ギャル、出会う。 part2

 「あ、あの……」


 現れたのは、一〇歳にも満たないような少女だった。

 セシリアの声で怯えたように縮こまる小さな体には、紺色の地味なカバンが握られていた。


 「あー!! ソレ、あーしのカバン!」


 少女の持つカバン――真愛まなの学校指定のカバンを見つけて駆け寄る。

 だが、小さく体を跳ねさせると、少女はその場から脱兎のごとく駆けだした。


 「あっ! 待って!」


 「私が行く」


 革でできたブーツを指で軽くなぞると、一瞬で姿を消すセシリア。

 今までいた地面が、まるで小さな竜巻でも発生したかのような削れ方をしている。


 「え? わわっ!?」


 全力で走っていたため、目の前に急に現れた壁に対応できずにぶつかる少女。

 しかし、その感触は岩や鉄ではなく、人の柔らかさと温もりがあった。


 「驚かせてすまなかったな。大丈夫だ、逃げる必要はない」


 尻もちをつきそうになる少女を支えながら、優しく声をかけるセシリア。

 五〇メートル近くは離れていたはずだが、それを風の魔法で一秒もかからずに詰めたのだ。しかも、逃げる少女はおろか周囲にもほとんど影響を及ぼさず。

 それは、言ってみればクレーン車で米粒に絵を描くような制御能力だった。

 莫大な力を非常に精密に操る。

 若干、二〇歳で騎士団長リーダーを任されるだけの実力の一端が見て取れた。


 「あ、あの……、ワタシ……あぁ」


 「お、おい!?」


 急に意識を失って、その場に倒れこむ少女。

 すぐさまセシリアが支えたので、地面に転がる石などにぶつかることはなかった。

 極度の緊張によるものか、息はあるようだが小さく細い。その上顔も真っ青だった。


 「すぐにこの子をミシェルの所へと運ぶ。……、ちょっと我慢しろ」


 「え? ちょっと……、うわっ!?」


 少女をおぶって、さらに真愛まなを乱暴に脇に抱えるセシリア。

 そのまま、再び風の魔法で急加速する。

 先ほどよりも地面を深く削り、周囲の草も巻き起こした風で散っていく。

 時速にすれば、おおよそ三〇〇キロ。

 まさに飛ぶような速度で首都クアージャへと引き返していった。

 後ろ向きで抱えられる姿勢になった真愛まなをそのままで。


 「ぎゃあぁあああ!! こ、怖いっ!! これは予想以上に怖いんですけど!?」


 時速約三〇〇キロを生身で、しかも後ろ向きで駆け抜ける恐怖は今までのどんな恐怖にも勝るものだった。

 何なら、ゴーレムの時よりも死を身近に感じるほどである。

 

 「悪いな。もう着くから、少しだけ我慢してくれ」


 冷静に一言だけ言って、セシリアはさらにその速度を加速させて夕闇が迫る空へと一気に跳びあがる。

 わぁあああああ!!!!! と言う叫び声を空にこだまさせながら三人の体はクアージャの高い壁を一息に飛び越えていた。

 


 「ホントに死ぬかと思った……」


 ミシェルの研究室の一角。

 そこに置かれた木製の机の上で突っ伏しながら、ちゃんと五体満足なことを改めて確認する真愛まな

 

 「フフ、勇者なんだろ? これくらいのことで音を上げていては困るんじゃないか?」


 「いやいや、これはいくら何でもムリだって……」


 突っ伏した姿勢のままヒラヒラと手を振る真愛まな。強大な力を有していようと、慣れていないものはムリなのだ。

 F1レーサーがオートバイのレースで一位を取れないのと似ているかもしれない。

 風の魔法はなるべく使わないようにしようと、心に誓う。

 青い顔をしながら体を休ませていると、治療室の木の扉が小さな音を立てて開いた。


 「あの子の容態はどうだ?」


 「ふぅむ、何から言ったものかな……」


 扉から出て来た焼けた金髪の少年の顔は浮かないものだった。

 それを見て、したくない想像をしてしまった真愛まなは顔を曇らせる。

 

 「もしかして、命の危機……とか?」


 「ん? ああ、そんなんじゃないさ。倒れたのは恐らく疲労と心労がピークだったからだろう。そっちは問題ないんだがね……」


 手にしたボードに挟まれた紙――少女のカルテを難しい顔をしながら見つめて唸るミシェル。

 そしてゆっくりと、その美しさすら感じさせる唇を開いてこう言った。

 

 「恐らくあの子は記憶を失くしている。自分の名前すら、あれではわからないだろう」


 「記憶喪失だと?」


 記憶喪失。

 原因は様々だが、その人が今まで覚えてきた事柄を忘れてしまう病のことである。

 その症状も様々で、ごく短期間だけを忘れてしまったり、何年という単位で忘れてしまったり、時には住んでいた場所や名前すらも失ってしまう場合もあるのだ。

 そして、記憶喪失は治る場合と治らない場合がある。

 治る場合は、一概には言えないが比較的、心因性のものが多い傾向にある。つまり、心のストレスになっている原因を取り除けば記憶が戻るのだ。

 逆に、脳の損傷などで記憶を失った場合は、非常に難しいと言える。一度傷ついた脳細胞は皮膚の怪我のようにカサブタが出来て治る、というものでもないのだ。

 パソコンで言えば、ハードディスクを物理的に叩き壊したのと近い。


 「調べたところ、脳に損傷は確認できなかったから心因性の記憶障害だろうね。まぁ、だから記憶が戻るって保証もないんだけど」


 それでも、と真愛まなは胸を撫でおろす。

 脳の損傷では、記憶喪失だけではなく他にもいろいろな機能に問題が生じる。言語、運動など日常生活で必要なほとんどを失ってしまうのだ。

 

 「しかし、なぜそんな状態の子があんなところを……」


 疑問を口にして唸るセシリア。

 確かに、年端もいかない少女が一人であんなところをうろつく、しかも記憶を失ったままで、というのは不自然だった。

 昼間にはオークも出現して、騎士団が出ている。


 「それなんだけどね」


 その答えを示したのはミシェルだった。

 彼女が身に着けていた物を乗せた台車を運びながら、こう言った。


 「あの子は多分、あの付近の村から来たんだろう」


 その言葉に、息を飲む音が聞こえてきた。

 表情を硬くしたのはセシリア。


 「まさか、二日前に焼け滅んだあの村の……!?」


 「え、え? なに、なんなの?」


 二日前では、真愛まなはこちらの世界へは来ていない。

 状況が飲み込めない彼女は、ポカンとして苦い顔をしているセシリアとミシェルの顔を交互に見る。


 「キミがこの世界に来た時に見たオーク。アイツらは二日前に近くの村を一つ焼いているんだ。村人は全滅、我々が到着した時には燃えカスしか残っていなかったよ。完全に後手に回ってしまった、最悪のケースだ」


 「そんな……」


 あの時セシリアと部下たち三人が戦っていたオーク。

 確かに、三人の表情は鬼気迫るものがあったし、怒りが満ちていたがそこまでの非道を行った存在だったとは思いもよらなかった。

 

 「治療はいろいろとやっておくけど、しばらくは絶対安静だね。深く眠っているけど、様子くらいは見ていくかい?」


 二人は頷いて、少女の眠る部屋へと赴く。

 布団をかけられ、スゥスゥと小さな寝息を立てる少女を見て、真愛まなは強く拳を握る。


 「あーし、勇者をちゃんと頑張ってみるよ……」

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