第5話 好きな人

「あかり、最近性格さっぱりしたんじゃない?」


 体育終わり、教室に向けてだらだらと歩いていたら隣に並ぶ柚香が言った。

 一瞬、ぎくりとしたが、彼女の顔を見るに急に性格が変わったことを訝しんでいる様子ではなかった。むしろ、喜ばしいことのように晴れやかな笑顔を向けられる。


「そ、そう?」

「絶対そうだって! なんか表情も明るくなったっていうか、はっきりしてるっていうか。さっきのバスケだってすごい活躍してたじゃない! いつもだったら適当に流してるのに」


 鼻歌を歌いながら、まるで自分のことのように誇らしげに話す彼女に慎也は照れ臭い気持ちになる。


 もともと、あかりの親友である柚香の目を誤魔化すのは容易ではないと思っていたが、存外、彼女が物事を好意的に受け止める性質で助かった。

 元のあかりを完璧に演じられてはないが、本人の株を上げるぶんには問題ないだろう。

 慎也は自分の振る舞いが大それたものではないことにひとまず胸を撫で下ろす。


 しかし、女子の立ち振る舞いはまだまだわからないことだらけだった。

 それでも何とはなしに理解してきたのは、彼女らはとにかく「同じ」にこだわるということだ。同じメイク、同じパスケース、同じ色のカーディガン、同じ行動。実は政府によって女子高生は均質化されているのかと勘繰るほど同じものを好む。けれど、完全に一緒ではダメらしい。

 皆同じの中でワンポイントだけ他人と異なる部分を入れるのが良いのだ。それも、範囲がかなり限定されており、奇抜すぎず地味すぎずのラインを見極めらければならなかった。

 恐るべきは、例えそれがあまりにかけ離れた差異だったとしても、彼女らは指摘してくれないことだった。表立っての否定はタブーであり、本人のいないところで陰口を言う。

 慎也は、女子が言う「かわいいー」は本当にかわいい時と、全くかわいくない時の二種類が存在するということを身をもって知った。


 だが、隣を弾むように歩く彼女、柚香だけは違った。柚香はあかりと親友なだけあって、歯に衣着せぬ物言いで接してくれた。

 一度、慎也がスカートは短ければ短いほどおしゃれなのかと勘違いし、だが、パンツが見えてはまずいだろうと下に黒いタイツを履いて登校した際には、クラスの女子たちが苦笑いで温かく見守る中、柚香は頭でも打ったのかと本気で心配してくれた。


