第7話 どんかつ秋葉原店×黄昏ソウマ コラボキャンペーン開催決定!
俺の目の前にはかつ丼がある。陶器のどんぶりにたっぷりのご飯、からっと上がったさくさくのころもに包まれた、身厚でジューシー、少しピンクな火の通り具合も食欲をそそるロースかつ、だしの沁みた玉ねぎ、それらを混然一体に包むとろとろの玉子……。
最高に違いない。もわりと湯気を上げるその威容は、今のところ一つも乱れていない。つまりひと切れも食べられていない、完璧な形を保っている。
なのに、俺は箸を持った手を動かす気になれなかった。暫くそれを見て、水を飲んで、また見た。腹が一杯なんです。
なんで腹が一杯か?
これが3杯目だから。
なんで腹一杯なのに3杯目を頼んだか?
とんかつの身と身の間に意識が沈み込みそうになるのをこらえながら、俺はここに至るまでのいきさつを思い起こした。
◆
ソウマの大好物、かつ丼。そのことが知られるようになったきっかけは、ある配信でのソウマの長語りだった。実況中のギャルゲーで、高校生の主人公が学食でかつ丼を食ってる場面で突然、
「お前らさ、かつ丼のこと舐めてるよな正直」
と言い始めた。挑発的な発言にコメント欄が『は?』『やんのか』『親子丼の方が美味い』『とんかつ単品で食え』と反応するが、
「はい、お前ら完全に罠にハマってます。あのね、まず親子丼食べてる人、騙されてます。だって、だってさ、具を考えてみ? 卵と鶏肉だよ? 卵と鶏肉が具って、両方鶏じゃん! なんなら俺、冷ややっことか、豆腐の味噌汁とかもちょっと斜に構えて見てるからね。えーこれ大豆に大豆かけてるだけじゃん、って。それってさ、チャーハンおかずにご飯食ってるようなもんじゃん! なんか、卵黄だけ料理に使った後、残った卵白をスープにするみたいなやつあるじゃん、ああいう感じで、限られたものを上手に使う工夫の在り方としては、それはね、良いと思うんだけれど、そういう風に元ネタ重なってるのって、なんか料理としてのフルパワー感がなくない?」
『なんかちょっと分かるの草』『工夫良いだろ別に』『料理のフルパワー感とかいう謎概念』
「いや、工夫が悪い訳じゃないけれど、でも、本当に全ての食材を自由に使えるときに、わざわざ鶏由来の材料を二つ選ぶか? ってことよ。ポケモンの手持ちにくさタイプ2体は入れないべ。俺は、そういう視野で見たときに、かつ丼の方が幅広い選択肢から美味い組み合わせを選んだものだと思ってるから。あと単純に豚肉の方が好き」
『豚の方が好きと素直にいえ』『ならやっぱとんかつでいいじゃん』
「いやトンカツとかつ丼は別の料理だから! だってお前、ハンバーガー食いたいときに、ハンバーグとライスの定食出てきたらちょっと萎えるだろ? それと一緒よ」
『とんかつは味変が効くから、脂っこくても飽きずに食える ソース、塩、わさび、からし、ポン酢 かつ丼はせいぜい七味唐辛子くらいだから、その点が劣ってる』『塩とか気取んな』『塩アンチは流石に古のオタクが過ぎる』
「いや、お前嘘つくなって。とんかつ飽きずに食えるは嘘。あれはどんなに若くても、最後のひときれ二切れは絶対に脂っこくて飽きるようになってるから。これはとんかつのね、仕様です』
『草』『草』『草』
「マジで。どれだけアプデされてもこれだけは直らないから。いつもなるっしょ最後の一切れで、『あーこれ、あー、最初あんな美味かったのに、あー』って。ガチでもう仕様なんだよこれ。それか、ご飯が足りなくなってとんかつだけで食うことになる。何故か分からないけど、とんかつ定食食ってるときっていっつもご飯足りなくなるじゃん。あれマジで何なんだ? つけあわせの漬物のせいなのか? 絶対最後、とんかつだけで食うじゃん」
『確かに』『後半苦しいの歳のせいだと思ってた』『あれは陰謀』
「高校生の俺がもたれるんだから間違いない。あとキャベツの千切りも意味不明。あれ梱包材でしょ」
『キャベツとばっちりで草』『こいつ無敵か?』
