一章③


 翌朝――


「アメリアッ! いつまで眠っているの、このグズッ!」

 バン! とけたたましく開いたドアに、タオルを敷いたカゴの中からは「ピュッ!?」とかんだかい悲鳴が上がった。

 アメリアの方は動じずに身を起こす。

 窓の外を見るとまだ日がのぼって間もない。いつもよりも早いしゅうらいだった。


「おはようございます、お義母かあさま」

「いい身分ね、アメリア。リンジーとキースに聞いたわよ? あなた、夜会が始まって早々にセドリック様から帰れと追い返されたんですってね。社交もろくにできないくせに、だらだらとかししているなんて信じられないわ」


 どうやら、昨日の夜会のことはしっかり継母の耳にも入っていると思われる。

 暗い部屋でふさんでいるのならいい気味だろうが、夜中まで明かりをつけて元気に過ごしていたらしいのが継母の気にさわったようだ。


「まさか、さっさと帰りたいがためにわざとセドリック様をおこらせたんじゃないでしょうね!?」

「そんなことしません」

「どうだか。社交もろくにできないのならさっさと起きて働きなさい。このリストにある薬を昼までに作ってお父さまの部屋に持って行くように! それと……、キャアッ!」


 机にメモを叩きつけた継母だが――そこに置かれたカゴの中、ハンカチのすきからつぶらな瞳がおびえたように見上げていることに気付くと悲鳴を上げた。


「ネズミッ!」

「リスです」


 カゴごと叩き落とされかねないと思ったアメリアは、すばやく反論しておいた。


「ゆうべまよんできたので保護しました」


 リスも自分が無害であることをアピールするかのようにハンカチから身を出した。

 ぷるぷるふるえながら継母を見上げるも、残念ながら彼女のきんせんにはれなかったらしい。

 きたならしいものでも見るようにけいべつした視線を向けられていた。


「リスなんか拾って……。薬品に毛でも落ちたらどうするつもりなの!」

「すみません。すぐに追い出しますから」

「そうしなさい! ああ、嫌だわ。こんな物置部屋に長居したらノミや毛が付きそう!」


 継母はわざとらしくドレスのすそをはらって出て行った。サンザシの薬を舐めたセドリックは信じられないものを見たとでも言いたげな表情をしている。


「伯爵じんげんが悪いのか? 俺と話す時はもっと上品で落ち着いた方なのに……。それに、怒られるほど遅い時刻ではないだろう。まだ朝の七時前じゃないか」

「……。義母ははを怒らせたくないので、見つからないようにしてくださいね」


 つまみ出されるようなことになってもアメリアは責任を負えない。

 つかれがとれていないらしいセドリックは眠そうに身体からだを動かし、いまけもの姿のままの自分の手足にがっくりきていた。時間経過で戻るほど甘くはないらしい。


「戻っていない……」

「戻っていませんね。残念です」


 こんなすごい毒薬の調合法が発表されたらおおさわぎだろう。


(毒薬かどうかもわからないけど。てんばつ? のろい? それとも黒魔術?)

 なんにせよ、相当セドリックにうらみを持つ者の犯行にちがいない。


「セドリック様。朝食なんですが……」

「ああ。俺に構わず食べに行け。ついでに俺用に何か食べるものを用意してきて欲しい」

「……すみません、ビスケットと水で構いませんか?」

「この俺にビスケットと水だと?」


 むっとした様子のセドリックに構わず、アメリアは保存用のブリキかんを開けた。

 小麦粉を練って焼いただけのビスケットを数枚皿に出す。セドリック用には小さくくだき、水は……とりあえず、サンザシの薬と同じように匙に掬って置いてやった。

 リスにハーブティーや紅茶を飲ませていいものかわからないし、自分一人だけお茶を飲むのも、と思ったアメリアは自分の分の水もティーカップに注ぐ。


 セドリックは意味がわからないという顔をしていた。


「なんだこれは。お前、こんなまつなものを食べているのか?」

「はい」

「ハッ! 食事をおろそかにしてまでこの建物に引きこもっていたいのか? どこまで陰気な奴なんだ」

「いえ。私は夕食の時間しか本邸に入ることを許されていませんので」

「はあ? 本邸に入ることを許されていない……?」


 セドリックはおどろいたように目を見開いた。

「な、なんだそれは! お前は……確か、本邸では研究がしづらいとワガママを言ってこの離れを建てさせたんだろう!?」

「そうなんですか?」

「そうなんですかってなんだ! 家族とろくに顔を合わせたがらず、部屋に引きこもってばかりで困っていると、リンジーとキースが言っていたんだ! そう、リンジーと、キースが……」


