第7話 聖なる檻
ワーグ司祭の幽霊に起こされた。入り江に小舟が入って来たらしい。
レインは、寝ていたロンディーヌを起こして、入り江を見下ろせる丘に向かった。
「沖の大型船には帆柱が無い。あれは魔導船だな。あの大きさは……沿海州の?」
ロンディーヌが呟いた。いつになく、緊張した様子で湾内に入ってくる小舟を見つめ、遠く沖合に佇む船影に眼を凝らしている。
「沖の船……旗に、大きな猫みたいな模様……」
「ここから、見えるのか?」
ロンディーヌが軽く瞠目する。
「はい。真っ白な布に、黒い猫のような絵が描いてあります」
レインは、瞳に霊気を凝らして遠視を行っていた。
「猫……黒獅子だな。ならば、あれは私の迎えだ。拾いに来たか、殺しに来たかは分からんが……レイン、何があっても姿を見せてはならんぞ。例え、浜辺で私が殺されてもだ」
そう言い置いて、ロンディーヌが身を
レインは、その場に残って沖の船を見張っていた。
『上陸用の小舟に三人乗っておる。武人2人に……術士が1人だな』
ワーグ司祭の霊が呟いた。
(……ロンディーヌさん)
レインは、丘から浜へと下る道へ眼を向けた。
ロンディーヌが、島に来た時の赤いドレスを身に纏い、踵の高い靴を履いて背筋を伸ばし、ゆっくりとした足取りで浜辺に続く道を下っていた。
(賭けだと言っていた)
これが、一つ目の賭けなのだろうか?
『やれやれ……場の空気を読まん奴め。レイン、こっちも
ワーグ司祭の声が鋭く
「えっ?」
レインは顔を上げて、ワーグ司祭の幽霊を見た。
『奴が来るぞ。境界が
「……サドゥーラ?」
ぞっと、レインの背が冷えた。
ワーグ司祭に師事してから2年半。とうとう、あの時の骸骨と戦う時が来たらしい。
『美人の尻に
「はい!」
レインは洞窟に向かって走った。
ワーグ司祭に退魔術を習ったのは、この時のためだ。
レインは"折れた剣"を手に、かねてからの打ち合わせ通り神殿に向かった。サドゥーラは、決まって神殿近くの林に現れる。
(……すごい魔瘴の気配)
神殿に近付くにつれて、息苦しいほどの死の気配が感じられた。
『ほう? あの時、我が荘園に紛れ込んだ小僧ではないか? まさか、このような孤島で生きておったとはな』
背後から声が聞こえた瞬間、レインは横っ跳びに木々の間へ飛び込んでいた。
直後、何かが切断される音が鳴って、すぐ近くにあった太い立木がゆっくりと傾いで倒れていった。
『ほう? 我の死鎌を避けたか?』
不思議そうに呟く声と共に、レインに向かって目に見えない何かが飛来した。
レインが上体を仰け反らせて背後へ倒れ込む。
さらに、身を捻って地面を転がり、レインは別の木の陰へ逃げ込んだ。
わずかに遅れて、レインを追うように地面が裂け、樹が断たれ、切られた下草が舞い散る。
『これを
聞こえてくる声に、微かな苛立ちが滲んだ。
(やっぱり、あの時の骸骨が……サドゥーラ!)
黒いボロを纏った骸骨だった。あの時は持っていなかった大きな草刈り鎌を握っている。
『生意気な小僧っ子めが……つまらん手間を掛けさせるなっ!』
黒いぼろぼろの衣を纏った骸骨が霞むように消えた。直後、レインの行く手に姿を現した。
(……ぅわっ!)
レインは慌てて"折れた剣"を振った。
ガッ!
手が痺れそうなほどの衝撃があり、大鎌を握っている骸骨の手を、レインの剣が浅く削っていた。
『……ぬうっ!』
骸骨がレインめがけて腕を振る。
「あっ……」
レインの視界がいきなり黒く塗りつぶされて何も見えなくなった。
直後に、
ゴッ!
鈍い音がして、硬い物で頭部を殴られた。
……<回復>
レインは、ワーグ仕込みの霊法で自身を治癒しながら地面を転がっていた。
『む? 霊気を操っただと?』
骸骨が首を傾げながら、手をレインめがけて突き出した。
……<回復>
地を蹴って転がりながら、レインは再び治癒の術技を使用した。
ザンッ!
鋭い音が奔り抜け、避け損なったレインの肩口が深々と斬り裂かれた。
派手に鮮血が飛び散り、周囲の下草が濡れる。
それでも、レインは生きていた。<回復> によって、致命になる寸前で体を治癒して命力を保っている。
『それは、退魔法の技……生意気な!』
黒衣を纏った骸骨の眼窩に、赤黒い光が点った。
視線の先を、肩を斬り裂かれたはずのレインが、倒れることなく全速力で逃げてゆく。
すでに傷は塞がり、流血が止まっていた。
サドゥーラの癇にさわる事態だった。
『我が呪怨の刃を浴びて……動き回れるとはな。だが……回復が追い付かぬ獄炎ならどうだ?』
サドゥーラが低く唸りながら両手を左右へ広げた。
途端、骸骨の前に大きな闇色の魔法陣が出現した。これまでの小手先の術とは違う、呪陣を使った本格的な魔法だった。まともに受ければ、回復の間もなく一瞬で蒸発してしまう。
ワーグ司祭が予想していた通りの展開だ。
(今だ!)
