第2話 君が好きだった歌
俺が変わってしまったのなら、きっとあの日からだろう。無情にも大切だった人から別れを告げられ、何をするにしてもその人を浮かべるようになった。自分が何をしたいのかすら忘れてしまった。
その人が好きだったバンドの曲をひたすらにループさせて耳に流していた。少しでも、その人との思い出を忘れないように。特に何が起こるでもなく日々は平等に流れていった。自分の時は既に止まっているというのに。
今日は寒かった。冬も中盤で寒くなるには何もおかしくないのだが、このまま秋の様相でいるのには相応しくない気温になりそうだった。明日からは冬用に上着を用意しようと心の中で誓った。
数時間後、すっかり夜になった。特段変わったこともなく仕事を終えて帰宅する。ただそれだけだった。その時までは。
「あの!」
と、後ろから声を掛けられた。振り向くと女性が肩を上下に動かして息を荒げていた。
「良かった。やっと気づいてくれた…………」
「えっと、何か?」
「これ、落としましたよ」
そう言って女性は茶色の革財布を差し出した。これはいつも自分が使っているものであった。
「あ、すいません。ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ強くお声がけしてしまって申し訳ないです」
と、女性は両手を振って謝った。これに関してはイヤホンをしていた自分が悪い。彼女が謝る必要性は一切ないのだが、日本人の心の奥底にあるこの意識がこれをさせたのであろう。
財布も受け取ったし帰宅へとタスクを移そうとした時、
「家、こっちなんですか?」
「えぇ、そうですけど…………」
「私もこっちなんです。ついでだし途中までご一緒しても?」
と、彼女は提案してきた。こちらとしては出来る限り外界とは隔絶した状態で帰宅したいのだが、彼女のこの提案を無下にすることは人間として些か問題があるように思った。だから自分は首を縦に振った。
こうして、自分としては珍しく他人と帰宅するというイベントが発生した。とはいっても特に会話をするとかというものではなかった。
「そういえば、なんの曲聞いてたんですか?」
「あっ、うーんと」
聞かれたくない質問が彼女から飛んできた。正直に答えても良いのだが、答えたくないという心が拮抗し言葉を吐き出させなかった。
「あ~もしかして恥ずかしい奴でした?」
自分がなかなか答えを出せないことに彼女が痺れを切らしたのか、それとも察しが良いからか質問を変えてくる。
「いや、普通に言える奴なんですけど如何せん聞いてる理由が不純なもので」
「不純?」
「昔、好きだった人が聞いてた歌なんですよ。これ」
「失恋でも?」
「まぁ、そうですね。仲違いなら聞こえは可愛いもんなんですけど」
そう言って自分が過去に何があったのかを彼女に話した。昔、好きだった人と付き合っていたこと、しかし些細なことで喧嘩してそのまま別れてしまったこと。結局後悔ばかりが残ってしまい、こうして音楽を垂れ流していることも。
「結局、自分が子供だったばっかりに謝ることも出来なかった。それがずっと心に残ってるんです」
「でも、子供の時に大人になれる人なんてそうそういないですよ」
「…………」
「まぁお互い生きてればその内会う機会があると思います。その時に謝れば良いんですよ」
「ですね。そうします」
「じゃあ私ここなんで」
と、彼女は駅を指さした。彼女とはここでお別れのようだ。
「今日はありがとうございました」
「いえいえ、今度は気をつけてくださいね」
そう言って彼女は笑顔で改札を抜けて行った。彼女が見えなくなり、再び歩き出した。
イヤホンをして外界の音から隔離された世界へと入っていく。ほんの少しだけ緩やかになった心の蟠りを抱えて。
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