二章②


 はくしゃく家を出たアメリアは、予定通りに王都郊外に向かった。

 一時間半ほど歩いたところにあるさわだ。

 かいどうかられたこの場所は天然の薬草園のようになっており、町医者や行商人、市井の者たちも時折摘みにやってくる。

 数日前に降った雨のえいきょうほどよく湿しめった地面に下りたアメリアはさっそく薬草摘みにかった。年季が入ったかわのブーツで歩き回る。

 大きな石の上に移動したセドリックはその様子を珍しそうに見ていた。


「それはなんだ?」

「ポプラです」

「ふうん、丸い葉の方は摘まなくていいのか?」

「ええ。ポプラは若芽を使います。すりつぶしてみつろうとオイルで練ると火傷やけどの薬になりますよ」


 せっせと薬草を摘むアメリアの手つきには迷いがない。


「そういういっぱんてきな薬も作れるんだな。俺はてっきり、お前は新薬開発の研究ばかりしていると思っていた」

「在学中の論文や学会発表なんかもそれがメインでしたしね」


 雑用まがいの仕事や、町で薬を売っていることなど知らなかったセドリックは、アメリアを単なる研究馬鹿だと思っていたらしい。


「……聞いてもいいか?」

「どうぞ?」

「お前の母上のことなんだが……、病でくなったんだよな?」


 セドリックは言いにくそうに小さなお手手を動かしている。


「ええ。そうですよ。流行はやり病でした」

「お前の論文は何度か読んだことがある。研究している薬のほとんどは特効薬ばかりだな。つまり……」


 流行り病は初期に適切な薬を服用すれば助かることが多い。

 整った環境で医者のりょうを受けられる貴族はともかく、平民は多少の具合の悪さでは無理をして働きに出てしまう者も多い。結果、医者にかかる頃にはじゅうしょうしているケースがままあるのだ。

 アメリアが力を注いでいるのは、極力安価で、早く、よく効く薬の開発。


「つまり……、お母上のような方を出さないための研究だったんだな」


 アメリアは手を止めた。

 エリザに習った滋養強壮剤はよく効いたし、顔色の良くなった母を見た人が「自分にも売って欲しい」と効果を広めてくれたことでちょっとした商売にもなった。

 だが、流行り病に関しては──滋養強壮剤ごときではどうにもならない。

 アメリアにはあっとうてきに知識が足りなかった。

 薬草を見分けられても、どれとどれを組み合わせれば効果が出るのか、特効薬が作れるのかまではわからなかった。当時のアメリアではどうすることもできなかったのだ。


「……そんな大層な志じゃありませんよ」


 ふい、と顔を逸らしたアメリアは登れそうな木を探す。

 ──母亡き後、アメリアの元にパーシバル家の使いが現れ、父だという人と引き合わされた。下町に出回る「よく効く滋養強壮剤」のうわさを聞いた父は、自分の血を引いた娘の存在を思い出したらしかった。

 そしてアメリアも──あの時、母が「誰か男の人から薬の作り方を教わったのか?」と聞いてきたのは、アメリアの父親が薬師だからだったのかと察した。父がアメリアにせっしょくしてきたのかと思ったのだろう。

 だが、アメリアに薬作りを教えてくれたのはしょうしんしょうめいの女性だ。

 エリーザベト・F・

 父だと名乗った男に「今さら貴族として暮らすつもりなんてありません」と突っぱねられなかったのは、その家名にかれたからでもある。連れていかれたパーシバル家は薬学の名家で、ぼうだいな蔵書の山を見た時にまざまざと確信した。夢で出会ったあの女性は、この家の関係者に違いないと。

 エリザから与えられた薬草をく力は大いに役立った。

 じゅんすいに薬学の世界をおもしろく思ったアメリアの努力と、エリザの加護のおかげもあって、またたにいろいろな薬が作れるようになった。


(せめて、あと数か月早く父が来てくれていたら良かったのに)


 そうしたら、母を助けられたかもしれなかった。


(……でも、そんなことを言ったってどうしようもないわよね)


 引き取られた時にアメリアは決意したのだ。めそめそと悲しむくらいなら、パーシバル家にある蔵書をかたぱしから吸収してやろうと。ようないじめや無視をしてくる家族にいやがさしたこともあり、半ば現実とうのように薬学にぼっとうしてきただけだ。

