第30話 狩る者、狩られる者
「それじゃ、行ってきます」
「はい、くれぐれも気をつけてくださいね兄さん」
ん〜、何て気持ちがいい朝なんだ。こんな幸せで清々しい朝は人生で初めてかもしれない。
それもこれも、昨日の夢のようなひと時のおかげかもしれないな。
ゴミ捨てを終えて家に戻るとクラリネットがいて、この五年間のことについてみんなで語り合った。妹達の手紙に書かれていたことは基本的には俺の心配や最近興味があることについての話だったからな。キュウカが作ってくれた手料理を食べながらする談笑は、一生の思い出として俺の脳裏に刻まれ続けるだろう。
ちなみにキュウカの手料理で終わりかけていた味覚が復活し、また終わりかけたのは言うまでも無い。ただ、これから妹の手作りのものだけを食べていれば俺は味覚が終わり続けてもいいのでは? という捉え方も出来る。外で何かを口にする理由はないはずだ。
食事が終わったあとはそれぞれが思い思いの時間を過ごしていた。俺は用意されていた自室に案内されたので、自室の整理が終わった後は街のはずれにある大衆風呂屋、銭湯みたいなところで体を清めた。
もちろん家に風呂はある。ただ……妹達が使っている風呂に俺が入れると思うか? 飛ぶぞ。物理的に。ということで流石に自重した。
大衆風呂屋から帰宅後、キュウカに怒られたのは意外だった。家に風呂があるんだから家で風呂に入れだってさ……飛ぶよ? 精神的に。
それから部屋に戻り、座禅を組んで一夜を過ごした。
一つ屋根の下に妹達がいる。この感覚は実家に住んでいた以来だ。実に十二年ぶり。夜が深くなるにつれて聞こえてくる妹達の寝息と鼓動を、全神経を耳に集中させて漏らさず広い上げる。
大事な、大事な妹達の命の音。俺が世界で一番好きな音だ。
気がつけば窓から朝日が顔を覗かせていた。徹夜にも慣れたものだ。だが、こんな徹夜なら三十はいける。
と思考を巡らせていると、もう響学校の校門前に着いてしまった。妹達のことを考えていると時空が歪む。気をつけなければ。
そういえば、朝起きてからキュウカに注意されたな。確か——
『くれぐれも女子生徒には気をつけてください。兄さんに近づく人の中には……狙っている者もいますので。本来であれば一緒に行きたいところですが、今日は事務手続きで兄さんは早く行かなければならないので……』
——だったか。果たして俺の何を狙っているのだろうか。妹か? だとしたら容赦はしない。それとも妹の座か? 仮に突然現れた記憶にない義妹属性だった場合、それはそれで好物ではあるが……本当の妹には敵わないな。
一応、気をつけておこう。
校門を過ぎて昇降口へ向かう。まだ朝が早いせいで他の生徒はほとんど見かけない。職員室にクラリネットがいるらしいので、そちらに向かうとしよう。
昇降口で上履きに履き替え職員室の方向へ歩いていると、向かいから歩いてきた女子生徒二人組がこちらを見ていることに気付く。なんだ? ゴミでも付いているか? あ、そういえば俺ってここじゃ無能の烙印押されてたっけ。不登校児が久しぶりに来たから珍しがってるのか。
『ねぇあれって!! 楽聖様じゃない!?』
『嘘!? 楽聖様が復学されるっていう噂は本当だったの!?』
『そうらしいね!! 今なら玉の輿……いけるんじゃない?』
『……あんた天才っ!!』
一体何の話をしているんだ。
「あの……すみません」
「なんでしょうか」
「あぁ、素敵なお声を聞いて頭が……もしかしてこの素敵なお声、楽聖様ではありませんか?」
「……いえ、人違いです」
まずい。キュウカが言っていた意味が少しわかった気がする。
無能だった俺が蔑まれていたのとは逆で、有能な者は尊敬の眼差しをこれでもかというくらい浴びせられる。それが行き過ぎた場合、異性からのアプローチが異常に多くなると聞いたことがある。
まさか狙われているのは……俺の種か!?
