第4話 ワーグ司祭の頼み


(あ……?)


 レインの意識が戻った。


(……雨?)


 頬を冷たいものが濡らしていた。

 煙突の天板が壊れているのか、ぽつり、ぽつりと小さな雨粒が入り込んで、レインの頬に当たってくる。

 

(ここ……暖炉の中?)

 

 レインは握りしめていた"折れた剣"を見た。

 

(助かった?)

 

 剣を抱えて骸骨の頭めがけて飛び降りたところまでは覚えていた。

 煙突の途中まで足と背で体を支えながら登り、骸骨が下から覗き込む瞬間を狙って、"折れた剣"を抱えて飛び降りたのだ。

 

(もう、いない?)

 

 レインは、暖炉の中から、ゆっくりと這い出した。

 床にはたくさんの人骨が散乱していたが、今のところ動き出す様子はない。

 

(……外に出ないと)

 

 神殿の中に居ても、朽ちた品ばかりで、空腹を紛らわせるような物は無い。

 このまま中に居ても飢えて死ぬだけだ。 

 眠ったからだろうか、体に少し力が戻っていた。

 

 レインは散乱した人骨の下から、黒いお面を拾いあげると、上着の前を開けて押し込んだ。

 "折れた剣"はこのまま貰っていくことにして、レインは暖炉の中に戻った。

 

(腕の痛みが無くなった?)

 

 いつの間にか、右腕の激痛が消えていた。

 

(呪魂って言ってたけど……特に何も?)

 

 肩から肘の断端まで黒々とした透明感のある石のように変じていた。指で触ってみると、ヒンヤリとして硬い。触れた感じは、石というより金属のようだ。

 

(とにかく……行こう)

 

 腕の痛みは鎮まり、体の調子は悪くない。手足にしっかりと力が入る。

 レインは、暖炉から煙突に入ると、"折れた剣"を体の前に抱え、足と背中を内壁に突っ張りながら少しずつ体をずり上げて、煙突の内を登っていった。

 

(なんとか、外に出れば……)

 

 焦らずに、ゆっくり時間を掛けて煙突をずり上がり、蓋している天板を剣でこじって押し開け、煙突の縁から外へと脱け出る。

 

(……うわぁ)

 

 目の前に広がった光景に、レインは大きく目を見開いた。

 

 海だった。

 白く尖った波が立つ大海が広がっていた。

 薄暗い曇天の下、荒れた海原が果てしなく続いている。レインが居る神殿は、海に突き出した断崖の上に建っていた。

 

(あっ!?)

 

 いきなりの強風にあおられて姿勢を崩しかけ、レインは慌てて煙突の縁に剣の柄を引っかけて踏みとどまった。

 

(空は暗いけど……お昼くらい?)

 

 レインは強風で飛ばされないように注意しつつ、煙突の縁板から屋根の上に降りた。それだけで、みしりと音が鳴り、屋根板を踏み抜きそうになる。

 

(屋根板が傷んでる……抜け落ちそう)

 

 怖々と這うような姿勢で、レインは屋根の上を海とは逆側へ移動した。

 

(こっちも、海なんだ)

 

 屋根の上で、レインは表情を曇らせた。

 逆側には森があったが、その先には大海原が広がっていた。

 どうやら神殿は小さな孤島に建っているようだった。

 

(……どうしよう)

 

 レインは、溜息を吐いて曇天を見上げた。

 体に熱を入れるためにも、何か食べ物が欲しかった。

 

(魚は無理でも、水際に貝やかにくらい居ないかな?)

 

 そんな事を考えた時だった。

 不意に、レインの体が淡い光に包まれた。

 

(なに……これ?)

 

 レインは戸惑いながら、光っている自分の体を見回した。

 嫌な感じはしない。ホカホカと温かい何かが体を巡っているようだった。

 

『快癒の術だ。わらしよ』

 

 いきなり、どこからか老いた男の声が響いてきた。

 

「だっ、だれ!?」

 

 レインは、ぎょっと身を竦ませて周囲を見回した。

 

『おまえは、呪怨の不死者に遭遇したのだな? 彼奴きゃつ瘴毒しょうどくを感じるぞ?』

 

 再び聞こえてきたのは、穏やかな男の声だった。


「……ふししゃ?」


『うむ、黒衣をまとった骸骨だが……』

 

「池のある……館の?」

 

『おお、幽界の荘園に迷い込んだのか? あの瘴毒しょうどくに触れて、よく正気を保てたものだ。いや……そもそも、の地からどうやって逃れ出た? 転移の法が使えるほどの術者には見えんが?』

 

「あの……あなたは?」

 

『つい先ほど、おまえを追い回した骸骨だ』

 

「あの骸骨っ!?」

 

 レインは慌てて後退った。

 

『恐れる必要はない。おまえが呪いを破ってくれたおかげで解放されたのだ』

 

 穏やかな声と共に、金糸で装飾が刺繍された白い衣装を着た厳しい顔貌の男が現れた。日焼けした顔には幾筋もの古傷があり、栗色の髪には少し白いものが混じっている。引き締まった体躯をした偉丈夫だった。

 

(これって……幽霊?)