 その結果、自分のづかかせぎとして薬を卸すようになったり、母を助けられなかったこうかいから流行り病の薬の研究をしたりしているわけで……。決して、セドリックが思ったような、「苦しむ人を助けてあげたい」なんてこうしょうな気持ちからではない。

 アメリアはセンチメンタルな気持ちを振りはらうように木の節に足をかけた。

 何度も登ったことがあるので要領は心得ているのだが、慌てたリスに止められた。


「お、おいっ、まさか登るつもりか!?」

「慣れていますから平気ですよ」

「いや、危ないだろう! 俺がやる!」


 そう言うなり、セドリックは幹をがった。


「これを採ればいいのか」

「……ええ、そうです」


 頷くと、枝からひげのように垂れ下がるを器用に摘んでくれる。果穂には小さなつぶがたくさんついていた。


「これはなんだ」

「サワグルミですよ。クルミと名がついていますが、私たちが知っているあのクルミの実はなりません」

「ふうん……」

「あ、もうじゅうぶんです。ありがとうございます」


 セドリックはついてきたはいいが、やることがなくてひまなのかもしれない。


(あれこれ昔のことを聞かれるよりは、作業を手伝ってもらおう)


 高いところの作業をこなしてもらいつつ、二人は下流の方へと移動していく。

 開けた場所には花畑が広がっている。薬用の花に交じって色とりどりの花が咲いているれいな場所だ。


「いいところでしょう?」


 セドリックに向かってほこらしげに笑いかけると、なぜか彼はどぎまぎとしていた。


「あ、ああ。そうだな。静かで、れんな花も美しい。お前に花をでるしゅがあったとは意外だ」

「愛でる? 何言ってるんですか、引っこ抜いて帰りますよ」


 白い花をつけた植物を地面から抜く。


「ほら、見てください。立派な根です。水が綺麗だから良質な材料が採れるいいところなんですよ」

「…………。お前にロマンチックさを期待した俺が馬鹿だった……」

「あ、マグワートです。これも摘んでいきましょう」

「はあ、これはなんの薬になるんだ」

「これはぐすりの材料です。多分、セドリック様をもどすのに必要な薬です」

「惚れ……っ、え? は?」

「あ、すみません。言葉が足りませんでした」


 惚れ薬を飲ませられるのかとかんちがいしたらしいリスがワタワタしていたが、別にセドリックを惚れさせたいわけではない。


「古くからほうじゅりょくに結び付けられているといわれる薬草なんです」


 マグワートは表はい緑色、裏は銀緑色の葉で、風がくとひらひらとなびく。

 花は少し毒々しさを感じるあかむらさきいろだ。


「『九つの薬草の呪文』、ご存じありません? マグワート、アトルラーゼ、スチューン、ウァイブラード、カミツレ、スティゼ、ウェルグル、フェンネル、タイム。大昔から伝わる魔女の秘薬に必要な材料です」

「……知らない」

「つまり、りょくが強いという伝承が多いので、セドリック様の毒消しとして使えないかと考えていたところでした」


 アメリアはぽいぽいとバスケットに花を入れていく。

 マグワートは匂いがきつい。すんすんと鼻を動かしたセドリックはあおくささに顔をしかめていた。


「本当ならもう少し足を延ばしたかったんですが、急がないと一雨きそうですね……」


 天気は下り坂になってきている。

 適当なところで切り上げたアメリアは雨が降り出す前に帰ることにした。しかし、帰路のちゅうでぽつぽつとあまつぶが落ち始める。


「通り雨でしょうか」

「おそらくな。どこかで雨宿りをしていった方が良くないか?」

「でも……。急げば帰れそうな気もしますし……」


 ぽつぽつがパラパラに変わり、アメリアとセドリックを濡らしていく。

 ここから一時間以上ある帰路を歩くのはさすがにを引いてしまうだろう。気温が下がるとかたに乗っていたセドリックの口数も減ってきた。一人ならばびしょ濡れになっても強行突破で帰るアメリアだが、か弱い小動物のことを考えて諦めた。


