中心的だったために
三鹿ショート
中心的だったために
過去の私が現在の私を見たとき、同一人物だと信ずることは不可能だろう。
だが、これが現実なのである。
過去の私は、多くの人間を従えていた。
私が命令すれば、その人間は迷うことなく私の気に入らない相手を殴り、万引などといった犯罪行為に手を染め、己の肉体を差し出していた。
たとえ学業成績が底辺だったとしても、腕力さえ強ければ、誰もが私に従っていたのである。
しかし、学生という身分を失うと、状況は一変した。
私よりも強い人間は幾らでも存在し、それなりに賢くなければ、生活もままならなかったのだ。
仕事が遅いと叱責されると、反射的に相手を殴ってしまい、それが上司だったために、私は追い出されてばかりだった。
かつて私が従えていた人間が目にすれば、何故このような人間の言いなりと化していたのだろうかと首を傾げるだろう。
過去の恨みと称して、弱った私を殴りつけてくる人間が現われる可能性もあるだろう。
ゆえに、私は帽子を目深に被り、常に下を向いて歩くようになっていた。
知り合いに会えば恥ずかしさを覚えることは間違いないのだが、それでも私が地元に残り続けていたのは、おそらく過去の栄光にしがみついているからなのだろう。
たとえ零落れてしまったとしても、私がこの土地で多くの人間を支配していたことには変わりはないために、その名残を少しでも味わいたかったのだ。
自分でも理解していることだが、何と醜い生物なのだろうか。
だが、このような私にも、味方が存在していた。
それは、帰宅した私を笑顔で迎えてくれる、彼女だった。
彼女は私が支配者として有名だった学校に通っていたのだが、私に彼女の記憶は存在していなかった。
おそらく、目立つことがない人間だったのだろう。
関わったことは無いと思っていたが、彼女は私に感謝の言葉を述べた。
いわく、私は虐げられていた彼女を救ったらしい。
当時の私は何かが原因で機嫌を悪くしていたらしく、八つ当たりとして、彼女を虐げていた人間たちを殴り、彼女を解放したとのことだった。
彼女にとって、それは忘れることができない一件だったらしいが、私は全く憶えていなかった。
しかし、その感謝の気持ちとして、零落れた私を見下すことなく、また、生活を支えてくれていることを考えると、人助けも悪くは無いものである。
***
その日、私は新たな職場で勤務を開始した。
単純な仕事内容だったために、即座に飽きを感じたが、滅多に採用されないために、文句を言うことができる立場ではない。
幸運にも、私に突き掛かるような人間が存在していなかったため、私は誰とも争うことなく、仕事を続けることができた。
このまま、何の問題も無く仕事を続けることができるように、大人しくすることを誓った。
だが、私の過去が、邪魔をしてきた。
おそらく、私が平穏な学生時代を送っていれば、このような事態に遭遇することもなかっただろうが、過去を変えることはできないのである。
***
上司として赴任してきた人間は、かつて私が従えていた人間だった。
私の命令を満足に実行することができない彼を、私は何度も殴りつけ、足蹴にしていたが、それが今では、立場が逆転している。
それを彼も理解しているのだろう、醜悪な笑みを浮かべながら、私に理不尽な命令をしてきたのである。
我慢するようにと自分に言い聞かせていたが、翌週には彼を殴りつけていた。
当然ながら、私は解雇された。
仕方の無いことだが、私は荒れた。
昼間から酒を飲み、彼女が用意した食事を一口も食べずに放り投げ、気晴らしに彼女の肉体を味わった。
まさに、最低な人間の振るまいである。
しかし、彼女が私から離れることはなかった。
私のような人間と共に過ごしたとしても、良いことなど起こるわけがない。
いくら私に恩義があるとはいえ、彼女のためを思えば、私から離れるべきなのだ。
着替えている彼女にそう告げたが、彼女は首を横に振った。
「あのとき、あなたが私を救ってくれなければ、私は今もこうして生きていることはなかったでしょう。だからこそ、私は生きている限り、あなたを支え続ける必要があるのです」
真剣な眼差しを向けられた私は、思わず涙を流した。
過去の栄光と現在の没落のあまりの差に嫌気が差し、かつて従えていた人間からの嘲笑に怒りを抱いていた私にとって、その優しさは私の肉体に染み渡ったのだ。
彼女に抱きつくと、私は子どものように声を出して泣いた。
彼女は私を馬鹿にすることなく、私の頭部を撫でてくれていた。
其処で、私は決心した。
彼女が私に対して恩を返してくれているように、私もまた、彼女と並んで歩くことができるほどに成長しなければならない。
何年も前に実行するべきだった事柄だが、何も行動しないよりは良いことだろう。
私は、次なる仕事を探すために、家を飛び出した。
背後から声をかけてきた彼女に対して、私は片手を挙げて応じた。
***
「あなたには悪いと思いますが、彼との生活は止めるべきです」
「何故でしょうか」
「彼には、何の取柄もありません。過去の栄光にしがみついている、穀潰しでしかありませんから」
「だからこそ、私は彼を支えるのです」
「何故でしょうか」
「私の存在が、どれほどまでに有難いものなのかを、理解させるためです。そうすれば、彼のように何の取柄も無い私でも、生きるに値する人間だと実感することができますから」
中心的だったために 三鹿ショート @mijikashort
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