 急にトーンダウンしたセドリックは、改めてアメリアの部屋を見ていた。

 どうせ、質素な部屋だとでも思っているのだろう。令嬢らしい調度品の類はいっさい見当たらず、隙間風のひどい北側のかべは厚紙とテープで目張りしてある。

 手にしたビスケットまで、まじまじと見ていた。


「この、ビスケット……」

「毒は入っていませんよ」

「そんなことは疑っていない! 誰が作ったものなんだ!」

「私ですが」

「か、作りがしゅなのか?」

「いえ。夕食だけだとお腹がすくので、時間がある時にこっそりちゅうぼうを借りて作りめておくんです」


 アメリアは少食だし、洗い物もほとんどしなくていいので効率的でもあった。


「いつからこんな暮らしをしている?」

「もう五年ほどになりますね」

「五年!? なぜ俺に言わなかった!」

「特に聞かれませんでしたので」


 時間がもったいないアメリアはてきぱきとビスケットを食べてしまう。

 セドリックは頭を抱え出した。


「信じられない……こんな、こんな、粗末な……」

(粗末な食事、ってこと?)


 公爵家では朝からさぞかしごうな食事をとっていたのだろう、とアメリアはかいしゃくする。


 ビスケットと水の食事など、公爵家では使用人以下かもしれない。


「粗末な食事ですみません。ご不満でしたら出て行っていただいて構いませんよ」

「違う! 俺が不満なのは食事内容ではなく、お前のきょうぐうだ! おかしいだろう、夕食以外に食事ももらえないなんて……」


 セドリックは勢いよく顔を上げた。


「っ、婚約者がこのような扱いを受けているなど許容できない。今すぐパーシバル伯爵に掛け合ってこうしょうする」

「はあ」

「なんだその気のけた返事は! 俺が直接バシッと言ってやるから、お前は大人しく―― ……」


 勢い込んだセドリックのしずんでいく。

 彼は今、リスの姿なのだ。正体を信じてもらえるかわからないし、元の姿に戻れるかもわからないという意味不明の状態で、どれだけの発言力があるだろう。

 アメリアは軽くかたすくめた。


づかっていただきありがとうございます。ですが、私は今の生活で不便はありませんのでだいじょうです」

「大丈夫なわけがあるか!」

「本邸がわずらわしいというのは事実ですし、放っておかれた方が私も気楽ですのでお気遣いなく」


 離れに追いやられる前は、押し付けられる雑用や嫌がらせは今よりもずっと多かった。

 気づまりなふんの中で食事をとるよりも、本を片手にビスケットをかじる方が性に合っているのだ。


「セドリック様、とりあえず私は義母が持ってきた仕事を片付けますのでお好きに過ごしていてください。それが終わったら、じゅじゅつや毒物の本にセドリック様のしょうじょうに似た事例がないか調べてみましょう」

「…………わかった」


 すっかり意気消沈したらしいセドリックは、「俺を優先しろ!」と怒り出すこともなくビスケットの欠片かけらを口にする。それを横目に、アメリアは仕事を開始した。



*****



「こっちが痛み止めで、こっちがり薬……っと」


 作った薬をリストと照らし合わせ、アメリアは「ふう」と息をついて顔を上げた。

 大きくび。さて、お茶でも淹れようかと身体をひねると、薬品棚にリスがちょこんと座っていたのでびっくりした。


「わっ、セドリック様!」

「終わったのか?」

「え、ええ。終わりました」


 口にしてからハッとする。今、何時!? 時計の針は午後一時を差していた。


「申し訳ありません。昼食のことをすっかり忘れておりました」


 朝食の後、セドリックは周囲をかくにんしてくると言って出て行った。

 出入りができるように窓を少し開けておき、水とサンザシの薬はいつでも飲めるように匙に掬って置いてある。その後、アメリアは作業に集中していたため、昼食はおろか、セドリックの存在自体を忘れてしまっていたのだ。


