一章②


 なにやら必死の形相で窓を開けて欲しいとうったえている。その様子がかわいそうで、アメリアは思わず窓を開けてしまった。


「どうしたの、リスさん。犬や猫にでも追われていたの?」


 野生のリスなんて珍しい。

 飛び込んできたリスはキューキューとアメリアに向かって鳴いた。しきりに手を動かし、何かしらのジェスチャーをしている。


「ずいぶんと人に慣れているのね? だれかに飼われていたのかしら」


 芸でも仕込まれていたのかと思うほどに表情豊かなリスだ。


「キューッ!」

「ええと……。それ、なんのポーズかしら……。おなかがすいているの? 確かどこかにヒマワリの種があったような気が……」

「キューッ!」

「違う? お水? あ、どこを探していたの?」

「キューッ! キューッ!」


 違う、違う! と言いたげにリスは首をっている。何か訴えたいことがあるらしいが、残念ながらさっぱりわからない。

 リスはれたようにアメリアの机に飛び乗ると、並べてあった本の背表紙を指差し始めた。

 小さな手でCの文字をばしばしとたたく。

「C、E、D? R、I、C……、セドリック?」


 そして、M、Eを差した後に自分を指差す。まるで自分がセドリックだと言わんばかりのりだ。


「セドリック様? えっ、セドリック様なんですか?」


 キューキューと鳴いたリスは何度もうなずいた。そんな馬鹿な。

 にわかには信じがたいが……、ためしてみたいことがあったアメリアは薬品棚から試薬を取った。はちみつのようにとろりとしたはく色の液体を小皿にいってきだけ垂らす。


「これは古代じゅつを参考に、サンザシの実と葉、げっけいじゅの葉、りゅうこつそうの粉末を混ぜたものです。医学的効能はほぼないのですが、古代ではどく作用があるといわれていたみたいで、試しに作ってみたんですよね。もしも本当にあなたがセドリック様だというのなら、なんらかの効果があるかも……」


 アメリアがしゃべっている最中だというのにリスはためらいもなく薬をめた。

 そして、もだもだと転がりだす。


「ああっ、リスさん! 勝手に飲んではダメですよ、動物にはしゃくしないと……」

「げほっ、げほっ! こんなおかしな薬を研究しているとは、信じられない女だなまったく……はっ! こ、声が出せる!」


 なんと、リスはセドリックの声で喋り出したのだった。



*****



 つぶらなひとみにもふもふのしっ

 こげ茶の毛におおわれたかしこそうなリスを前に、アメリアは恐る恐るたずねた。


「あのう……。本当にセドリック様ですか? いったい、どうしてこんな……」


 お可愛らしい姿に?

 セドリックだと名乗るリスはった。


「知らん! お前が帰った後、俺も具合が悪くなって帰ったんだ。今思えば、あの時飲んだワインの味は少しみょうだった。……毒だ、毒が盛られていたに違いない! そして家に帰ってねむって起きたらこんな姿になっているじゃないか!」


 パニックになったセドリックは、たまたま部屋を訪ねてきた従兄いとこに訴えたらしいが――


『リス? いったいどこから入ってきたんだ?』

『キュッ! キューッ!』

『はっはっは。そのあわてぶりから察するに、しんにゅうしてきたはいいが出口がわからなくて困っていたんだな。ようし、つかまえた!』

『キュ、……ッ!? ……!!』


 ていこうむなしくとっ捕まり、


『ほら、おげ。……それにしてもセドリックのやつ、部屋でているって聞いたがどこに行ったんだ~?』

『キューッ! キューッ! キュウウウウ!!』


 ―― 説明の余地もなく、窓の鍵をガチャンと閉められ、追い出されてしまったらしい。


「それで……、行く当てもなく私のところにいらっしゃったと? というか、私がこの小屋に住んでいるってご存じだったんですね」

「リンジーとキースから聞いたことがあったからな」


 フンとセドリックがそっぽを向く。

 喋れるようになったリスの声も口調もセドリックそのものだ。えらそうにうでを組み、仕方なく来てやったと言わんばかりの態度をとる。


「お前は薬学の専門家だろう。もしも俺に毒が盛られていた場合、お前なら解毒できるかと思って―― いや、待てよ? お前か? お前が俺に毒を盛ったんだろう!」

「まさか!」


 いきなり悪者あつかいされたアメリアはぎょっとした。


「私は帰れと言われてすぐに帰ったんですよ。セドリック様に毒を盛ることなんてできません」

「ではなぜ見計らったかのようにさっきの薬を出したのだ。事前に用意していたんじゃないのか! 俺を……こんな姿にして、ふくしゅうのつもりなんだろう!」

「……復讐?」

「お前につらく当たってきたことをびさせたかったのか? そんなことくらいでいいならいくらでも詫びてやる。だから早く元にもどせっ」


 そんなことを言われても困る。


「……残念ですが、私は何も知りません」

「ふざけるな、なんとかしろ! 『じょの家系』だろう!?」


 パーシバル家は魔女の家系。

 社交界ではそうあだされているが……。


「そんなの、ただのめいしんですよ。まさか、本当に我が家が『人をヒキガエルにする薬』とか『不老不死の薬』とか、おとぎ話みたいな薬を作って売っているだなんて信じているわけではないでしょう?」


