間章②



*****



「アメリア、今日の予定は?」


 リスになって三日目の朝。

 結局公爵家に帰るかいなかの結論は出せないまま、セドリックはビスケットの朝食をかじりながら表情にとぼしい婚約者の顔を見た。


「今日ですか? 今から少し調薬をして、その後で町に出かけます。お義母かあさまがお茶会に出かける日なので、いないうちに所用を済ませておきたくて」

「そうか」

「……あー、えっと、解毒剤でしたらもう少し待っていただけます? 昨日見たぶんけんだと、材料の下処理に時間がかかりそうですし、在庫も……」


 どうやらセドリックが早く解毒剤を作れとかしていると思ったらしい。


「いや、予定があるならいいんだ。俺も出かける」

「あ、そうなんですか。お気を付けて」

「……ああ」


 こちらに興味がなさそうなアメリアの態度にももう慣れた。


「……そうだ。出かけるならこちらをどうぞ。サンザシの薬ののうを少し上げてみたので、喋っていられる時間がびるはずですよ」

「! た、助かる……、ありがとう」

「いえ」


 にこりともしないアメリアは、仕事をするためかそのまま机に向かった。

 セドリックがいてもいなくても、彼女の生活のペースはなんら変わらない。


(やはり俺は出て行った方が……)


 薬をめたセドリックはアメリアのじゃにならないようにそっと部屋を出た。そして気を取り直す。小さな身体からだになってしまったセドリックにとっては、ちょっとした外出でもだいぼうけん並みの危険がともなうのだ。

 樹木伝いに伯爵家の外へ出ると、さっそく頭上をカラスが飛んでいった。


(危ない! つかまるところだった!)


 大急ぎで裏通りに入ればねこが目を光らせている。


(こ、この道はダメだ! ねこどもにおそわれる!)


 人の多い大通りに出ると、馬車がごうおんを立てて走っていった。


(あんなのにかれたらひとたまりもないぞ……)


 ──目的地に着くころには毛並みは乱れに乱れていた。


「はあ、はあ、……やっと着いた……」


 ここは王都の外れにある小さな教会だ。年老いたシスターと神父、そして、へいせつされているいんには十人ほどの子どもたちが暮らしている。

 どこから入ろうかとうろうろしていると、子どもたちの大声が耳に飛び込んできた。


「ねえ、シスター! 今日、が来るんじゃなかったの!?」


 ぎく、とセドリックは身をすくませてしまう。


「いつも午前中に来るのに、今日はもう昼だぜ!?」

「あたしたち、町まで探しに行ったほうがいいかなぁ?」


 外の壁に張り付きながら、セドリックは一人、あたふたとあせった。


(やめろ。町を探されたら『リューク先生』などいないとバレてしまうじゃないか……!)


 リュークというのはセドリックのめいだ。

 医者を探していた子どもたちに出会ったのは三年前──その時、セドリックはおしのびで城下町に来ていたため、簡素な格好だった。

 とりあえず「町医者だ」と名乗り、彼らに案内されてこの教会に来たのがはじまり。

 今さら公爵家の人間だと名乗るのもおもゆく、町医者リュークとして月に一度程度のしんりょうに来ていた。もしかしたら神父やシスターあたりはリューク先生のじょううすうす気付いているかもしれないが、何も言わずにいてくれている。


「ダメよ。マルコ、エマ。リューク先生はおいそがしくて今日は来られないのかもしれないわ」


 シスターが止めに入ると、しっかり者のエマは口をとがらせた。


「でも……、アンジェラがお熱を出しているのに……」

「お薬を飲ませて様子を見ましょう。さ、二人とも、れいな水をんできてちょうだいな。アンジェラのために冷たいタオルを作ってあげてね」

「はあい、シスター」


 ぱたぱたと子どもたちは去っていく。


(アンジェラはまた熱を出したのか。ここ最近は落ち着いていたのに……)


 セドリックは開いている窓まで登り、室内へと入った。

 シスターの姿を探すとしんさつしつ代わりに使っている南の部屋にいた。くすりだなかぎを開けている。


「ええと、熱冷ましの薬。熱冷ましの薬……っと。良かった、まだあったわ」


 取り出したびんを見て、ほっとする。

 瓶のくびれ部分にひもで結ばれたくろねこがたかれた紙。『黒猫印』の熱冷ましの薬だ。良かった。あれを飲めばアンジェラも楽にねむれるに違いない。


(在庫……。思ったよりも減っているな)


 消費が多いのか、それとも薬師はしばらく来ていないのだろうか。

 セドリックが偽名でおうしんに来ているのと同様に、ここにはなぞの薬師も出入りしていた。

 独学の民間療法で作っているらしい薬師の薬はとてもよく効く。一度会ってみたいと思うのだが、シスターの「古い知り合い」で「とても恥ずかしがりや」の性格だからと断られていた。瓶のラベルに黒猫のマークが使われているから、セドリックも子どもたちも「黒猫先生」と呼んでいる。


