第10話 寺院の怪物

 

(今度は、気を失わなかった)


 意識を保ったまま転移できたのは、今回が初めてだった。

 体に耐性がついたのかもしれない。

 

(ここは……)

 

 レインは"折れた剣"を手に周囲を見回した。

 "転移の法陣"で飛んだ先は、苔むした石の台の上だった。見上げると、天井は土に覆われ、木の根が生え伸びて垂れ、格子のようになっていた。

 

(地面の下……ってこと?)

 

 湿った空気を嗅ぎつつ、レインは石の台を降りて少し離れた場所に見える階段らしき所へ向かった。

 

("三日月ミカゲ"……外れてくれ)

 

 お面に左手を添えながら念じる。

 途端、半狐面の感触が失せた。

 

(えっ?)

 

 慌てて手で顔を触るが半狐面はどこにも無かった。地面を見回しても見当たらない。

 

(……"三日月ミカゲ"?)

 

 恐る恐る呼びかけてみると、

 

(ぁ……)

 

 顔に、半狐面の感触が戻った。

 

(もしかして?)

 

 消えるように念じると、"三日月ミカゲ"が消える。戻るように念じると、"三日月ミカゲ"が現れる。

 "仮面"としての実体は無く、幻影のように消えたり現れたりする。

 そういうことらしい。

 

(不思議……どういう仕組みなんだろう?)

 

 レインは、感心しつつ"三日月ミカゲ"を消した。消えている間、どこにあるのか分からないが持ち運びが楽になったのは嬉しい。

 

(霊力の減りは止まったけど……)

 

 先ほどまで昼間のように明るく見えていた周囲が真っ暗闇になってしまった。

 

(異能で、明るく見えてたってこと?)

 

 レインは、しゃがんで足下の石床に左手を触れた。

 

 ……<霊観>

 

 練気をしながら、霊力の膜を周囲へ拡げてゆく。異能ではなく、ワーグ司祭から習った退魔法の一つで、眼で見なくても周囲にある物の形や位置などを知覚できる術技だ。本来は、姿を眩ませた妖魔を見つけ出すための術技らしい。

 効果は一瞬で切れるから、その短い時間で知覚しないといけない。

 

(四角い部屋……出口は一つ……扉の外は……通路?)

 

 ここは、転移のための部屋なのだろう。転移の石台は正方形の床の中央にあり、すぐ先にある階段を上がったところに扉があった。

 

(なんか古いけど……動くかな?)

 

 レインは明かりの無い部屋の中を歩いて階段を上ると扉に手を触れた。

 少し高い位置に窪みがあるだけで把手とってらしき物は無い。

 

(……これ、横に動く?)

 

 少し重たかったが、体重を乗せて力を入れると扉が横へ動いた。開き戸ではなく、引き戸になっていた。

 

(大きな通路だ)

 

 扉の外は天井の高い広々とした通路になっていた。

 箱馬車5輛が並んで走ることができそうなくらい幅があり、見上げていると首が疲れるくらい遙か上方に天井があった。

 

 床も壁の綺麗に均された石で造られていて、転移の石台があった部屋とは違い、この通路には土や木の根が入り込んでいなかった。

 

(どこまで続いているんだろう?)

 

 レインは、しゃがんで石床に手をついた。

 

 ……<霊観>

 

 再び、周囲の様子を確かめる。効果範囲は狭いが、似たような効果の<霊視波> よりも相手に気付かれにくい術技だった。

 

(……あっ!)

 

 直後、レインは<霊観> を解除して立ち上がった。

 

(何か……居る!)

 

 レインの視線の先を、大柄な人影がゆったりとした足取りで近付いて来る。

 

(なんだこれ? 大きい……人?)

 

 レインの背丈の倍近くある。手には、太い棒のような物を握っていた。

 まだ距離はあったが、向こうはレインを目指して真っ直ぐに歩いてくるようだ。

 もう見つかっていると考えた方が良い。

 

(他には……いない)

 

 動くものは一つだけだ。

 

(相手が一体なら……全力でやれる)

 

 レインは、呼吸を整えつつ"折れた剣"を肩に担ぎ上げた。

 

「あぁ~ら、可愛らしい子だこと」

 

 いきなり野太い声がから聞こえた。

 

「……えっ!?」

 

 レインは、ぎょっとなりながら背後を振り返った。 

 

(あ……?)