「あの木の下で雨宿りをしましょう。少し走りますので、落ちないように中に入っていただけますか」


 薬草でいっぱいのバスケットにセドリックを入れ、アメリアは走った。

 太い幹の木の下にげ込む。ここならある程度の雨はしのげそうだ。


「セドリック様、大丈夫ですか?」

「……キュ……」


 弱々しい鳴き声がバスケットの底から聞こえた。走っているうちに薬草のジャングルにまよい込んだらしい。手を突っ込んで引っ張り出してやると鼻を押さえてもだえていた。


「キュウ、キュー……」

「ああ……。薬草の匂いに鼻をやられたんですね。ちょっと待ってください、今しゃべれるようにしますから」


 持ち歩いているサンザシの薬を指先に付け、セドリックの口元に運んでやる。

 小さなリスの舌で薬を舐めとったセドリックはふるえだした。


「寒いんですか?」

「……わからん。匂いにったせいか、なんだか急激に気分が悪く……」


 もしも人間の姿だったら青ざめていただろうという表情で口元を押さえている。リスの飼育方法など知らないアメリアは心配になった。


「身体を冷やさない方がいいかもしれませんね。私の服の中に入りますか?」

「は?」

「服の中です。ひとはだで少しは温かいかと」


 マントは濡れてしまっているし、手で温めてやろうにも雨で濡れたアメリアの手は冷え切っているのだ。


「ばっ──馬鹿か、お前は! そんなことできるわけないだろう! お、お前にはじらいというものがないのか!」

「寒さで死んでしまっては元も子もないかと思ったので……。元気ならいいんですが」

「元気ではないが、これくらいならえられる──っくしゅ!」


 セドリックがぷんぷんおこりながらくしゃみをした。

 かと思うと、それはものすごい質量をもってアメリアにのしかかってきた。

 地面にひっくり返ったアメリアにおおいかぶさっているのは、


「え……」


 アメリアは目を見開いた。


「セ、セドリック様……?」


 元の姿に戻っている。

 金の髪は頰に張り付き、濡れた雨水がしたたっていた。けんしわを寄せ、何が起こっているのかわからないといった様子だ。


「な、なんだ? はっ、アメリア!」


 アメリアをしたきにしていると知ったセドリックは慌てて身を起こし、そこでようやくアメリアの身体と自分の身体のサイズにいがとれていることに気が付いたらしい。服装も、最後に会った夜会での姿のままだ。


「も、戻った?」

「戻りましたね」

「っ、すまない! 大丈夫か!」


 セドリックは慌ててアメリアを起こしてくれた。どろが付いてしまったアメリアの髪や顔をそでを使って綺麗にしてくれる。

 こんやくして三年。セドリックがそんなやさしさを見せてくれたのは初めてだった。

 たどたどしい手つきで泥をぬぐってくれる姿に不思議な気持ちになりながら、アメリアはセドリックの身体を観察した。リスのしっが残ったままになっているといった様子はなさそうだ。すらりと均整の取れたたいも、に造作の整った顔も、アメリアのおく通りのセドリックである。


「なぜ戻れたんでしょう? セドリック様が飲んだという毒物の効力が切れたんでしょうか」

「わからん」

「ともかく、良かったですね。これでこうしゃく家に帰れますよ」

「あ、ああ……」

「……? セドリック様?」


 なぜか浮かない顔をしている。元に戻れてうれしくないのだろうか。

 げんな顔をするアメリアのことを、セドリックはかんきわまったようにき寄せた。


「アメリア、これまでお前につらく当たってしまってすまなかった」

「……」

「俺はお前のことをずっと誤解していた! リンジーやキースたちの言う悪口をみにし、お前が俺をきらっているのだと思ってひどい態度をとっていたと思う。パーシバル家であんな仕打ちを受けていることだって知らなかった……」


