第9話 "三日月" 継承

 

「あっ!?」

 

 レインは思わず声をあげた。

 これまで沈黙を保っていた"転移の魔法陣"が青白い輝きを放ち始めたのだ。

 

(……動き始めた!)

 

 ワーグ司祭の言うとおり、封印の解けた扉から神殿の地下に降りることは出来た。狭い地下室には、転移の法陣らしきものが描かれた円台があり、中央に円柱状に成形された水晶が置かれていた。

 

 毎日魔力を注いでいたのだが、今日まで転移の魔法陣は一向に反応しなかったのだ。ワーグ司祭との別れから約半年間、毎日魔力を注ぎ続けて、やっと現れた変化だった。

 ここ数日、そろそろかな? という感覚はあったのだが……。

 

「あぁぁ……長かった」

 

 レインは、大きなため息を吐いた。

 ひたすら魔力を注ぐ毎日の末に、やっと起きた反応だった。このやり方で良いのか迷いながらも、他に方法を思いつず……。

 

(これなら……あと、もう一回か、二回注いだら完全に動いてくれるかも?)

 

 まだ、少し魔法陣の脈動が弱い気がする。血の管のように描き巡らされた魔導の路に、十分な量の魔力が行き渡っていない感じがした。

 

(師匠が言っていたように、魔法陣も霊法陣も理屈は一緒なんだ)

 

 レインは、練気と同じ要領で魔力を操り、伸ばした左手から水晶柱に注ぎ込んだ。

 元々の魔力量が少ないから、あっと言う間に枯渇してしまう。レインは、枯渇するまで魔力を注いだ後、魔力欠乏による昏倒が起きる寸前、練気によって霊力を生み出して<回復> を行うことで体の変調を和らげていた。そして、そのまま <回復> を維持し続け、魔力が自然回復するまで待って、また魔力を注ぎ込む。

 

(おかげで、練気の精度は上がったかも)

 

 ワーグ司祭に言われたように、目が覚めている間は延々と霊力を練り続けている。

 こうして魔力を注いでいる間も、脳裏では霊法の法陣を描き続けていた。

 他のことは何も考えない。ただひたすら、ワーグ司祭から教わった法陣を一つ一つ丁寧に描き上げてから消し去る。そして、また描く。

 

(少し分かるようになった)

 

 自分が描き上げた霊法の法陣の粗さがやっと視えるようになった。

 描いた法陣の霊力を流すための導路の太さがはっきりと目視できるため、より精密に描くことができる。導路を流れる霊力に掛かる抵抗も感じ取れる。

 

(時間はかかるけど……法陣の修正もできる)

 

 霊力を操って、今描いている法陣だけでなく、過去に描いて埋設した法陣を改修することもできるようになった。

 

(まだ、師匠みたいに上手にはできないけど……)

 

 レインは、微妙に変化をしている"転移の魔法陣"に目を向けた。

 

 その時だった。

 

 

 ……カァーン……

 

 

 どこかで、鋭く乾いた音が鳴った。

 

(あ……何か引っかかった)

 

 海岸に仕掛けておいた"破砕"の法陣が発動した音だった。

 本来は無音の法陣なのだが、ワーグ司祭が手を加え、音が鳴るように組み直したそうだ。

 ワーグ司祭は、昔旅をしたラデンという国の打楽器"鼓音"に似せたと言っていた。

 

 

 ……カァーン……

 

 

 ……カァーン……

 

 

 連続して"鼓音"が響いている。

 

(……また、大きなタコが来た?)

 

 サドゥーラを斃してから、ドリュス島に魔物が寄ってくるようになった。特に多いのが、大きな蛸のような怪物と半人半魚の怪人だ。

 

 幾重にも埋設してある"破砕"の法陣の上を這い進んでいるのだろうが……。

 

(毎日、りないなぁ)

 

 "破砕"の法陣は、真上を通るものを破砕する不可視の攻性陣で、本来なら一度発動すると消えてなくなる。

 だが、ワーグ司祭から教わった裏技で、同じ"破砕"の法陣を九つずつ重ねて設置してあり、一番上の法陣から順番に発動するようになっていた。

 負傷した仲間を乗り越えて進もうとしても、次の法陣が待ち受けている。魔物に霊視ができれば、果てしなく広がる、悪夢のような光景を目にすることができるだろう。

 暇に任せて、レインがびっしりと海岸に敷き詰めた法陣を突破するのは簡単ではない。

 

「えっ!? あ……」

 

 レインは思わず声を上げた。

 いきなり体が温かい光に包まれた。底を尽きかけていた霊力が一気に回復し、昼間の修練で疲れ切っていた体が癒えてゆく。

 

(これ……霊格が上がった!)

