ずくなし幼馴染と世話焼き係の俺の、中学三年の夏休みの最終日。

小絲 さなこ

ずくなし幼馴染と世話焼き係の俺の、中学三年の夏休みの最終日。


 ──夏休みが、終わる。


 うわぁい。明日から二学期だぁ!


 思わず、棒読みで言いたくなる。

 本日の予想最高気温は三十六度だってさ。体温かよ。


 地球温暖化。異常気象。猛暑。酷暑。激暑。ただでさえ暑いのに、フェーン現象の影響でこの辺りも猛暑日が増えている。

 以前はお盆が明けたらぐっと涼しくなったらしいが……それはもう昔の話だと思う。

 昨日も本日も明日も気象アプリには熱中症厳重警戒のマーク。

 登校は不要不急の外出に当てはまるのではないだろうか。オンライン授業の普及が進んだと言っていたのはなんだったのだ。


 ここらへんの学校は、お盆明け数日後には二学期が始まる。

 東京の学校は八月末まで夏休みだと聞いて、羨ましくて仕方がないのだが、東京から引っ越してきた紫音しおんに「東京の夏の蒸し暑さを経験してから言ってよ。まぁ理玖りくには耐えられないだろうけど」と言われた。気温も湿度もマジやばい、らしい。

 東京砂漠かと言ったら、砂漠は夜冷えるだけマシだと言われた。なんかすまん。東京灼熱地獄。お詫びして訂正します。


 それなのに、一週間くらい前から、朝起きた時に窓を開けると秋の空が広がっているのだ。

 澄んだ空気のため、濃い色をしている。

 今朝は鱗雲が空を覆っていた。

 蝉の鳴き声も減ったように思う。

 着実に、秋は近づいている。それなのに、夏の自己主張が強過ぎて秋が負けてしまっているんだ。そうに違いない。

 

 今は青い空に夏のもくもくとした雲が浮かんでいる。


 

「……終わんねぇ」

「同じく。終わらない気がする」


 俺は今、俺の部屋で幼馴染と言ってもいい間柄の紫音と夏休みの宿題をしている。


「なんで紫音も終わってないんだよ。この前宿題やってただろ」

「途中で力尽きた」

「持久力ないな」

「持久力なんて、お母さんのお腹の中に忘れてきたもん。んー。もうだめ……ねむい」

「おいこら、まだ十分も経ってないだろ」

 

 ごろり。紫音は寝転がって寝返りを打った。ワンピースの裾が膝まで捲れ上がる。

 おいおーい。俺が男ってこと、忘れてねぇか。

 なんでこんなこいつ無防備なんだよ……

 

「ほら、やらねーとおわんないぞ」

「かわりにやってー。アイスあげるから……」

「ふざけんなよ。筆跡違うからバレるっつーの。ほら、起きろって」

「んー」



 紫音は本当は俺なんかよりも頭が良いのだが、やる気が無い。惰眠を貪り、ゴロゴロすることだけを目標に生きている。進路調査の将来の欄に「飼い猫になる」と書いて担任の先生に呼び出されたのも記憶に新しい。

 こんなだから、百人中、百五十人は美少女だと思うであろう外見をしているというのに「残念な美少女」と称され、モテない。

 まぁ、そのおかげで俺は安心していられるわけだが。


「ほら、ずくだせ、ずくだせ」

 剥き出しになっている紫音のふくらはぎを足の爪先でつつきながら言うと、紫音はくすくすと笑い出した。


『ずく』というのは方言だ。やる気とか、気力とか、ちょっとした根気とか活力のようなもので、ちょっと標準語では表現しにくい。『ずくなし』だと『面倒くさがり』『無精者』『怠け者』というニュアンスのものになる。紫音はまさにその『ずくなし』だ。

  

「おじいちゃんみたい……」

「……悪かったな、じじくさくて」

「……ねぇ理玖」

「ん?」

「おじいちゃん、ちゃんと帰れたかなぁ」

「……今の紫音見たら、安心してあの世に帰れないだろうなぁ」

「……」


 俺の祖父と紫音の祖父は幼馴染で、俺の父と紫音の父も幼馴染だ。今も両家は家族ぐるみで付き合いがある。

 紫音の父は大学進学のため東京へ出て、そのまま東京で生活していたが、毎年夏と冬には必ず家族を連れて帰省していた。

 なんの因果か、俺と紫音も同い年なこともあり、俺は気がついたら紫音と顔見知りで、紫音がこちらに来るたびに一緒に遊んでいたのだ。お互い初対面がいつだったのかすら覚えていない。


