第3話 波の音

 暑かった夏が終わり、緑色だった木々が橙色に色づいてきた。この頃になると、あることを思い出す。

 少し前、彼女に別れを告げられた。しばらくは受け入れることが出来なかったが、ようやくちょっとずつではあるが受け入れ始めた。写真を消したり、貰ったモノを処分したりと目につくものは全て消えた。ただ、一つだけ消すに消せないモノがある。

 頭の中にこびりついた記憶だ。悲しい記憶を消そうとするたびに楽しかった思い出がそれを邪魔してくる。

 気分転換に出かけたりしたのだが、それでも空想の彼女が現れ、考えが阻害されてしまう。

「…………」

 尖った崖に荒波がぶつかり音を立てる。自分はただそれを安全柵の内側から眺めていた。晴れてはいるが海の側というのもあって少し肌寒い。

 特に面白いことが起こる訳でもなく、ただひたすらに波がぶつかる様子を見ているのは想像以上に心が満たされないのだなと、改めて感じた。自殺する者が絶えないと言われているが、確かに柵から身体を乗り出そうとすると、なんだか吸い込まれる気がしてくる。自分の精神状態が異常であれば飛び込んでいるだろう。

 昔サスペンスドラマで見たような場所に飽き、帰ろうと駐車場へと戻ろうとした瞬間、視界の端に女性が映った。自分の見た光景を信じることが出来ずもう一度女性の方を見る。すると、安全柵の外側に女性がいて今にも飛び降りそうな状況だった。周囲に自分以外に人はいない。ヤバイと思った頃には走り出していた。

 久しぶりに全力で走った。女性はこちらに気づいていなかった。まだ間に合う。そう言い聞かせ走った。

「待って!」

 女性が飛び降りる寸前で、腕を掴んだ。女性が驚いた顔を見せるが、関係ない。

「お願いだから! 待って!」

 必死に呼びかけた。飛び降りないという選択をすることを願って。

「何? あなたには関係ないでしょ?」

 女性は邪魔をするなと表情で訴えてくる。だが、手を離すことはしなかった。

「せめて、話しだけでも聞かせてくれないかな…………」

「話したって何も変わらない」

 女性は掴んだ手を振り払い、海に飛び込もうとした。しかし、思わず女性を抱きしめた。

「ちょ…………」

「死んだって、変わる保証がどこにある!?」

 そう叫んだ瞬間、女性は暴れることを辞めた。この機を逃す訳にはいかないと、急いで女性を柵の内側へと運んだ。

「はぁはぁ…………危ないだろ……なんであんなこと」

「…………」

 女性は答えなかった。地面を見つめ黙っているだけだった。自分は女性が話し出すまでそっとしておくことを選んだ。飛び降りる危険性はまだ残っている。だから目を離すことはしなかった。

「少し、変な話をしよう」

「えっ?」

 突然のことに女性は驚いた顔をするが、気にせず続けた。

「昔、大切な人と別れた人がいたんだ。些細なすれ違いが原因さ。その人はいつまでも大切な人を忘れられずに今まで生きてきた。気分転換に来ても、空想がそれを邪魔してくる。この波みたいに洗い流してくれればいいのになんて都合のいいこと思いながら今を生きてる」

「なにそれ」

「まぁ、結局は自分のことなんだけどね。その人なら言葉にしなくても分かってくれるだろうって思い込んでた。でも、それじゃ伝わらないんだ。チャットの無機質な文字じゃ気持ちまでは伝わらない。書いた本人は思ってても、見た人には本当はそう思ってないと思うかもしれない。でも言葉にすればある程度声音とかで分かるだろ? だから、恥ずかしがらずに怖がらずに言葉にすべきだよ。特に大切な人にはね」

 少しだけ、気まずかった。やってしまったとさえ思った。なんなら恥ずかしすぎて今にも海に飛び込みたいぐらいだ。その気持ちをなんとか抑え込み、一つ息を吐く。

「なるほど。言葉にする…………ね」

 女性が口を開いた。そして続ける。

「なんだか、バカバカしくなっちゃった。帰るわ」

「なら送っていくよ」

「気持ちだけ受け取っておくわ。ありがと」

 そう言うと、女性は陸地の方へと消えて行った。自分はただそれを眺めていることしか出来なかったが、人の命を救えたというのはなんだが誇らしく思えた。

 数日後、旅のついでに寄った定食屋で見たニュースに見知った顔が映った。

「えっ?」

 その瞬間、思わず右手に持った箸を落としてしまった。なぜならあの時の女性が殺人の罪で逮捕されていた。

 彼女は過去にいじめられていたらしく、その加害者を殺害したらしい。詳しいことは語られていないが、自分がその背中を押してしまったことに物凄い罪悪感を抱えてしまった。

 こんどはこの気持ちを抱えて生きていくのだろうと思うと、吐き気がする。しかし、自分はこの事件に関わっていないと言い聞かせ、店を後にした。

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清算は冬の寒さと共に 星空青 @aohoshizora

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