第4話 だとしたらお前はもう本物だよ

 帰り道の電車の中で、先ほどまでの出来事を反芻していた。スマホの画面には佐奈ミナのTwitterアカウントが表示されている。アイコンはソウマのファンアートで、アカウント名は「佐奈ミナ」まんま。プロフィールはこうだ。


「V垢 ソウマニア よしなに」


 うーん。投稿は基本的にソウマの配信開始を知らせるツイートのリツイート、ファンアートのリツイートで、ファン同士の交流などを目的としたアカウントではないらしい。日常の投稿なども著しく少ない。こりゃ半分監視アカウントだな。


 解散した後なので何かあいさつのダイレクトメッセージでも送ろうか、とも迷ったが、そんな義理もないことに気づいた。放心状態で帰っていった彼女が最後どのような印象をこちらに抱いていたかなどわからない。「今日はありがとうございました」なんて送るのは勘違いも甚だしいような気がする。


 それで、じゃあ何をしようかと悩んで、俺は彼女の発言の中に、今回設定した問題――つまり、なぜソウマは「夕焼け」を隠す必要があるのか、ということを考える上でのヒントがないか探すことにした。


 彼女は、俺よりも一年も早く「夕焼け」に出会っていた。そして最初に再生して以降、一度も動画を開かなかったという。動画の再生数は、俺が開く前の時点で3だったから、彼女の言葉を信じるのであればそのうちの一つが彼女ということだ。じゃあ、残る2回は? 


 自分がまるで推理小説の探偵――それも日常に立ち現れる些細な謎を、女に唆されてやれやれと言いながら解き明かしていくタイプのやつーーの主人公になったような気分で、考えを続ける。


 まずパターンは二つ。2回とも同一人物か、それぞれ一回ずつ別人が再生したか。そして再生した人物として、まず最も可能性が高い人物が一人いる。投稿者本人、つまりソウマだ。細分化すると、ソウマが2回再生した可能性、ソウマと、別の誰かが1回ずつ再生した可能性、そして一番可能性は低いが、ソウマ以外が2回再生した可能性。


 仮にソウマではない人物が再生したのだとしたら? 俺は選択肢を考えて、そして、俺の想定に立つのであれば、意外とその可能性の幅は無際限には広がっていないことに気づいた。だって、普通の人間があの動画を一度でも見れば、一回再生してそれっきりで済むはずがない。「夕焼け」の持つ中毒性、圧倒的な音楽としての美しさの虜に誰だってなるはずだ。


 そうならないのは、たとえば作った当人。ソウマ本人が2回再生したのだと考えれば、その疑問は解消される。だが、そうだとするとこのアプローチから情報を絞ることは出来なくなってしまう。ソウマ本人に聞くのが手っ取り早いということになるのだが、もし何の前提も踏まえずに彼に直接聞いて、素直に答えてくれるとは到底思えない。


 俺が見ているソウマは、ミナが語ったほどバラ色で一色という感じではなかった。彼の語る言葉の中にはどこか陰がやはりあって、それはあのステージに立った今でも、むしろ彼が大きくなればなるほど、その足元や体の節にできる陰影として浮かび上がった。ただ、それが彼に立体感を与え、光の部分を際立たせるからこそあまり表に取り上げられなくなってきた、それだけなんじゃないかとも思う。最近の彼がそう言った部分を自ら積極的にクローズアップしなくなってきたのも、そう言った周囲の反応を踏まえたものでは、そう邪推している。


 そしてこの曲は、そういったソウマの陰影の極北に位置するものなんじゃないか。


 すると、外堀を埋めるためには例え可能性は低くとも別のアプローチを取っておく必要が出てくる。俺は、この残り2回の再生に一つのヒントがあると仮定し、それに基づいて情報を集めていくことにした。


 俺はYouTubeをサラリと眺めた。ソウマはオフラインだ。あんなライブをした後なのだから、疲れ果てているのは当然だ。今日ライブを実際に見て、俺はああいったVtuberのライブが録画だったんじゃないか、という疑問を持っていた自分を恥じた。あんな風に客とコールアンドレスポンスをして、少し歌が上ずったりして、活き活きと振る舞うあのホログラム映像を見て、それがリアルタイムで同時に体験を得る空間――つまりライブ空間そのものであることを見てとった。