 昨年の秋、紫音の祖父が倒れた。

 それを機に、紫音の父は家族を連れて東京からこちらに戻り、家業を継いだのだ。

 そのことに安心したのか、程なく紫音の祖父は亡くなってしまった。


 その紫音の祖父が亡くなってから初めてのお盆が昨日明けたのだ。



「……おじぃちゃぁん……」

 紫音は鼻を鳴らす。

「あー、こら。目ぇこするなよ」

 ティッシュを箱ごと渡してやると、紫音はごろりと俺に背を向けて横向きになり、本格的に泣き出した。


 紫音はおじいちゃんっ子だ。

 紫音の祖父は、俺からすれば、顔を合わせるたびに説教してくる『口煩い隣の家のジジイ』だったが、自分の孫は、まさに目に入れても痛くない程可愛かったようで、それはそれは大変な可愛がりようだった。

 我が家も紫音の家も男ばかりだから、息子の嫁や孫娘は爺さんだけでなく、婆さんからも可愛がられているのだ。

 若干、羨ましい気持ちもあったが、仕方ないなと納得している。俺だってもし自分に姉がいたら下僕になっていただろうし、妹がいたら絶対可愛がるだろうと思うからだ。 

 紫音の祖父は、紫音が遊びに来るたびに菓子を用意して、色々な場所へ連れて行った。そりゃあ懐くだろう。

 やがて紫音がひとりで電車に乗れるようになると、紫音は七月の下旬に新幹線でひとりでこちらへ来て祖父母の家で過ごし、八月のお盆休みに帰省した両親と共に東京へ帰っていくようになった。

 そうなると、毎日毎日お出かけ、というわけにはいかない。

 そこで、隣に住む同い年の子供が遊び相手としてあてがわれたわけだ。まぁ、そうでなくとも幼い頃から遊んでいたわけだが。

 

 毎年夏になると、俺は夏休みの宿題そっちのけで紫音と毎日のように遊びに明け暮れた。

 紫音がいると、紫音のじいさんの機嫌はとても良かったが、俺のじいさんの機嫌も良くなり、お菓子をくれたり、たまに小遣いもくれたから、というのもあったのだが。

 しかし、それよりもなによりも、紫音と過ごせることが楽しかったのだ。

 ……まぁ、紫音が可愛い女の子だったから、というのも、否定はしない。


「紫音……」

「ごめ……止まんないよう……ふぅ……っ」

 横向きになったまま、ぐずぐず泣く紫音の頭を撫でてやる。

 泣き始めに撫でると逆効果になるのは経験上わかっている。今の状態のように、ひとしきり泣いたあとに撫でてやるのがコツだ。どうやら俺の頭の撫で方は、紫音のじいさんの頭の撫で方に似ていて落ち着くらしい。喜んでいいのか微妙だ。

 

「かんば、焚いてたときには、へいきだったのに……ちゃんと、うたえたし……」

「……知ってる」

 

『かんば』というのは、白樺の皮のことで、この辺りでは、迎え盆と送り盆のとき、かんばを燃やす。地域や家によっては、そのときに文言を唱えたり歌ったりするのだが、迎えと送りの時でそれぞれ少し文言が異なる。


 

 じーさん ばーさん このあかりで おかえり おかえり


  

 昨日の夕方、鈴の鳴るような歌声は、隣の家にいる俺の耳にも届いていた。



「大丈夫、じいさんはちゃんと帰ったよ」

 ひくっ。しゃっくりをひとつして、紫音は息を吐く。

 

「ほんとはね……かえってほしくないな、って思ったの……」


 ひやり。

 急に気温が下がった気がした。

 あんなに明るかった空も、いつの間にか暗くなっている。

 

「しおん……」

「それか……わたしも連れて……」

「紫音!」 

 俺は紫音の肩を掴んで仰向けにさせた。目を逸らさないように両手で紫音の顔を固定する。睨みつけるように紫音の目を見つめた。

 

