第10話 このアクスタと缶バッジに誓って

「どこって……その、YouTubeにちょっと前まで上がってたんだ。今はもう見れないけれど」


 そこまで広くない店内、逃げ場のない空間。アカツキの殺気すら感じさせる視線に身構えるが、しかし説明の仕方としてはこう話すほかなかった。


「この人が見つけて、で、それを勝手にダウンロードして保存してるんです。そして、この曲を勝手に世間にバラまこうとしてる」


 ミナは俺の言葉を受けてそう説明を継いだが、随分悪し様に言ってくれる。


「勝手にばら撒く、っていうのは語弊がありまくりで、ちゃんとこの曲の背景とか、削除された事情とかを解き明かして、その上で、この曲のすばらしさを世に知らしめたいというか……」


「わたしは、勝手にソウマの前世と見なされうるような真偽不明の情報がばら撒かれるのを危惧して、この人の行動を監視することに決めたんです。無理やり止めようとしたら、どんな暴れ方をするかもわかったもんじゃないので」


「暴れないっての! なんでそんなこと思われてるんだか、紳士的でしょう俺は」


「いや。その曲のことになるとあなたは熱狂的というか、かなり危険です。この前も随分長いオタク語りをしていましたし」


「そりゃあなたでしょうが」


 そうやってミナと言い争いをしていたのだが、するとアカツキが、 


「……そういうことか」


 と、いつの間にか納得が行ったのか、表情の緊張を緩め、一人頷いていた。


「なんとなく状況はわかったっす。クリオネさん」


「はい」


「勝手にばら撒くのはマジでよくないっすよ」


「だから、そんなことしないって!」


「じゃあ広めるって、この曲をどうする気なんすか?」


「それは……まあ俺も、ソウマファンのうち、ソウマの前世の存在を受け入れられる人にだけこっそり布教して回る、みたいなアングラなことをいつまでもやりたいわけじゃない。こうやって聞かせていること自体が、今のソウマの意思に反しているだろうってことは俺だって分かってるから」


「分かってるなら――」


「でも、俺はそれが、ソウマの本当の意思だとは思えない」


 俺がそう言うと、アカツキは口をつぐんだ。


「アカツキさん。あなただって分かったはずだ。多分だけど、こんな凄い曲を作って、発表せずに隠しておこうなんて絶対に人は思えない。絶対にそこには、もっとやむにやまれない事情があるはずなんだ。それを解消して、堂々とこの曲を黄昏ソウマの曲として世に発表できるようにしたい。そうなれば、それさえ成し遂げられれば」


 俺は一呼吸開けて、


「この曲は俺が何かするまでもなく、あとは勝手に全世界のあらゆる場所で掛かるようになる」


「……まあ、こういうことを言うわけです、この人は。アカツキさんはどう思いますか? 業界の目線から、ぜひこのわからず屋の暴走機関車に対するなにか、冷や水とかたしなめとか、そういうのをぜひ頂ければと思うんですけれど」


 ミナは呆れた様子で、露骨に俺を諫める方向へ話題を誘導しようとしている。ところがアカツキは、


「確かにクリオネさんの言う通り、もしこの曲が普通に公表されたら、とんでもなくエグイことになると思います。数億回と再生されて、グラミー賞とか取るかもしれないすね」


 と言った。


「あ、あは、そういうジョークも話されるんですね……アカツキさん?」


 苦笑するミナと対照的に、アカツキは真剣そのものだった。俺も全く同意見だ。なんならノーベル文学賞とかも取れるかもしれない。ボブ・ディランが取れるならソウマだって取れる。


「けれど、流石にクリオネさんが一人で勝手に動いて、どうにかなるような話でもないっすよ。色々事務所とか、レーベルとか、権利とか、契約とか、多分そういうのが色々渦巻いてるんです。なかなかよそ者がおいそれと立ち入れるような領域じゃないんすよ、きっと」


 おお……なんというか、凄く業界人然とした回答が来た。


「実際クリオネさんも社会人なんすよね?」


「ええ、まあ」


「素人や部外者が適当な口出しを仕事についてしてきたら、ちょっと腹立ちません?」


「うっ」


 いくらなんでもアーティストのような何かしら表現を生業としているような人々と、雇われで淡々と指示された仕事をやっている俺みたいなサラリーマンとじゃ色々考え方や感じ方は違うだろうとは思う。