「……気にしなくていい。集中していたようだったから、声を掛けなかったんだ」

「そうでしたか。すみませんでした」


 慌ててビスケットを出す。

 ひとかけらを口にしたセドリックに、「この後の予定は?」と尋ねられた。


「父の部屋に薬を届けに行きます。その帰りに書庫に寄るつもりです」

「本邸には夕食時以外は立ち入り禁止なんじゃなかったのか?」

「立ち入り禁止ですが、怪しげな呪術関連の本は書庫にしかないので仕方ありません。見つからないようにこっそり入れば大丈夫でしょう。この時間なら、リンジーもキースもまだアカデミーから帰ってきていませんし」


 おじょうさま育ちで薬学に興味のない継母が書庫に来ることはめっにないし、父も父でアメリアをとがめることはしないのでおそらく大丈夫だろう。


「そうか。それなら俺も行く」

「え」

「ついていってはいけないのか?」


 行く気満々らしいセドリックにアメリアは肩を竦めた。


「構いませんが……、見つからないようにしてくださいね」

「もちろんだ。お前のポケットに俺を入れてくれ」

「……わかりました」


 やわらかい身体をつかみ、白衣のポケットに入れてやる。

 片側だけが不格好に重くなったので、反対のポケットにも適当に物を突っ込んでバラン

スをとった。特に使う予定のないピンクソルトの入ったびんは重さ的にもちょうど良い。

 離れを出て、父のしょさいに向かいながら思う。


(セドリック様、この家にすわるつもりかしら。出て行ってくれても良かったんだけどな……)


 正直言って、アメリアにとってセドリックはどうしても救いたい相手というわけではないため、彼に関することは日々の雑務の後回しになってしまう。公爵家のやセドリック自身の友人をたよった方が早く問題は解決しそうなのに、どうも彼はアメリアの元に留まるつもりらしかった。


(毒を盛られたと騒いでいたし、周囲の人のことを疑っているのかしら……)


 ポケットの中で大人しくしているセドリックとは会話をわさないまま父の部屋に着いた。ノックをするが返事はない。留守のようだった。


「伯爵は不在か」

「ええ。そのようです」


 アメリアはとびらを開けてすぐのところに置いてある空箱に薬を入れた。

 ふたを閉めてじょうまえをかける。鍵は父が持っているため、一度蓋をしたら父しか取り出せないようになっているのだ。一方通行のポストのようなものである。

 そして一方通行のポストはもう一つある。

 こちらはアメリアが鍵を持っている。中に入っているふうとうを取り出したアメリアは、箱の中身を取り出したことがわかるように蓋を開けたままにしておいた。


「それは?」

ほうしゅうです。納品とえに貰っていきます」

「……? パーシバル伯爵からお前への賃金ということか?」

「そういうことです」


 部屋を出ると、ちょうど父が戻ってきた。


「あ、お父さま。頼まれていた薬を届けに来たところです」

「…………」


 父はアメリアをいちべつするとだまって扉の向こうに消えた。

 返事がないのはいつものことだ。アメリアはその場を離れ、書庫に向かう。

 父がいなくなるとリスは再びポケットから顔を出した。


「お前、伯爵と喧嘩しているのか?」

「いいえ? お父さまはいつもあんな感じですよ」

「なぜ無視をされたんだ」

「一応私の方は見ましたので、無視はしていないかと思うのですが」

「……意味がわからん」


 セドリックはうめくように言った。


「なぜ伯爵はこんなに回りくどいことをする? お前を本邸に住まわせ、妹弟と同じように食事やづかいをあたえてやればいいだけの話じゃないか」

「……これは私の勝手なおくそくですが」


 アメリアは階段を下りながら推論を語った。


「父は継母がこわいんじゃないでしょうか? 私の能力を認めてくれてはいるものの、娘として扱うと継母の機嫌が悪くなるので……、働かせた報酬という形でこっそりお金をくれるんだと思っています」

