間章 セドリック、アメリアの境遇を知る

間章①


 セドリックが十七歳の時に父が決めたこんやくしゃ──それがアメリアだった。

 パーシバルはくしゃくにはかくがいたらしい。せいで暮らしていたものの、母親がくなったために伯爵家に引き取られることになったそうだ。

 ままや養子の話はさしてめずらしい話ではない。特筆すべきはそのゆうしゅうさだった。

 アカデミーに入学した彼女はめきめきと頭角を現し、成績は常にトップ、革新的な論文を次々に発表し、セドリックの父の目に留まった。「ぜひ、お宅の優秀なおじょうさんをうちの息子セドリックよめに」とえんだんけたのだ。

 パーシバル家はふうの子であるリンジーをめとって欲しかったらしいが、父はアメリアがいいとゆずらなかった。リンジーの容姿は可愛かわいらしいが、アカデミーでの成績は下から数えた方が早かったのだ。

(優秀なアメリアを俺の嫁に。つまり、父上は俺に期待してくださっているということだ)

 ちょうどその時期、父は従兄いとこのフレディを仕事の助手に指名していた。

 親族や一部の貴族の間では「フレディを養子にするのでは?」などとうわさされ、まだ王宮医見習いとして働き出したばかりのセドリックは内心でじりじりとした気持ちをかかえていた。そんな中、父が直々に話を進めた縁談──きょぜつするわけがない。

 もとより、貴族として産まれたからには家のためにけっこんするのは半ば義務のようなものだ。どのような相手でもセドリックは役目として受け入れただろう。

 だが、両家の顔合わせの時のアメリアときたら……。


「直接言葉をわすのは初めてだな、よろしく。アメリア」

「……よろしくお願いします、セドリック様」


 三年前。友好的に差し出したセドリックの手をアメリアは取らなかった。

 宙ぶらりんになった手がずかしかった。

 パーシバル伯爵はあわてたようにむすめをたしなめ、セドリックと父に頭を下げた。


「も、申し訳ありません。アメリアは市井で暮らしていたせいで、れいがなっておらず……とんだご無礼を」

「いえ」


 この場でおこり出すほどセドリックのうつわは小さくない。

 父も同様の考えのようだった。


「私がごういんに進めてしまった縁談ですから、アメリアさんにはまだまどいが大きいのでしょう。それから、社交界の礼儀作法はわずらわしいかもしれませんが、貴女あなたの身を守るためにも覚えた方が便利です。私もずっと仕事にぼっとうしていたいのですが、あいにくそういう訳にもいきません。伯爵もそうではありませんか?」

「あ、ああ、そうですね。私もパーティーなどはいまだに苦手で……」

「でしょう? 我々オジサンでもこうなのですから、気負わずにいっしょがんりましょう」


 父の言葉にアメリアの表情はわずかにほっとしたように見えた。

 そう。礼儀作法など追々覚えていけば良い。

 ぼさぼさの頭はじょにきちんと整えさせればいいし、だんの服がったかろうと夜会や公務の時にちゃんとしていれば良いのだ。しょうがないのはまだ十四歳だから。ひとみは大きく、可愛らしい顔立ちをしているのだから、しっかりと化粧をしたらえるだろう。

 きちんと、ちゃんと、しっかりしたら……。

 婚約者との顔合わせの席でやる気のない格好をしているのはこうしゃく家をかろんじられているようでいささかムッとしたが、自分の方が年上なのだからかんようにならなくてはとがおを保つ。


「アメリア、良きパートナーになれるように共に努力していこう。その才で我がセスティナ公爵家を支えて欲しい」


 ここは「はい、セドリック様!」とはつらつと答える場面だろうに、アメリアははっきりと顔をくもらせた。


「……。どうぞ、よろしくお願いします」


 無表情にちょこんと頭を下げて、それだけ。


(それだけ!?)


