EP.058 彼女に平穏があらんことを
『──生きろ』
白く煙った記憶の中。
そこで懐かしい〝あの人〟が告げた
「………」
ゴウンゴウン、と大きな音を立てて巨大な換気扇が回る室内。
鉄色をしたその中の一角にある通路で布を雑に纏って眠っていた少女が目を開ける。
白髪赤眼。
色素と言う色素が抜け落ち、純粋なそれだけが残った見た目を持つ彼女の名はメル。
苗字はない。ただのメルである。
猫のように身をくるめて眠っていた彼女は目覚めると同時にほとんど音を響かせない動作で起き上がると、そのまま寝ぼけ眼で周囲を見渡した。
右へ左へ、何かを──あるいは〝誰か〟を探すように見渡した彼女は、しかしそれが見つからなかったのだろう、そっとため息をついて顔を上げる。
はたして、彼女が見上げた先には、一機のFOFがあった。
「……おはよう。〈テュリップ・ブランシュ〉」
彼女の愛機。この世に同じものが二つとないユニークフレームの機体。
全身を白色に塗装されたその機体に挨拶をするも、ただの機械人形にすぎないFOFが声を返すはずもなく。彼女の言葉は広いハンガーへ無暗に反響して溶けた。
この場には彼女一人。かつていた仲間も……〝主人〟も、誰もいない。
「───」
懐かしい人の名を口にして、しかしそれを口にすることの虚しさに気づいた彼女は、首を左右に振り、その場で立ち上がる。
ふと、すぐそばに転がしていたPDに着信が入っていることにメルは気づいた。
画面に大きなヒビが入っていて見にくいPDに表示されているのは『催促状』と題された文章だ。ありていに言えば借金の返済を迫るものである。
「……はあ……」
ため息をついて彼女はその中身を確認する。何度見ても変わらぬ額面に渋面を作りつつも、これを返済しないと、このハンガーにすらいられなくなるのをメルは知っていた。
「生きるのって面倒くさい」
かつて誰かが告げた〝生きろ〟という言葉。
だけど、その面倒臭さにメルは憂鬱なため息をつく。
自分は誰にとってもいらない子だ、と。
そう自覚があるから、なおさらに。
☆
とはいえ、ハンガーとそこに安置された愛機を守るためにも、彼女は働かねばならない。
では、傭兵らしくガイストとの戦いに行こう……と言いたいところだが。
「動かすためのエーテルすら買えない」
愛機である〈テュリップ・ブランシュ〉を動かしたくても、それをするためのエーテルすら膨大な借金を抱えるメルには購入できず。
結果、彼女が働き先に選んだのはとある工事現場だった。
もはや時代遅れも甚だしい第一世代フレームFOFを重機代わりに使っている現場だ。
企業同盟傘下のとある施設を建造するためのそこに、その重機代わりになっているFOFパイロットとしてメルは雇われている。
《おら、そこ! あまり雑な作業をするな! 建材は丁寧に運べ!》
「………」
現場監督からどやされつつ、大きな建材をFOFに抱えさせて運ぶメル。
ほとんどの外装フレームが取り外されたその機体は、背面のコックピットすらむき出しになっていて、周囲の光景が肉眼でよく見える。
それは逆に、メルの姿が彼女の足元でちょこまかと働く作業員にも見えるということで。
若手作業員の一人が、そんなメルへと熱心な視線を注いでいた。
「うひょ! なにあの子。すっげぇ可愛い」
容姿だけならば儚げで美人と言える顔立ちをしたメルを前に若手作業員が鼻の下を伸ばす。
しかし彼の言葉は、すぐそばで働いていた別の作業員によって否定されることに。
「おい、新人。やめとけ。あれに関わるのは」
「なんでっすか、先輩。めっちゃ可愛い子じゃないっすか」
いきなりベテランから向けられた暴言に面食らったような表情をする若手作業員。
「あほ。相手はFOF乗りだぞ。そうじゃなくてもあれは〈白き死神〉だ。積極的にかかわれば痛い目を見るぞ」