 ぎゅうっと抱きしめられたアメリアは目をまたたく。

 とっにどう返事をしていいかわからなかったのだ。


「アメリアさえ良ければ、だが」


 身体を離したセドリックはしんけんな顔でアメリアを見つめた。


「すぐにでも俺の元にとついでこい。あんな家にお前を置いておきたくないんだ」

「……セドリック様……」

「それに、お前のことをもっとよく知りた──っくしゅん!」


「!」


 くしゃみをしたらセドリックが消えた。

 ……いや、いた。アメリアのひざの上に。

 つぶらな瞳で小さなお手手を見つめてぼうぜんとしている。


「なっ……なぜだ……」

「なぜでしょうね」

「戻れたんじゃないのか!? どうなっているんだ! おいっ!」

「私に聞かれてもわかりませんよ」

「く、くしゃみか!? くしゃみをしたのがいけなかったのか!?」


 人の姿に戻れたのはほんのいっしゅん

 もう一度くしゃみをしてもセドリックの姿が再び元に戻ることはなく、アメリアは絶望に打ちひしがれるセドリックをかかえてパーシバル家へと帰宅することになった。

 ──すぐにでも嫁いでこい、などと言われたがそんな日は当分先のようである。



*****



 さめにはなったものの、パーシバル家に帰った二人の身体はしっとりと濡れていた。

 うでに下げたバスケットと、しょんぼりしているセドリックをよいしょと抱え直したアメリアだが、小屋に入ろうとしてかんに気付いた。

 とびらがほんのわずかに開いている。

 中からはごそこそと物音がした。


「……?」


 立ち止まったアメリアのこわった表情に気付いたセドリックは、ハッとしたような顔をした。


「……隠れていてください」


 セドリックをバスケットに押し込み、アメリアは意を決して部屋の扉を開ける。

 どろぼう? いや……。


「あ、姉さん。おかえり〜」


 部屋の中にいたのはキースだった。

 彼の手にはアメリアがメモ代わりにつけているノートがある。

 室内は本やメモ書きが散乱しており、材料をしまってあるやくひんだなや引き出しはどこもかしこも開けられていた。


「キース、何をしているの?」

「ん? 研究がはかどらなくって、姉さんの部屋で調べもの〜」


 愛らしく笑った弟はぺらぺらとアメリアのノートをめくり続けた。


「これ、エンザしょうの特効薬だよね。へー、なるほど。さすが姉さん。参考にさせてもらうね?」


 そしてそのままノートを持っていこうとする。

 アメリアは慌ててキースに追いすがった。

 これまでに似たようなことは何度もあったし、アメリアが何を言ってもうばわれてきた。今回もられるだろうということはわかってはいるが、それでも言わずにはいられない。


「待って。返して」


 その特効薬の研究にはずいぶんと時間がかかったのだ。

 アメリアの中では思い入れも強く、そうやすやすと渡せるものではない。

 服を引っ張って止めたアメリアの姿にキースはきょとんとしていた。


「聞きちがい? 返せって言った?」

「……言ったわ」

「生意気だよ、姉さん」


 キースの瞳にぎゃく的な色が宿る。

 ここ一年でぐんと背が伸びた弟の身長はアメリアとほとんど変わらない。追い抜かされてしまうのはあっという間だろう。現に、わんりょくではもうすっかりアメリアはかなわなくなっている。

 キースはアメリアを押しのけた。


「返すわけないじゃん。こーんなおいしい研究データ。学会で発表したら称賛のあらしだろうなぁ〜」

「その調薬法はまだ不完全なの」

「そっか。じゃあ、続きは僕の方で研究しておくね?」

「返して」


 ノートに手を伸ばしたアメリアだったが──バチッと激しい音がして、バスケットを落としてしまう。キースに頰をぶたれたのだ。落ちたバスケットから薬草がこぼれた。


「あのさあ、何回言ったらわかるの? この家の物は──全部──僕の──物なの」


 一音一音に平手が乗せられる。

 アメリアは思わず顔をかばった。

 きょうは感じない。ただ、キースは虫の居所が悪いようだ。彼は自分の研究がうまくいっていないと、こうしてアメリアに当たり散らす。


「生意気なんだよ、あとぎでもないくせに研究だの論文だの……。お前なんか、お父さまと僕の手伝いだけしてればじゅうぶんなのに」

「キース、やめ……」


 かべぎわに追い込まれ、しゃがみこんでしまったアメリアの耳に、キュイッ! とかんだかい鳴き声が聞こえた。

 キースが顔を上げて棚の方を見る。

 その顔面に、いつの間にか高所に登っていたリスのりがさくれつした。


(セドリック様!?)