 冬でもないのにタイツはちょっと変らしい。


「あ、ねえあかり! 今日放課後暇? 遊びに行かない?」


 少し高い位置にある彼女の横顔を眺めていると、突然何か思い出したようにパッとこちらを振り向き、瞳を輝かせて言った。


「すまん! 今日は茶道部行くからパス! また今度で!」

「えー、この間も断ったじゃない」


 柚香が小さい口を尖らす。


「え? ああ、ごめんて! 今度ケーキ奢るからケーキ!」


 慎也が顔の前で手を合わせてウインクすると、彼女は「えー? もうしょうがないなー」と渋々といった様子で引き下がる。

 だが、その顔ににまにまとした笑みを浮かべていたのを見逃さなかった。


 全く良い性格してるよ。


 慎也は内心苦笑いを浮かべるが、こういうやりとりができるのもあかりと彼女が信頼関係で結ばれているからだろう。


 それに対して俺は……。


 入れ替わる前、彼女と交わした最後の会話を思い出す。


『慎也は私のこと全然想ってくれてない!』

『そんなことない。今は忙しいから一緒に帰ったりはできないってだけだろ? な? 今度どっか遊びに行こう』

『今がいいの!』

『そんな子どもじゃないんだらさ』

『もういい!』


 柚香はそう吐き捨てると昇降口を飛び出して走り去ってしまった。その時は追うべきか迷って、結局部活の方を優先した。


 可愛くて自分にはもったいないくらいの彼女だと思う。けれど、時々、恋人の関係が煩わしく感じることがあった。

 もっとラフに付き合える関係だったなら、あるいは親友として互いに信頼できるような関係だったなら。

 あかりとして柚香と話しているとその思いがますます強くなる。元に戻った時、果たして自分はこれまで通り彼女と接することができるだろうか。


「やばっ! ゆっくりしすぎた! 急ごっ!」


 校内に予鈴が響くのを聞いた柚香は、慎也の手をとって階段を駆け上がる。

 少し体温が高いさらさらとした心地の手。もうずいぶん握っていないような気がした。


 慎也は顔を上げる。踊るような陽射しの中、ふわふわと揺れる彼女の後ろ姿をその瞳に映して──






「っと、ここが茶道部室か」


 慎也は特別教室棟一階の外れに足を運んでいた。そして、端から順に一つずつ扉の上のプレートを確認し、ようやく探していた目的の部室を見つけた。


 特別教室棟は慎也たちのクラスがある普通教室棟から中庭を挟んで向かいに聳えていた。

 両棟は渡り廊下を介して行き来できるようになっており、特別教室棟にはその名の通り、物理室や調理室、美術室、また事務室や職員室など、学級でない教室が入っている。

 基本的に生徒たちは移動教室がある際にしか訪れないため、入学してから一年以上経っている彼も未だどこに何の教室があるのかは完全に把握しきれていなかった。

 故に今まで縁もゆかりもない茶道部室など知る由もなかったのだが、あかりと入れ替わっている今、彼女に代わってその部室へと赴く必要に駆られたのである。


 慎也は部室の扉の前に立つ。廊下の窓から差し込んだ斜陽が哀愁を漂わせている。

 どうにか小窓から覗けないかと反射する西日を手で隠したが、磨りガラスがはまっており中の様子を窺うことはできなかった。扉の前でただ立ち尽くしていても埒が明かない。慎也はさっさと開けて入ることにする。


 ──よし。


 勇み足で勢いよく引き戸を滑らす。が、目の前は襖だった。

 慎也は外箱の中からもう一つ内箱が顔を見せた時のような肩透かし感をくらい、妙に緊張していたのが馬鹿らしくなる。


 適当にお茶を濁して早々にお暇しよう。


 そう考えながら襖を開けると、ふわっと暖かいような切ないような匂いがいっぱいに広がった。まるで学校を遠く離れ、今日日見ない日本家屋に立ち入ったかのような錯覚に陥る。


 ──懐かしい。


 一度たりとも入ったことはないはずなのに、そう感じた。

 年月を感じさせる色の抜けた畳。優しい光が漏れる障子。読めないくずし字の掛け軸に梅の枝が挿さったずんぐりとした壺。

 どれも見たことなく、新鮮な光景であるはずなのにどこか落ち着く。眠っていた日本人としての精神でも呼び覚まされたとでもいうのだろうか。


 しかし、その八畳ほどの小さな部屋の真ん中、ぽつんと置かれた小さなちゃぶ台を前に、文庫本から顔を上げてこちらを振り返る少女の姿を見た瞬間、それまで感じていた情緒は全て吹き飛んだ。いつかの場面が脳裏に瞬く。


「いらっしゃい、あかりちゃん」


 そう言葉をかけて、優しい目を向ける彼女のことを慎也は知っていた。正確に言えば、名前は知らない。だが、あの衝撃的な光景を目にして、その顔を忘れられるはずがない。


 部室棟裏で吉浦里沙子と口づけを交わしていた少女、それが宮内恵だった。




 古い畳の少しカビ臭い、だが懐かしくもあり心が落ち着く空間に、あまり似つかわしくない芳醇な紅茶の香りがふわっと溶けていく。

 学校の中だというのにとてもそうは思えない、ゆっくりとした時間の流れがどうにも手持ち無沙汰で、慎也は視線を彷徨わせてしまう。

 あかりからそれとなく聞いてはいたが、まさかこれほどまでに緩くてまったりとした部活だとは思わなかった。最悪、付け焼き刃でも構わない、と茶道の作法を動画で見て学んだが、その付け焼き刃さえ必要なかったらしい。