 

 レインは、顔を引きらせた。男の腰から下が透けるように消えていた。町の墓守から幾度となく聞かされた幽霊そのままの姿だった。

 

『そう怖い顔をするな、童よ。サドゥーラの呪いから解放してくれた礼をしようというのだ』

 

「さどぅ……?」

 

『黒衣の骸骨……彼奴の生前の名だ。情けないことに、儂は奴に殺された後、呪いで亡者として縛られておった』

 

 そう言って、男が苦笑いした。

 だが、骸骨人スケルトンに殺されかけたレインとしては笑い事ではない。

 

『このドリュス島は、今でこそ流刑の地にされているが、遠い昔は巡礼の地であった。儂は、この島の神殿を任せられていた司祭……ワーグ・カイサリスという』

 

 警戒顔のレインを見つめて、男が名乗った。

 

「……僕は、レインです」 

 

『レインか。おかげで、ようやく正気に戻ることができた。ありがとう』

 

 そう言って、ワーグという男の霊が深々と頭を下げた。

 

『レインに迷惑を掛けたびをしたい。こんな状態でも治癒の術、解毒の術くらいなら教えることができる。こう見えて、儂はそれなりの退魔師だったからな』

 

「たいま……」

 

『む? もしや、今は退魔師がいないのか?』

 

「僕、あまり知らないんです。そういうの……」

 

『ああ、まあそうか。まだ幼いから知らぬことの方が多かろう。レインは、いくつなのだ?』

 

「九歳です」

 

『なんと……幼いとは思ったが……』

 

 ワーグ司祭が絶句した。

 白い顎髭あごひげを触りながら、まじまじとレインを観察する。

 

『ふうむ……うん? その黒い半面は?』

 

 上着の内側が見えるらしい。

 

「こ、これは……拾ったんです」

 

『その狐面きつねめん……ミマリが持っていたものではないか?』


「きつねめん?」

 

『物作りを得意としていた錬金の匠……彼女が持っていた半狐面によく似ている。いや……この気配……彼女の装身具なのは間違いないと思うが……それは、サドゥーラの荘園から持ち出したのか?』

 

「……はい」

 

『よく持ち出せたな。それだけの品、あの亡者めが見逃すはずはないのだが……』

 

 首を捻るワーグ司祭に、レインは仮面を見つけた部屋での出来事を話して聞かせた。

 

『霊魂……幽体か』

 

「たぶん女の人……だったと思います」

 

『なるほど……ミマリ……彼女の霊が護っていたのだろう。死しても支配されず……さすがだ』

 

 ワーグ司祭の霊が低く唸った。

 

「これ……狐なんですか?」

 

 レインは折れた剣を置いて、上衣の内から黒いお面を取り出した。

 

『昔、ミマリが妖狐人から授かった物らしい。面を被れば、妖狐人の異能を顕現けんげんできる……そうだが、彼女は恐ろしく無口だったからな。詳しくは語ってくれなかった』

 

「妖狐人……異能?」

 

 レインは、黒いお面を見た。

 狼だと思っていたら、狐のお面だったらしい。


『触らずに物を動かし、空に浮かべたり……遠くの物を手元に引き寄せたり……色々やっておったな』


「異能が使えるお面……」


『ミマリの霊が託したのなら、レインにも使えるのではないか?』

 

「これ……目の穴がありませんけど?」

 

 お面には、どこにも穴が開いていなかった。前が見えなくなるようでは困る。

 

『ああ、ミマリは生まれつき目が見えなかったそうだ。だから、妖狐人が彼女用に面を作った時、目の穴を開けなかった……そんなことを言っていた』

 

 ワーグ司祭の霊が微笑した。

 

「……そうなんですね」

 

 狐の面には、三角の狐耳の部分と口がある辺りに金色の縁取り模様が描かれているだけで、目があるはずの部分には何も描かれていない。

 

『本来なら、額のところにミマリの紋章が浮かんでいるのだが……持ち主が定まっていないということか』

 

「あの? これ、どうしたら?」

 

『ミマリがレインに授けたのだから、それはレインの物だ。被ってみれば良い』

 

「でも、前が見えないんですよね?」

 

 レインは、半狐面を着けてみた。

 

(……やっぱり、真っ暗だ)

 

『ふむ……契印が必要なのだな』

 

「けいいん?」

 

『そのまま動かずにいてくれ、霊魂に繋ごう』

 

「……えっと?」

 

 レインがよく分からないまま、半狐面を顔に押し当てていると、ひんやりとして固かった狐面が不意に柔らかくなって顔に吸い付いてきた。

 

「えっ……あっ!?」

 

 慌てるレインの顔に、半狐面が吸い付いて外せなくなる。

 

『大丈夫だ。レインを持ち主として受け入れてくれた』

 

「あの? これっ……お面が取れなくなったんですけど?」

 

『うん? ああ……名を呼んで離れるように念じれば良い……はずだ』

 

「名? 名前? お面に名前が?」

 

『確か、ミマリは……ミカゲと呼んでいたな』

 

「ミカゲ……ですか?」

 

 レインが呟いた時、いきなり視界が明るくなった。

 

「ぁ……」

 

 レインの目の前に、大輪の花のような光の模様が浮かび上がり、ゆっくりと回転を始めると、大小の花模様が幾重にも重なり、法陣のように組み上がっていった。

 

(これが……ミカゲ?)

