閑話 「漏らさなかったら考えてあげる」
「それじゃロッカ君、歌法において一番大事なことは何でしょうか」
「兄貴、そのノリいつまで続けるの?」
「こらウド君、勉強中は先生と呼びなさい」
「わかったよセンセ〜」
私は今、とある兄妹の微笑ましい授業ごっこを見守ってます。微笑ましいと思っているのは本人達だけでしょうが。
兄妹というのは、私が七年前から教師として指導していた9つ子の女の子達とそのお兄さんです。
数日前、私は生死の境をさまよいました。いえ、事故のように言うのは違いますね。私の過ちによって生じた罪に対する罰を受けました。
才能ある子達を立派な歌法士にするために焦っていた。という言い訳はあります。人類にとって有益な存在を増やすという大義を盾にしていました。
ですが、言うことを聞かせるために子供に体罰を与えるという最も愚かな行為を行なってしまったのです。恐怖で支配してしまった。
その結果、私は踏んではいけない虎の尾を踏んだのです。いえ、竜の逆鱗でしょうか。
響力が無いと聞かされていた9つ子のお兄さんには、神が宿っています。
私は神の裁きを受けました。
これまで私は、実力がない者は世界にとって有益ではないと考えていました。
この世界をより良くしていくのは、才能がある者達だと。かく言う私も、過去には天才歌法士と呼ばれ、世界を繁栄に導く才能あるものの一人だと思っていました。
しかし、そんなものは幻想でした。
9つ子達も才能はあるのですが、それでも彼の前では霞んでしまいます。
裁きを受けてから数日間、彼らと行動を共にする機会が多くなりました。一緒にいるとはいっても、私自身の役割は不都合なことを周囲に知られないようにするための隠れ蓑に過ぎませんが。
この数日間で嫌というほど、本物の才能と現実を突きつけられました。
「不正解だロッカ君。歌法陣を正しく歌うことも歌法においては大事だけど、それは一番じゃないよ」
「そうですの? では何が一番大事なのですか?」
「う〜ん、クラリネットわかる?」
こんな微笑ましい授業ごっこでも、私が知り得なかった衝撃的なことが知れます。
「そうですね……奏法への理解でしょうか。本来、歌法は奏法の上に重なるものです。基準となる奏法への理解がなければ真の力を発揮することは出来ません」
「確かに歌法陣だけの歌と、奏法で奏でた音に乗せた歌では、全く効果が異なるね。でもハズレ」
本来ならば戯言だと言われることでしょう。何故かというと、歌法にとって大事なことは正確に歌法陣を唱えること、的確に奏法に乗せることと、どの響学書にも書いている常識だからです。
ですが彼が言うとなると話は別です。彼には……凡人が見えない何か、別の世界が見えております。
響力が無いように見せられる制御力、謎の黒の響力、常軌を逸した奏法。私が知らないだけで、まだまだ隠された何かがありそうです。
「歌法にとって一番大事なこと、それは心だよ」
「心……ですか?」
「そうだよ。誰かのために、何かのために、誰を思って、何を思って、誰に届くように、何に届くように。そうした強い気持ちが一番大事なんだ。意外でしょ」
意外……ということはありません。幼い子供に歌法を教える時は、同じように教えます。ただ……そんな曖昧なものは本質になり得ないと思っていました。
「それじゃ今から実証してみよう。よいしょ」
ルドさんが空中に手をかざすと、一瞬のうちに奏法陣が形作られました。
「はい、これは今即興で作った歌法陣です。最初は心を込めずに演奏するね」
ちょっ、即興で作った!? やはり彼はどこかおかしいです……このレベルのことは当たり前といったスタンスで披露します。楽聖でも可能かどうか……
ルドさんが奏で始めたのは、単調なフレーズの鍵盤楽器の旋律です。しかし響力が乗っているので異様な存在感を感じ、耳が聞くことをやめてくれない引力があります。
「どう? 心を込めないと、こんな感じかな」
「え、結構ぐさっと来たんだけど」
「すごい……奏法です……!」
「ありがとう。みんなの前だからちょっと気合い入っちゃったかもね。それじゃ次は、心を込めて演奏するね」
そういった途端、ルドさんの周囲の空気が変わりました。目を閉じ呼吸を整える姿から、本気で奏法を行うことが伺えます。
そして鳴り出した鍵盤楽器の音。先程と同じ奏法陣で、響力もさほど変わりません。ですが……
一音一音が鳴るたびに、自分が何故歌法士になったのか、故郷のお父様とお母様のお顔、小さかった頃の夢、当時の記憶が鮮明に呼び起こされていくのです。
心が洗われているような気持ちになります。それと同時に安堵も。
曲が終わる頃、教室内にいる者は例外なく涙を流しておりました。
「まじかぁ。これはやばいな」
「うぅ……必ず歌武姫に……」
「こんなに違うものなのですね……」
「ハァ……どうだった? 結構いいでしょ」
奏法を終えたルドさんは、先程とは違い額に大量の汗をかき、呼吸が荒くなっていました。文字通り、全身全霊で奏法を行なったということでしょう。
私はこの極限状態を引き出して歌法をすることが出来るでしょうか。
もちろん出来ません。効率と正確さ、無駄の一切を削ぎ落とした私の歌法に、心が宿ることはありません。
知りたい——
ふと、そんな考えが脳をよぎります。
もっと彼の、いえ。ルド様の元で歌法の真理を、深淵を覗きたい。足元には及ばずとも、ルド様が見ている景色に少しでも近づいてみたい。もはや世界の有益など些細なこと。ルド様がいれば……世界は常に正しく有れる。
私はいても立ってもいられませんでした。
「ルド様」
ルド様に近づき、膝をつき頭を垂れます。
「クラリネット、急にどうした、変な呼び方して」
「どうか……どうか私を! 弟子にしてください」
私に師匠はいません。人生で初めて見つけた、師と仰ぐに相応しいお方。あわよくば専属の奏法士に……なんて高望みはしません。
とにかく、近くに——
「却下です」
返答は、拒否でした。
「……理由を……聞いてもよろしいですか」
「う〜ん……」
何がいけないのでしょうか。やはり大切な妹様を傷つけた私が許せないのでしょうか。それはそうでしょう……ルド様は妹様を本当に大切に思っておられます。今の私にはそれが羨ましいとさえ思います。
ですが、告げられた内容はあまりにも、あまりにも想定外のものでした。
「俺の響力を見ると漏らす癖がなくなったら考えてあげるよ。嫌だよ、響力使うたびに漏らされると」
「……」
なるほどですね……これは——
当分、弟子にはなれなさそうです。
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