 いくつか、ソウマの動画の切り抜き動画を見る。笑顔のソウマのイラストが大きく載ったサムネイルが並んでいる。


 「ソシャゲに数十万課金した後に得た悟りの感覚について雄弁に語る黄昏ソウマ【切り抜き】」

 「配信に現れた宇宙人フェチリスナーに圧倒され新たな価値観を切り拓く黄昏ソウマ【ソウマ切り抜きシリーズ】」

 「【切り抜き】黄昏ソウマ 配信中の「でもそれってさあ」まとめ【名探偵ズラ】」

 「ギャルゲーの定番描写から人間の言語の本質について洞察する黄昏ソウマ【切り抜き名場面】」

 「すき焼きの食べ方について老害じみたこだわりを発揮し視聴者に叩かれる黄昏ソウマ」

 「『冬に待ち望む夏』と、『夏に待ち望む冬』のどちらが美しいかを延々悩み続ける黄昏ソウマ【切り抜き】」

 「自分の声を模倣したAIの登場にエモい妄想を繰り広げる黄昏ソウマ【切り抜き】」


 いわゆるYouTuberが何かしらの企画をバラエティ番組風に編集した動画投稿スタイルが中心であるのに対し、Vtuberの現在の主流はライブ配信だ。長時間のライブ配信をしながらコメントとの双方向的、インタラクティブな体験を視聴者に提供するという文化になっている。その配信の欠点ーー例えば見どころが散漫となったり繰り返し見にくかったり、あるいは文脈が長大となり新規参入がしにくいといった点を補うために重要な役割を果たしているのが切り抜き動画である。端的に言ってしまえばファンメイドの編集動画だ。多くのYouTuberが嘆くように、動画の編集作業は大変大きな労苦を伴う作業なのだが、Vtuber界隈ではファンたちが自発的に、ある種供物を捧げる信徒のような形で対価無しにその作業を担ったのだ(今では各種規約が整備され、それによる収益化も可能となっているが)。


 なんとなしに、ギャルゲーの動画を見る。PS2時代の名作ギャルゲーをプレイしている回で、主人公が他の女性キャラと仲睦まじくしているところを別のヒロインキャラに目撃されるシーンだった。古き良きツンデレキャラであるところのヒロインは、普段から主人公に対して口悪く接している。なぜ自分じゃなくて他の女と遊びに行ったのかと詰め寄るヒロインに対し主人公は、「だってお前、俺のことが嫌いだろう?」と言う。


 それを聞いたヒロインは少し眼を見開いてから、「……そうよ、大っきらい!」と叫んで、そのまま走り去っていく(このあたりでソウマは、「この小さい『っ』が入ってるのが良いよねえ」と一語り入れている)。主人公は「やっぱり嫌いだったんだ」と思いつつも、その去り際の彼女の横顔に涙が浮かんでいるように見えたのが気になった。家に帰り、妹に(ソウマは「マジでギャルゲーにおける妹って不思議だよな、普通アドバイスくれる存在って、年上の姉を置くのが自然なはずなのに。非常にオタク的な歪んだ欲望を感じますねえ」と反応する)涙の意味について聞いて、それこそヒロインが主人公に好意を持っていることの表れではないかと示唆する。

 そこでソウマはギアを一気に上げて、「うわこれさあ!」とゲームそっちのけで語り始めた。


「これってマジで、めっちゃギャルゲーって感じだよな。普通さ、人間って相手の言った言葉をさそのまま信じる部分と、疑う部分と、両方の側面を持ってるじゃん。相手の褒め言葉とかをそのまま受け取ることができなかったり、嫌いって言葉の中に自分への行為を受け取ったり。文脈によって、その言葉が全然逆の意味で使われたりすることを知ってるからなのかもしれないけれど。ツンデレとかその極みみたいなもんだよね。ある言葉で、むしろその言葉の本来の意味と全く逆の意味を伝えるというか……でもさ、ギャルゲーの主人公ってそうじゃないんだよね。マジでヒロインの言った言葉を、一旦その言葉の通りに受け止めるっていうかさ。『嫌い』って言われたらさ、そのまま『ああこの人は俺のこと嫌いなんだ』ってショック受けたりして。でも俺たちはそれを見てさ、『ああこのキャラは主人公のこと好きなんだな』って思えるわけで、それがそこが生身の人間と正直違う部分というか、二次元特有な部分でもあるよね……いや、今コメントで『現実でもそういう人は居る』って流れてきたけど、それとはちょっと違うんだよな……言葉っていうのが、文字通り伝わらなくてもいいっていうルールになっているってことを知っててそれでもそのようにプレイできないのと、そもそも知らされてないのとでは、違うような。ギャルゲーは後者なんだよね、言ってみたら。この登場人物たちって、相手の言葉は文字通りの意味を持ってる、っていう世界で生きてる。あーそれってつまり、ギャルゲーの世界が文字で出来てるからなのかもしんないな。文字で出来てる世界なのにその文字を疑い始めたらきり無いもんね。その意味では、凄くモデル化された世界だよね、ギャルゲーの世界って。単に絵と立体っていうだけじゃなくて、言葉の使い方って意味でも、二次元と三次元みたいな次元の違いがある気がする。言葉は文字通りの意味しか伝えないっていうのがギャルゲーの世界で、そうじゃない意味を伝えるのが現実とか、あとそれを題材にした小説とかって言えるのかもしんないなあ。あれ、高校の物理で、摩擦はないものとする、みたいに置かれるみたいな感じでさ。あ、だから多分さ、ツンデレって概念は三次元にしかないんじゃないか? もっと正確に言うと、三次元からメタに二次元を俯瞰して始めて発見できる概念というか。現実の言葉なんてさ、意図しないツンデレみたいなのがたくさんあって、それで一喜一憂するわけじゃん。けどそれが複雑すぎて面倒だから、シンプルなギャルゲーの世界に俺たちは逃げたくなるんじゃないかなあ」