逃げながらサドゥーラの様子を観察していたレインの身体から霊力が迸った。
……<瞬動>
……<剛力>
2つの術技を同時に使ったレインの姿が地面から消えた。
『む……?』
レインを見失って、黒衣の骸骨が詠唱を止めた。
直後、
バギィッ……
硬質な破砕音が鳴って、骸骨の後頭部に"折れた剣"が食い込んでいた。一瞬にして後背へ回り込んだレインが、死角から"折れた剣"を叩きつけたのだ。
(やった! でも……)
斬撃の衝撃に耐えきれず、剣を握っていたレインの左手の骨が折れてしまった。レインは、食い込んで抜けない剣から手を離して後ろへ跳んだ。
ガアァァァァー……
サドゥーラが激怒して瘴気を噴出し、赤黒い炎の渦を無数に生み出しながら、レイン目掛けて襲いかかってきた。
(避けられない)
レインは、赤黒い炎に呑み込まれながら <金剛身> の術技を使った。
『馬鹿め……それは呪いの獄炎だ。その身だけでなく、霊魂そのものを焼く煉獄の炎だぞ! かび臭い退魔の術技などで防げるものか!』
「師匠……成りました!」
炎の中で微かな笑みを浮かべ、レインは膝から崩れて倒れ伏した。
『なんだと? 何を……成っただと?』
サドゥーラが、レインの呟きを聞き咎めた。
直後、地面から眩い黄金色の光柱が立ち昇った。1本や2本ではない。無数の光柱が次々と島の方々から蒼穹めがけて立ち上っていた。
『ちいっ!』
苛立ちながら動こうとした骸骨だったが、移動しようとした先でも黄金光が突き上がった。
『馬鹿な! 神聖檻だと!? こんな小僧っ子が退魔術の奥義を……このような大規模の神聖檻など……ありえんっ!』
呻いたサドゥーラを黄金光が包み込んだ。無数の黄金粒が舞い散り、島全体を輝かせる。
地面に埋設されていた法陣が次々と発動し、島全体を黄金光で包み込んでいた。
『むぅ……我を神光の檻に閉じ込めたことまでは褒めてやろう。だが、どうする? 行使者であるおまえが死ねば、いずれ神聖檻は消える。我は再び自由になるのだぞ?』
サドゥーラが、黒い大鎌を出現させると、倒れているレインに向けて振り下ろそうとした。
しかし、その大鎌が何かに打たれて弾き返された。
『ぬうっ!?』
『サドゥーラ・ギアル……呪怨の不死者よ。こんな真昼間に、荘園の外へ出てくるとは……油断が過ぎたな』
声と共に、ワーグ司祭の幽霊が現れた。
『貴様は!? なるほど、どこへ消えたかと思えば……ワーグ……貴様の仕業かっ! 我に膝を屈した老いぼれめが……』
サドゥーラが吠えるように声を上げた。
『なに、少しばかり可愛い弟子を助けてやろうと思ってな』
『弟子だと? この小僧か?』
『筋の良い弟子だ。できれば、もっと色々なことを教えてやりたかったが……』
ワーグ司祭の霊が笑いながら、胸の前で両手の拳を打ち合わせた。燐光のような光粒が双拳から弾けて散る。
『外道め! 神聖檻の内で、儂の拳から逃れられると思うなっ!』
『ふん、老いぼれめが血迷ったか? 貴様はすでに我の傀儡に堕ちた身なのだぞ?』
サドゥーラが口を開けて笑った。
『浅学の若造が……言ったであろう? ここは、神光の檻の内だと。貴様の汚れた術など役に立たぬわ!』
ワーグ司祭が鼻で笑った。
『何っ!? む……しかし、何故だ? 小僧めが息絶えたなら、この光檻も消えるはず』
『まだ分からんか?』
拳を固めたワーグ司祭が殴りかかった。
『むっ!』
サドゥーラの周囲に黒い靄が集まりかけて、形になり切らずに霧散する。
ドシィッ……
重たい打撃音が鳴り、ワーグ司祭の拳に殴られたサドゥーラが大きく姿勢を乱した。持っていた大きな鎌が弾け飛んで地面に突き立つ。
『くそっ……忌々しい聖光使いめが!』
罵りながら、サドゥーラが骨の手を持ち上げて頭部を庇う。
そこに、ワーグ司祭の拳が連続して叩き込まれた。
ガッ……ガガガッ……
打撃音が鳴り、破砕した骨の欠片が飛び散る。
『調子に乗るなっ!』
サドゥーラが黒々とした瘴毒を纏って、ワーグ司祭に殴りかかった。
その拳を軽々と捌いて、ワーグ司祭が大きく前に出るなり、鋭く腰を捻って蹴りを繰り出した。
『むっ?』
『おっ?』