 

 サドゥーラを斃した時以来の感覚だった。

 

(魔物が"破砕"に引っかかったから?)

 

 島に寄ってくる魔物を法陣で退治し続けていたから、少しずつ霊魂の強度が増しているとは思っていたが……。

 

(霊格が上がると、魔力の量も増えるのか)

 

 霊力に比べれば悲しいくらいに少ないが、それでも魔力量が増えたのは嬉しい。

 

(これなら……)

 

 レインは、淡い光を宿らせている水晶柱を見た。

 

(でも……転移先に、何かいるって師匠が言ってたし……準備をしてからかな? 霊格が上がったから、お面が着けられるかも?)

 

 レインは、上着の内から黒い半狐面を取り出して顔に当てた。

 

「ミカゲ」

 

 そっとお面の名を呼ぶと、初めて着けた時と同じように、目の前に花のような形の光る模様が浮かび上がり、回りながら大小の花模様を幾重にも生み出して重なる。そのまま、消えることなく法陣のような形に組み上がっていった。

 

(これは……成った……かも?)

 

 レインは身を固くした。

 

 

 ……継承者よ……

 

 

 どこからともなく、物静かな女の声が聞こえてきた。

 

(う、動けない)

 

 レインの体は、金縛りにあったかのように動かなくなった。

 

 

 ……呪血のすえよ……

 

 

(呪血……呪血って何なんです? 僕はいったい……)

 

 

 ……祈祷きとう法の秘伝……呪血の裔ならば……

 

 

(祈祷?)

 

 

 ……穢魔わいま祓い……我が祈祷の秘技……

 

 

(……わいま?)

 

 

 ……祈祷法と呪法を合わせた秘術……

 

 

(あのっ……ミマリさん?)

 

 

 ……継承の儀……すべて三日月みかげの中に……

 

 

(ミマリさん!?)

 

 レインの呼びかけには全く反応が無かった。

 

 

 ……今代で絶やさぬよう……後世に伝えて……

 

 

(……ミマリさん?)

 

 声が聞こえなくなった。

 

 同時に、

 

(あっ……)

 

 レインの視界に黄金の花が浮かび上がった。

 黄金花は、ゆるゆると回転しながら一枚、また一枚と花びらを散らせ、金色の粒子を放って消えてゆく。

 

(……これが……ミマリさんの)

 

 頭の中にミマリが遺そうとした祈祷の秘術が刻まれていた。

 

(これが……"穢魔祓わいまはらい"……)

 

 レインは、ミマリから託された祈祷術を理解して大きく目を見開いた。

 

(凄い……これは……人を救うことができる術技だ)

 

 継承に必要な膨大な知識がレインの脳を圧迫してくる。

 

(頭が……割れそう)

 

 鋭く刺すような頭痛に襲われ、立っていることが辛くなってきた。

 

(これ……ミカゲがやってるの?)

 

 頭の中で霊気が沸き立っているような異様な感覚だった。

 半狐面に覆われた顔を押さえたまま、レインは繰り返し襲ってくる痛みに耐え続けた。

 

(ふうぅぅぅ……)

 

 わずかな時間だったが、なんとか耐えきったようだ。

 悪寒に耐え続けたレインの顔から血の気が失せ、脂汗が滲んでいた。

 

(……終わった? こんなので……ちゃんと使えるのかな?)

 

 とんでもない量の複雑な術式が頭の中に刻まれていた。

 

(これが、王冠の骸骨が言ってた……英智)

 

 "穢魔祓わいまはらい"は、紛れもなく現世から失われてしまった英智だろう。

 

(ミマリさんの祈祷術……何とか使いこなせるように頑張ろう。それと……)

 

 レインは、地面に落としていた"折れた剣"に目を向けた。

 途端、"折れた剣"が地面から浮かび上がってレインの前に移動してくる。

 

(異能が使えるようになった)

 

 半狐面"三日月みかげ"を着けている間だけ、妖狐人の異能を使用することができるようだ。

 ただ、かなりの勢いで霊力を吸われ続ける。あまり長い時間、半狐面を着けていられない。必要に応じて、着け外しをしなければならないようだった。

 

(とにかく……落ち着いたら、色々試してみよう)

 

 レインは、光っている水晶柱に目を向けた。

 

 "転移の法陣"が起動している間にドリュス島を出た方が良い。長く封印されていたためか、転移の法陣が劣化していた。いつ使えなくなってもおかしくない。

 

(ワーグ師匠……転移先に、何かが居るって言ってたけど)

 

 レインは水晶柱に手を伸ばし、ゆっくりと魔力を注いだ。

 ややあって、円台に刻まれた紋様が光を帯び、それまでとは違う強い光を立ち上らせる。

 

(……成った)

 

 レインの体が光に包まれて消えていった。

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