 しかしそれでも、サラリーマンはサラリーマンなりに色々苦労やしがらみを抱えて仕事をしているのは確かにそうで、そんな前提も知らずにいきなり部外者から「こうしたらいいのに」と軽い気持ちで言われたら、それは、イラっとするに違いない。


「じゃあ、諦めろって、そういうことですか?」


 大人げなく、そんないじける小学生のようなセリフを思わず吐いてしまったのだが、しかしアカツキはまたしても意外なことに、


「いいや、だったら、クリオネさんが業界に食い込めばいいんすよ」


「え? いや、そんなコネなんて別に……あ、もしかしてアカツキさんが?」


「いやいやいや俺じゃないっす、俺はソウマとは全然関係ないので、これっぽっちも全く」


 そう首をブルンブルンと横に振るアカツキ。


「そうじゃなくて、もっと身近に居るんじゃないすか? ソウマと近しい人。その人経由で、なんとか事務所側の事情に近づいていけばいいんすよ」


 そう言ってアカツキはミナに視線を送る。


「なんでこっちを見るんですか」


「いや、佐奈さんはこの意見どう思うかな、と思って」


「……」

 

 すると、佐奈ミナは不思議なほどに黙り込んだ。どうしてだ? 推しであるアカツキから、意外にも俺の考えを肯定するような、そんな意見が出てきたことに困惑しているとか、そういうことなのだろうか? 


 しばらくの思案の後、


「……わたしは反対です。Vtuberの事務所とか裏方とか、そんなのに足を踏み入れたってやっぱり誰も幸せにならないと思います。大体、そういうのが苦手だったり面倒だったり、そういう人たちの拠り所として存在している要素が大きいじゃないですか。そこにわざわざ手を突っ込むのは、その……それこそ、事務所に転職するとか、取引をするとか、そういうビジネス上の関係性を持つのであればまだ道はあるかもしれませんけど。


 でもそれにしたって所属するタレント本人へ影響を及ぼそうなんて企んでる人、わたしが反対するまでもなく事務所側から弾かれると思います」


「まあ、一理あるっすね……クリオネさんはどう思いますか?」


「俺は」


 佐奈ミナの、ドの付く正論としか言えないその言葉を聞いて、俺の中から湧き出てきた答え。それは、


「迷惑が掛かるのだとしたら申し訳ないとは思うけれども、でもこの曲については譲る気はない。この曲を広めるために、何か一つ、必要悪が求められるんだとしたら、俺がその必要悪になる。迷惑を掛けて、ごめんなさいという感じだ」


 信じられない、という風にミナは目を丸くし、


「ほら、やっぱり危険人物です。もしあなたの行動のせいで、巡り巡って、ソウマが引退するようなことになってしまったらどうするんですか?」


「もし俺の行いによってそんなことが起こるときが来るとしたら、そのときは、ソウマがこの曲のために、望んで引退するときだ。そしてあいつが望んだことだとしたら、俺は喜んで受け入れるね。あいつがこの曲で悔しい想いを抱えながら我慢して活動してるんだったら、俺は我慢するなと言いたいし、こんな凄い曲なんだから、我慢してるに決まってる。何も難しくない、ただの三段論法じゃないか」


「……頭、おかしいんじゃないですか?」


「なら良い病院を紹介してくれよ。佐奈さんが勧めるところだったら安心できそうだ」


 そう言うと、憮然とするミナを差し置き、アカツキは楽しそうに笑った。


「やばいっすねクリオネさん。俺、マジでクリオネさんだったらなんかやってくれそうな気がします」


◆ 


 いい加減新幹線の時間も不味いということで、アカツキと別れることになった。店を出て秋葉原駅前に向かう。電気街口の広場ではストリートミュージシャンがギターで弾き語りをしている(そういえばなんで歌ってるのに『語り』と呼ぶのだろう)。


 別れしな、アカツキの方から「LINE交換しましょうよ」と持ち掛けられた。こちらとしては願ってもないことだったので諸手を挙げてお願いした。


 佐奈ミナも大喜び、かと思いきや、神妙な顔をしてそれを受け取っていた。最初の遭遇時の興奮はどこへやら、どことなくお互いに探り合いをしているようにも見える。気まずい。


