二章 リスと始める共同生活①

二章①


 アメリアの朝は早い。

 いつままははが雑用を持ってきてもいいように起きてすぐにたくを整える。

 これまではだれの目も気にすることなくえていたのだが──今は部屋にセドリックがいる。机の下にかくすように置いたセドリックのどこが動いていないことをかくにんし、気をつかって音を立てないように静かに着替え始めた。ゆうがあれば大きなタライに湯を入れて身体からだを洗うこともあるのだが……。


(セドリック様がいるし、無理よね)


 仕方がないとあきらめたアメリアは、サッと身体をきよめるにとどめた。

 そして朝食の準備をする。

 だんならビスケットと紅茶で終わらせるのだが、ここでもセドリックに気を遣っていちごのジャムなどを出してみた。昨日買ってきたナッツもえる。


こうしゃく家のちゃくなんを栄養失調にさせたらと思うとおそろしい)


 昨夜、「俺はここで薬ができるのを待つことにする!」と宣言された。

 よっぽど公爵家に帰りたくないのか、はたまたアメリアがきちんと薬を作るかどうか不安で見届けたいのか……。

 ──生活リズムを乱されているアメリアは早くもめんどうくささを感じていた。

 いくら見た目が可愛かわいらしいリスだからといって、ペットを飼うのとは訳がちがう。下着一枚でうろうろすることもできやしないじゃないか。


「キュウ……」

「あ、おはようございます。セドリック様」


 起き上がったセドリックは机に登り、サンザシの薬をめた。


「おはよう。アメリア」

「朝食の準備ができていますのでどうぞ」

「ああ……、あ、ありがとう」


 いっしょに暮らすようになってセドリックはずいぶん丸くなった。

 謝ったり、礼を言ってきたり……、小動物化したことによって気持ちも弱くなってしまったのだろうか。

 割っておいたビスケットをつかんだリスは、皿に出してやったジャムにちょんちょんとつけてほおっている。うつむき加減にはむはむはむ、もぐもぐもぐと……。


(可愛い……)


 ほのぼのとした光景になごみそうになった。

 ついさっきまで世話をするのが面倒くさいと思っていたのに、クルミ入りのビスケットでも焼いてあげたら喜ぶかな、などと考えてしまう。これがペットを飼うだいだろうか。


(……いやいや、相手は人間だし。ペットじゃないんだってば……)

「む? なんだ、さっきからじろじろと」


 視線を感じたらしいセドリックが顔を上げる。

 口元にビスケットの欠片かけらが付いていた。

 常にかんぺきで、マナー講座の手本のように食事をとっていたセドリックが……、んんっとせきばらいをして笑いをしたアメリアは真面目な顔を作った。


「いえ、なんでも……。あの、今日は薬の材料を探しにこうがいに出るつもりですが、一緒に来ますか?」


 セドリックはぴくりと反応する。


「薬の材料……、俺のどくざい用か?」

「もちろん解毒剤に必要な材料もありますが、パーシバル家で使う野生の薬草もそろそろ採りに行かないといけないので」

「お前一人で行くのか?」

「ええ。リンジーやキースはあまりやりたがりませんから」

「わかった。俺も一緒に行く。馬車や護衛は……、いるわけがないよな」


 アメリアと一緒なんていやがるかと思ったが、おどろくことにセドリックはりょうしょうした。


「では、食事を終えたら行きましょう」


 大量にんでくるつもりでいたので、アメリアは外出に使っているバスケットの中身を空にした。

 昨日、町で買ったばかりの小麦粉を出し。

 おやつにしている、こんぺいとうのびんを出し。

 ずっと入れっぱなしになっていたハンカチとちり紙も出して。

 それから、教会から引き取ってきたくろねこじるしくすりびん──


「な!?」


 カラーン! と音を立てて皿にビスケットを落としたセドリックが固まっていた。


「お、お前、その、びん……っ」

「瓶?」

「ど、どこでそれを手に入れたんだ」


 セドリックの視線はアメリアの持っている薬瓶だ。安く買った瓶のくびれ部分に、黒猫の形に切った紙をラベルのようにひもで結び付けている。


「手に入れたも何も、これは私が個人的な用で使っている瓶です」


 パーシバル家の品物として納品する薬はもん入りの容器にめているが、これはアメリアが勝手に売っている薬の瓶だ。じょの家系であることを皮肉り、黒猫のマークを付けているのだが、なかなか可愛いのではないかと自分では思っている。

 なぜか瓶を見たセドリックはあたふたとあわてていた。


「個人的な用でとはいったい……」

「街に行った時に薬を売っているんです。お店におろしたり、知り合いの方にお分けしたり、ですね」

「た、たとえば、……教会……とか?」

「ええ。昔、お世話になったことがあるので」

「世話に? ど、どういうけいでっ」


 セドリックはやけに食いついてくる。

 別に隠すようなことは何もないのだが、アメリアはちょっぴりためらった。

 話していてそんなに楽しい内容ではない。


「私がせいで暮らしていたのはご存じですよね? 母と二人で暮らしていたので、まあ、その……こんきゅうしていた時期もあったんです。そんな時に、食事をいただいたりしたことがあったんですよ」