(シスターの古い知り合いということはこうれいなのかもしれないな。もしも薬が届かなくなったらセスティナ家から薬を持っていけばいいだけなんだが……)


 パーシバル家から買っている薬がある。

 しかし、パーシバル家の薬はとても高価だ。一目で上等なものだとわかる美しいガラス瓶にもん入りのラベルが付けられている。ただの町医者(と名乗っている)リューク先生が高い薬を持っていったら、孤児院の子どもたちがびっくりしてしまうかもしれない。


(それに、なぜか黒猫印の薬の方が効きがいいんだよな)


 セドリックは心優しき薬師に敬意を表し、往診の度に薬代を置いていっていた。薬箱のとなりに代金を入れた小さなふうとうとメモ書きを一枚はさんでおくのだ。

 棚によじ登ってかくにんすると、先月置いておいた封筒はなくなっていた。


『私のために作ってくれたというえいようざい、とてもよく効きました。 ありがとうございます。  リューク』


 セドリックがりゅうれいな字で書いたメモの下に、丸っこい文字で書かれた返事と黒猫のマークがえがいてある。


『リューク先生、こちらこそいつもありがとうございます。

 いただいた代金で孤児院の畑に野菜を植えてもらいました。』


「……本当にけんきょな人だな」


 黒猫先生は基本的に代金を受け取りたがらない。『薬代として用立ててください』『いただけません、えんりょします』というやりとりを数か月にわたって筆記で続けたのち、ようやく受け取ってくれるようになったのだ。

 それも、リュークへの差し入れや孤児院への寄付にしてしまっているのだから、どれだけ無欲な人なんだろう。

 今月の薬代が渡せないことを気にんでしまう。

 それに、今後、セドリックが元の姿にもどれなかったらどうなってしまうのだろうか。いきなり往診に来なくなったら、子どもたちや黒猫先生はがっかりするのではないか。


(だが今は仕方ない。アンジェラの様子だけは見て帰るか……)


 こっそりシスターの後をつけてアンジェラの部屋に行く。

 真っ赤な顔をしてふうふうと息をあらげていた彼女に、シスターはさじを使って薬を飲ませていた。


「さあ、アンジェラ。口を開けて。黒猫先生のお薬よ」

「ん、んう……。にがーい……」

「だいじょうぶだよ、アンジェラおねえちゃん。黒猫先生のお薬はよく効くよ」

「うん」


 心配そうにう年少の子どもたちを安心させるようにアンジェラは微笑ほほえむ。


「すぐ下がるといいなあ……。リューク先生ともお喋りしたかった……」

「ふふ。アンジェラは本当にリューク先生が好きねえ」

「ロシェもリューク先生が好き〜。だってリューク先生は優しいもん」

「えーっ、そうかなぁ。リューク先生、いっつも『お前らは俺の実験台だ』って言うじゃん。『学会で発表するためのかせぎだ』って」


 男の子が口を尖らせるとアンジェラはしっしょうした。


「ジンはほんと馬鹿。そんなのかくしに決まってるでしょ。往診代ももらえないのにこんなところに来てくれるなんて、優しくなかったらできないよ」

「えーっ、そっかぁ……。そうだったのかぁ……」

「そうだよ! すっごく優しくて……かっこよくて……」

「あれ〜〜〜? アンジェラおねえちゃん、お顔が真っ赤〜〜〜」

「ね、熱があるからよっ!」


 シスターはにこにことそのやりとりを見守っている。

 知らぬところで少女のはつこい相手になってしまっていたらしい。いたたまれなくなったセドリックはこっそりその場からとうぼうした。


(一度関わった子たちを放っておけずにずるずると往診を続けてしまっていたが……、やはり今後も時間が許す限りは気にかけてやりたいな)


 王宮での仕事は、やはり『セスティナ公爵家のむす』という重圧もある。

 身分を隠しての子どもたちとの交流はセドリックにとっていこいの場でもあった。


(気にかけて……やりたいが……。そもそも俺は元の姿に戻れるのか)


 しょんぼりとしっを落としたセドリックは教会を出る。

 とぼとぼと歩き出すと背後から声を掛けられた。


「……セドリック様?」


 見知った声に飛び上がるほど驚いた。アメリアだった。


「アアア、アメリア!? なぜお前がここにっ!?」

「……? 何をそんなに慌てていらっしゃるのかわかりませんが、私は用事があって城下町の方にいたんです」


 そういえば所用があって出かけると言っていたなと思い出した。慌ててつくろう。


「そ、そうか。用があると言っていたもんな」

「セドリック様こそ、こんなところで何を?」

「んっ!? お、俺は……」


 教会にいる孤児たちの様子が心配で見に来たんだ。

 ──と、素直に言えばいいと頭ではわかっているのに、ごろ、こんなところで子どもたちと交流しているのだと知られるのはなんだか恥ずかしかった。特に、アメリアの前ではツンケンしていた身だ。