「いっ、たぁああっ、何するんだこのリスッ!」


 キースは顔を押さえてよろめく。

 だが、たかがリスの蹴り一発。

 腹を立てたキースは、着地したリスの尻尾をわしづかみにして放り投げた。小さなリスの身体は床に積んであった本の山に命中し、崩れた中にもれてしまう。


「セ、……ッ!」

「姉さんってばいーけないんだ。ペットは飼っちゃダメって母さまに注意されたでしょ?……次に見かけたら、毛皮をいでなべにぶちこんでやるから」


 ざんこく台詞せりふいたキースは、取り落としたノートを拾って出ていく。

 駆け寄ったアメリアは慌てて本をどけた。セドリックはぐったりと横たわっている。


「セドリック様! しっかりなさってください!」

「……平気だ」

「ほ、骨、折れていませんか? 内臓とかっ……」


 こんなに小さなリスの身体では何かあったらすぐに死んでしまいそうだ。


「俺のことはいい。お前こそあいつにたたかれていただろう」

「私は平気です。慣れていますから」


 別にどうということはない。しかし、起き上がったセドリックの瞳は怒りに燃えていた。


「──慣れるな!!」


 られたアメリアはびっくりした。


「慣れるな、こんなことに! どう考えても悪いのはあいつだろう!」

「…………」


 そんなことはアメリアだってわかっている。

 わかっているけどどうしようもない。今に始まったことではないのだ。

 ぎゅっとこぶしを握ったアメリアは、セドリックの身体に異常がないことを確認すると立ち上がった。


「……痛みや吐きはありませんか?」

「アメリア」

「すぐに、打ち身に効く湿しっか何かを作りますね」

「俺の事なんかどうでもいい! エンザ症の特効薬は、お前が亡くなった母親のような人を出したくなくて作った薬なんじゃないのか! 今すぐ取り戻しに行くぞ!」

「無理ですよ」

「無理じゃない! そうだ、すぐに公爵家にれんらくを入れろ。父はお前を気に入っているし、うったえれば取り返せる」

「こんなことで公爵にごめいわくはかけられません。それに、……私が完成させようが、キースが完成させようが、パーシバル家の功績には変わりありませんから。今までもそうでしたし、もういいんです」

「そうやって諦めてしまうからキースがつけ上がるんだろう!」


 怒り心頭のセドリックはつのる。

 セドリックがおこれば怒るほど、アメリアの頭は冷えていった。

 そうだ、どうせ何をやってもキースの功績にされるのに……、「返して」と追いすがってしまって叩かれ損だった。アメリアはめいが欲しくて研究しているわけじゃない。この家にいるのは薬学を学べる環境としてじゅうじつしているからだ。


(先に……部屋の片付けをしようかな)


 部屋もずいぶん散らかってしまった。

 積んできた薬草は、キースがんづけたせいでダメになっているものもある。もったいないと思いながら手を伸ばす。


「聞いているのか、アメリア!」


 聞いている。


「本当はくやしいんだろう。だったらそう言え! ちゃんと戦え!」


 セドリックは元気そうだ。良かった。そんなにも怒鳴れるなら大丈夫だろう。

 人に戻れた姿の時はけんきょな様子を見せていたが、これでこそいつものセドリックだ。

 強気で、えらそうで。アメリアが言いたいことをんでいるのが気に入らない。言いたいことがあるのならはっきり言えという、いつものセドリック。


「いいか。このままで済ませるべきじゃない」


 だが、そろそろうるさいなあ、と思った。

 アメリアは慣れているのだ。

 ちょっと乱暴にあつかわれたくらいでキーキー怒るセドリックと一緒にしないで欲しい。薬草を拾う手にぎゅうっと力がこもってしまう。

 こんな風に強く握ったらくきが折れてしまうのに。

 アメリアはいらちをおさえようと深呼吸をしたがうまくいかなかった。

 セドリックがうるさいのだ。こっちが必死で落ち着こうと気持ちにふたをしようとしているのに、彼はえんりょなくこじ開けてくるから……。


「お前がこれ以上不当な扱いを受けるのを、俺は見たくな──」


「──言ってどうなるっていうの!!」


 気付けばにぎめていたマグワートを床に投げ捨てていた。

 まんしようと思っていたのに──、セドリックがぎゃいぎゃいと文句を言い続けるから。

 指先は怒りで震えていた。


「私がこれまで何もしなかったとお思いですか? キースから取り返そうとがんったり、『その研究は私のだ』と名乗りを上げたりしたことが一度もないと? 何度声を上げても握りつぶされる気持ち、セドリック様にはわからないでしょう!」


 セドリックの言うことは正しい。

 だけどそれは、きちんと意見を通せるだけの発言力がある人の考えだ。


「キースが悪いことをしていることくらい、私だってわかっています。お父さまやお義母かあさまが見て見ぬふりをしていることも。だけど、家族にれいぐうされている私が声を上げたって何の意味もないんです」


