第8話 厄介ソウマニアその2 アカツキ



 今、好物はなんですか? と聞かれたらこう答える。「空気です」、と。


「ありがとうございやしたぁー」


 その声に送られながら、俺は店を後にする。お腹はあまりにもパンパンで、爪楊枝で突けば破裂するんじゃないか。マジでやばい。


 外の空気が美味すぎる。もう食べ物を半年は食わんくていい。そんな気持ちで周囲を見渡す。辺りはすっかり暗く、電子部品や中古のパソコンを売っている店たちはそろそろ店じまいの時間だが、この狭い通りにはまだ人が多い。ケバブ屋とコンカフェのネオンが、もう暫く明かりをこの通りに灯し続けるだろう。


 雑居ビルの隙間から見える星空を仰ぎながら、俺はポケットからそれを取り出した。


 アクリルスタンドと缶バッジだ。俺は勝ったのだ。


 ドカ食い後の朦朧とした頭で勝利の余韻に浸っていたところで、


「……あっ、それ」


 ふと、そんな声が聞こえた。中性的で、どこか透明な声。


 見ると、そこには小柄な若者が居た。髪は刈り上げや剃りこみががっつり入ったデザイン性に富んだミドルボブ、耳には大きなピアスがいくつか、服装はオーバーサイズのゆったりとしたロングティーに、ダボッとしたパンツ。そしてしっとりとした肌と、はっきりとした目鼻立ちが印象的な、麗しい容貌をしていた。


 あまり秋葉原っぽくないおしゃれな服装と、性別不詳な雰囲気に戸惑っていると、


「それ、どんかつのキャンペーンのやつですか? ソウマの」


 と、改めて話しかけられた。俺はゲップが出そうになるのをこらえながら答えた。


「え、ええ、そうですよ…うっぷ」


「おお、凄い……マジすか。いいな、やっぱり頑張るか」


 一瞬、譲って欲しいという話かと思い身構えたが、そのつもりは流石にないらしい。しげしげとアクスタを眺めてくる。それにしても、こんなスタイリッシュな人までソウマニアなのか。恐ろしい裾野の広さだ。


「ええと、あなたも狙ってるんですか?」


「そうっす。一応、あと一杯までは来たんですけれど、もうかなりお腹が限界で……どうしようかと、途方に暮れてたんすよね」


「あと一杯なら、明日来れば行けるんじゃないですか? さっき店員さんに聞いたんですけど、まだもう少しは余裕あるらしいです。まあ、なんか自信ニキがたくさん来るらしいですけど、流石に一杯だけなら彼らよりも早く食えるんじゃ……」


「いや、それが……実は今日の夜に東京を出なくちゃいけなくて。明日朝10時には大阪に居なきゃいないんですよ」


「ああ、それは……」


 どんかつの開店時間は昼の11時。どうやったってどんかつを食べてから大阪に10時入りすることはできまい。


「あれ、テイクアウトって……ああ、ダメか」


「そうなんすよ、グッズのために買うだけ買って捨てちゃう、みたいなことが起きないように、対象は店内イートインだけって厳密に決まってるらしくて」


 あくまでキャンペーンの趣旨はかつ丼の美味しさを知ってもらうこと。単に売れれば良いわけではない。そんなことをソウマが告知配信で言っていたのを思い出す。


「まあでも、諦めるしかないか……ちょっと、流石にあと一杯はきついんすよね。これでも、ここで2時間ぐらい体力回復に努めてたんですが」


 そう俯くのを見ていると、だんだんかわいそうになってくる。いやもちろん手に持ってる戦利品(アクスタ)をあげるつもりはない。しかし、なにか手伝えることもあるのでは……いや、なにかもクソもない。やれることは一つだけだ。


「一杯まるまるは無理でも、半分くらいならいけるんですか?」


「それなら……でも、小盛りは対象外なんです」


「いや、並盛を頼むんです。半分を食べてください。そしたら、もう半分は僕が食べますから」


「……い、いいんですか……!?」


 とたん、沈んでいた表情が一気にパッと、まるで朝の陽光のように輝いた。あのですねえ、かわいいです。性別とかさておき。


「ソウマニアのよしみですよ」


 正直相当無理をすることにはなるが、これも何かの縁だ。一体何枚の肌を脱げば足りるかわからないが、俺は腕を捲って店の中に入った。アカツキはそれでも一瞬躊躇したようだが、最後には「ありがとうございます……!」と言って、一緒に中に入った。