「??? 〈白き死神〉……?」
若手である彼は、その単語を聞いてもよくわからなかったのか、ますますその顔に疑問符を浮かべる中、一方のベテランは顔をしかめ、視線だけメルの方へと向けてる。
「……四、五年前の話だ。当時は、今以上に
史上最も犠牲者を出した13次エリュシオンライン攻略隊。
企業同盟、都市連合、帝国、さらには傭兵ギルドからも人を出して総勢5万人という歴代最多の人員を投入して行われた大事業だった。
FOFも100機以上投入されたそれは、まさに人類の命運をかけた者だったと言える。
しかし、結果は大失敗。攻略は失敗し、撤退時にも多くの犠牲者をだしたことで、作戦終了後、生き残ったのはわずか100人。FOFに至っては2機しか帰ってこなかった。
問題になったのはここからで、この世紀に残る大失敗の責任を押し付け合う動きが各勢力で起こったのである。
特に強い口調で非難されたのは傭兵ギルドだ。企業同盟が傭兵ギルドに対し、ギルド所属の傭兵の命令無視こそ作戦失敗の原因である、と指摘したのである。
傭兵ギルドとしてはそんな責任を押し付けられてはたまったものじゃない。
ゆえに傭兵ギルドもまたそれに対して強く反論。
さらに生き残ったFOF二機の出自も問題を複雑化させた。
片方は企業同盟の中核である十二企業専属の傭兵。
もう片方は表面上傭兵ギルドに所属していながら、実質的には特定シティの私兵という立場にあった傭兵。
結果、傭兵ギルド側に都市連合も加わり、実質的に企業同盟‐帝国対傭兵ギルド‐都市連合という勢力を二分にするような形で両者は相争うこととなった。
その内、企業同盟と帝国の関係は、帝国の皇帝が代替わりしたことで、活発に周辺諸都市への侵略戦争を仕掛けたこと出したことで破綻。
これが逆に企業同盟対傭兵ギルド・都市連合同盟対帝国という三つ巴の状況を形成した。
結果起こったのはいわずもがな争乱の時代だ。
燃え上がった戦火は各勢力に飛び火し、表向きはどの勢力にも属さない小規模シティですらそれに巻き込まれることとなった。
そんな時代ゆえに傭兵達の需要は否応に増し、その中には圧倒的な力で他勢力を蹂躙するほどの活躍を成した〝英雄〟もあらわれた。
「あの〈白き死神〉も、そんな時代に活躍した英雄の一人だ。どの勢力にも金で雇われれば、その力を振るったっつー、FOF乗りだよ。戦争そのものは一年ぐらいしか続かなかったが、その過程で奴が屠ったFOFは総数にして100機に上る」
若手に向かってそんな風に過去を回想するベテラン作業員。
「俺も昔はこちらの勢力であいつがすさまじい功績をなしたって聞いた時に、そりゃあ歓声をあげたものさ。よくやった。帝国のクズや傭兵ギルドのアホへ痛い目をみさせられるってな。それぐらい奴の活躍はすさまじかった」
「??? 聞いているとむしろ賞賛されるような活躍を成した人に聞こえるんですけど……だったらなんでおやっさんはそんな風にあの子を嫌ってるんですか?」
本気でわからないのだろう、首をかしげてそう問いかける若手。
それにベテラン作業員が浮かべてのは心底からの侮蔑だ。
「……あいつは金で雇われればどの勢力にもつく。それこそ帝国にも、都市連合にも……世間ではテロリストと呼ばれるような奴らにもな」
年嵩のベテラン作業員が告げたその言葉は憎悪に染まっていた。
「なんで、戦争が一年で終結したかわかるか? 答えは簡単だ。どの勢力にとっても戦争なんてそっちのけにさせるほどヤバい奴らが現れたからだよ」
その勢力の名は、
「──〝アスクレピオス〟。史上最悪にして最低のテロリスト集団だ」
争乱に包まれ、滅びゆく世界を修正するというお題目を掲げて企業同盟、帝国、都市連合、果ては傭兵ギルドにすら喧嘩をうったテロリスト集団〝アスクレピオス〟
