよ」

 

「……そう……なんですか」

 

 何かで口の中を洗い流したいのだが、卓上に水やお茶は無かった。

 レインは鼻で息をしないように頑張りながら蒸した小魚に目を向けた。見た感じは小フナのようだが、何の魚だろう?

 

(茸は危なそうだし……魚を食べた方が……)

 

「呑魂魚の煮物ね? 味は淡泊だけど、命力の向上が期待できる希少種よ。取り分けましょう」

 

 レインが動くより早く、メイド服の巨女がナイフとフォークで小さな魚の皮を器用に取り除くと、スプーンを使って中骨に沿って身を掬い取った。

 

「こちらの茸と一緒に食べると風味が良いの。とても強い幻覚耐性を得るわ」

 

 頼みもしないのに、茹でた茸を魚の身に乗せてレインの前に置いた。

 

「……ありがとうございます」

 

 紫がかった茸の傘が真っ白な魚の白身に覆い被さっている。

 

(師匠……お祖母ちゃん……もうすぐ会えるかも)

 

 レインはフォークで茸の傘を抑えると、ナイフで切り分けて口に運んだ。

 

 意識があったのは、そこまでだった。

 

 

 ******

 

 

「お目覚めですか?」

 

 知らない女の声がした。

 

(……えっ?)

 

 レインは慌てて飛び起きた。"折れた剣"を探して視線を左右する。

 

(これ……布……敷布?)

 

 レインは、狭い寝台の上で寝ていた。

 

(ここ……どこ?)

 

 見知らぬ部屋の中だった。

 円錐状にせり上がった白い土の天井、高い所に並んだ明かり取りの小窓から差し込む赤紫の光、フジツボのような貝が着いた石を積んだ壁、円形をした石床……。

 

「ここは、メリア海にある精霊神を祀る神殿です」

 

 慌てるレインを前に、濃灰色の神官服らしき装束を着た女が告げた。

 

「メリア海?」

 

 知らない名称だった。

 

 レインは女の顔を見た。白い髪に金色の瞳。細い眉に細い目、薄い唇にやや尖った顎先、全体に細い造作をした顔立ちだった。端正だが、これまでレインが見たことのない風貌だ。

 

「私は精霊神にお仕えする神官です。今朝、湖畔に打ち上げられていたあなたを見つけ、ここで治療を行っておりました」

 

 女が壁際の収納棚に近づいて扉を開いた。

 中に、レインがドリュス島で拾って着ていた神官服や"折れた剣"が納められていた。

 

「……僕は……どのくらい寝ていたんでしょう?」

 

 訊ねながら、レインは霊力を巡らせて体の具合を確かめた。

 

(え……なにこれ?)

 

 レインはぎょっと目を剥いた。

 自分でも驚くほど、霊力の量が増えていた。異様なくらい体の調子が良い。

 

「そろそろ半日になりますね」

 

「……半日も」

 

 レインは呆然となりつつ、自分が着ている白い服を見た。

 

(逆らえなかったし……あの時は、食べるしかなかったけど……危なかった)

 

 しかし、あの巨女は体に良い効果があるようなことを言っていた。嘘を言っている感じはしなかったが……。

 

(なんて言ってたっけ?)

 

 料理のあまりの不味さに恐怖を覚えていたため、巨女の言葉がほとんど記憶に残っていない。

 

(とにかく……体の具合が良くなったのは間違いない。それに……霊力の量がすごく増えてる)

 

 レインは、寝台から降りて、ゆっくりと体を屈伸させてみた。

 傷んでいた骨や筋など、すべて癒えている。

 

「手紙があります」

 

「手紙? 僕に?」

 

「はい。あちらの荷物と一緒に……倒れていたあなたの横に置いてありました」

 

 女が小さな銀の板に封書を載せて運んできた。

 

「ありがとうございます」

 

 レインは礼を言って封書を受け取り、指で押して中身を確かめつつ裏を返してみた。

 

(霊法……とは違うけど……霊気を使った封がしてある)

 

 蝋ではなく、霊気による封がしてあった。封筒の内部に幾重にも重なった霊気の紋様が描かれているのが分かる。

 

(この霊気……アイリスさん?)

 

 ちらと、脳裏に巨女の顔が浮かぶ。

 

(僕を殺したいのなら、こんな面倒なことしなくて良いから……だから、開封しても大丈夫?)

 

 レインは、恐る恐る紙片の紋様に霊力を注いでみた。

 

「うっ!?」

 

「まあっ!」

 

 レインと女が同時に声を上げた。

 

 目の前に、巨女が現れた。実体ではなく幻影のようだったが、巨躯から迸る気魂に圧倒されて、レインは大きく距離を取って身構えていた。

 

 巨女は先日とは違い、夜会服ではなく黄金色の甲冑を身に纏い、大箒の代わりに巨大な戦斧を握っていた。

 

『レイン……呪血の末裔にして、ワーグ・カイサリスの最後の弟子よ! 私の試練を単身で耐え抜いた武勇と胆力、実に見事でした! 貴方の健闘を讃え、精霊の紋章符を与えましょう!』

 

 巨女の幻影が戦斧を頭上で回して、床めがけて振り下ろした。

 石床がひび割れ、レインを中心に亀裂が蜘蛛の巣のような模様を描いてゆく。

 

(まさか……またっ!?)

 

 どこかに転移させられるのか? と身構えたレインを金色の光が包み込んだ。

 

 思わず身を硬くしたレインだったが、

 

(……あれっ?)

 

 転移は起こらなかった。

 

「う……わっ!?」

 

 わずかな間があって、レインの左手が眩く輝き始めた。

 

(な、なに? なにが……)

 

 慌てて手を振るレインの手の平に、円形の魔法陣らしき紋様が浮かび上がった。大外の円の内側に、二重、三重に法陣が重なってゆき、互い違いに回転を始める。

 

『メリア海は、精霊界と現界の狭間の海……命ある人間が長居をするべき所ではないわ!』

 

 巨女が微笑しながら戦斧を振ると、凄まじい突風がレインを襲った。

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