第6話 語らい


 ロンディーヌが島に来てから、3ヶ月が過ぎた。

 

「世が世なら、君は不敬罪でノコギリきにされている」

 

 ロンディーヌがぶつぶつ言いながらも袋に入れた水を運んでいた。隣を、レインも重たく膨れた水袋をげて歩いている。

 

 ロンディーヌは神殿にあった神官服を普段着にし、赤いドレスは洞窟に吊してあった。

 

「ノコギリかぁ、今欲しいですね。折れた剣じゃ、樹をまともに切れません」

 

 いつもの他愛ないやり取りをしつつ、レインは木々に刻んである魔除けの法陣に眼を向けた。ワーグ司祭の課題で、レインが練習で刻んだ退魔の法陣である。霊力を瞳に宿さないと見ることができないが、覚え始めの頃のいびつな法陣から、最近の少しマシになった法陣まで、そこら中にびっしりと描かれていた。

 

 夜になると島に怨霊が湧いて出るため、こうした魔除けが必要だった。最初は、ワーグ司祭が手本を見せてくれ、今はレインが練習のために法陣を刻んでいる。出来栄えとしては、"中の下"という評価だった。

 

(この人、最初は心配したけど……)

 

 幸いなことに、ロンディーヌは不平不満こそ口にするが、レインの指示通りに何でも手伝ってくれるし、どんな物でもよく食べた。

 もちろん、どれだけ不味いか、延々と文句は言うのだが……。

 

 ロンディーヌとの付き合い方に慣れて、レインの生活は平穏だった。

 神殿にあった衣服や装具を大蛇の洞窟に運び込んでからは、ロンディーヌの愚痴はずいぶんと少なくなった。特に、大昔の国の地図や史書があったことは嬉しかったらしく、暇があれば読みふけっている。

 

 おかげで、レインは自由に動け、ワーグ司祭から退魔術を教わる時間が取れた。

 

「まったく……湯を使うのも一苦労だな」

 

 ロンディーヌが、重たい水袋を足下へ下ろして一息吐いた。ロンディーヌは荷運びをする時、体を魔力で強化しているのだが、その魔力の巡りが乱れている。ただ、ワーグ司祭の見立てでは、あと数年もしない内にロンディーヌの魔力を封じている封印が解けるそうだ。

 

「僕が持ちましょうか?」

 

「いや、それでなくても運んだ回数と量で君に負けている。私にも、年長者としての意地があるのだ。少し時間はかかるが運ばせてくれ」

 

 額の汗を拭いながら、ロンディーヌが言った。ずいぶんと大人びて見えるが、ロンディーヌは16歳になったばかりらしい。

 

「助かります」

 

 レインは、ちらと空を仰ぎ見た。

 今日は、朝方小雨が降っただけで薄曇りの空が続いている。降っても、大雨にはなりそうもない空模様だった。

 

「ロンディーヌさんが火魔法を使えて良かったです」

 

 おかげで、気軽にお湯を沸かして調理をしたり、湯を使って体を拭いたりできる。

 火種の心配をしなくて済むのは大助かりだった。

 

「小さな火しか出せないのがもどかしい」

 

 ロンディーヌが水袋を担ぎ上げた。神殿に遺されていた神官服を纏っているためか、最初に会った時より、ずいぶんと穏やかな雰囲気である。

 

「十分です。種火を作るのは大変なんですから」

 

 レインは会話のかたわら、練気の法陣を脳裏に描きながら歩いていた。

 霊気を霊力に換えるための法陣だった。ワーグ司祭に教わった霊法の訓練方法だ。暇さえあれば頭の中で法陣を描き続けている。

 

「魔法が使えない者達はどうやって火を着けるのだ?」

 

 レインの横顔を見ながら、ロンディーヌが訊ねた。

 

「乾いた木の皮や草、燃水なんかを浸した枯草の近くで石を打ち合わせて、火花で火を移します」

 

「ふうむ……燃水というのは、油だな?」

 

「はい。すっごく高くて、ちょっぴりしか使えません」

 

「魔導具に、着火ができる物があっただろう?」

 

「魔導具は魔力を使える人しか扱えないです。それに、燃水より高いじゃないですか」

 

 レインは苦笑した。ロンディーヌが平民ではないことは分かっているが、それにしても平民の生活のことを知らなさ過ぎる。

 魔力を操れる人間どころか、魔力を感じ取れる人間がほとんどいないのだ。

 

「魔法の使い方を習えば良いだろう?」

 

「魔法の前に文字の書き方です。みんな、文字を読むことができないんですから」

 