古の時代、超古代文明期に信仰されていたとされる医療の神の名を騙り、全勢力に喧嘩を売った彼らがやったことはもはや虐殺と言っていいほどの惨状だった。
「いくつものシティが奴らによって滅ぼされた。んで、あの〈白き死神〉はその〝アスクレピオス〟に雇われていくつかの虐殺に手を貸したってもっぱらの噂なんだよ」
まさに金で雇われた傭兵らしい、と侮蔑と憎悪を込めて告げるベテラン作業員に若手作業員もおっかなそうな表情を浮かべて、まだ年若いメルを見やる。
「ふへえ、人は見かけによらないもんっすねえ」
「まったくだ。証拠不十分ってことで逮捕こそされていないが、各地で出ている噂からしてあの女が〝アスクレピオス〟に関わっていたのは間違いねえ……つーわけだから、あの女には近づくな。テメェもテロリストのお仲間扱いはされたくねえだろ」
ベテラン作業員がそう告げるのに若手は「うす」と頷きながらも、まだその美貌に惹かれるのか名残惜しそうにメルを見やった。
だが、それも長くは続かない。
「大変だぁ!」
上がる絶叫。
それに顔を上げた彼らは【それ】を目にして顔を青ざめさせる。
「が、ガイスト⁉」
ガイストだった。
重装甲型ガイスト。
それが単機ではあったが、建設現場に向かって突っ込んでくる。
《逃げろ、逃げろ、逃げろォォォオオオオオオオ‼‼‼》
現場監督が絶叫を上げ、他の人間もおおわらわとなって逃げ惑う中、現場に突っ込んできたガイストはそのまま柵を砕き、さらには建造物へ吶喊する──
「ねえ、ちょっとやめてよ。それが壊れたら報酬がなくなっちゃうから」
──直前。
メルが動く。
第一世代機というおおよそ時代遅れも甚だしいうえに、装甲すらはがされ、さらにはまともな武装も積んでいないその機体。
必然動きは緩慢であり、おおよそFOFとして最低限の機動力すら持っていないという状況で──しかしメルは、重装甲型の背後を取った。
このガイストの弱点。
装甲がほとんどない背面に向かってFOFの拳を握りしめ、それをそのまま振り下ろす。
エーテルを纏った拳は、確かにガイストの外郭を砕き、内部のコアにまで達した。
一瞬で機能停止する重装甲型ガイスト。
非武装の旧世代機でガイストを仕留めてのけたメルの所業に周囲の作業員は唖然と固まる。
彼らの視線が一身に向けられていることに、しかしメルは頓着せず。
そのまま彼女はFOFの腕を突き立てたガイストの躯体から引き抜こうとした。
「あっ」
しかし、そこは旧世代機。いまのパンチで完全に腕がイカレたらしく、フレームの根幹からすさまじい破裂音を響かせながらそのFOFの腕部がちぎれる。
二の腕から先がなくなった自機を前に、メルは途方に暮れた表情をして、
「どうしよう。これの弁償にまで手が回らないんだけど……」
そう呟いて、はあ、とため息をつくメル。
「……〈ブランシュ〉なら、こうはならないのにな」
いまはハンガーで眠る愛機ならば、例え非武装で、例え拳だけでもこんな風に簡単には壊れなかった、とメルは独り言ちる。
しかし現実に、こうなってしまっては彼女にはどうしようもなく。
故にただただため息をつくしかない彼女は、ふと頭上を見上げる。
頭上に広がる空は雲一つない真っ青に染まっていた。
『──メル。知っているか、この世界のどこかには〝海〟と呼ばれる真っ青な青色の水で覆われた場所が存在しているそうだ』
かつて、そう告げてメルに対し『いずれ、共に見に行けたら良いな』と〝主人〟が言ってくれたその場所。
いまだメルが至ったこともないそこを、頭上に広がる青空に連想させ、しかしもはや叶わぬ夢に、メルはそっとため息をつく。
「ああ、満たされないな」
ここは、自分の居場所じゃない、とメルはそんな風に思った。
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