第11話 死闘の果て <上>


(ば、化け物っ!?)


 レインの思考が乱れた。

 ほんの一瞬のことだ。

 だが、その隙を夜会服ナイトドレスの巨女が見逃さなかった。

 

「ぜいっ! おうっ!」

 

 野太い咆吼をあげ、巨女が太いほうきの柄を小枝のように振り回し、レインめがけて鋭い連続突きを繰り出してくる。

 

(うっ……あっ!)

 

 半ば呆然となっていたレインの回避が遅れた。

 危うく避けたレインを箒の柄が掠めて過ぎる。

 

「甘いわ!」

 

 巨女が叫んだ。瞬間、レインがぎりぎりで回避した巨大な箒から無数の紫雷が放たれた。

 

(ぐぅっ……)

 

 激しく明滅する雷光に灼かれ、レインは激痛に顔をしかめながらも、なんとか床を蹴って距離を取った。

 灼かれた全身から白く煙が立ちのぼる。痙攣した手から"折れた剣"が落ちてしまった。

 

「あぁぁ、良い顔するわぁ……綺麗な子が顔を歪めるのって罪深い美しさがあるのよねぇ」

 

 巨女が陶然と頬を染めながら、レインが取り落とした"折れた剣"を箒で払って遠くへ転がした。

 

(これ、人間じゃない……魔物?)

 

 レインは、ゆっくりと呼気を整えながら霊力を練り始めた。

 

「あらん? あなた霊法使えちゃうのぉ? おかしな亡者ちゃんねぇ?」

 

 巨女が首を傾げながらレインを見下ろす。

 

(……やってやる)

 

 レインは拳を握り締めて構えた。そのまま、じわりと膝を撓める。

 

「うふふふ……そんな小さな拳で、どうしようというのぉ?」

 

 巨女が笑みを浮かべて箒を石壁に立てかけた。

 

「素手でやるのね? 付き合ってあげましょう」

 

 そう言って、巨女が両手を頭上へ持ち上げて掴みかかる構えを取る。

 

 レインは左拳を腰に引きつけた姿勢のまま、スッ……と真っ直ぐに踏み込んだ。

 そのレインの顔に、黒い半狐面が顕現している。

 

「ふうん? それがあなたの奥の手かしらぁ?」

 

 何を感じたのか、巨女の顔から笑みが消えた。

 瞬間、レインは <閃光> を使用した。

 

「シッ……」

 

 眩い白光が爆ぜる中、短く呼気を吐いたレインが踏み込んだ。

 

「むんっ!」

 

 構わず、巨女が太い腕で掴みかかる。

 

 

 グシャッ……

 

 

 骨が砕ける嫌な音が鳴った。

 

「あ……きゃあぁぁぁぁ――……」

 

 悲鳴を上げたのは巨女だった。

 

 レインが巨女の足の親指を踏み潰したのだ。

 拳で打ち合う素振りから一転、<剛力> を発動させつつ巨漢の爪先を思いっきり踏み抜いていた。

 

 レインは、そのまま宙に跳び上がって体を捻ると、巨女のあご先を蹴り飛ばした。

 

 たまらず、巨女が膝から崩れる。

 

(ここだっ!)

 

 レインは、この一瞬に賭けた。

 

 真っ直ぐに踏み込んで、巨女の側頭部を狙って蹴りを放つ。

 巨女が咄嗟に手で頭を庇って防ごうとしたが、顎先を蹴られた影響で反応が遅れている。

 

 ……<剛力>

 

 レインは、さらに<剛力> を重ねた。

 悲鳴をあげる体に構わず、レインは全力で左拳を打ち込んだ。

 

「くっ……あぁっ!?」

 

 巨女が苦鳴をあげる。

 レインの拳が爆発的に威力を増していた。打ち込んだレインの左拳に触れた瞬間、巨女の太い腕が折れ曲がって後方へ弾けている。

 

(うっ……ぐっ!)

 

 レインの顔が歪んだ。

 巨女の手に邪魔をされてレインの左拳が逸れてしまった。

 顔面を狙った拳が巨女の額に当たり、二の腕から肩にかけて凄まじい衝撃が返った。

 

(……折れた)

 

 レインの左肩から先が動かせなくなった。

 だが、巨女の方も側頭部を殴られた衝撃で腰砕けに座り込んでいる。かなりの衝撃がとおったはずだ。

 

(もう少しっ!)