「そうだったのか。そんなえんで……」

「ですので、代金の代わりとして薬を作っておわたししていたんです。薬草を採ってきてるだけなら原価もかかりませんし……。それが、今も続いている状態ですね」

「ん? ということは、パーシバル家に来る前からお前は薬が作れたのか?」


 ……しまった。

 昨日の薬草の見分け方に引き続き、また余計なことを言ってしまった。


「え、ええ、まあ、独学のようなものですが」

「独学でできることではないだろう。てんの才のようなものか?」

「あー、そうです。私、昔からかんはいいんです」

「なるほど。質の良い薬草を的確に見分ける才といい、お前はパーシバル家の血をいろく引いているんだな」


 感心したようなセドリックにあいまいうなずいておいた。

 セドリックは「なるほど。それなら、俺が──に行き出す前に『先生』がいたことの説明がつくな。古い知り合いだと言っていたし」と何やらぶつぶつつぶやいている。

 これ幸いにとアメリアは立ち上がった。


「私、すいとうに入れる水をんできますので、セドリック様はゆっくり食べていてくださいね」


 手にしたみずがめにはまだ少し水が残っているが、理由をつけて会話を切り上げた。

 セドリックは自分が医者の子だから、同じように薬師の子であるアメリアが幼いころから才能を発揮しても不思議ではないと思ったのだろう。

 きっと彼は幼い頃から、「ゆうしゅうだ」「さすがセスティナ家の子」とちやほやされて育ったに違いない。しかし、それは生まれながらにして良質な知識を学べるかんきょうと先達者がいたからであって──市井でびんぼうらしをしていたアメリアに薬学のセンスがあるなんて、よく考えたら変なことなのだ。


(別にいいんだけどね。聞かれたら正直に答えたって。だってこんな話、誰に言っても信じてもらえないと思うし……)


 薬草の見分け方も薬の作り方もに教えてもらったこと。

 彼女との話はあまりにも不可思議すぎて、誰にも言えていないだけだ。



*****



 下町の、今にもくずれそうなボロ屋がアメリアの生まれ育った家だった。

 父親は「いない」家庭だった。

 下町ではめずらしいことではない。アメリアも父がいないことについてはなんの疑問も持たなかった。死別にせよべつにせよ、いないものはいないのだ。

 父親のことについてあれこれ考えるよりも、日々の生活費をねんしゅつすることの方が大切だ。幼いアメリアも、ドブさらいや草むしりなどで賃金を稼ぎ、家計を支えていた。


「アメリア、先にていなさい」


 テーブルにランプをつけ、せきみつつ内職をする母の背中を見ながら、八歳だったアメリアはベッドにもぐり込んで考えたものだ。


(こんな生活が続けば、お母さまはたおれてしまうわ)


 母はアメリアをごもったことで実家をかんどうされたらしく、たよれる人はいない。そして、身体が弱く、せりがちでもあった。

 医者にかかるお金なんてないし、薬は高価で気軽に買えるものではない。


(薬……)


 うつらうつらとしながら考える。

 よんけんさきのグレッグばあさんは、自家製のはちみつニンニクをけていたっけ。


(『これさえ食べていれば医者いらず』って言っていたけど、それって本当かな? 家中がすごいニオイになりそう。でも、効果があるならちょうだいってたのんでみようかなあ。お母さまのためにも……)


 お医者さんがくれる薬じゃなくてもいい。


(そういう簡単なお薬って、自分で作れないのかな)


『──作れるぞ?』


 とつじょ、自分の眼前に逆さづりになった女性が現れて大声を上げた。


『ぎゃああああ!?』


 こしかして後ずさる。

 しまった、夜にこんな大声を出すなんて近所迷惑になる──慌てて口をふさいだが、ベッドに横たわったはずのアメリアが立っていること自体おかしな話だった。そもそも、目を閉じたはずなのに、なぜ私は起きているんだろう。


『えっ!?』


 ねむっていたはずのベッドはない。

 何もない真っ白な空間にアメリアは立っていた。


『こ、ここ、どこ!?』

いて言うなら、そなたの夢の中じゃな』

『夢……?』


 宙づりの女性はいつの間にか転んだアメリアの側にしゃがみこんでいた。

 アメリアと同じ、ダークブラウンのかみとびいろひとみを持った女性だ。

 年は……二十代後半だろうか。若くてはつらつとしているが、どことなく得体が知れない。


『わらわはエリーザベト・F・パーシバル。エリザと呼んでくれ』

『はあ、あの、アメリアです……?』


 自分の夢の登場人物に対して名乗りは必要だろうかと思ったが名乗った。

 エリザと名乗った女性はアメリアのおでこをツン、といた。


『わらわの血をぐ子。まだ目覚めないの?』

『え……?』

『薬の作り方、知りたいのだろう? 教えてやろうか?』

『え? お、教えてくれるの?』


 でも、薬って作るのが難しいんじゃ……。

 まどうアメリアをよそに、エリザの手にはにゅうばちや薬瓶などがにぎられていた。


(いつの間に?)