「
「
……言葉の裏に隠された意味が聞こえる気がする。とりあえず——逃げよう。
「御免!」
「キャ!!」
「ィヤン!!」
俺は両手で女子生徒二人のそれぞれのスカートを捲り上げ、一瞬の隙に職員室の方へ猛ダッシュをする。スカートを捲り上げる意味? 特にない。
『
『
女子生徒の姿が見えなくなったはずだが、後方から声が聞こえた。何かまずい勘違いをしているようだが、そんなの今は後回しだ。
ヘルプミー、クラリネット。
————————————————
「本日から復学になりました、ルド・シスハーレ様です。皆さんがご存知の通り、ルド様は楽聖第三位に座する偉大なお方です。同じ組にいることを光栄に思い、良い刺激を受けて日々の鍛錬を行なってください」
朝のホームルームまで職員室で匿ってもらい、クラリネットと共に自分の教室へ移動した。クラリネットは本来俺の担任ではないが、俺とまともに会話できるのがクラリネットだけなので職員室でも俺専用みたいな扱いを受けていたためだ。ちなみにクラリネットは妹達の担任である。朝のホームルームは副担任に任せてきたらしい。
「久しぶり……の方もいると思います。ルドです。よろしく」
クラスの人は大体が顔馴染みであったが、以前とは俺を見る目が違う。何というか……男子からは純粋な憧れが、女子からは獲物を見るような……気のせいだろう。
俺みたいな大物が入学や復学する場合、全校生徒を集めて紹介するのが通例となっているが、それは俺が校長に拒否した。オーダーのように人前で喋るのが得意なわけじゃないので、わざわざ目立つようなことはしたくない。ただでされ狙われてる……かもしれないのに。
「それと、このクラスの新しい担任を紹介します。と言いたいところですが、どうやら遅れているようですのでこのまま自習して——」
「ちょっと待ったぁぁぁぁぁ!!」
赴任初日から遅刻する新しい担任? 嫌な予感がする。と思っていたがその予感は的中した。声でわかる。ドンガラガッシャンという音と共に教室へ入ってきたのはランブルだ。
「遅れたぁぁ! ごめん! ランブルだ! お、第三位もいるじゃねぇですか!」
「……何でお前が」
「何でってそりゃ色々っすよ!」
はぁ……ここまで付き纏うのか。まぁ響協会が学校に根回ししたのだろう。頼むから大人しくしておいてくだ。
「あ〜すまんすまん、これでも響協会本部楽聖課に籍を置く、超エリート様だからみんなにもいいことを教えられると思うぜ! よろしくな!」
気さくに生徒達に話しかけるランブル。こいつ、人との距離の詰め方だけは一流なんだよな。憎めない奴というか。
「あ、クラリネットさん。あとは引き継ぐんで任せてください」
「全く……頼みますよ?」
クラリネットはランブルを睨みつけると、去り際に俺に軽く会釈をして教室を後にした。
「ひぇぇおっかねぇ。よし! それじゃさっそく授業……の前に第三位はあそこの空いてる席でいいか?」
ランブルが指さしたのは、誰も座っていない席。俺が元々座っていた場所だ。席替えやクラス替えなんてものは存在しないから、俺がいなくなってからもそのままになっていたのだろう。
五年も経っているはずなのに綺麗に掃除されている自分の席に着く。少し懐かしいな。
「あの……ルド君、久しぶりだね」
隣の生徒が俺に話しかけてくる。隣は確かマインが座っていたはずだが……今は女子生徒が座っていた。いや待て、声はマインの声だ。男の癖に女みたいな声をする奴だと思っていたが……まさか——
「マインか。久しぶりだな。お前に女装の趣味があるなんて知らなかったぞ」
「えっと……その……」
というかやけに女子生徒の制服が似合ってるな。そこら辺にいる女子より圧倒的に似合っている。俺に妹がいなければ惚れちゃうかもしれないくらいに。
「僕……女の子だよ……」
……
なん……だと?
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