第7話

マヤクルでの時間は夢の中にいるようだった。

海の中にある光るヒトデを探したり、泉の女神様にお菓子をもらったり、鳥と一緒に歌ったりもした。

初めての体験に心を踊らせていた時だった。


『そろそろ帰らないといけませんな』


楽しい時間の終わりを、アールの一言が告げた。


『もうこんな時間になっておりますぞ』


アールは懐中時計を突き付けた。

アーヤは驚いた表情になる。


『本当だ。もうこんなに時間が経っちゃったんだね。そろそろ帰らないといけないね、トム』


残念そうだが、ハッキリとアーヤはそう言った。


『僕は…帰りたくない…』


トムは俯いて、アーヤたちを見ないようにして呟いた。


『どうしたの、トム?』

『だって、アーヤと一緒にいる方が楽しいもの!お母さんは僕のこと納屋に閉じ込めて、僕のことなんていらないんだ!』


マヤクルでの楽しかった思い出と、納屋に閉じ込められた悲しい思い出。

トムは心から帰りたくないと思っていた。


『しかしトム殿、こちらとあちらでは時間の流れが違うのですぞ。トム殿の世界では、あれから三日も経っておるのですぞ』

『そうだよトム。お父さんやお母さんが心配してるよ』


懐中時計を指差して説得してくるアールと、心配そうに見つめてくるアーヤ。

しかしトムは首を縦に振らなかった。


『そんなことない!お父さんもお母さんも、僕のことが嫌いなんだ!』


トムはブンブンと頭を振ってアーヤたちの言葉を振り払おうとした。


『トム…それじゃあ、これを見て』


悲しそうな声でアーヤが呟く。

アーヤはピュア・ストーンを取り出すと、空中に映像を映し出した。


映し出されたのはトムの家の中だった。


(お母さん…)


トムの家の食堂。

トムの母親は、一人で椅子に座り祈るような姿でじっとしていた。

そこに姉が入ってくる。


『お母さん、トムが心配なのは分かるけど、ごはんくらい食べなくちゃダメだよ』

『あぁ、そうだね。でも、もう少しだけ。トムを探しに行ったお父さんが帰ってくるまで待っているよ』


母親は姉に向かい力なく笑うと、再度視線を落とした。


『それに、ごはんはみんなで食べた方が美味しいだろう』

『そんなこと言って、昨日も全然食べなかったじゃない!』


姉が机をバンッと叩いた。

母親は一瞬ビクッとなったが、姉を見つめて力無く笑う。


『もう少し…もう少しだけ待ったら食べるから、心配しないで良いんだよ。お前は優しい子だね』

『…絶対に、約束だよ!』


姉は諦めたのか、食堂を出ていった。

母親は再び祈るような姿勢になり、そして動かなくなった。


(…お母さん、痩せてた)


トムは心が締め付けられた。

アーヤとアールも、悲しそうな目で映像を見ていた。


『ねぇ、トム。お母さんは心配してるよ。帰ろうよトム』


ピュア・ストーンをしまうとアーヤはゆっくりとトムに歩み寄っていった。


『でも、でも…一度帰ったら、もうアーヤとは会えなくなるんでしょ?僕は、こっちにいたい』


トムはボロボロと涙を流していた。

顔を上げてアーヤの顔を見ることも出来なかった。


すっと、アーヤの手がトムの胸に触れた。


『トム、これを見て』


声をかけられ、顔を上げる。

アーヤが差し出した手には、灰色の石が握られていた。


『これは、何?』

『これはね…あなたのピュア・ストーンだよ』


アーヤは悲しそうな表情で、灰色の石を見つめていた。


『嘘だ!こんなの、全然光っていないし、白くもないし、ピュア・ストーンなんかじゃないよ!』

『ううん。ピュア・ストーンは持ち主の純粋な心を映した石なんだよ。純粋で真っ白な心には、何でも叶えられる力があるし、輝いているの』


アーヤはトムを見つめて、もう一度灰色の石に目を落とした。

少しの沈黙の後。


『トムは本当は帰りたがってる。嘘をついたらピュア・ストーンはどんどん黒くなるの。本当は帰りたいんでしょ』

『でも、僕は、アーヤとお別れするのが嫌なんだ…』

『ピュア・ストーンには何でも叶えられる力があるの。トムのピュア・ストーンが真っ白になったら、きっとまた会えるよ』


アーヤは笑っていた。

見る者の心を開かせてしまう、不思議な笑顔だった。

トムは乱暴に袖で涙を拭った。


『ありがとうアーヤ。僕、帰るよ』

『うん。また会おうね、トム』


トムとアーヤはがっちりと抱き合った。


『コホンッ…それではトム殿をお送りしますぞ』


アールのわざとらしい咳ばらいでアーヤと別れると、マヤクルに来た時のように白い光がトムを包んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る