 ご先祖さまたちは研究熱心で、あやしげな薬もこれまでに色々と作ってきたようだ。

 暗い部屋でいんに釜をかき混ぜる様子から「まるで魔女みたい」と皮肉られ、社交界で渾名されることになったのだろうということは想像にかたくない。


「魔女やほうを信じているのなんて、今どき子どもくらいですよ」

「お、俺だって信じているわけではない! だが、現に俺はリスにされたんだ! 

どくざいの作り方はのこされていないのか!?」

「リスを人に戻す薬なんて作ったこともありませんし、いきなり言われてもわかりませんよ……」


 混乱しているらしいセドリックは無茶苦茶なことを言っている自覚もないらしい。アメリアはためいきをつく。


「ともかく、調べてみるだけ調べてみます。セドリック様はお屋敷に帰ってご家族に事情を説明してはいかがです? とりあえず話せるようにはなったわけですから」

「それは」


 やかましく喋っていたセドリックは口ごもった。

 口元を押さえ、ぱくぱくと開け閉めしたかと思うと、「キュウウゥゥ……」という鳴き声がれた。絶望した顔でくうを見つめている。


「セドリック様?」

「…………キュ……」

「あ、もしかして薬の効果が切れたんでしょうか? もう一度舐めますか?」


 アメリアが先ほどの薬をさじすくって差し出すとセドリックは力なくそれを舐めた。ややあって再び話し出す。


「馬鹿な……こんなことがあってたまるか……」

「薬は一定時間しか効果がないんですね。もう少しのうを上げた方がいいのかしら」

「ふざけるな……俺、俺は、一生この野ネズミのような姿なのか……?」


 悲しみに打ちひしがれる姿はややあわれだった。


「セドリック様、元気を出してください」

「…………」

「ひとまず……、公爵家にれんらくを入れますね?」


 ここでさわいでいても仕方がないだろうし、アメリアだってセドリックといっしょにいたいわけではない。

 だが、セドリックは首を振った。


「やめろ。家に連絡は入れるな」

「なぜです? とつぜんセドリック様がゆく不明になったらみなさん心配なさいますよ?」

「いいからやめろ、やめてくれ。こんな訳のわからんめいな姿になったと知られるくらいならしっそうしたとでも思われていた方がましだ」


 セドリックはかたくなに連絡を入れるなと言った。


「そうですか……。では、えっと……、庭にブナやかしの木がありますので、そちらで過ごされますか?」

「は? お前は婚約者を外に放り出すつもりなのか? こんな真夜中に!」

「え? だって……」


 アメリアを嫌っているセドリックのことだ。

 同じ部屋で過ごすなんていやだろうと思っての提案だったのだが。


「追い出そうとするなんてはくじょうな女だな! やはりお前は最低だ! 俺がねこや鳥のじきになっても構わないと言うのか!」

「…………」

「わ、悪かった。すべて俺が悪い。……たのむ。どうかこの部屋においてくれ」


 アメリアが何かを言う前に、セドリックは土下座した。

 これまで冷たく当たってくるセドリックのことは苦手だと思っていたし、リスの姿になったところで知ったことではないが、つぶらな瞳ともふもふのしっぽにめんじてたいざいを許可してやることにした。


「わかりました。でも、文句は言わないでくださいね」

「文句を言いたくなるようなたいぐうをするつもりなのか」

「それは私ではなく……、いいえ。なんでもありません。とにかく今夜はもうおそいですし、休みましょう。もしかしたら、明日の朝、目が覚めたら元に戻っているかもしれませんよ」

「そうだな。……そうでないと困る。明日は朝一番にオイゲンこうしゃくおうしんが……、夕方からはエフェンディ医官からのひきぎが……あああ……」


 王宮医としての仕事のことを思い出したらしいセドリックは頭をかかえている。

 アメリアは部屋にあったカゴの中にハンカチやタオルをいてやった。セドリック用のそくせき簡易ベッドだ。ちょうどセドリックから借りていたハンカチもあったことだし、じゅうぶんだろう。


「どうぞ」

「……すまない……か、感謝する……」


 小声でぼそぼそと礼を述べたリスは、意気しょうちんしたままで寝床の中にもぐんでいった。

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