「べ、べつに、お前には関係ないだろう!?」

「あ、そうですか」


 会話しゅうりょう

 アメリアはセドリックの動向にはまったく興味なさそうに返事をした。

 ほっとしたような、残念なような複雑な気持ちのセドリックに「乗りますか?」ととうのバスケットを差し出される。ピクニックにでも行くようなバスケットにはすでに荷物が入っており、中身が丸見えにならないようにリネンのクロスがかけられていた。


「ああ、あ……ありがとう……」


 荷物がごつごつとしていて座りごこは悪いが、リスの足で帰るよりもずいぶん楽だ。アメリアは城下町で買い物でもしてきたのだろうか。


「パーシバル家に帰るところだったのか?」

「はい、そうです。あ……、ソレル」


 歩きながらもアメリアはかげに生えている草を引っこ抜いた。


「ソレル?」

しぼじるから湿しっやくが作れるんですよ」

「遠目からなのによくわかったな。あ、あれもそうじゃないか?」


 アメリアが持っている薬草にこれといった目立ったとくちょうはなく、いて言うなら小さな赤い花らしきものがすいじょうについている。

 セドリックが示したものにアメリアは首を振った。


「あれはだめです。質がよくありません」

「そ、そうか。……見ただけでわかるものなのか?」


 実が大きいとかくきが太いだとか、パッと見てわかるような特徴もないのにどうしてわかるのだろう。じゅんすいに疑問に思って聞くと、アメリアは口ごもった。


かん……、のようなものです」

「勘?」

「……えっと、わかるんです。なんとなく」

「そういうものなのか? ああ、でも、父もかんじゃしゅとしてうったえていないような隠れた病をくことはあるな。医者としての勘だと言っていたが、長年の経験というものなんだろうな」

「そ、そう、です。そんな感じです」


 なぜかアメリアは目を泳がせつつ、勢い込んで同意した。いつも冷静ちんちゃくなアメリアにしては珍しい反応だった。


(何をそんなに慌てているんだ? もしや、秘密にしておきたい『薬草見分けテクニック』でもあるのか? 俺は同業者じゃないから、教えられても活用する場はないんだが……)


 ともあれ、会話が続いたことをうれしく思った。得意分野のことになるとアメリアの口数も増えるようだ。

 その後も、見つけた薬草をむアメリアに付き合いつつ、二人は帰路についた。


「あ、そうだ。良かったらこれ、どうぞ」


 離れに入ると、思い出したかのようにぶくろを差し出された。


「これは?」

「さっき街で買ってきたんです。さすがにビスケットばかりじゃきますよね」


 ふくろの中にはクルミやアーモンドといったナッツ類がひとつかぶん入っている。

 わざわざセドリックのために買ってくれたらしい。

 以前なら「リス扱いするな!」と怒ったかもしれないが、アメリアの現状を知った今となってはもはやそんな文句など出てこなかった。


「すまない……。ありがとう……」

「セドリック様が大人しいと変な感じですね」


 しおらしい態度に苦笑したアメリアは夕食を食べに出て行った。またあの気づまりな食事の席に行かせてしまうと思うとびんで仕方がない。


「アメリア……」


 ゆかに下りたセドリックはうろうろと歩き回る。

 公爵家に帰るべきか、この家に残るべきか。

 ふと、ベッド下に視線を向けると、何かがくしゃくしゃになって押し込められていた。

 アメリアの質素な部屋に似つかわしくないうすももいろのレースのかたまりだ。苦労して引っ張り出すと、それはセドリックがアメリアにおくったドレスだった。


「人の贈り物をくしゃくしゃにしてベッド下に入れるとは……」


 怒りかけたが、布地をよく見るとあちこちにおかしなつくろあとがあった。ドレスは、ハサミか何かでびりびりに破かれていたのである。


「ひどいな」


 いっしょうけんめいな繕い痕は、何層もレースが重なったえ部分で断念されていた。おそらく妹弟かままははにやられ、直しようがないと判断してあきらめたのだろう。


(だから、夜会の時にこのドレスを着てこなかったのか)


 そんなアメリアに対してセドリックがしたことといえば、ドレスを着てこなかったことをなじり、みっともないから帰れと追い返し、アメリアの話を聞こうともしなかった……。


(俺は、本当にアメリアのことを何も見ていなかったんだな)


 こうかいと反省、そして──今からでもおそくはない。アメリアのためにできることがあるのならしてやりたいと思った。

 ここに残ろう。

 迷惑かもしれないが、アメリアの側で、彼女のことを少しでも知っていきたい。

 そして、元の姿に戻れたら……。


(一刻も早く、こんな家から出してやる!)


 それがセドリックがアメリアのためにできるつみほろぼしだ。決意を新たにしたセドリックは小さなこぶしにぎった。

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