「じゃあ、そろそろ。改めてクリオネさん、今日は本当にありがとうございました。この恩は忘れないっす」


「いや、そんな大げさな。かつ丼半分食っただけじゃんか」


「いや、真剣す。このアクスタと缶バッジに誓って、必ず礼します。何かあったらLINEでもなんでも、すぐ連絡ください。というか、こちらからなんか力になれることがないかも探します」


 アカツキはぎゅっと、俺達の戦利品であるアクスタ缶バッジセットを握りしめている。もちろんあのかつ丼は完食した。


「そりゃ百人力だ。そんなこと言われたら、なんの遠慮もなく頼っちゃうよ?」


「マジ大歓迎です……あと佐奈さんも、応援の言葉ありがとうございました。めっちゃ嬉しかったっす。俺も『お仕事』、応援してるんで」


「なんでアカツキさんがわたしを応援するんですか。わたしがあなたを応援しますから」


 ううむ。やはり二人の会話はぎこちない。エールの送り合いなのに、なんでこんなに絶妙にバチバチしてるんだ?


 そのとき、「あのっ!」という声がした。見るとそれは、先程までギターを弾いていた青年であった。彼はキラッキラした目でアカツキを見て居る。このあとの展開が予想できた気がする。


「あのあのあのあの、アカツキアカリさんですよね!? 大ファンです!! 握手、あ、いや、サイン! ギターにサインください!!」


「ああ、いいすよ。ペンあります?」


 弾き語り青年は尻尾を振る犬のようにさっとギターを差し出し懐からサインペンを取り出した。アカツキはサラサラとサインを描き終え、ギターを返そうとする。しかし青年が受け取ろうとしない。


「……あの、もしよければ」


 そう言いながら、アカツキが今持っているギターを手で指して、何かを促すようにバタバタと振る。おいおい、まさかここで弾けっていうのか。


 しかしアカツキは嫌な顔もせず、俺の方をちらと見て、


「じゃあクリオネさん、お礼になるかは分からんすけど、とりあえずまずはワンコーラスだけプレゼントっす」


 俺が返事を言う間もなく、彼はギターを弾き始めた。表情はどこかリラックスしているが、だが手の捌き、ストロークというやつだ、それはまるで暴れる馬のように激しく、ちぎれそうなほどに動き回っている。


 そこに彼の歌声が乗る。瞬間、周囲の人たちのいくらかが一気に振り向いた。特に若い女性たちが敏感に反応し、ちらちらと「え!」とか「ヤバい!」という声が聞こえ始めた。


 ざわつきが段々と大きくなり、アカツキを囲うように人だかりができ始めるのに要した時間はわずか30秒ほど。その勢いに圧倒されるが、アカツキは余裕そうな笑みを浮かべていた。


『だから 君の声を聞かせて 意味のない言葉でもいい 君の顔を見させて 暗闇の中でもいい』


 サビにもなれば、いよいよ反応の中には悲鳴染みた叫びも交じり、それが呼び水となり更に多くの人が集まり始める。遠くから曲を知らないであろう野次馬も「なんだなんだ」と見始めるし、さらに遠目には警察官がちらちらとこちらを気にしているのも分かった。


 二番には行かずそのままアウトロにスパッと繋いで演奏を閉めたアカツキは、周囲の拍手も無視してギターを青年にバッと押し付けると、俺に向かってにこりと笑って、


「こんなんじゃまだまだ返しきれてないんで、また連絡取り合いましょう! じゃ、行ってきます」


「お、おお」


 そう言うや否や、アカツキは脱兎のごとく俊敏な動きでサッと人込みの中を抜けて行って、駅の奥へと去っていった。


「わー、もう終わりかー」「あの人がアカツキだよ、ほらTikTokとかで」「めっちゃイケメンだったねやば! ねー写真撮れた?」「ファンなっちゃったかも」


 そんなざわめきも段々と散っていき、気が付けばその場に残っていたのは俺とミナだけになっていた。あのギター青年すら帰ってしまったらしい。


「若きスター、って感じだったな」


 そう呟く俺に、ミナは


「どこがですか。仮に星だとして、隕石衝突みたいな大災害でしたよ」


 と、ため息混じりに言った。

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