 悔しいとさけべば叫ぶほど、踏みにじられた時に苦しくなる。

 だからアメリアは諦めた。

 どうせ奪われるのなら、しゅうちゃくしない方がましだと気付いたのだ。

 悔しい気持ちに蓋をして、研究や仕事に没頭する。何も感じない、気付かないふりをして、かれたレールの上を歩くようにたんたんと暮らす。

 引き取ったくせにいじめを放置する父にがっかりしなかったと言えば噓になる。

 でも、もう助けなんて期待しない。家族とわかり合いたいとも思わない。

 それがアメリアの心と暮らしを守る方法だったのに。


「私のことを知ろうともしなかったくせに、今さら偉そうなことを言わないで!」


 そこまで怒鳴ったアメリアはハッとした。

 セドリックはびっくりした顔で固まっている。


「……お前も、そんなふうに怒るんだな」


 あっにとられたような声。

 激しいほんりゅうのように感情を吐き出したアメリアを我に返すにはじゅうぶんだった。


「……すみません、私……」


 こんなことを言うべきじゃなかった。

 ただの八つ当たりだ。怒るべきほこさきはキースなのに。セドリックはただアメリアのきょうぐうを心配してくれただけなのに。

 自分はこんなに我慢していたんですとわめき散らして──みっともない。


「私、私……、あ、頭を冷やしてきます」


 いたたまれなくなったアメリアは小屋を飛び出した。


「アメリア! おいっ!」


 あせったようなセドリックの声は扉が閉まると同時に消える。

 アメリアは走った。

 やみかけていた雨は再び降り始めていたが、すでに濡れているから気にならない。

 パーシバル家の門を出たアメリアはそのまま足を進める。薬草くさい自分の身体も、キースにぶたれて熱を持っていた頰も、感情的になってしまった頭も、冷たい雨が洗い流してくれるようだった。


(飛び出してきたって、結局帰らないといけないのに……)


 引き取られたばかりの頃は、パーシバル家を出て行こうかと何度か考えた。

 だけど、現実は厳しい。

 市井で暮らしていたアメリアは貧乏暮らしも経験していた。

 お金を稼ぐのは難しいことだ。

 そして、アメリアがお金を稼ぐ手段といえば薬を作ることくらいしかない。街で薬を売っていればすぐにパーシバル家の耳に入り、連れ戻されるだろう。それはかしこい行動とは言えない。

 ならばと名を上げられるように勉学に力を入れた結果、父やキースに利用されることになった。名誉や謝礼金を奪われる度にアメリアは段々どうでもよくなっていったのだ。


(戦うのって、それ相応のエネルギーがいるのよ)


 流されて暮らす方が楽だと気付いてしまった。

 戦え、言い返せ、と高みから簡単に言ってくれるセドリックに腹を立てたが、彼に怒ったところでどうしようもない。戻って謝り、また何事もなかったかのように暮らそう。

 アメリアが薬を作らない限り、セドリックだって行くところがないのだから……。


「アメリアッ!」


 道の真ん中でぼけっとしていると誰かに腕を引っ張られた。

 がらなアメリアはすっぽりとその誰かの腕の中に収まってしまう。相手の顔を見たアメリアは驚いてしまった。


「え、セドリック、様……?」


 なぜまた人の姿に戻っているんだろう。

 戸惑うアメリアをセドリックはぎゅっと抱く。


「どこに行くつもりだ、こんな雨の夜に……。危ないだろう!」


 どこにも行くところなんてない。

 そんなことはセドリックだって知っているくせに……と皮肉を言いたくなったが、抱きしめる腕からは心配してくれている気持ちが伝わってきた。

 心配してくれている?