「その点さ、かつ丼って原理的にそれがない訳じゃん。ご飯の量が多いし。じゃあご飯が余るかというと、かつ丼の場合はつゆが掛かってるからご飯だけでも美味しく食べられるじゃん。それにかつ自体の油っ気もちょっととんかつに比べると、卵と一緒に煮て閉じるときにちょっと油分が落ちてさっぱりするんですよ。これがね、丁度いいんですわ。あと油でてかてかになったコメもうまい」
これら一連の発言が切り抜かれて、お茶が気管支に入ってむせたときのような妙なバズりかたをしたのだ。ネットニュースに転載されてヤフーニュースのトップに一日だけ居座ったり、とんかつ屋の店主が反応してちょっと炎上しかけたり、全く関係のない界隈でかつ丼についての長文語りだけがミーム的に切り取られ独自の派生コピペなどを生んだりした。
当然ブーム自体はすぐに冷めたものの、ソウマは自分の配信でその事件のようなものをこすりまくり、リスナーの間ではすっかりその事実は定着した。
一度こっそり「本当は、もう今後どっちかしか食べられないって選択肢を提示されたら、寿司の方を選んじゃうかもしれない」と発言したことがあるのだが、即座にコメント欄は「は?」「ふざけんな」「お前ソウマじゃないな 本物を返せ」「かつ丼が好きって言え」「はい炎上」と一瞬で荒れまくって、その後公式に発言を撤回したため、そのような事実はソウマとソウマニア間ではなかったことになっている。というのは、ここだけの話だ。
そうして黄昏ソウマはかつ丼が好き、という情報が有形無形飛び交い続けていった結果、それはある出来事として結実した。コラボである。
「どんかつ秋葉原店×黄昏ソウマ コラボキャンペーン開催決定! 期間中にどんかつ秋葉原店でかつ丼(並)を五杯食べると、黄昏ソウマ どんかつオリジナルアクリルスタンド+缶バッジセットをプレゼント!(数量に限りがあるため、配布完了次第終了となります)」
期間は月曜から日曜までのちょうど一週間。その間にかつ丼五杯なのでかなりのハイペースであるが、まあ仕事終わりに寄って食えば余裕だろう、と思ったのも束の間。
予想外の案件、タスク、打ち合わせ。残業、残業、残業、であっという間に平日の残弾数を使っていってしまう。
水曜日あたりまでは「まあ土日の飯も充てれば帳尻合う」と余裕を見ていたが、木曜日もダメとなって「おや?」となり、金曜日も残業で、会社でコンビニ飯と相成ったときは泣きそうになった。
土日二日間で、かつ丼5杯。ヤバすぎる。
とりあえず土曜日の昼、朝食は抜きにして、秋葉原の中央通りの少し奥、メイド通りとか呼ばれる辺りに向かい、どんかつ秋葉原店に入店。覚悟を決め、かつ丼2杯をそこで食う。美味い、美味いのだが、とんでもなくしんどい。仕様という言葉を借りるなら、かつ丼は2杯食べるようにはそもそも作られていない、1杯だけで食う仕様になっているのだ。二杯目が終わったときにはもうコメが口から噴出しそうになったが、なんとかお茶と味噌汁を使って飲み干す。
一旦そこで「ごちそうさま」をし、引き換えに必要な食券と共に店を後にする。苦しすぎる、マジで吐きそう。ぱんぱんになった腹を抱えて、ひたすら秋葉原を歩く。歩く。歩き回る。少しでも胃の中のものを下に落とさないといけない。
今日は最低、夜にもう一杯食う。明日、どんな不測の事態があるか分からない以上は、出来る限り今日のうちに食べておいて余裕を持たせておかねばなるまい。
ツイッターに『【悲報】ソウマアクスタまであとかつ丼3杯』と投稿し気を慰めた。
人通りは多いくせに歩行者天国にはならないため、一番便の悪い土曜日に秋葉原の街を練り歩くこと6時間。ようやく食欲が戻ってきた。余裕を持たせてもう一時間ほど歩いた後、再びどんかつ秋葉原店に入る。そこには先客が居た。
「あ」
「あ」
佐奈ミナだった。一瞬格好がラフすぎて分からなかった。黒いジャージの上下に厚底のスニーカーという、随分ストリートスタイルというかドンキ不良というか、そんな格好をしている。すると急に黒髪ボブにメガネというのが、清楚的な要素というよりは病み的な要素に見えてくるから不思議だ。
