第22話 告白
派手な花火はあらかたやり尽くし、残った線香花火さえも儚く火玉を落として、皆がどこかしんみりとした面持ちで後片付けを始めた頃、慎也とあかりは少し離れたところにある葵との約束の場所へと足を運んでいた。
山際を縁取っていた燃えるように真っ赤な西の空は藍に落ちて久しく、辺りはすっかり闇に包まれている。だが、降り注ぐ満天の星々の光が周りの景色を、そして目の前に広がる山中湖を淡く浮かび上がらせていた。
あかりは慎也の後に続いて、砂利っぽい砂浜をざりざりと鳴らしながら進んでいく。
遠くに聞こえていた皆の声が二つの足音にかき消されていき、やがて聞こえなくなる。
まるで世界からすっかり人間がいなくなってしまって、残された二人で行くあてのない旅をしているような、そんな気分になる。
実際には行くあてもあるし、そのあて先に葵が待っているのだが、星の光を頼りに暗闇の中を歩いていると、どうにも心細くて仕方がなかった。
前を歩く慎也が突然いなくなってしまうのではないか。あるいは、暗闇に潜む怪物に奈落の底へと引き摺り下ろされてしまうのではないか。そんな不安を抱くあかりの頬をひんやりとした夜の風が撫でる。今夜は少し冷えるかもしれない。
あかりは自分の存在を確かめるが如く、腕をさすり、一歩一歩踏みしめながら慎也の背中を追った。
しばらくすると、彼の肩越しに目的の場所が見え始める。
そこは山中湖に突き出した短い木の桟橋だった。一人か、二人乗りの小さいボートが一艘係留されている。
近づいてみると、つくられてからかなり年月が経っているらしく、床板は風化し、ロープは毛羽立っていた。
果たして乗っても大丈夫なのか、とあかりは不安に思ったが、特に気にする様子もなくずんずん進んでいく慎也を見て、意を決して桟橋に足を乗せる。
ギギ、と足下で怪しい音を立てる桟橋にびくびくしながら歩いていくと、不意に何かに鼻をぶつけた。見れば、慎也のつむじが目の前にあった。
ジンジンする鼻を押さえて、急に立ち止まった彼に文句の一つでも言おうかと口を開こうとする。
だが、それよりも顔を上げた先、目に飛び込んできた光景に思わず息を呑んでしまう。
夜空いっぱいに散らされた眩い星々。
それらが凪いだ湖にも映り、水面が輝きを放っている。まるで今立っている桟橋が宙に浮いているかのようだった。一歩足を踏み外せば、どこまでも落ちていく。そんな恐ろしささえ感じる。
そして、桟橋の先端、夜空の中心で一人佇む少年の後ろ姿。ずっと前からそうしていたかのように圧巻の景色に溶け込んでいる。
その彼がゆっくりとこちらを振り返った。
星灯りに照らされた透き通るような細い首筋。程よく朱が差した白い頬。しなやかで長いまつ毛。夜空を映して輝く二つの大きな瞳。その瞳が驚きに見開かれるのをあかりはただ黙ってじっと見つめることしかできなかった。
「……悪い、葵。実は今日お前に告白されるって聞いてるんだ」
息を呑むような静けさを破ったのは慎也だった。
彼の言葉を受けて葵は再びあかりの方に目を向ける。彼の告白の件を知っているのは彼自身を除けば自分しかいないはずだから当然だ。
怒っているだろうか、あるいは失望しているだろうか。彼の瞳からはその真意は読み取れない。構わず慎也は続けた。
「そして、私……いや、俺はお前の気持ちを受け取ることはできない」
「──なら、どうしてここに?」
澄んだ彼の声が鼓膜を震わせる。
「それは……」
「──私が本当のあかりだから」
慎也に代わってあかりはそう答えた。間髪入れず、口を開く。
「信じられないかもしれないけれど、本当なの。ある日突然、私と慎也の身体が入れ替わっちゃって、今日まで隠してきた。転校してきた安岐くんに示せる証拠なんて何もないけれど、でも信じてほしい。……それから、今まで騙してきてごめんなさい。私があかりのままだったら安岐くんはあかりのこと、好きになっていないと思う。安岐くんの気持ち、踏み躙って本当に……ごめんなさい」
泣かないと決めたはずなのに、視界が歪んでいく。
思い返せば、誰かに好きになってもらえたことなんて一度もなかった。いつも片思いの誰かを追いかけて、そして諦めてきた。人は外見じゃない、心の美しさだ、なんて言葉を耳にしても、両方他人に劣っている自分にはどっちにしろ関係ないと思っていた。
でも──
涙でぼやける景色の中、彼の姿だけははっきりと目に映った。
私のことを好きだと言ってくれた人。
もちろん、彼が好きになったあかりの中身は別人だけれど、それでも容姿は自分のままだ。半分でも好きになってくれた人のことをどうして蔑ろにできようか。例え、その想いに応えることはできないとしても、せめて筋くらいは通さねば、今後一生誰かを好きになる権利などない。あかりは強くそう思った。
「騙していて悪かった、葵。許してくれとは言わない。お前のこと傷つけた責任は取るつもりだ」
慎也も隣で頭を下げる。
彼にも申し訳ないことをした。自分が入れ替わりを隠そうなどと言い出さなければこんなことにはならなかったかもしれないのに。噛み締めた唇の裏側に血が滲む。
「二人とも、顔を上げてよ」
葵にそう言われ、あかりはおもむろに顔を上げる。
こんな荒唐無稽な話、誰が信じるというのか。今度こそ怒りに顔を歪めているに違いない。怒鳴られるのも、罵声を浴びせられるのも覚悟の上で、彼の表情を窺った。
だが、彼の顔に憤りの色は見られない。それどころか、葵はふわっと柔らかく穏やかな笑みを浮かべていた。
困惑するあかりに葵は言う。
「実は、ぼくも二人に謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
彼の言葉にあかりは怪訝な表情になる。隣の慎也も訝しげに眉を顰めていた。
謝るべきは自分たちの方であるにもかかわらず、葵がそうするとは彼にいったい何の非があると言うのか。
あかりはますます戸惑った。その意味を尋ねようと口を開きかけるも、答えはすぐに葵自身の口から発せられた。
「二人が入れ替わっちゃったの──ぼくのせいなんだ」
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