 レインは、体内で生成した霊力を霊気に戻して大気へ散らした。

 

「なんだと? いや……子供はそうなのか? 大人達が子供に教えないのか?」

 

 ロンディーヌが首を捻る。

 

「大人も字が読めませんよ?」


 文字を読むことができる者は、10人に1人くらいだ。書くことができるのは、100人に1人といったところだろう。

 

「なに?」

 

 ロンディーヌが眼を剥いた。

 

「僕が住んでいた町では、文字が読める人は8人、文字を書ける人は2人だけでした」

 

「……信じられん。とんでもない田舎町なのだな」

 

「ハルカンという町です」

 

 レインは、祖母と住んでいた町を思い出しながら言った。

 

「ハルカン? 響きからすると、帝国の西南州のようだな」

 

「プーラン領というところにあって、領都まで馬車で20日かかるって聞いたことがあります」

 

「プーラン? モゼリヌ王国の……呪われた伯爵領ではないか!」

 

 ロンディーヌが驚いた声を上げた。

 

「知ってるんですか?」

 

の地が凶皇の怒りをかって腐毒に沈んだというのは有名な話だ。いや……だが、プーラン伯といえば、モゼリヌの文化の収集と保管を担っている名家だったと聞くぞ?」

 

「そうなんですね」

 

 レインは、目の前の法陣に視線を戻した。うっかり地名を口にしたのはまずかったかもしれない。

 まさか、ロンディーヌが知っているとは……。

 

「プーラン領でも、領民は文字が読めなかったのか?」

 

「僕が住んでいた町では、あまり……」

 

「手紙は? どうする? 平民は手紙を書かないのか?」

 

「送りたい時には、お金を払って代筆してもらって、手紙を受け取ったら文字が読める人に読んでもらうんです」

 

「……なんと不自由な」

 

 ロンディーヌが絶句する。

 

「それが普通ですよ?」

 

「そう……なのか。そうか……そうなのだな」

 

 うめくように言って、ロンディーヌが顔を俯けた。

 

「僕は、亡くなった祖母から文字の読み書きを習いました。だから、自分で手紙を読めるし、書くことができます」

 

 レインは、練気の法陣を二つに増やした。毎日、訓練しているおかげで、今では四つまで同時に生み出すことができるようになっていた。

 ワーグ司祭が言うには、八つの法陣を操れるようになったら霊法の操者として一人前らしい。レインは、魔力は少ないが、霊力は人並み以上に多いらしく、修練すれば九つ以上を操れるようになると、ワーグ司祭が言っていた。

 

『陣の導脈が乱れたぞ』

 

 ワーグ司祭の霊が指摘する。

 

(……どこです?)

 

『後から浮かべた法陣の中央、やや下の方、五重にれているところだ。霊路の太さが揃っておらん』

 

(う~ん……そうです?)


 レインには、まだ分からない。

 

『まだまだじゃな。法陣は、寝ておっても精密に描けるようにならんといかん。息をするように……当たり前のようにできるようになれ』

 

(はい)

 

 素直に頷きつつ、レインは体内の法陣を一度消して、新しく描き始めた。

 

「それにしても……レインは器用じゃな。ずいぶんと古風な練気の法のようだが……この島に流される前、誰かに師事をしていたのか?」

 

 ロンディーヌがレインを見つめて言った。

 

『ほう? この娘、練気法を知っておるのか。なかなかどうして……』

 

 ワーグ司祭が感心したように呟く。

 

「分かるんですか?」

 

 レインは、ロンディーヌの美貌をまじまじと見た。

 

「これだけ近くで繰り返し使われるとな。今の私でも、微かに見て取れるよ」

 

 ロンディーヌが眼を細めてレインを見つめる。

 

「僕の師匠は、司祭様です」

 

 レインは構わず練気の訓練を続行した。

 

「司祭? 神殿の? 当代の聖職者は聖法を使える者などおらぬと聞くが……プーランでは違ったのか?」

 

 ロンディーヌが小首を傾げる。

 

「プーランじゃないんですが……そういうものなんですか?」

 

「昨今の神官は、まともに修行をしている者がほとんどいないらしい。帝都の神殿など、飾りの付いた武具を纏った僧兵ばかりが増えて、神殿騎士などと称しておる。位が高い者は、金勘定ばかりに忙しくて祈りの言葉すら覚えておらぬぞ?」

 

 ロンディーヌが形良い眉をしかめて吐き捨てた。

 

『なんとも、嘆かわしい話だ』


 ワーグ司祭の霊が嘆息した。

 