見れば彼女の前にもかつ丼。もう半分くらいは食べ進んでいるようだ。どうしたんだ、と聞く必要はなかった。隣に座るつもりもなかったのだが、店員に「すみません、詰めてお掛けください」と案内されたため、あえなく隣に配置されてしまう。
「進捗はどうなんだよ」
そう話しかけてみると、彼女は口の中にあるものをこくんと飲み干してから、
「これで最後です」
と言った。
「それは、羨ましいね」
「ツイッター見たけど、クリオネさんはこれから3杯?」
「いいや。流石に今日はあと1杯。もう昼に2杯食ってんだ」
「へえ。それで間に合うならいいですけど」
「は?」
どういうことだ、と聞き返そうとするが、彼女はどんぶりを持ってさらさらと箸で米を掻き込み始めた。意外とそういう食い方もするんだな。
彼女が丼を机にとんと置いたのと、俺のところにかつ丼一杯が届いたのが丁度同じタイミングだった。
「ごちそうさまです」
そう彼女はカウンターの中の店員に頭を下げ、手に持った食券5枚をかざした。それを見た店員が下の方をごそごそとし、
「キャンペーンご参加ありがとうございました! えーと……こちらが景品です、どうぞ!」
そう言って、ビニール袋に入ったクリアスタンドとバッジのセットを渡した。クリアスタンドはカジュアルな私腹を着たソウマの立ち絵で、缶バッジはかつ丼をむさぼっているSD等身のソウマのイラストだ。
「ありがとうございます」
そう外向けの声を出して礼をしたのち、皆はこちらに景品を掲げ、どや顔をしてくる。ウザイ。
「あ、ちなみにこの景品ってあとどれくらいあるんですか?」
と、何故か彼女が店員に聞いてくれる。
「あーそうですね、大体……10個くらいですかね?」
10個、なら割と余裕がある、か? 客の動きを見ると、そこまで著しくグッズが捌けていく様子もない。それを寂しいと取るか、それでこそソウマだと思うか。今日はあと3,4人くらいだろう。だとすれば、明日に開店と同時に突すればまあ確実に目的のものにありつけるだろう。
「ふうん……頑張ったほうが良いかもしれないですよ」
しかしミナはそんなことを言ってくる。
「変なプレッシャーをかけるな」
「いや、割と真剣なアドバイスですよ」
そういって彼女はiPhoneの画面を見せてきた。そこにはあるバズ投稿が。
『決めたわ。東京でしかやらないっていうなら、もう大阪から乗り込みます。ちなワイ、○○大学大食い研究会副会長 明日はどんかつの在庫食いつくします』
地方に住んでいるソウマファンらしい。どうやら向こうでこのキャンペーンが開かれない事に痺れを切らているらしいのだが、問題はその投稿に『俺も明日行きます 石川から』『自分も覚悟決めました 名古屋から参戦します』などと、全国から続々と参戦表明が出ていることだ。しかもみな、大食い早食いには自信がある連中ばかりらしい。そりゃそうだ。だって明日来て、そのまま5杯食べようとしてるんだから。
冷や汗を流す俺。ミナは画面をスクロールしながら、
「ざっと数えただけでも20人は賛同者が居て、明日は新幹線の始発で乗り付けてきて、一気にどんかつの陥落を狙ってるみたい」
「ウチの店は城じゃないんだが……まあ、人が来てくれる分にはキャンペーンの効果てきめんという感じだけど」
話が聞こえていたのか店員が頭を掻いている。
「この大食い自信ニキ達のレイドが始まる前に、片を付けなければいけない……?」
「まあ、無理はしないでくださいね」
ミナはそう言いながら店を出る。なんだ、そういう優しい言葉を掛けることもできるのか、さすが医療従事者。
「かつ丼の食べ過ぎで緊急搬送、なんて聞かされたら、バカすぎて受け入れ拒否しちゃうかもしれません」
「な!」
ぴしゃり、と閉じられるドア。あいつ、本当に医療従事者か?
仕方なく丼に向き合いながら、否が応でも先程のツイートが思い浮かぶ。迫りくる自信ニキたち。一瞬で食い散らかされていくかつ丼、配布終了……。
そうして俺は、この晩3杯のかつ丼を食べる覚悟を決めたのだった。
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