 俺の顔を見て驚く店員。「お前、さっき限界だったじゃないか……!」と目で訴えかけてくる彼に「いいんだ、それ以上は何も言うな」と目で語りかけ、


「かつ丼並盛一つと、生ビールを瓶で一つ」


 と注文した。店員は俺の悲壮な覚悟を受け取ったのか、「並一丁!」と厨房に向かって叫んだ。


「すみませんね、ちょっと酒の勢いを借ります」


 と頭を下げると、小柄な青年は「あ、グラス2つお願いします」と店員に頼んだ。


「あ、飲めるの?」


「逆に飲まなきゃやってられないですよ」


「年齢的に」


「いやいや、普通に成人してますよ、俺は」


「これは失敬」


「いやまあ全然。名乗ってすらもないししゃーないっす」


 そう言いながらその人物ーー便宜上、一人称を尊重して彼と呼ぼうーー彼は、頬を掻いた。


「俺はアカツキって言います」


 いいねえ。思わず膝を打ちたくなった。こんな格好をして秋葉原を練り歩く青年が名乗るのにピッタリの名前だ。


「漢字は? それともカタカナ?」


「緋色の緋に、ムーンの月です。緋月」


「いいねえ!」


 思わず膝を打った。彼は困惑半分、照れ半分という顔で「お兄さんの方は?」と聞く。ここは俺もハンドルネームで名乗るのが筋だろう。


「俺はクリオネです」


「かわいい名前。好きなんすか」


「いや、昔水族館の帰りに何となく思い立って付けた名前ですけど、意味はないですね。ただ、大昔から使ってる分、妙な愛着があるというか」


 ビールをグラスに注ぎながらそう話しかけると、


「分かります。長年連れ添うと、もう内容とか意思とか関係なく、それと繋がっちゃいますもんね」


 と頷いた。


「はい、かつ丼一丁です」


 思っていたよりも早く届いたどんぶりを睨む。胃袋の中に沈めた5杯分のかつ丼の亡霊がよみがえり、俺を呪ってくる。見ればアカツキも随分つらそうな顔で、目が合って二人で苦笑いした。


「まああれだ。ビールのつまみと思いながらちびちびやりましょうよ。新幹線の時間は?」


「まだ2時間くらいはあるんで大丈夫す」


 そんなわけで、俺はアカツキと軽い世間話やソウマについてのオタクトークをしながら、かつ丼を少しずつ捌いて行った。アカツキは見た目以上にフレンドリーで話しやすかった。


「じゃあ、アカツキくんも武道館には?」


「もちろん現地参戦しましたよ。あれは非常に良かった……」


 アカツキが表情をうっとりさせる。そりゃそうだ。


「いや俺、彼のことはデビュー当初から応援してるんすよ」


「え、4年前から?」


「ええ。最初の、ちょっと危ない発言とかしまくってボヤ騒ぎ起こしまくってた頃から追いかけ続けてたんで、それがあんな高みまで行ってしまえるんだっていうので、随分あの日は感動というか感傷というか……凄い一日でした」


 その後、彼の歌のどれが印象深いとか、どの曲の歌詞が良くて、特にそれをソウマが歌うのが良いんだ、というような話をする。


「いや、俺も奮発してSS席を取った甲斐がありました。普段社畜やって溜めるしか能がない金を、ようやくあそこで意義深く使えました。俺は普段からもっとソウマに課金したいと思ってるんですけど、スーパーチャットだと悪目立ちするから……アカツキさんはどの角度から見てたんですか?」


「俺すか? 俺は……2階のアリーナからですね。ちょっと、チケットの抽選に落ちちゃって」


 一瞬言い淀む彼に、俺も今の質問はお財布事情も絡む少しデリケートな領域だったかと思い「すみません変なこと聞いちゃって」と頭下げ、話題を変えた。


「ソウマ関連で、他にも配信者見たりするんですか?」


「あー、あんまり見ないですけれど、まあよくコラボしているから、同期のみはるちゃんの動画とかは見るすかね」


 ソウマの数少ない同期である神護みはる(かんごみはる)は、甘ったるい声と容姿に対し、それに似あわぬゲームスキルと歯に衣着せぬ言動で人気を集めている。単純な登録者数で言えばソウマよりも多い。


「よく見る前は知らなかったんですけど、彼女は今も働きながらVtuber活動してるらしいっす」


 なんだって? そりゃ凄い。


「とんでもないバイタリティーですね、自分に置き換えたら、働いたあとに配信活動なんてとても……フルタイムで?」


「そうみたいっす。看護師、だったっけ?」


 看護師だって? 俺の身近というか知り合いにも一人居るが。


「ほら、名前にかんご、って付いてるじゃないですか。みはるも、患者を見張る、って意味らしいですよ」


「はえー、ああ、気付かなかったな……それ大変ですよねえ、絶対。生活って意味では、あれくらいの人気になるとVの活動だけでも安定しそうですけれど」


「どうすかね。人気商売、水商売と呼ばれるようなものですから。いつどうなるかわからないって以上は、確実な収入源もやっぱり確保しておきたいんじゃないですか」


 その言葉には妙な実感が伴っていた。そういえばアカツキは一体普段何をしているんだ? 