「……ロンディーヌさんは、都に住んでいたんですか?」

 

 レインは訊いた。

 

「うむ。帝都で生まれ、帝都で育った」

 

 ロンディーヌは、カゼイン帝国の帝都出身らしい。レインが住んでいたのは西隣のモゼリヌという小国だった。

 

「帝都には、人がいっぱいいるんですよね?」

 

「他の町よりは多いだろう。人も物も……この島より多いことは確かだな」

 

 ロンディーヌがくすりと笑った。

 

「ですよね」

 

 レインも笑った。

 

「帝都に、行ってみたいか?」

 

「う~ん……あんまり気が乗らないです」

 

 レインは軽く頭を振った。

 

「なぜだ? 若い者は帝都へ行きたがると聞くが?」

 

「だって、うるさそうですし……僕は静かな方が好きなんです」

 

 サドゥーラのことは怖かったが、レインはドリュス島での生活を気に入っていた。

 

「ふむ。帝都であっても、人が多い場所へ行けば賑やかだし、人が少ない場所へ行けば静かだぞ。帝都と一口に言っても、ずいぶんと広いからな」

 

「ふうん……」

 

『帝都とやらはともかく、旅をするのは良いものだぞ。まあ、追いぎだの盗人ぬすっとだの人攫ひとさらいだの、危険は多いが……』

 

(ワーグ師匠も旅をしたんですか?)

 

『そりゃそうだ。儂は、流刑になって島に来たんじゃない。自ら選んで赴任して来たんだぞ?』

 

 ワーグが笑う。

 

「どうした? レイン?」

 

「え? あ、ちょっと……旅って、どうなのかなって思ってました」

 

「旅か。ならば、カゼインか、ノイゼンが良いだろう」

 

 ロンディーヌが小さく頷きながら言った。

 

「なぜですか?」


「プーランで何かあったから、この流刑島にいるのだろう? わざわざプーラン領……モゼリヌ王国に戻るような阿呆には見えぬ。別の国へ行けば、簡単には手を出せんからな」


「……そうですか」


「ノイゼンはモゼリヌ王家とは縁が深いが武を重んじる国だ。レインなら歓迎されるだろう。カゼイン帝国は、少し前までモゼリヌと小競り合いをやっていた。未だに国交が回復していない。レインがプーラン伯爵領……モゼリヌ王国で何かしら問題を抱えているのなら、どちらかの国に行けば良い」

 

 ロンディーヌが珍しく饒舌に語った。

 

「……詳しいんですね」

 

 レインは、まじまじとロンディーヌの整った顔を見つめた。

 

「ふふ……私が貴族だということは分かっているのだろう?」

 

「はい」

 

「島に流される前は帝都の宮殿に住んでいた。おかげで、帝都の貴族のみならず、周辺諸国の王侯貴族についても詳しくなった」

 

 ロンディーヌが苦く笑った。

 

「ロンディーヌさんは、島を出たらどうするんですか?」

 

「私か? 私は……二つほど賭けをやって、まだ命があるようなら、帝都へ戻るつもりだ」

 

 ロンディーヌが唇を歪めた。

 

「賭けですか」

 

「本来ならレインをともなって帝都へ戻り、ここでの恩を返したいところなのだが……私は自分でも把握できないほど多くの敵を抱えていてな。危難が降りかかるのは目に見えている。恩人を巻き添えにするわけにはいかん」

 

 ロンディーヌが笑った。

 

「僕も……悪い人に狙われているので一緒には行けないです」

 

 レインも苦笑を浮かべた。

 

『悪い人どころか、悪い怨霊だ。最悪の死霊術師のなれの果てだ』

 

 耳元でワーグ司祭の笑い声が聞こえる。

 

「ふふふ、その歳でかたき持ちとは、君はずいぶんと男前だな。もう少し年が近ければ、君に惚れていたぞ」

 

 ロンディーヌが口元を綻ばせた。

 

「僕も、色々やって……それでも生きていたら……いつか帝都に行ってみます」

 

 サドゥーラを退治し、島から自由になれたら……。

 

「そうだな。何か目標があった方が気持ちに張りが出る。ここの荒れた海を見ていると不安になるが……近い内に、私を迎える船が来る……はずだ。運が良ければ、船上で殺されずに大陸まで運ばれるだろう。その上で、なお運が残っていたなら……私は少しばかりままを言える立場になって帝都へ戻ることができるはずだ」

 

 ロンディーヌが空を見上げた。勝気に整った美貌に水滴がポツポツと当たり始めている。

 

「また雨が降り始めましたね」

 

 レインも空を見上げた。

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