 その動画を見て、最初俺はのんきに「やっぱこいつおもしれえな」と思っていた。有名なゲームの、しかもありきたりな展開を逆手に取って、こんなことを即興でペラペラと喋れるなんて。普段何食ってたらこんなこと思いつくんだ?


 しかし、ソウマの言う通り、現実と二次元とで、言葉の持ちうる意味の可能性が違うとしたら。俺は単純にソウマの言葉を集めて、それによる推理などを行っていけばよいと思っていたけれども、それはソウマが二次元の存在だった場合にのみ有効な手段だ。ソウマが三次元の存在だとしたら、言葉はそれ自体が表面の見た目とは異なる意味を持ちうる。その世界で、そのままソウマの言葉を一方的に聞いて、理解することなんて出来るのか?


 そもそもじゃあなんで現実の人とはそれでも、ある程度言葉を使ってコミュニケーションが成立しうるんだろう? 一つには、普段から別に嘘をついて騙そうと思い合ってもいないし、お互いに自分の意志を伝え合おうという意図があるからだろう。しかし。この双方向に見えるけれども、しかしソウマの言葉をある種そのまま受け取って、それに基づいたソウマの像を作り上げているこの状況は、もしかして三次元の事実を、二次元のスクリーンでのみ写し取って読み解こうとしてしまっているのではないか、そんな気がして、少し怖くなる。じゃあ一体、ソウマは三次元の存在なのか、それとも二次元の存在なのか? 今の俺には到底解けそうもない問題だった。


 俺はそのまま次の動画を見た。「自分の声を模倣したAIの登場にエモい妄想を繰り広げる黄昏ソウマ【切り抜き】」。

 視聴者が作った、ソウマの声を学習したAIボイスチェンジャーや読み上げソフト、ボーカロイドなどを見て実際に使ってみて、「俺も初音ミクみたいに時代を超えたアイドルになれるのだろうか」と嘯き、「そもそもお前はアイドルじゃないぞ」と視聴者につっこまれる流れで、また話題が変わった。


「え、実際お前らどうする? 実は本当の俺は死んでて、今の放送は全部AIがやってるんだとしたら。ありそうじゃんそういう泣きゲーとか。というか多分今後の多分ラノベとか、感動系の邦画のめっちゃトレンドになると思うけれど。……ぶっ、『だとしたらお前はもう本物だよ』! お前めっちゃ熱いな。あれよな、もう見てる人たちにとってはそいつが掛け替えのない本物だった、ってやつだよな。そういう展開ベタだけどいいよな、めっちゃいいわあ。クローンとかさ、死んだ人を再現するAI系の王道パターンだよなそれ。自分の存在意義を疑って、悩んじまって、けど最後そういう言葉に救われるんだよなあ……ちなみに俺は全然本人だけどね。ウーバーイーツが来たときインターホンの音入らないようにめっちゃ気使ってるもん。それこそこの前のトークイベントのときさ、マネージャーにお願いしてすげえ会場内で気にしてもらったもん。みはるちゃんとかはさ全然気にしてなくてすげえ逆にびびって俺変なのかなって思ったけど、マネージャーは『ああ他にも気にしてる人けっこう居ますよ』って言ってくれて、ちょっと安心した。……っていうかさあ、言い忘れてたけどこのAIボイスチェンジャー作ってくれた楢崎さ、トークイベにも来てくれてたんだよな! そんときに初めて『こんなん作ってるんですー』つって見せてくれて、度肝抜かれたわマジで! なんかスマホから俺の声でネットのコピペ朗読してる音声が流れてきてさ。 速攻で、出来たらすぐ連絡くれってお願いしたわ。あれはね、マジで色んな意味で衝撃的な体験だったなあ」