「冗談でもそんなこと言うもんじゃない。二度と言うな」

 

 自分でも驚くほどの俺の低く鋭い声に紫音が目を見開く。涙が一筋流れる。

 

「……うん……ごめん……ごめんね……」

 

 蚊の鳴くような声で謝る紫音の頭を抱え、俺はそのままごろりと横に寝転んだ。



  

 遠くから、ゴロゴロと聞こえてくる雷の音。

 ここ数日は夕方になると雷が鳴り、激しい通り雨が降っている。今日も降るのだろうか。

 

 

「じいさんの代わりくらい、いくらでもしてやるからさ」


  

 本当は、ジジイの代わりなんぞ願い下げだ。でも、紫音がどこかへ行ってしまうくらいなら、爺さんでも婆さんでも何にでもなってやる。


 

 俺たちは暫くそのまま動かなかった。



「……」


  

 何やってんだ俺。


 さすがにこれはどうかと思う。

 横向きに寝転び、紫音の頭を胸に抱えているこの状態を家族に見られでもしたら……

 

 どうやってこれ解いたらいいんだ。

 いや、解き方はわかる。

 起き上がった時、どんな顔をしたらいいのかわからないのだ。


 ていうか、俺……汗臭いかも、しれない……

 一応、朝ランニングしたあとにシャワーは浴びたけど……夏だし……


 ていうか、紫音の頭、いい匂いするな……



 いやいや、ほんと俺何してんだよ!


 肝心な一言は何年も言えないくせに!


 

 俺が自分の普段のヘタレ具合を自身に罵りつつ、自分の咄嗟の行動を後悔し始めたとき、紫音がぐりぐりと頭を俺の胸に押し付けた。

 

「理玖おじいちゃあん、代わりに宿題やってぇ……」

 

 調子に乗った紫音を引き剥がし、ぺいっと放る。ごろんごろんと紫音はそのまま転がって壁にぶつかった。

 むくりと起き上がった紫音は髪の毛がボサボサになってしまっている。

 肩につくくらいの長さの黒髪を、今日は耳の下辺りでふたつに結んでいるのだが、ヘアゴムが取れそうだ。

 

「ひどぉいぃ……」

「自分でやれ!」

「えー。だって理玖がおじいちゃんの代わりになってくれるって……」

「宿題は自分でやれ。あのジジイならそう言うぞ」

 

 むう。紫音は頬を膨らませた。

 そんな顔しても可愛いだけなんだが。


 

「もう、いい加減、宿題やろうよ。な? ほら、同じ高校行ってやるから……」


 まだ両親にしか言っていない俺の第一志望の高校名を口にすると、紫音は瞬きをし、瞳を輝かせた。

 

「ほんとう?」

「あぁ、受かったらな」

 紫音の第一志望校は私立だが、学費はそれほど高くない。両親の承諾は得ている。

 問題は、その高校は偏差値がそれなりに高いため、俺の今の学力ではちょっとだけ厳しいということだ。


  

「理玖も同じ高校かー。ふふふ……」

 そんなに嬉しいか。

 にやにや笑う紫音に、こちらもにやけそうになる。

 

 うん……いや、これで勘違いしない方がどうかしてるよな。でもな、ここで勘違いして、奈落に突き落とされるのはいつものことなんだよ。

 わかってる。わかってはいるのだが……

 それでも、勘違いして、期待してしまう。

 仕方ないだろ。


 

「あぁ。思う存分、高校でも世話してやるからな」

「やったぁ! ありがとう、理玖! 末永くよろしくねっ!」

 紫音は満面の笑みで俺の手を取り、無邪気にぶんぶんと上下に振った。


 

「末永く、ねぇ……」

 

 高校卒業するまでに、俺はこのずくなし幼馴染の世話焼き係から卒業出来るだろうか。

 

 なんとなく、紫音の言うように末永く世話焼き係になってしまうような気がしてならない。


 

 まだ中学の卒業まで数ヶ月も時間があるのに、俺はそんな遠いような遠くないような未来のことを考えた。

 



  

 今日はまだ、夕立は来ない。


 

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