 

 <剛力> を重複使用した時に腹は括っている。

 ここで仕留めきらないと後はない。

 レインは傷んだ体を叱咤しながら、倒れた巨女の頭部を思いっきり蹴りつけた。

 

 

 ゴグッ……

 

 

 鈍い音が鳴って、巨女の首がおかしな角度に曲がった。だが、衝撃で蹴ったレインの右足もへし折れている。<剛力> の重複に体が耐えられない。

 

(まだ左足がある!)

 

 間を置かず、レインは左足一本で巨女の頭上へ跳び上がり、空中で勢いよく体を前転させると、無事な方の左足で巨女の頭頂を蹴りつけた。

 

(あっ……)

 

 頭蓋の硬さに負け、蹴ったレインの足の方が砕けてしまった。骨が折れ、筋が切れる感触にレインが眉をしかめる。

 だが、巨女の頭蓋も砕けた。

 

 レインは蹴った勢いのまま石床の上を転がって距離を取った。

 

 ……<回復>

 

 床に倒れ伏したまま、レインは<剛力> を切って <回復> の霊法に切り替えた。

 <剛力> を重ねたことで腕や背中の筋肉が断裂し、あちらこちらの骨が圧壊してしまった。もう、自力で立ち上がることすらできない。完全に回復するためには、10分近く必要だろう。

 

 だが、今のレインなら別の方法で動くことができる。

 そのために半狐面を被ったのだ。

 

("三日月"……浮動)

 

 レインは妖狐人の異能で、自分の体を宙に浮かび上がらせた。

 まだ、手も足も動かせないが……。

 

(……狐火)

 

 念じたレインの視線の先で、倒れ伏している巨女が青白い炎に包まれた。

 

「あ……きゃあぁぁぁぁぁ」

 

 けたたましい悲鳴と共に、巨女が身悶えして転がった。

 

 ……<金剛身>

 

 レインは霊法を切り替えた。直後、巨女が放った風の魔法がレインを直撃した。

 

「ぐっ!」

 

 呼気を吐いて体を硬くしたレインだったが、不可視の打撃に腹部を打たれて石壁に叩き付けられた。

 だが、<金剛身> のおかげで即死は免れている。

 

 ……<回復> 

 

 レインは、素早く霊法を切り替えて体の回復を再開した。

 

(狐火が……消える)

 

 初めて使ったが、"狐火"が燃焼し続ける時間は3分足らずのようだ。

 

「やってくれたわねぇ」

 

 青白い炎から解放された巨女が苦悶の形相で起き上がり、壁を背に座り込んでいるレインを睨み付けた。

 

(……平気なのか)

 

 レインの腹腔が冷えた。

 わずかな時間で折れた首、砕けた頭蓋や首がほぼ元通りになっている。燃え上がっていたナイトドレスまで再生していた。

 相手は、人に似た姿をした怪物だ。頚骨を折り、頭蓋を砕いたくらいでは斃せないらしい。

 

(狐火!)

 

 もう一度、異能を使おうとするが、

 

「お馬鹿さん! それはもう通用しないわよ!」

 

 夜会服ナイトドレスの巨女が吠えた。

 何かに妨害されて、顕現しかけた"狐火"が霧散してしまった。

 

(手は……少し動かせるようになった)

 

 足の方はまだ回復に時間が掛かりそうだが、折れた左手は<回復> で治ったようだ。

 

(武器……剣を……)

 

 レインは、離れた所に転がっている"折れた剣"に眼を向けた。

 

「次は、引き寄せでもするつもりかしら?」

 

 レインの視線に気付いた巨女が、"折れた剣"を振り返って笑みを浮かべる。

 

(この化け物……異能を知ってる)

 

 半狐面の下で、レインの眉根が寄る。

 

「そのお面……妖狐ちゃんのものでしょう? あなたは、妖狐族には見えないけど、どこで手に入れたの?」

 

 巨女が後ろ首に手を当て、ゆっくりと頭を動かして首の骨を鳴らした。砕いたはずの頭蓋骨が完治してしまったらしい。

 

「……僕は、レイン。ドリュス島から来た退魔師です」

 

 <回復> を続けながら、レインは静かに名乗った。

 今は、少しでも回復の時間が欲しい。この化け物が会話に付き合ってくれると良いのだが……。

 

「ふうん……退魔師ねぇ?」

 

 巨女がレインを見つめたまま、壁に立て掛けてあった大箒を手招きした。

 箒が音も無く空中を浮遊して巨女の手元に移動する。

 

(この化け物も……異能を使うのか)

 

「妖狐族ほどじゃないけど……アタシも色々使えるのよぉ!」

 

 巨女が箒を手に突進してくる。

 

(浮動!)