 まるでいやいや婚約したとでも言わんばかりの態度だった。

 ……もっとも、アメリアの才能をめたつもりのセドリックの言葉が、彼女を傷つけていたなんて気付けなかった。この場に来る前のアメリアが、家族から「公爵家はアメリアの頭脳だけが欲しいのだろう」「そうじゃなければこんないんな子と結婚したいだなんて思うはずないわ!」「セドリック様がかわいそう」などとさんざんいやを言われていたなんて、いったいだれが想像できただろう。


 後日、とあるお茶会でリンジーと会った。

 アメリアは当然のように欠席だった。セドリックとは元々顔見知りだったリンジーは浮かない顔で話しかけてきた。


「セドリック様、お気を悪くしないで欲しいのですけど……。お姉さまはあまり結婚に乗り気ではないみたいなんです」


 アメリアが乗り気でないことは顔合わせの時から感じていたため、別段おどろくことはなかった。セドリックはしょうしつつもおうような態度で受け流す。


「アメリアにとっては戸惑うことも多いのだろう。いきなり婚約者だと言われて、すぐに受け入れられない気持ちもわかる。彼女の心を開けるように俺も努力していくつもりだ」

「セドリック様……」


 リンジーは感じ入ったように口元に手を当てる。かと思えば、その瞳におおつぶなみだが盛り上がった。


「なんておやさしいのでしょう……。うう、ぐすっ……」

「お、おい、どうしたんだリンジー!?」


 とつぜん泣き出したリンジーにセドリックは慌てた。

 何事かと周囲の視線が集まり、急いで彼女をその場から連れ出す。


「どうしたんだ。急に泣き出すなんて……」

「……すみません。実は昨日、お姉さまにセドリック様との仲をたずねたんです。そうしたら、『リンジーにセドリック様を譲ってあげたいわ』って。セドリック様がこんな風に思ってくださっていることも知らないで、お姉さまったらひどいですよね!」


 感情が高ぶって泣いてしまったらしい。

 しかし、アメリアはそこまで俺のことが気に入らなかったのか?

 妹に婚約者を譲ろうとするくらいに?

 セドリックの自尊心にヒビが入る。


「そればかりか、わたしたちとは口もきたがらないんです。頭がいいお姉さまはわたしやキースのことを見下しているの。裏庭のすみはなれを建てさせて引きこもっていて、今日のお茶会にだって行きたくないと言うし……、あ、す、すみません! わたしったら告げ口みたいなことをぺらぺらと……」

「……いや。確かに引きこもっているのは問題だな。セスティナ家にとついでくるとなれば社交はひっだし、会話は苦手だとしてもこういった会には出てもらわないといけない場面もでてくるだろう。俺の方からもそれとなくアメリアに伝えることにするよ」

「ええ……。あの、お姉さまのこと、きらいにならないでくださいますか? きっと、お話をするのが苦手なだけなんだと思うんです」


 涙をいたリンジーはけなに笑っていた。

 セドリックの目にはへんくつな姉との関係になやむ妹にしか見えなかった。


 セドリックは次に会った時にアメリアに注意した。「きみは俺のことが好きじゃないのかもしれないが、社交の場ではそれなりの態度でいて欲しい」と。


「それなりの態度、とは?」


 アメリアはちょっとだけ首をかたむけて尋ねてきた。

 相変わらず無表情でたんたんとしている。としごろの娘らしいあいきょう欠片かけらもない。


「まずは場に相応ふさわしい格好をしてくることだ。こんな地味な色のドレスではなく、もっと華やかな色のドレスを着て、あい良くにこにこしてみたらどうだ」


 口数の少ないアメリアは暗く見えがちだ。それだけで周囲にかべを作り、損をしている。

 貴族社会での処世術とでもいうべきセドリックのアドバイスに、アメリアはげんそうな顔をしてうなずいた。


「はあ、わかりました」

「……だから、その……、笑ってみろ」


 アメリアのみに合わせて、「ほら、笑顔の方が可愛い」と言うつもりだったセドリックだが……。


「……こう、ですか?」

 に"っ"こ"り"……。

 くちびるを持ち上げたアメリアの顔はれいしょうしている人そのものだった。


「いや……、そうじゃない……! なんだその顔は!」

「申し訳ありません」

「申し訳ないと思っていないだろう! と、とにかく、今度の茶会にはきちんと顔を出すように。あと、先週の夜会を欠席した件についてだが……」


 ──こうして口うるさい婚約者セドリックと、それをけむたがるアメリアという図式が出来上がった。

 アメリアは何度注意しても身なりを改めず、不愛想で、婚約者どうはんのイベント事も平気で欠席した。その度にリンジーやキースが謝り、アメリアからは心のこもっていない謝罪をかえされるばかりだったから──だから、つい、セドリックもきつく当たるようになってしまったのだ。