サドゥーラとワーグ司祭が、それぞれ小さく声を漏らした。
『……脚は無かったな』
ワーグ司祭の霊が舌打ちをして、サドゥーラに殴りかかった。
『ボケたか、老いぼれ!』
『やかましい! どうして幽体には脚が無いのだ! 儂は蹴り技の方が得意なのだぞ!』
『知るか! 間抜けめっ!』
互いに罵り合いながら、呪怨を宿した拳と、聖光を纏わせた拳が打ち合わされる。
『浄滅してやる! 薄汚い骨めが!』
『貴様こそ、煉獄へ堕ちろ! 怨霊爺い!』
闇拳と光拳が交錯し、サドゥーラの下顎が粉々に砕けた。
ワーグ司祭の霊も仰け反って軽く頭を振っている。
『くそっ……神光の檻さえなければ、こんな老いぼれの亡霊なんぞに……』
怨みを口にしたサドゥーラが、ふと何かに気付いたように、倒れ伏しているレインを振り返った。
煉獄の炎に焼かれ、消し炭になるはずなのに、未だに元の姿を保っている。それどころか、焼けた肌身が綺麗に癒えていた。
『まさか、なぜ……まだ命を保っている?』
サドゥーラがレインを見て呆然と呟いた。
瞬間、倒れ伏して動けないはずのレインが跳ね起きた。
『……なにっ?』
一瞬にして、背後へ回ったレインが聖光を宿らせた足でサドゥーラの足を蹴り払うと、黒いぼろぼろの衣を掴んで地面へ引き倒した。
『こっ、こいつ……聖光を!?』
「せいっ!」
レインは、鋭い掛け声と共に、サドゥーラの後頭部に聖光を纏わせた拳を叩き込んだ。ワーグ司祭直伝の聖光の拳である。
激しい衝撃と共に、サドゥーラの
『よくやった! そのまま地面に押し付けていろ!』
「はい!」
ワーグ司祭の声を聞きながら、レインは倒れているサドゥーラの背に馬乗りになって、後頭部に食い込んだままの"折れた剣"を握った。
『神気招来っ! 哀廟浄葬!』
ワーグ司祭の気合の籠った掛け声が響き渡り、サドゥーラが倒れている地面の上に八角形の法陣が幾重にも重なって出現した。
『ぬうっ!? は、放せっ!』
危険を感じたサドゥーラが、力を振り絞って起きあがろうとする。
『レイン、逃すな! 抑え込め!』
ワーグ司祭が声を上げる。
……<剛力>
……<金剛身>
レインは、"折れた剣"を握ったまま術技を使い、渾身の力でサドゥーラを押さえつけた。
直後、地面で回っている法陣から目が眩む強い神光が噴き上がって、レインとサドゥーラを呑み込んだ。
眩しい閃光の中で、サドゥーラの抗う力が急激に弱まり、逆にレインの体が癒やされ力が増してゆく。
『おのれっ……おのれぇ、我がこのような……こんなところで……』
サドゥーラの体が白い光粒となって崩れ始めていた。
『くそっ……不死者サドゥーラ・ギアルが……老いぼれと未熟な小僧っ子に滅ぼされるのか。この我が……不滅の王たる我が……こんな……』
『なにが不滅の王だ。邪法で魂を裏返した白骨死体ではないか!』
ワーグ司祭が頬を
『ワーグ……これほどの神聖の陣……どうやって仕込んだ? 魔に侵されたおまえには描けぬはず……』
サドゥーラがワーグ司祭の霊を見た。
『我が弟子の力を借りて島全体に少しずつ刻んだのだ。夜は貴様の呪縛に囚われるから、陽の光の下で描かねばならん。悪霊の身には少しばかり
ワーグ司祭の霊が嗤う。
『ワーグ……貴様を喪魂させず、怨霊として呪縛したのは過ちだった』
『島民を人質に、儂を……我が同胞達を騙し討ちにした礼だ! 浄滅せよ、腐れ外道めがっ!』
ワーグ司祭が吐き捨てるように言った。
『……ちぃっ、執念深い老いぼれめ……くそっ……くそぉ……』
悔しげな悪態を最期に、サドゥーラが光粒となって天へ立ち昇る黄金光に呑まれていった。
『おまえにだけは言われとうないわ』
ワーグ司祭が、苦く笑いながら光の奔流を見送った。
「あ……?」
レインは小さく声を上げた。いきなり体が温かい光に包まれ、霊力が一気に回復していた。体の傷が急速に癒え、疲労が消えてゆく。
『うむ……霊格が上がったようだ。サドゥーラの奴、最後に人様の役に立ったな』
ワーグ司祭がレインを見て破顔した。
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