「……それ、もしかしてまた?」
「うん。明日の放課後だから、先に帰ってて」
「そっか。がんばってね」
「いつもごめん、さっちゃん。今度アイス奢るよ」
下校のため靴を履き替えていると、花が自然な動作で下駄箱から何かを取り出した。小さな手紙のようなそれは私の想像通り『ラブレター』だった。
また、という接続詞がつくほど何度もラブレターを受け取ってきた花は、毎度律儀に紙に書かれた通りの場所へ行き、そして男の子を振ってくる。どれだけかっこいいと噂の後輩も甲子園球児の先輩も花は関係がないらしい。
昔から花は男の子に一ミリたりとも興味がない。
どんな人でも絶対に告白を断ってくるという絶対的な固定された事実があるから、私は手紙については何も聞かないのだ。
花が告白を全て断ることについて、今更妬ましさ等は感じない。ただ大変だなと花を不憫に思う気持ちと、送る側の気持ちが両方がわかるだけに複雑な心情になることはよくあるのだが。
隠すように手紙を鞄へとしまう花をさりげなく見つめた。
縮毛なんてしなくても癖なく伸びた髪は胸の辺りで揺れ、天使の輪が頭にかかっている。アイロンしてるからだよーとそれっぽい言い訳をされるが、私の推測によればそうやって自分を卑下する人たちは大抵嘘をついている。実際、中学の修学旅行ではアイロンなんてなくてもサラサラストレートだった。悔しいけどかわいいから許せてしまう。
顔はもう見ればわかるという風に、瞳に影がかかるほど長いまつ毛はクルンと上がり、頬と唇は自然なピンクで色づいている。肌もテカリ知らずなまっさらな陶器肌で、流れる汗すら魅力の一つに加点される美少女具合。もちろんスタイルもいい。手足は程よく細く長く、顔は小さい。きっと私なんて整形したって花のようにはなれない確信があるから、花を羨むなんて馬鹿のすることだと思う。
見た目が大優勝、女子からも男子からも好かれる容姿に加え性格までいいと来た。それも美少女にありがちな高嶺の花的な穏やかニコリ系ではなく、どちらかといえばクラスを盛り上げてくれる体育会系。親しみやすく誰にでも平等、ノリも良く冗談もギャグも通じる。もう花にできないことなんて勉強ぐらいしか思いつかないのである。なんなら頭が悪いのも魅力ポイントプラス一。これでモテないわけがない。
さすがに花も自覚はしている。不用意に距離を詰めたり目を合わせたりしないように心がけているのだとか。
人の彼氏を無自覚に惚れさせて亀裂を入れてしまう、なんて事件も幾度となく経験しているので、媚びているといわれない程度の距離感でで男子とは接している。
そんなの、勝手に花を好きになる男の方が全面的に悪いに決まっているのに。お人好しの花は「わたしがちょっと気遣えばいいだけだから」と朗らかに笑うのだ。そういうのが逆効果だと、言っても対して変化はないのだろう。
「どうかした? なんか変?」
「いつも通りかわいいよ。今日の一時間目ってなんだっけ?」
「わたしが覚えてると思った?」
「……私が間違いだった」
「ふふっ、わかればよろしい」
*
駅のホームは人で溢れかえっている……とまではいかないけれど、席に座れない程度に点々と人が立っている。ちょっと誇れるくらいには廃れた田舎町にある高校に通っているから、それでもいつもより混んでいるなという感想を覚える。
夏ももう中盤だろうか。初夏の暑さはとっくに通り越して、薄暮には長袖が必要なほど冷え込む。蝉の音はまだ聞こえるが、それも学校の裏山だけ。街へ降りて仕舞えば朝は暑く夜は寒い、マイルドな砂漠のような気候だ。
私たちの下校は、ちょうど暑い昼と寒い夜の間を渡っているため、学校から駅のほんの数分で背中にうっすら汗が滲んだ。
パタパタと長袖のワイシャツを仰ぐとすぐに涼しくなってくる。歩いていると長袖は暑いが、止まってしまえば半袖じゃ肌寒い。そんな中途半端な季節だから、ニットを持って行ったりインナーを着たり、靴下をタイツに変えてみたりと毎日いろんな工夫をするのだ。
今日はワイシャツ一枚に薄めのタイツ。対して花は長袖のワイシャツに黒のニットベスト、靴下はスニーカーソックスでバランスを取っている、らしい。
肩に寄りかかってくる花のスマホを覗き込めば、液晶に15時41分の文字がみえる。1番近い電車は15時57分発だから、あと15分ほどだ。
そのままぼーっと流れていく動画を眺めていると、突然花が呟いた。
「……また」
「え?」
「……ねぇさっちゃん、今どこかで犬の鳴き声がした?」
「聞こえなかったけど……どこから聞こえたの?」
「……さっちゃんが言うなら、やっぱり聞き間違いだったみたい。いまのは忘れてほしいなぁ〜」
体勢を変えず、いつもよりどことなく生気のない声で。
……犬の鳴き声。ああ、確か昔にも同じことを聞かれたことがある。
朝、よく覚えている。息子が毎日公園で煙草を吸ってる矢島さん家の前を過ぎてすぐ、散歩をしていた犬が花の腕に噛みついたのだ。
幸い大きな怪我もなく感染症の恐れもないとのことで、病院には行ったものの花は午後から授業に戻ることになった。
その日の帰り道にも、この駅のホームで「犬の鳴き声が聞こえる」と耳を塞いで怯えていた。数年経った現在、花は隠したがるが、あの道の付近を通ると挙動不審になる癖がある。それ関連で、数年ぶりにフラッシュバックしたのだろうか。
「花」
暗い画面を見つめて微動だにしない花の名前を呼ぶ。
「花。花は、私が守るから大丈夫だよ」
なんて適当なことを、と思われたって。根拠のない自信だと自覚はあるけれど、花がこんなにも頼ってくれるのは私だけだから。私がどうにかしてあげなくちゃ意味がない。
ゆっくり溶かすように、柔らかい頭を撫でる。手のひらに感じる体温が、血管を伝って全身に蔓延する錯覚を覚えた。
カンカン、カンカン
踏切が降りる。赤い光が通り過ぎる。
何度もこの光景を見た。ふと離れていった体温に、卒業したらこの踏切の音を忘れてしまうのかという恐怖に襲われて。この景色を忘れてはいけないと、目に焼き付け耳に詰め込む。写真で残しておくのでは、きっと何かがずれてしまうから。
「さっちゃん、行くよ?」
花は何事もなかったように綺麗に微笑む。古びた電車のドアをくぐり、先を行く背中を追いかけた。
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