 ピンクのラインが入ったマグカップに口をつける。普段はスポーツ飲料やジュースばかりで温かい紅茶などめったに飲まない。だからというわけでもないが、味はよくわからなかった。

 目の前には同じように紅茶に口をつける恵がいる。


 紅茶の香り、畳の匂い、衣擦れの音、そして沈黙。

 慎也は息の詰まるような静けさに、ついぞ耐えきれず、口を開く。


「紅茶、美味しいですね」

「そうね」


 恵は柔らかい笑顔で頷く。会話はそれっきりで再び沈黙が襲う。


「えーっと、恵先輩……? は好きな人とかいるんですか?」


 何を話していいのかわからず、思わず部屋に入ってから頭の中をぐるぐるしていたキスの光景に引っ張られてしまう。何の脈絡もない突然の話題に恵は目をぱちくりさせていた。


「あっ、いや! 恋バナしたいなーみたいな感じっす! 聞かれたくなかったら無視してください!」


 慌てて言い訳がましいことを口にする慎也に彼女はくすくすとおかしそうに笑った。


「あかりちゃんこの前も同じようなこと聞いてきたね。そんなに私の恋バナ聞きたいの?」

「は、はい! 聞きたいです、ぜひっ!」


 慎也の返事を聞いた恵はしょうがないなあ、と笑い、それから遠くを見るように目を細めた。


「いるよ。好きな人」


 慎也は里沙子の姿を思い浮かべる。そして、訊かずにはいられなかった。


「……どうして、好きになったんですか」


 八畳の茶室にすうっと染み込むような沈黙が生まれる。

 慎也は身じろぎひとつせず、静かに言葉を待った。

 しばしあって、おもむろに彼女が話し始める。


「私の好きな人はね、ありきたりな表現かもしれないけど、王子様みたいな人なのよ。ううん、王子様よりももっと近くにいるけど、でもとても遠い存在なのかもしれない」


 「抽象的でごめんね」と恵は笑いかける。それからほんの少し、目を伏せて再び口を開く。


「知ってると思うけど、私ってほら、暗い性格してるでしょう? 今はこれでも結構マシになったの。でも、前はもっと酷かった。教室に友達は一人もいないし、誰かに話しかけられることすらなかった。机でずっと本にかじりついている暗い子。それが私だったのよ。だから、一年生の頃は教室で生活するのが苦痛で仕方なかった」


 衝撃が走る。

 和やかな雰囲気で面倒見が良さそうな彼女にそんな時代があったなんて。

 確かにクラスの中心になってワイワイ騒ぐようなタイプではなさそうだが、それでも慎也には彼女が孤立するような人間には見えなかった。


「そんな時、その人と出会ったの。その人はずけずけ心に踏み込んでくるタイプだったから初めは嫌いだった。……けれど、いくら拒絶しても懲りずに何度も何度も話しかけてきて、ある日その人の言った冗談で私、笑っちゃってね、そしたらすごい嬉しそうに笑うのよ。その笑顔を見たら、私もなんか……ほら……好きになっちゃって……」


 最後の方は顔を真っ赤にしながらもどうにか言い切ったような感じだった。


「そうなんですね」


 純朴な彼女の可愛らしい様子に慎也は思わず微笑みが溢れる。

 かなり曖昧で仔細な部分がぼかされた語りだと思った。

 しかし、好きな人のことを考えながら言葉にしている時の恵の表情を見れば、その人のことが本当に心の底から好きだということが十分に伝わってくる。そして、同時にいやでも彼女たちの性別について考えてしまう。


 女子同士の恋愛。

 最近はテレビでも当たり前のように同性婚や同性カップルの話題が取り上げられている。

 慎也はその人たちを見て「へえ、そういう人たちもいるんだ」くらいにしか思っていなかった。

 現実味がなく、どこか遠い国の出来事のようで、自分には関係ない。そう考えていた。

 実際、周りには男女カップルしかいなかったし、恋愛話になると皆当たり前のように異性の話題を持ちかけてくる。

 同棲同士の恋愛など、所詮はテレビの中のフィクションなのだ、と。


 だが、今現在、現実として目の前に存在している。まるでおとぎ話の登場人物がストーリーから飛び出してきて会話しているかのような不思議な気分だった。


 同性愛を否定する気など全くない。だが、どうしても気になってしまう。自分の中での当たり前の常識や価値観を丸ごとひっくり返されたような気がして、どうにも落ち着かないのだ。