 ……そんな人、亡くなった母以外にはいないと思っていた。


「悪かった。お前の言う通りだ。これまでお前のことを知ろうともしなかったくせに、一方的にああしろこうしろと言われたら……怒るよな」

「…………」


 共感されて、ぐっとくちびるめる。


「助けたいのに助けられないことがもどかしかったんだ。頼む、いなくならないでくれ」

「……私がいないと、元の姿に戻れなくて困りますもんね?」


 可愛くないことを口にすると、


「ああ、困る。リスの姿ではキースをぶんなぐることも、お前のなみだを拭いてやることもできないからな」


 押しのけようとしたが、セドリックの身体はびくともしなかった。

 アメリアのささやかなていこうごときではるがない。


「怒ってくれてありがとう。アメリアの気持ちが知れて良かった」


 セドリックがこれまでのことをいていることや、アメリアを心配してくれる気持ちが伝わってきたから──アメリアは身体の力を抜いてしまう。

 自分の気持ちを誰かにぶつけるなんていつ以来だろう。

 こんなふうに同情して、寄り添われることを本当はずっと求めていたのかもしれない。じわっと何かが目元ににじんだ。


「アメリア……」


 ほっとしたようなセドリックの声。

 と、同時に急に焦り出した。


「あ、ああ、その、すまない。思わず抱きしめてしまったが……」


 何をするにも自信満々だった人間のセドリックと、じんな目にってすっかり小心者になってしまったリスの態度がごちゃまぜになり、慌てているらしい。

 そんな様子はアメリアにとって好ましく思えた。

 くすっと笑ってしまってなおに寄りかかる。

 しかし、次のしゅんかん、支えをなくしたアメリアはせいだいに転ぶことになった。


「きゃあっ!」

「うわあっ!」


 転んだアメリアの側にはリスが転がっている。

 またもや一時的に元の姿に戻れただけらしかった。


「くっ、また……! アメリア、大丈夫か!?」

「ええ、だ、大丈夫です……」


 転ぶほどセドリックに体重を預けていたことが恥ずかしかった。滲んでいた涙は雨がすっかり洗い流してくれている。


「……帰りましょうか」

「……そうだな」


 水たまりの中、アメリアはリスに手を伸ばした。

 小さな身体を抱いてやる。セドリックはごこわるそうに身じろぎした。


「女に抱かれるなんて格好悪いな」

「仕方ないですよ、リスなんですから」

「お前が小動物になってしまえば良かった。そうなったら誰にも手出しさせないのに」

「なに……言ってるんですか。リスのくせに」


 雨でしぼんでしまったあいしゅうただよう姿で甘いセリフを言われたっておかしいだけだ。ときめくわけがないのに、少しだけあたたかい気持ちになる。

 ずぶ濡れになりながら歩いていた一人と一匹だが、たいして移動しないうちに一台の馬車が止まった。


「レディ、大丈夫ですか!?」


 馬車を降りた親切な男性が声を掛けてくれたのだ。


「あ、すみません。大丈夫です」

「いや、大丈夫ではないでしょう! 送りますよ! 家はどちらです?」


 自分が雨に濡れるのをいとわず、着ていた上着をぐとアメリアにかぶせてくれた。

 ずいぶんしん的な……、きんぱつへきがんの若い男性だ。どこかで見た覚えもあるような気がする。


「ん? きみはもしかして、アメリアさん?」

「ええ、そうですが」

「やあ、これはぐうですね! ちょうどパーシバル家に行こうと思っていたところなんですよ。俺はフレディ・コストナーです。一度お会いしていますよね?」


 フレディ・コストナー……。最近どこかで聞いた名前だ。


「セドリックの従兄いとこです!」

「……ああ!」


 あなたが! そういえば会ったような記憶がうすぼんやりとよみがえってきた。

 セドリックと同じ金髪碧眼で顔立ちも少し似ているが、クールなセドリックとは違い、快活でさわやかなお兄さんといった人となりだ。


(この人が、セドリック様が『毒を盛った』と疑っている人?)


 とてもそんなことをするようには思えないが……、外面のいい人間が身内にいるため、「実は裏の顔があったりするのかも?」と考えてしまう。

 フレディは親切に申し出た。


「パーシバル家まで送りますよ。乗ってください!」

「え……と、いいんですか?」

「当たり前ですよ。風邪を引いてしまいますから、さあさあ」


 肩を抱いて馬車へといざなってくれるフレディに、アメリアの腕の中でチチッ! とかくするようにリスが鳴いた。


「おや。可愛いリスですね。アメリアさんのペットですか?」


 悪気なくニコニコと聞かれる。

 リスは威嚇するように再び鳴いた。

 人間の言葉で喋らないあたり、フレディに正体はバレたくないらしい。


「……ええ、まあ。そんなようなものです」


 アメリアは曖昧にこうていし、フレディから貸してもらった上着でセドリックをくるんでやった。そうでないと敵意がだだれなのだ。ペットは大人しくしていてくださいと抱きしめる。

 もっとも──セドリックが敵意を向けていたのはフレディを疑っているせいではなく、れ馴れしくアメリアの肩を抱いたからなのだが。

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