「夫人の顔色もうかがいたい、でもお前に対しての情も一応はあるとでも言いたいのか? 失礼を承知で言うがどっちつかずな奴だな。家長としてのげんが感じられん」

「……まあ、アカデミーには通わせてくれましたし、根は悪い人ではないんじゃないですか?」


 適当な返事をしながら書庫の扉を開ける。

 パーシバル家所有の書庫はかなり広く、整然と並べられたほんだなでワンフロア丸々めつくされている。部屋の下半分を地面に埋める形で作られており、上部にある窓からは外からの明かりが入るようになっていた。

 セドリックもその蔵書量の多さに驚いたようだ。


「これはすごいな。公爵家以上だ」

「古いぶんけんや研究記録も多いので、数代前の当主がこの半地下書庫付きの屋敷を建てさせたんだそうですよ」


 ただ、なんでもかんでも門外不出にしたがり、しんぴょうせいに欠けるものも多いのが難点だ。

 アメリアは禁書の棚に近寄った。


「このあたりに『魔女のレシピ』があるはずです」

「魔女のレシピ?」

「ええ。飲んだらヒキガエルになってしまう薬とか、背中からにじいろの羽根が生えてくる薬の覚え書きです」

「『飲んだらヒキガエルになる薬』! ほら見ろ、やはり存在するんじゃないか!」


 セドリックはとしてアメリアを指差す。お前が犯人だと言わんばかりだ。まあ、気持ちはわかるが。


まゆつばものですよ。材料が『一口齧った後で三か月熟成させたアダムのリンゴ』だとか、『こいびとたちがキスをしたヤドリギの葉』だとか。あとは動物の血だの臓物だの……」


 医者の家系であるセドリックからしたらこんきょのないものばかりだろう。

 案の定、彼はしっしょうした。


「いかにも魔女っぽいな」

「そういうおかしな薬を作ろうとしたご先祖さまがいたせいで、きっとパーシバル家は魔女の家だと渾名されるようになったんでしょうね」


 こんなものを作っていたら不気味きわまりない。『やーい、お前の母ちゃん魔~女!』とか言われるわけだ。いや、貴族社会なので『おほほほほ、パーシバル家がまた変な薬を作っておりますわよ』とかだろうか。現在は薬師の家系として実績を積み重ねているため、かげぐちを聞いたことはないが――なんとも不名誉な渾名だけ残されてしまったものである。


うそか本当かは怪しいですが、現にセドリック様は動物化しているわけですし……。こういった古代魔法的な、呪術的な手法に何かヒントがあるかもしれません。一応、調べてみましょう。私も、この手の薬にはくわしくありませんし……」


 くろかわの表紙の本をめくる。

 年代物らしくようがごわごわとしており、手書きで前文が書かれていた。


【この本を開きしもの、おのれの欲にまれぬように注意されたし。

 全てはなんじの手の中に。


E・F・P】



 ちらりと中を見たセドリックは顔をしかめている。


「なんだ、このしんな前書きは」

「さあ……。薬は用量を間違えれば毒にもなるぞ、というご先祖さまのくんかいでは?」


 PはパーシバルのPだろう。

 中は薬草の図録のようだった。

 かなり詳しく、アメリアが聞いたことのない薬草の名前もかなりある。めくっていくと、『解毒薬』の分類に行き着いた。「うっ」と呻き声を上げたアメリアに、セドリックも本をのぞきたがる。


「どうした?」

「いえ……。セドリック様を戻すのに使えそうな薬草をさっそく発見したんですが」

「本当か! どれだ!?」

「これです。この人魚草という薬草。強い毒消し効果がある薬草で、体内に入ってしまった毒素のじょうが可能。古来、水のりょくを帯びているという伝承がありうんぬんとあります。……が」

「が?」

「これを手に入れるのはほぼ不可能に近そうですね。西方の島国、しかも水の綺麗な場所にしか生えず、さらに乾燥すると効能がうすまる植物らしいので、確実に手に入れようと思ったら現地に向かうしかないのでは……」

