王国動乱 part5

 轟音と土煙を巻き上げて、巨大魚の頭部が転がる。さらに、残った半身も水しぶきを上げながら水面に浮かぶ。

 そうなって初めて判明する全長。切断された頭部まで含めれば、約二〇メートル。

 その巨体からドクドクと夥しい出血が湖面を赤く染めていく。


 「何が起きたの……?」


 「凄まじい切断力、一体誰が……?」


 体表を覆っていた粘液も、一枚一枚が大きな硬い鱗も意に介さず斬り裂くほどの切断力。

 切断面を見ただけでわかる、圧倒的な技量。傷口がまったく潰れていないのだ。恐らく、セシリアであってもあれだけの速度で斬れば多少は潰れていただろう。


 「ねぇ、あのコがやったんじゃない?」


 そう言って、真愛まなが指差した先へとセシリアも視線を送る。

 転がった頭部のそば。

 そこに、今までいなかったはずの者が立っていた。

 身長は一五〇センチメートルほど。その身長に不釣り合いなほどに長いプラチナブロンドの髪を束ね、手には片刃の剣が握られている。

 その分厚い刀身には、巨大魚の粘液と血がべっとりと付着していた。


 「あれは……? あ、おい!」


 紺のローブを身に纏った少女は、一瞬だけ二人を見るとそのまま何も言わずに立ち去ろうとする。

 セシリアが慌ててそれを止めようと駆け寄り、肩に手をかけようとした時だった。


 「あ、あれ?」


 伸ばした手が何もない空を掴む。

 確かに、今までそこにいたはずの少女の姿が影も形もなくなってしまったのだ。

 まるで、そんな少女など最初からいなかったかのように。


 「すまないな。人に触られるのが苦手なんだ」


 声は上から聞こえてきた。

 何もない空中に浮かんだ少女。

 冷めた、銀色の瞳をセシリアへと向けながら謝罪を口にする。

 小柄な体系にはあまり似つかわしくない無骨なブーツがローブの裾から覗き、その靴底には小さな魔法陣がクルクルと忙しなく回転していた。

 

 『浮遊魔法』。


 風属性魔法からの派生した物体を宙へ浮かせる魔法。

 それによって少女は宙に浮いていたのだった。


 「人間を浮かせられるなんて……」


 セシリアは、少女の謝罪など聞こえていないかのように呆けて呟いた。

 人が宙に浮かぶ。

 その光景がとても信じられなかったからだ。

 浮遊魔法は、有機物にはうまく機能しなかった。

 浮遊魔法を覚えたての者では当然として、相当な手練れであっても樹木を浮かせるのがやっとだった。

 人間を浮かすなど不可能思われているほどである。

 だが今、目の前に映っている光景は受け入れざるを得なかった。

 ローブを纏ったミステリアスな少女が浮遊魔法によって浮かんでいる。


 「どうした? ワタシの顔に何か付いているかい?」


 恐らくは彼女もわかっているのだろう。だが、敢えてとぼけたように笑いながらセシリアに聞いた。

 そうして、一瞬戸惑ったセシリアの前からまた姿を消すと、今度は真愛まなの目の前に現れる。


 「おっと。凄いわね、瞬間移動ができるなんて」


 「そんな大層なモンじゃない。ただ早く動いただけさ」


 謙遜でもなんでもなく、少女は当たり前のことだと言わんばかりに薄く微笑む。

 そして、肉塊となった巨大魚を睨みながらこう言った。


 「せっかくキレイな場所だったのにな。まったく、無粋な輩がいたものだ」


 「待ってくれ。キミは一体何者なんだ? そこまでの魔法の才、どうやって習得したんだ」


 セシリアの口調は明らかに訝しがっていた。

 当然と言えば当然である。

 自分をも上回るほどの魔法の才。別に、自分が魔法の天才だと自惚れるつもりはない。が、しかし仮にも一国の騎士団を治める者。それなりの自負というものはあるし、実績だってある。

 勇者という特別な存在は抜きにしても、急に現れた少女の方が技量が上であるほど世界は簡単に出来ていない。

 だからこそ浮かび上がるのは一つの可能性。


 「失礼を承知で聞くが、キミは魔人……じゃないだろうな?」


 ちゃんとした武器を使ったとは言え、ヌルヌルの粘液と強固な鱗に覆われた巨大魚を両断し、生物である自分自身を宙に浮かせることのできる魔法の才。

 そこから導き出される可能性は『魔人』。

 つい先日もデアマンテ王国を襲った、恐るべき存在。

 それほどまでに、圧倒的な力量がセシリアの目の前の少女からは見て取れたのだ。


 「…………そうだ、と言ったらどうするつもりなんだ?」


 その答えを聞き終わるかどうかの時点で、セシリアは剣に手をかけていた。

 一切の躊躇いなく、目の前の少女を斬り捨てるために。

 だが、その動作は最後まで完了することはなかった。


 「く……!」


 「人を疑うのは構わないが、いちいち相手の確認を取るのはナンセンスだな。敵の可能性がある時点で斬った方が国の為だぞ?」


 首元。

 頸動脈を剣で狙われ、身動きが取れなくなるセシリア。

 まったく視認できなかった。自分が剣を抜くよりも早く、少女は剣を抜いて振りかぶったのだ。その気になればそのまま斬ることも容易だっただろう。


 「一応、人間だ。ま、信じてもらおうとは思っていないがね」


 剣を収めながら呟く少女。

 背筋に凍るものを感じながら、一歩後ずさりするセシリア。

 安堵した、大きなため息が両者の間に聞こえてきた。


 「はぁぁ……びっくりしたぁ。いきなりヤメてよね、そんな危ないこと……」


 真愛まなが、両者の間に割って入ったその時、また別の者の声が少女へと呼びかけてきた。


 「そろそろ、ようございますかな? 勇者様」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る