 今となっては本当に申し訳なく思っている。

 知らなかったのだ。アメリアがこんな目にっていただなんて……。



*****



 カチャ、カチャ、と皿とカトラリーがう音が静かにひびく。

 アメリアが夕食をとっている様子を、セドリックは彼女のひだりかたのあたりでじっとしながらうかがっていた。

 夕食に同行すると言ったセドリックを隠すため、アメリアはだんの上からショールをかたにかけている。白衣を着ていくと『仕事着で食事の席につくな』としかられるらしい。リスが隠れられそうなそうしょくの多い服をアメリアが所持していなかったため、苦肉の策だ。

 彼女の席はなぜか家族から離されている。

 長テーブルの上座にパーシバル伯爵が座り、夫人と妹弟は向かい合わせに。

 そこから二つも空席を作られた末席にアメリアはいた。なんというこつな差別だ。

(だが、一応ちゃんとした食事をあたえられているんだな。良かった)

 意地悪をされてまともな食事にありつけていないのではないかというねんもあったが、ショールのすきから肉や野菜などが見えたのでほっとする。


「ところで姉さん。どうして今日はショールなんか巻いているの? 珍しいね」


 キースの口調は姉をづかう弟そのものだ。

 何も知らなければ言葉通りに受け取っただろう。

 だがしかし、こいつはついさっき書庫でアメリアに暴力をるったのだ。


(よくも平然としていられるな!)


 はらわたえくり返りそうだ。


「少し、寒気がするの」


 アメリアはいつも通り、淡々としたこわで返している。


「ふーん。?」

「やだぁ、うつさないでくれる? 具合が悪いなら大人しく引きこもっていてよ」


 リンジーはしんらつな口ぶりだ。


(リンジーめ、なにが『お姉さまはわたしたちとは口も利きたがらなくって……』だ。こんな態度をとられたらしゃべりたくもなくなるだろうが!)


 そしてパーシバル夫人はアメリアの部屋に乗り込んできた時とはちがい、優しげな声を出して子どもたちに話しかけている。


「リンジー、キース。あなたたちのお部屋のカーテンを新調しようと思うのだけれど、何色がいいかしら?」

「僕はお父さまの部屋のものと同じがいいです。こんの地に、金のしゅうの……」

「あらまあ、キースったら。あれは特注品よ。あれは確か、わたくしが嫁いだ年に作ってもらった品でしたわよね。アナタ?」

「ああ」

「ふふっ、キースの部屋にはまだ大人っぽすぎるのではなくて?」

「そんなことないよ。リンジー姉さんはいつまでも僕をどもあつかいするんだから……」


 楽しげな家族の会話にアメリアだけが加えてもらえない。

 アメリアの表情は窺えないが、呼吸が乱れた様子も、身じろぐ様子もなかった。彼女がこのじょうきょうに慣れていることを察する。


(こいつら全員どうかしている!)


 いい年をした大人がそろいも揃って恥ずかしくないのか。

 特に伯爵! お前にとっては血を分けた娘だろう!

 セドリックは自分がじゃけんにされているわけでもないのにごこが悪かった。


(アメリアはいつもこんな扱いを受けていたんだな……)


 キースやリンジーはアメリアが家族からきょを置いているようなことを言っていたが、まるで正反対の暮らしだ。じんな扱い、暴力、……アメリアがいつも暗い表情で言葉少なだったのもなっとくした。

 なぜ俺に相談しなかったのかと思ったが、言えるはずもない。

 がみがみと口うるさい婚約者に相談する気にはなれなかっただろうし、リンジーやキースからアメリアの悪い話ばかり聞いていたセドリックは明らかに冷たい態度をとっていた。もっと彼女のことを知ろうと努力していればと思うとない。

 食事を終えたアメリアは手を付けずにいたパンをナフキンで包みだした。デザートに出されていた皮付きのブドウの皿も手に取る。

「すみません、こちら、夜食用にいただいていきますね」

 家族からの返事はない。

 無視され慣れているらしいアメリアはそのまま立ち上がった。


(ようやく帰れる)