「…………」


 船、旅費、時間……。セドリックもアメリア同様に「うっ」と呻いた。


「し、しかし、どうしてもそれしか方法がないということになれば……」

「そうですね、その際は採取に行きましょう。費用は公爵家持ちでお願いします。ひとまず、他に代用できるものがないか調べますね」

「頼む……」


 セドリックはしょんぼりと背中を丸めて落ち込んだ。


「ちなみに、毒を盛られたと思わしきワインから妙な味がしたとおっしゃっていましたが、具体的にはどんな感じだったんです?」


 セドリックはおくるようにあごに手を当てた。


「……甘かった。そう……、酸味がとくちょうであるはずの赤ワインなのに、みつのような甘さを感じたんだ」

あまですか。甘味のある材料を使った毒……。臓物系じゃなさそうですね」

「ぞ、臓物?」

「ええ。臓物系なら乾燥させても苦味やなまぐささを感じそうですし。果実を材料にしたのかしら。くさらせて甘くしたものとか?」

「腐った果物? お、俺はいったい、何を口にしたんだ?」


 想像したらしいセドリックが「おえっ」とえずく。

 かと思えば、いかりに燃えた目でじたばた暴れ出した。


「くそっ、俺をこんな目にわせるなんて……。お前じゃないとしたら、まさかあいつか……?」

「あいつ?」


 犯人に心当たりのあるらしいセドリックはもったいぶった言い方をした。


「ああ。フレディだ。フレディ・コストナー」

「どちらさまで?」

「なぜ覚えていないんだ! 婚約してすぐにうちで開いたパーティーでしょうかいしただろう! 俺の従兄だ!」


 一度紹介されたことがあるらしいが、アメリアの記憶はあいまいだ。


「そのフレディさんから恨みでも買っているのですか?」

ちゃくなんである俺がいなくなって最も得をするのは奴だ。前々からセスティナ家のとくねらっているに違いないと思っていた。……そう、リスになった俺を屋敷からつまみ出したのもフレディだ! フレディが犯人で間違いない!」

「……しょうもないのに決めつけてしまうのは早計では?」


 ぱらぱらと古い本をめくっていく。アメリアの興味なさげな態度にセドリックは怒った。


「お前……、本当に冷たい女だな! 俺がこのまま元に戻らず、家督をフレディにうばわれてしまったらお前だって困るだろう」

「別に困りません」

「困らないわけがないだろう! 結婚する相手がいなくなるんだぞ!?」


 てきれいの令嬢にとって、とつさきを見つけるのは今後の人生を左右する重大なイベントだと言っていい。ただし、それは、ごくつうの貴族家庭に生まれた令嬢の話だ。

 アメリアは書物のページを目で追いながら答えた。


「私は元々しょうがい独身で構わないと思っていました。もしもセドリック様が婚約破棄したいとのことでしたら応じるつもりでいましたし、仮にパーシバル家を追い出されるようなことがあったら修道院にでも身を寄せます。ですので、ご心配にはおよびませんよ」

「こ、婚約破棄? 修道院?」


 セドリックはなぜか落ち着かない様子で右往左往している。


「……っ、キースたちの話は噓ばっかりではないのか? 『お前が結婚に乗り気ではない』と俺にふいちょうしていたのは噓では……」

「ああ、それは噓じゃありませんよ。『私ではセドリック様のお相手は務まりません』と、

婚約を辞退したいむねは公爵に申し上げてきましたから。残念ながら聞き入れていただけませんでしたが」

「な、な、な」


 セドリック側から断るならともかく、アメリア側が辞退まで申し出ていたと初めて知ったらしい。さすがにプライドが傷ついたのか、怒りでぷるぷると震え出した。


「ふざけるなよ……! 俺だってお前のような女など、願い下げで……」

「――静かに!」


 アメリアはばやくセドリックを捕まえると白衣のポケットの中に押し込んだ。

 ギィッと扉が開く音が聞こえたような気がしたのだ。


(お父さまかしら。だったら無視されるだけで済むけど、お義母かあさまだったらやっかいだわ)