『ほれ。なんの薬の作り方が知りたい?』

『え、お、お母さまが元気になるような薬……?』

『「元気になる薬」か。それなら、フェンネルにホーステールが良かろう。摘んでおいで』

『摘むって、どこで……』


 アメリアがかえると、真っ白だった空間は薬草園に様変わりしていた。

 ちょろちょろと小川が流れ、木々はしげり、そこかしこでハーブがいている。おだやかで美しい楽園のようだ。


『……夢ってすごい』

『ほっほ〜。すごいじゃろ、すごいじゃろ? そなたなら、必要なものが何か、わかるはず』


 エリザの言う通り、アメリアの目は正しくフェンネルとホーステールを見分けられた。

 サラダに使うフェンネルも、野に咲くホーステールも見たことのあるものだが、目が吸い寄せられるように材料をらえたのだ。フェンネルはろう回復に効く。ホーステールは消化を助ける。まるで、すでに知っていることのように効能まで頭の中にかんだ。

 アメリアが摘んだ材料をエリザはばやく刻んで乳鉢に放り込む。


『こうして刻んだ後、ごりごりごり〜っと。で、しるしぼってぱっぱっぱ。かした湯に入れて〜』

『え、待って待って、もっとゆっくり』

だいじょう大丈夫、やればできる』


 ごうかいに笑ったエリザはじょうげんに歌い出す。


『煮込めや煮込め、魔女の秘薬。マグワート、アトルラーゼ、スチューン、ウァイブラード、カミツレ、スティゼ、ウェルグル、フェンネル、タイム……』

『なにそれ?』

『「九つの薬草のじゅもん」知らんのか?』

『知らない』

『ふーむ。ああ、もうよいぞ』


 エリザは煮込んだ薬草のうわみをすくった。


『これで一番簡単なようきょうそうざいの完成じゃな。ま、この時代でも効果はあるじゃろ』

『この時代?』


 ふわっと宙に浮かぶ感覚がした。

 気付けばアメリアの身体は浮いている。


『え? ええっ!?』


 エリザやかまの中身はそのままなのに、アメリアだけが風にがる木の葉のように逆さづりになっている。


(飛んでいってしまう!)


 ジタバタするアメリアの手をエリザが摑んだ。

 エリザはひだりほおにきゅっとえくぼを刻んで笑う。


『そなたに魔女の祝福をあたえよう。もしもアレを見つけたら正しく使えよ?』

『アレって何!?』

『よいか? 呪文は──』


 耳元でささやかれた。アルス・サノ・マグナ。訳がわからない。それは何の呪文で、見つけるとはなんの話なのか。


『あっ!』


 エリザに手をはなされたアメリアは空へと舞い上がった。

 手をばしてももう彼女には届かない。

 薬草園もエリザの姿も遠ざかり、真っ白になって消えていく。

 自分はいったいどうなってしまうのか──ぞぉっとして、不格好な体勢で暴れて、そして落ちた。ゴツンと頭をぶつけたのは固いゆかだった。


「痛ぁ……」

「……おはよう、アメリア。こわい夢でも見たの? うなされていたわよ」


 顔色の悪い母が、せいいっぱいの空元気を出して朝食の準備をしてくれていた。皿の上には固い黒パンとジャム、それから、サラダ代わりのフェンネルの葉……。


「ちょっと待って! そのフェンネル、食べないで!」


 アメリアは家を飛び出した。

 ホーステールはすぐ見つかった。あさつゆれた葉がアメリアの目にはきらきらとかがやいてのだ。


(さっきのは夢じゃなかったの!?)


 ──結果として、不格好ながら薬は作れた。


「アメリア、いったいどうしたの?」


 急に薬を作り出したむすめの姿に、母は大いに驚き、そしてしんそうにたずねた。「誰かに教わったの?」と。


「ううん。その、……夢で見たのよ」

「夢で?」

「うん」

「本当に? 誰かから教わったんじゃないの? 誰か──男の人、とか」

「え? 女の人だったよ?」


 首をかしげたアメリアに、母はどこからくたんしたように「そう」と短く呟いた。


うそじゃないよ。本当だよ?」


 アメリアは慌てて言いつくろったが、言えば言うほど自分がおかしなことを言っているような気がしてならなかった。


(夢で見たって言っても信じてもらえないよね。変な子だと思われたら嫌だし、あんまり人に言わないでおこう)


 そしてそれきり、エリザの夢は見ていない。

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