 会話に出てきた人名のうち、みはるちゃんは彼と同時期にデビューした箱の同期のことだ。そして楢崎はリスナーの一人で、今回の読み上げやボーカロイドソフトを作った当人でもある。


 話に出てきたトークイベントについて調べてみる。大体半年くらい前に箱主催で、渋谷で行われたイベントのことを指しているようだ。Vtuberとのトークイベントには、オンラインでスマホなどで通話するタイプと、会場参加型のタイプがある。後者の方は昔はただの巨大なディスプレイに配信者が大きく表示されるだけのタイプが多かったが、最近はVRヘッドセットを掛けたり、巨大な立体視ディスプレイを活用したりと、本当に目の前で会えるような体験を提供することに力を入れている。


 トークイベント、か。もし全ての手立てがなくなり、直接ソウマに問いただすことしかできなくなったとき、その時は最後の手段としてこれを使うほかないだろう。本当に最後の手段だ。何せ、前世を掘り返すなんていうのはVtuberの界隈において禁忌中の禁忌であり、一発赤退場、その後は二度とソウマに近づことは出来なくなるだろうからだった。俺だって、それをただ闇雲にしたいわけじゃなくて、自分なりの切実さを持ってやっているつもりではあるが、それだけで正当化できる行為でもない。


 それでも。電車の天井を見上げる。俺は、あの曲をこの世界に向けて解き放ちたい、そう思っていた。


 だができれば平和的に真相に近づきたい。それこそ例えば、この楢崎のようにソウマに問題なく受け入れられるようなナラティブがあれば嬉しいのだが、いかんせん俺には何の技能も、知識もないのだった。悲しい。段々嫉妬の気持ちが芽生えてくる。いいよな持っている人間は、そのように評価されて。……って、これじゃあ男アイドルへの思いをこじらせていたあの女と一緒じゃないか。

 そう自分を制しつつも、指は勝手に楢崎の正体を調べ始める。すぐに、YouTubeと同じアイコンをしたTwitterアカウントが見つかる。日付を絞って、トークイベントの前後の日付のツイートを探る。すぐに関連ツイートが見つかった。


「開発中だった3ソフトをソウマ本人に紹介して無事ゴーサインを頂けました。特に、歌声を聴いた時のビビりっぷりが凄かった! 完成したらソウマの配信で紹介される事になったので、それまでもうしばらくお待ちください」


 フォロー143、フォロワー22の小さなアカウントで、ツイート自体もいいねが2つ程度。細々としている。俺がこうして観にこなければ、あんなすごい技術の、その萌芽を連想させるある意味意義深いこの投稿すら見過ごされていたのだろうと考えると少し切なくなった。ライブ配信者であれば、その一挙手一投足が注目を浴び、些細なところまで拾われ、切り抜きという形で保存され、拡散され、継承される。けれど俺たちの日常は、そのほとんどが誰にも観られず、忘れ去られていく。注目され続ける辛さもあるだろうが、しかし、隣の芝は青いってやつだ。今の俺は少し、そういった誰かに求められている状況を、うらやましく感じてしまうような、そんな精神状態というか体調具合だった。


「ん?」


 しかし、少しその文面に違和感を感じる。俺はソウマの切り抜きを改めて再生する。


「……度肝抜かれたわマジで! なんかスマホから俺の声でネットのコピペ朗読してる音声が流れてきてさ……」


 不思議だ。ソウマは音声読み上げソフトに対する感想を主に述べているが、楢崎によればソウマが最も驚いていたのはボーカロイドソフトに対してだったという。

この食い違いはなんだ? 非常に些細な、重箱の隅をつつくような違和感。しかし全く手掛かりのない状況で、今の俺にはそれが眩しい光条に見えた。


 俺は楢崎へ、このことについて尋ねるためのダイレクトメッセージの文面を考え始めた。ちょうどそのときスマホが震え、別の人物からダイレクトメッセージが届いた。佐奈ミナだった。


『クリオネさん』


『なんですか』


『さっきの曲のデータ、送ってくれませんか?』


 俺はしばらく考えて、こう返した。


『脅迫に使われるかもしれないので、だめです』


 以降返信はなかった。俺は再び楢崎へのメールを考え始めた。

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