 

 レインは異能で自分を浮かせて逃れようとした。

 しかし、何かに押さえつけられて体が浮かなかった。

 

「残念でしたぁ~!」

 

 巨女が、大上段に振りかぶった大箒を振り下ろしてきた。

 

 ……<金剛身>

 

 咄嗟に霊法で体を防護しながら、左手を持ち上げて頭を庇う。

 しかし、

 

「ぐっ……」

 

 嫌な音が鳴って、レインの左腕がへし折られ、そのまま頭部を箒で殴られる。

 

「……あら?」

 

 いぶかしげに声を漏らし、夜会服ナイトドレス姿の巨漢が周囲へ視線を巡らせた。

 大箒で殴り潰されたはずのレインが床上から消えていた。

 

「へぇ~……どうやって、アタシの念縛から逃れたのかしら?」

 

 ゆっくりと頭上を振り仰いだ巨女の視線の先に、レインが浮かんでいた。

 

「異能を強くした」

 

 霊法と同じように、異能"浮動"を重ねて使用したのだ。

 咄嗟の思いつきだったが上手くいった。

 

(……来い!)

 

 レインは、落ちている"折れた剣"に向けて左手を伸ばした。瞬間、床上から"折れた剣"が消え、レインの手元に現れる。

 

「ふうん……物寄せまでやれるのねぇ」

 

 巨女が感心したように言った。興味深げにレインを見つめてから視線を床に向けて笑みを浮かべる。

 

「それに……すっごく上手な霊法陣の罠……隠蔽も手慣れているわ。感心しちゃうわね」

 

 石床に眼を向けたまま、夜会服の巨女が笑みを浮かべた。

 

(見破られた!?)

 

 レインの背が冷えた。

 床に転がった時に密かに埋伏しておいた"破砕"の法陣を見破られてしまった。これ見よがしに異能を使って"折れた剣"に意識を誘導したつもりだったのに……。

 

(霊力も残り少ないし……もう"三日月"が使えなくなる)

 

 異能を重複して使用したためだろう。霊力の減りが激しかった。

 

「あぁ、どうしましょう……とっても素敵な子と出会っちゃったわぁ……亡者の島に、こんな子がいたなんてぇ」

 

 夜会服ナイトドレスの逞しく盛り上がった胸元を手で押さえ、巨女がため息交じりに呻く。

 

 ……<回復>

 

 レインは体の回復に努めつつ、ゆっくりと床に降りて巨女と正対した。

 もう、異能で浮かび続けるだけの霊力が残っていない。

 

(でも……霊力があっても、この化け物には……)

 

 仮に、霊力を維持できたとしても、このまま攻撃を受けると対応しきれずに打ち殺されてしまうだろう。

 

(でも、捨て身で一撃……そのくらいならやれる)

 

 レインは、左手の"折れた剣"を肩に担いだ。

 持久戦では勝ち目は無い。単純な力でも負けている。"狐火"は効果が薄く、蹴撃で与えた傷も癒えてしまった。

 

(……やってやる!)

 

 レインは口を引き結び、闘志を奮い立たせると、"折れた剣"に霊力をまとわせながら斬り込む機会を覗った。

 ギリギリまで <回復> し、斬り込む瞬間に <剛力を> 重ねる。それで、一瞬でもせれば良い。

 

(なんとか、仕掛けた法陣に追い込めば……)

 

 "破砕"の霊法陣が発動すれば、法陣の内にある全てを破壊する。攻撃の範囲は狭いが、どんな魔物でも無傷では済まないと、ワーグ司祭が言っていた。

 

(それに……剣に仕込んだ法陣はバレてないはず)

 

 レインは、じわりと腰を沈めた。

 

「うふふ……これ以上やると、お気に入りの体が壊れてしまいそう。この体が無くなると、現界で遊ぶことが難しくなっちゃうし……良いでしょう! あなたの通門を許してあげましょう!」

 

 いきなり、巨女が大きな声で宣言した。

 

(……えっ?)

 

 レインは身構えたまま動きを止めた。

 

「私はアイリス。このフェムノ寺院を護っている精霊よ」

 

 巨女が微笑んだ。

 

「……えっと?」 

 

「ようこそフェムノ寺院へ、素敵な退魔師さん。見事な武勇……素晴らしい気魂の輝きだったわ!」

 

 夜会服ナイトドレス姿の巨女が、長い黄金の髪を掻き上げて軽く頭を振った。

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