「まあ、堅実さを望む割には、結構、配信内容は破天荒な内容で通ってるってか」


「発言はエグイですよね。ソウマにもめっちゃ当たり強いし。ソウマが妙に『みはるちゃんはツンデレだから、あれはツンデレプロレスです』って言い張るけれど」


「え、クリオネさんは実際どう思います? 俺は結構、みはるはソウマに矢印向けてると思うんですけれど」


「ホントすか? いや、あんまりそうは感じないけれどなあ」


 たまに二人のイチャイチャ集、みたいな切り抜き動画が上がっているのは見たことがあるが、中身は大体配信コラボ中における煽り合いみたいなもので、FPSが苦手なソウマをみはるが煽りながらレクチャーする、みたいな内容のものが多かった印象だ。ちょっと血気盛んな姉弟みたいな感じでむつまじいものではあったが……。


「いやかなりこの線は熱いですよ」


 アカツキは椅子に座りなおして、


「あのですねえ、かなり前からその兆候があるんすよ。ちょうど3年前の活動一周年記念の配信があったじゃないすか。そのときは凸待ちをして、最後、14人目でようやくみはるが来て、ちょっとだけ通話してすぐ切られる、みたいな動きがあったんですけれど、後日ソウマが雑談配信でちらっと、『あのあとも実は少しみはるちゃんと話してた』って言ってたんすね。で、それをはやされた後、『でもあれは別んに記念配信だからってわけじゃないから』とか返すんですよ。それ以上は何も言わなかったんですけど、記念じゃなくってことは、普段から二人で話してるってことですよね? これ完全に、裏で寝落ちもちもちとかしてますよ。それに今のみはるの煽り口調って、かなり初期のソウマの、あの炎上狙いで攻撃的なこと言ってたころの口調に近いじゃないすか。これ、完全に影響受けてます。 あと、二人って結構ツイッター上で煽り合いみたいな会話をするじゃないすか。『おい』とか『やんのか』みたいな。でもあれだいたい仕掛けてるのはみはる側からなんですよ。自分からわざわざ仕掛けに行くなんて、完全に女出てますよね? それに、たまにみはるのいいね欄覗くと、ソウマのイラストがいいねされてることがあるんすね。でも数分後にまた見たら消えてるんすよ。どういう意味か分かりますか? これ、つまり別のアカウントか何かでソウマのいいねを普段していて、たまにアカウントを間違えたままソウマのファンアートタグを漁って、いいねしちゃってるってことなんですよ。ここまでくるともう完全に始まっちゃってるって感じすよね」


「えっと、アカツキくんはみはるのオタクでもあるの?」


「まさか」


 心外です、と言わんばかりに目を見開くアカツキだが、今の情報の偏執ぶりはちょっと怖いものがあったぞ。前半の話はどこかでまとまってそうな話な気もするが、最後のいいね欄はガチで監視してないと気付けないようなことじゃないか……?


 そのとき、佐奈ミナからメッセージが届いた。


『死んでます?』


 俺は景品のアクスタを横に、残り二切れとなったカツの写真を撮って、


「どうしたんすか?」


「ん? いや、ソウマニアの知り合いが、食い切れたかって聞いてきたから」


 俺は写真と共に『余裕すぎて6杯目食ってるわ』と送った。


 するとその瞬間店の外から「はあ!?」という叫び声。


 アカツキは「今の声は……」と驚いてるが、俺はその声に聞き覚えがめちゃくちゃあった。


 急いで席を立ち、ドアを開けて店の外を見ると、


「……何してるんです?」


 そこには佐奈ミナが、ちょっとバツの悪そうな顔をして立っていた。


「……いや、あんなことだけ言って帰るのも、ちょっと悪かったかな、って……」


 きゅん。


「手伝いに来てくれた、ってコト……!?」


「あと少しってことなら助けはいらなそうですね」


 早口でそうまくし立てて踵を返すので、思わず俺は「ア!」と、オタククソデカボイスを上げてしまった。周りのメイドやオタクがこっち見てる。


「なんですか」


「いや、急にお腹が……ちょうど2切れくらい、口からはみ出て食べられないかも!」


 怪訝な顔をしていたミナは、はあ、とため息を吐く。だが不思議と敵意は、あの曲について争っているときほどには感じなかった。


「下手すぎますよ、演技」


 そう言いながら店に入っていくミナの顔は、ちょっと笑っているような気がした。




 

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