 最初にアメリアの離れを見た時は「こんなまつな小屋に住むなんて……」と思ったものだが、今では安住の地のように思えてきていた。さっさとこの気づまりな部屋から出たい。

 しかし、退席しようとしたところをパーシバル夫人に呼び止められた。


「待ちなさい。あなた、まさかペットにえさやりをしているんじゃないでしょうね?」

「!」


 セドリックはぎくりとした。ちがいなくリスである自分のことだ。

 ペット? とリンジーとキースがきょうしんしんな声を上げる。


「お母さま、ペットって何のことですの?」

「アメリアはきたならしいリスを拾って飼っているのよ。薬品に毛でも落ちたらどうする気なのかしら」

「あはっ、友達がいないから動物を飼い始めたの? みじめねぇ」

「ああ、そういうことですか。書庫で会った時にぶつくさ喋っていると思ったら、もしかしてポケットにでも入れて連れ回していたんですか?」


 まずい。

 セドリックは身を固くした。

 アメリアにひどい仕打ちをするようなやつらだ。彼女を傷つけるためにペットのリスを利用してやろうと考えているのかもしれない。ここで見つかったら何をされるかわかったものではなかった。


「申し訳ありません。すぐに捨ててまいります」


 やはりアメリアは冷静だった。感情を殺したような声で話す。

 波風を立てないようにするのは心得ているかのようだった。だが……。


「あら! 捨てろと言ったのにまだ飼っていたの!?」

「あ……。申し訳ありません」


 珍しく失言したアメリアにキースが優しく声を掛ける。


「やだなあ、母さま。姉さんのお友達なんですから、すぐに追い出してはかわいそうですよ」

「わたしもリスちゃんが見たいわ。お姉さま、ここに連れていらしてよ」

「……すぐに追い出します」


 失礼します、と頭を下げたアメリアが足早に退席しようとすると、ひかえていたメイドにはばまれるようにうでつかまれた。あごをしゃくったキースの指示だった。

 セドリックはとっにしがみついて落下はまぬがれたが、はずみでアメリアの手にしていた皿からはブドウが落ちた。ふさから外れて散らばったブドウの実は転がり、その実の一つはリンジーの足元に止まる。


「そのリスちゃん、追い出すのなら餌を持っていく必要はないんじゃなーい?」


 ぐちゃっ。

 ブドウの実がリンジーのヒールにみつぶされる。まるでセドリック自身が踏みつぶされたかのような気持ちになった。


「……これはリスの餌ではなく、私の夜食です」

「あら、そうだったっけ? あははっ、ごめんなさーい」


 ヒールをいだリンジーはアメリアの方へと足でとばした。


「お姉さまの餌を踏んだせいでくつよごれちゃった。責任を持って洗っておいてくれる?」

(このしょうわるおんな!)


 セドリックは激高したが、アメリアは放り出された靴をなおに拾った。


「……わかりました。洗ってかわかしておきます」

(なぜ引き受けてしまうんだ! 断れ!)


 セドリックの心の声がアメリアに聞こえるはずもなく、一人と一匹はダイニングルームを出る。セドリックのいらちを察したアメリアは静かに話しかけてきた。


「あのー、やはり我が家から出て行かれた方がよろしいかと思うのですが」

「…………」

「ここにいてもろくな目に遭いませんよ。家族に見つかったら何をされるかわかったものではありません」


 アメリアの言葉をセドリックはショールの中でじっと聞いていた。


「セスティナ公爵には私から事情を説明しましょう。どくざいが完成したら持っていきますので、こうしゃくていで待たれた方がいいですよ」


 セドリックはすぐに返事ができなかった。

 こんな状況で暮らしているアメリアのことを知ってしまった以上、自分だけ安全な場所に帰ってぬくぬくと暮らすのもどうかと思う。

 彼女を家族の危害から守ってやりたい。

 しかし、今のセドリックは小さなリスなのだ。キースたちがペットのリスにひどいことをしてアメリアの心を傷つけてやろうと考えていてもおかしくはない。

 このまま居ついてアメリアの手をわずらわせるよりも、屋敷で大人しく待っていた方がめいわくにならないのでは……。


「……考えさせてくれ」

「ええ、そうしてください」

 

 ほっとしたようなアメリアの声。やはり、ここにいるのは迷惑なのだろうか?

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