 ──性別とは一体何だろうか。


 慎也は考える。


 きっと彼女にとっては性別など問題ですらなく、むしろ女だ、男だ、とこだわっている自分の方が「好き」という純粋な気持ちを否定しているに違いない。


 ──なら、性別とは一体何だろうか。


 慎也はさらに思考を深める。

 柚香と付き合ったのは彼女のことが好きだったから。

 だが、もし彼女の性別が男だったら、同じように好意を寄せていただろうか。恋愛に発展していただろうか。また、向こうも同じように想ってくれるだろうか、それとも拒絶されるだろうか。


 ふと、思う。

 今、自分は女の身体になっているが、柚香のことを好きだと言えるだろうか。


 身体は女だが、精神は男だ。無論、好きに決まっている。だが、あかりとして彼女と接しているうちにそれがわからなくなってくる。

 果たしてこの「好き」は恋愛として好きなのか、それとも友人として好きなのか。

 逆に今、男を愛せるか。

 クラスの適当な男子の面々を思い浮かべてみる。

 胸の高鳴りを覚えるか。彼らに身体を預けてもいいと思えるか。

 あまりに浮世離れしていて、想像があと一歩のところで追いつかない。きっとその瞬間を迎えないと実感が湧かないだろう。


 ──ならば、まだ自分は男か?