 棚と棚の間を見回るようにして近づいてくる足音……。

 顔を出したのはキースだった。


「あれ? ぼそぼそ喋り声が聞こえると思ったら姉さんじゃないか」


 きょろきょろと周囲をわたされる。


「誰と喋っていたの? 誰かいたよね?」


 ポケットの中ではセドリックが身を固くしていた。


「誰もいないわ。私一人よ」

「あははっ、じゃあひとりごと? どくは人をませるんだねぇ」

「…………。キース、あなた、アカデミーは?」


 いやには取り合わずにアメリアは話題を変えた。弟は制服姿だが本来ならまだ授業中のはずだ。


「今日は学術発表会だよ。僕の出番は午前中で終わったから早く帰ってこられたんだ。それより……」


 キースは目ざとくアメリアの手元を見た。


「禁書は、本邸から持ち出し禁止だから」

「…………」

「わかってる? 自分がいやしい女の子どもだってこと。本来なら姉さんはパーシバル家の蔵書を手に取ることだって許されないんだよ?」


 返して? と手を出すキースに、アメリアは大人しく本をわたした。

 取り上げるように奪い取ったキースは、そのままアメリアの頭に本を振り下ろす。角がガツンと思い切り当たり、アメリアのまぶたの裏に火花が散った。


「っ!」

「ねえ、姉さん。ももいろすいれんの球根を乾燥させるのに必要な期間はどうして三日なの? 四日じゃダメなの?」

「は……?」

「今日の学術発表会で質問されちゃった。姉さんのメモだと三日目が一番いいって書いて

あったけど、もうちょっと詳しく書き込んでおいてもらえないと困るなあ」

「!」


 アメリアはハッとした。

 作っているちゅうの新薬についてのレポートだ。


「キース、あなた、また私のレポートをぬすんだの?」

「盗む? この家の物はすべて僕のものだよ? 庭においてもらっている分際で生意気な態度をとるのはやめた方がいい」

「きゃっ!」


 突き飛ばされたアメリアは転んだ。

 ポケットに入っているセドリックをつぶさないように身体をじったせいでこしをぶつけてしまう。無様に転んだアメリアをキースが見下ろした。


「ああ、やだやだ。ほどらずな人間って。姉さんなんか公爵家に嫁いだところで早々にえんされるに決まっているんだから、せいぜいその時に備えて僕のために働きなよ」

「っ……」

「ちゃーんといい子にしていたら、もどった時のためにあの小屋はこわさないでいてあげるからさ。ほら、わかったらさっさと犬小屋に帰れよっ」


 アメリアは追い立てられるように書庫からされた。



*****



「なんっっっだ、あいつは―――――ッ!!」


 アメリアの部屋に戻るなり、セドリックは机の上でだんを踏みまくっていた。

 ふかふかの毛は逆立ち、愛らしく丸まっていたしっぽは猫のようにぴんと直立している。


「リスって、怒るとそんなふうになるんですね」

「どうでもいいことに感心している場合か!?」


 セドリックは怒り心頭といった様子で歩き回っている。


「キースめ……、あんな嫌な奴だとは知らなかった!」


 れい正しい一面しか知らなかったセドリックは「だまされた」と思っているのだろう。

 セドリックはアメリアを指差してなじった。


「お前もお前だ。弟にやられっぱなしでいるなど情けない! お前が文句を言わないから、キースを図に乗らせているのではないのか!?」

「仕方ありません。弟はまだ十三歳ですから、物事がうまくいかないとかんしゃくを起こすのでしょう」


 キースはパーシバル家ゆいいつの男子だ。

 幼い頃から成績優秀でなんでもそつなくこなす弟が、決して天才ではないことをアメリアは知っている。周囲の期待に応えなくてはならないというプレッシャーもあるだろうし、当たり散らしやすいアメリアにほこさきが向くのだろう。

 そんなことより、とアメリアはペンをとる。


「本はキースにぼっしゅうされてしまいましたので、早くメモしないと」


 お喋りなんて後回しだ。

 効果がありそうだと思った材料を書き出しておかないと忘れてしまう。


「ええと、はっ水にけ込んだシナモン、月光に三日さらしたサンザシ、乾燥させたたんとシャクヤクの花弁は赤色が望ましく……他の色ではダメなのでしょうかね? えーっと、それから……」

「おいっ! まだ俺の話は終わっていないぞ!」

「釜に入れる順番は……。ああ、そうだ。後でサンザシの薬も濃度を上げてみなくちゃ……」

「こんなのおかしい。おかしいぞ。なぜお前は平然としていられるんだ……!」


 無心で手を動かすアメリアを見ながら、セドリックはぶつぶつと文句を言い続けていた。


(おかしいと言われても)


 これがアメリアの五年も続く日常なのだ。


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