 

 半ば呆然となって見守っていると、花模様の回転が止まって千々に飛び散って消えていった。

 

(……あれ?)

 

 気が付くと、顔から半狐面が外れていた。

 

『契印は上手くいったようだな』

 

 ワーグ司祭の霊が微笑しつつ、レインが持っている黒い半狐面を指差した。

 お面の額のところに、花のような形をした黄金色の紋様が浮かんでいた。

 

「法陣のような模様が……たぶん、途中で消えました」

 

『ふむ。霊格を上げれば良い。錬金の技か、祈祷の術か……妖狐人がミマリに伝えようとした何かしらの術技を継承するための力が足りていないということだろう』

 

「れいかく……ですか?」

 

 レインは首を傾げた。

 

『霊魂の階梯かいてい……知らぬか? 人は、魔物をたおすことで微量の魔瘴ましょうを浴びて霊魂の耐性が増してゆく。強度の増し方は微々たるものだが……突然として霊魂の強さが跳ね上がる時が来る。我らは霊格の昇華と呼んでいたが……今の世では何と称しているのだ?』

 

「そんなこと……初めて聞きました」

 

 これまで、それらしい話を聞いたことが無かった。

 

『ふうむ……儂のように退魔を生業なりわいにしていた者の間ではよく知られた話だ。まあ、魔物退治を繰り返しておれば、その内嫌でも分かる時が来る』

 

「魔物退治……ですか」

 

 レインには扱えない代物のようだ。

 

『レイン……儂から退魔の術技を習う気はないか? 霊格を上げるためにも、魔物と戦う術が必要だろう』

 

「僕に……退魔の? できるんですか?」

 

『できるとも。幸いというべきか……レインは瘴毒への耐性を持っておる。こればかりは、教えてどうこうできるものではない。抗魔の質は天性のものだからな。それに……レインは、サドゥーラに目をつけられた可能性がある。彼奴きゃつのような妖物から身を護るために、退魔の術技を習得しておくべきだと思うぞ?』

 

 ワーグ司祭の霊が、レインを見つめて言った。

 

「サドゥーラ……この島に来ますか?」

 

『来る。数年ごとに姿を見せる』

 

「やっぱり……来るんですね」

 

 レインは俯いて唇を噛みしめた。

 

『いつもは、亡者に成り果てた儂を嘲笑あざわらうために訪れるのだが……』

 

「あの骸骨、倒せないんですか?」

 

『倒せるとも』

 

 ワーグ司祭の霊が事も無げに言った。

 

「えっ!?」

 

 レインは、ワーグ司祭の霊をまじまじと見つめた。嘘や気休めを言っているようには見えないが……。

 

『幽体の儂だけでは仕留めきれん。だから、これまで放置せざるを得なかった。だが、おまえが力を貸してくれるのなら……必ず奴を浄滅じょうめつできる』

 

「……僕が?」

 

 レインは戸惑った。自分は、ただの子供だ。あのボロを纏った骸骨を前にして、震えるばかりで何もできなかった。

 

彼奴きゃつの瘴毒を浴びても生きておる。それは、彼奴と戦う上で何にも勝る才能と言えるのだ。それに、浄滅の法をすには生者の力が必要になる。儂だけでは、どうにもならん』

 

 ワーグ司祭の霊が穏やかな口調で言った。

 

「でも……僕は弱いんです。力だって無い。体も小さいし……」

 

 レインは拳を握って俯いた。

 

『九つの子供なら、そんなものだ。だが……おまえは、亡者となって襲った儂を退しりぞけたのだぞ? ただのわらしにできることではない』

 

 ワーグ司祭の霊が苦く笑う。

 

「……僕が……頑張ったら……ワーグさんは、あの骸骨を退治できるんですか?」

 

 レインは顔を上げて、挑むようにワーグ司祭の霊を見た。

 

『彼奴が現れるまでに、儂が教える聖法陣を描いてくれれば良い。そのために必要な霊法……退魔の術技を儂が教えよう』

 

 ワーグ司祭の霊が大きく頷いた。

 

「……やります。僕に、戦う方法を教えて下さい」

 

 レインは頭を下げた。

 他に生き延びる方法は無さそうだったし、何より訳も分からず逃げ回るのは嫌だった。

 

『儂から願ったことだ。弟子を取るのは初めてだが……よろしく頼む』

 

 ワーグ司祭の幽体が、幼いレインを前に深々と身を折ってお辞儀をした。

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