 慎也はそこまで考えて、再び自分が性別という枠組みに囚われていることに気づく。

 こびり付いた油汚れのように、固定観念とはなかなか拭えないものだ。

 もしかすると何の疑問も持たずに一生をその檻の中で暮らすことになる可能性もあった。そういう意味でも、今日恵と里沙子に出会えたことは僥倖だったのかもしれない。


 慎也が思案に沈んでいると、急に押し黙ってしまった彼を見て恵が申し訳なさそうに言う。


「ごめんね、長々と話しちゃって」

「いえいえ、私が聞いたんですから! 先輩の恋バナめっちゃ良かったです!」

「そ、そう? 恥ずかしいな」


 恵は照れて頬をほんのり染める。その様子に慎也は純粋でいい人だな、と感じる。彼女のいる茶道部は時間に温かみがあってゆったりと流れているようだ。

 温くなった紅茶に口をつける。


「そういえば、私の話だけじゃなくてあかりちゃんの話も聞かせてよ」


 自分ばかり一方的に照れさせられて不公平に感じたのか、恵が反撃体制に入る。

 だが、生憎と慎也はあかりの好きな人を知らなかったので返答に詰まる。

 何て返そうかと考えあぐねていると意外にも答えは向こうからやってきた。


「何か進展あった? 森本くんとは」


「……え?」

「……ん?」


 思いもよらぬ親友の名前が出たことで、穏やかに流れていたはずの茶道部室の時間が三秒間ほど止まったのだった。






 目を瞑ってしばらく待つと、躊躇いがちに唇を奪われる。

 いったい何度目の口づけだろうか。繰り返されるこの口づけに意味はあるのだろうか。この後の展開も既にわかりきっているのに。


 数秒経ち、どちらともなく離れてゆっくりと目を開ける。

 そして、淡い期待は再び落胆へと変わるのだ。目の前の自分の顔もまた落胆へと変化していくのが手に取るようにわかる。


「くそ、今日もダメか」


 慎也は肩を落として近くの椅子に身体を放り出す。あかりも同じように近くの椅子に腰掛けて力なく頷いた。


 入れ替わった日から二週間が過ぎたが、彼らは未だ元の身体に戻れずにいた。

 当初の楽観的な考えはとうに頭を離れ、ふとした時に焦りと不安を感じる瞬間が多くなってきた。

 だが、悩んだところで状況は如何ともしがたく、結局は元に戻れると祈って、今できることを続けていくしかない。

 こうなった考え得る原因はただ一つ──あの日あの場所で二人が接触したことなのだから。


 故に放課後になると、淡い期待を胸に当時の場面を再現して幾度となく扉の前でぶつかり、キスをしてきたのだが、結果は相も変わらず、ただ膝や腕に痛みを残すのみである。


「一生このままだったらどうしよう」


 あかりが慎也の声で情けなく呟く。


「大丈夫だって。いつか戻れる」


 半ば自分に言い聞かせるように彼女を励ます。だが、何の根拠も保証もない鼓舞は放課後のがらんどうとした教室に虚しく響くばかりだった。


 二人の間に重く沈んだ空気が流れる。


「そういえばさ、お前……」


 慎也がさりげないふうを装って口を開く。だが、言葉はあかりによって遮られる。


「お前って呼ばないで」


 雑踏では掻き消されるほどの小さな声だが静まり返った教室では鋭く刺さる。

 彼女は先行きの不安に気が立っているらしく、普段なら気にも留めなさそうなことに突っかかった。

 慎也は大人しく訂正する。


「……石田さんさ、和樹のこと好きなんだって?」


 勢いを削がれても尚、彼は無理に明るい調子で話しかける。

 先日得たばかりの彼女の情報を議題にあげ、どうにか重苦しい空気を変えようと画策したのだった。

 基本的に女子には恋愛話を持ち掛ければ盛り上がるだろうという彼自身の経験に基づいた話題選びだったが、あかりが興味を示したようにハッとしてこちらを振り向いたので、彼女もまた恋バナが好きな性質なのだと確信する。


「……誰に聞いたの?」


 だが、意外にも彼女は笑顔を見せず、こちらを探るような視線で尋ねた。


「あの人だよ、茶道部の恵先輩」


 慎也の受け答えを耳にしても、探るような視線はやめない。


「……他に何か言ってた?」

「いや? 特には」


 慎也が素直に思い当たらないことを告げると、あかりは少し安心したような様子で「そっか」と返事をした。

 不可解な彼女の態度に慎也は首を傾げる。だがすぐに、さては恥ずかしいんだな、とピンときて、ちょっとしたいたずら心が芽生える。


「なんだよー、言ってくれれば上手いことやってやったのに」


 慎也はにやにやと笑う。


「そう言われても、私たちほとんど話したことなかったじゃん。…………それに今はこの身体だし……」


 あかりがため息をつく。哀感のこもった彼女の言葉に慎也の顔からも笑顔が消える。


『──今はこの身体だし』


 その言葉がやけに耳に残って、鉛玉を呑み込んだみたいに胸に重いものがずしりとのしかかる。

 彼女に非難する意図はないだろうが、この状況に陥った原因の一端を担っている慎也にはそれが責められているように聞こえた。

 彼も被害者であり、一方的に呵責される謂れはない。だが、それでも、あの時バランスを崩して押し倒したのは自分であり、そもそも焦って力任せに扉を開けようとしなければ避けられた事態なのだ。そして何より女子に危害を加えてしまったという申し訳なさが自分を責め立てるのであった。


 再び教室が重い雰囲気に包まれるかと思われたのも束の間、彼が「よし」と悪い瘴気を霧散させる。


「じゃあ、俺が代わりに和樹と仲良くなって、元に戻った時に超いい感じになるようにしといてやるよ!」


 突然の慎也の宣言にあかりは理解が追いついていないのか、少々間抜けな困惑した表情を浮かべた。それを疑いの目だと受け取った彼は自信満々に胸を張り、答える。


「大丈夫だって! 俺とあいつは親友なんだぞ。性格から嫌いな食べ物まで何でも知ってるからな。任せとけって」

「ちょ、ちょっと待って、そん……」

「あ、俺友達待たせてっからもう行かなきゃなんないわ。まあ上手くやるから安心しろよ! じゃあな!」


 あかりの言葉を遮ってそう捲し立てると、慎也は颯爽とリュックを背負って廊下へと去っていった。


 放課後の教室が静寂を取り戻す。

 そこにはひとり、彼の腕を掴もうと伸ばした手は虚空を掴み、ただ呆然と立ち尽くしたあかりだけが残されていた。

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