 

 そこには、何もいなかった。

 

(……どこに!?)

 

 慌てて周囲を見回した時、

 

「うふふ、初心うぶな子ねぇ~」

 

 女の声と共に、レインの頭上に大きな影が差した。

 そう感じた瞬間、レインは勘だけで真横へ身を投げ出していた。

 背中ぎりぎりを黒いものがいで過ぎる。直後、"折れた剣"で床をいて身を捻ったレインの耳元を何かが貫いて抜けた。

 

「あらん? 上手に避けるわねぇ」

 

 野太い女の声が頭上から聞こえるが、上には居ない。

 何処にいるのか相手の姿が見えない。

 

(声の響乱……師匠が言っていた惑乱の術技だ)

 

 レインは上体を反らしながら、周囲から連続して襲って来る棒らしきものを回避した。

 

(槍……丸太?)

 

 集中すると微かに残像が見える。レインの胴体ほどある太い棒が恐ろしい速さで襲って来た。

 レインの周囲を回るように位置を変え、視覚で捉えきれない位置から襲ってくる。

 

「やだ! 結構やるじゃない! でも、いつまで体力が続くかしらぁ~?」

 

 笑いを含んだ声が聞こえる。その声が聞こえる方向と槍が繰り出される位置がまるで違う。

 明らかに、レインよりも上の技量を持った相手だった。

 

(確かに、そろそろ厳しい……けど)

 

 レインは、相手を見ようとせず、顔をうつむけたまま勘だけで攻撃を回避していた。

 ワーグ司祭の指導の下、サドゥーラの闇刃を回避するために厳しい鍛錬を積んだのだ。いくら相手が格上でも簡単には当たらない。

 

 レインは、最小限に立ち位置をずらし、軽く体を弾ませてながら、何とか相手に正対できるように細かく体の向きを変える。

 

「う~ん、すばしっこいわねぇ……でも、これならどうかしらぁ?」

 

 野太い女の声と共に、凄まじい突風が吹き付けてきた。

 

(魔法!?)

 

 レインは、咄嗟とっさに身を丸めて風に煽られるまま地面を転がった。

 

「あら、やだ……この子、アタシの魔法を防いじゃったわ。サドゥーラの下僕のくせに楽しませてくれるじゃない!」

 

 呆れたような声と共に巨大な気配が迫る。

 

 ……<閃光>

 

 突風の衝撃で飛ばされながら、レインは正面に向けて眩い閃光を放った。

 

(げっ……)

 

 数秒間だけだが、明滅する白光の中に浮かび上がったのは筋肉隆々たる巨大な女の姿だった。

 

 鼻筋の通った彫りの深い顔に、ぎょろりと大きな眼、岩でも噛み砕きそうな丈夫そうな顎……。

 黄金色をした長い髪がマントのように背に拡がっている。

 

(う……うぁ!?)

 

 レインは、自分の眼を疑う思いでたじろいだ。

 

 目の前にそびえ立つは、紫色の夜会服ナイトドレスに身を包んでいた。

 

 貴族が夜会などで着る背中が大きく開いた紫色のドレスを着ている。おかげで、筋骨隆々とした厳つい体躯をはっきりと見ることになった。


(こ、これ……女の人?)

 

 目の前の化け物は、熊くらいなら数頭まとめて抱き潰せそうな筋肉が盛り上がった腕に、丸太のような柄をした大きなほうきを握っていた。

 

 先ほどからの攻撃は、あの大ほうきによるものだったらしい。

 

(い、いや……これ、人間じゃない)

 

 レインの思考が乱れた。

 呼吸が乱れた。わずかながら目眩めまいも覚えてしまったかも知れない。

 それを巨大な女が見逃さなかった。

 

すきありぃっ!」

 

 夜会服ナイトドレスの裾を翻し、巨女が高らかに吠えて大箒で殴りかかってきた。

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