第9話 夫と義姉が不仲で緊張します
その日の行先は、本宮ではなかった。
ぐるりと馬車で回り込み、いくつかの宮殿や礼拝堂の間を抜ける。城と一言で言っても広く、いくつもの宮を内包している。
二人がやってきたのは、小さな奥の宮だ。こちらは黒とクリームの外壁で、特徴的なアーチはあるものの装飾は多くなく、すっきりした印象である。
馬車を下りると、執事が二人を出迎え、案内された。
外廊下を歩いていけば、庭で庭師があわてて頭を下げ、角を曲がれば眼鏡をかけた女性と行きあい、挨拶される。家庭教師だそうだ。
応接室に入ってしばらく待つと、やがて扉が開いた。
少年と、女性が入ってくる。
「おじうえ!」
にこりと笑った少年は、弱冠六歳の国王、ルドゥクだ。ここは、彼が暮らす宮なのである。ラフェドは、リオリエルと彼を引き合わせるためにやってきたのだ。
ルドゥクは直接政務を執ることは少ないので、この奥の宮にいることが多い。青紫の艶やかな髪を一本に結い、賢そうな眼差しでラフェドとリオリエルを見ている。
女性の方は、ラフェドの義姉でルドゥクの母、先代王イスファルの妃ガネットである。
傍流とはいえゾス王家の出、つまり彼女自身も王族だ。深緑の髪を高く結い上げた美しい女性で、まだ三十歳にもなっていない若さだが、切れ長の目と小さな唇には人形のように表情がない。
(ラフェド様は、『初めて会った時から何を考えているのかよくわからない』なんておっしゃってたけど……確かに、表情を読み取りにくいお方)
喪が明けたばかりで、彼女は人前にはあまり出ていない。ラフェドとリオリエルの形式的な結婚式も立ち会いはしなかったため、今日が初めての顔合わせである。
二人は立ち上がり、そしてリオリエルは膝を折って深々とお辞儀をした。
「リオリエル。ルドゥク王と、ガネット様だ」
ラフェドが紹介する。
ルドゥクは緊張しているようではあったが、きっちりとあいさつした。
「奥の宮に、ようこそいらっしゃいました。あらためまして、おじうえ、おばうえ、ごけっこん、おめでとうございます」
その舌足らずな可愛らしさに、リオリエルは頬をほころばせる。
「ありがとうございます! どうかお導き下さいませ!」
一瞬、膝をついて拝もうとして、踏みとどまった。
(いけない、ラフェド様に注意されたのでした。恐れ多いことだけれど、私も今は王族なので、この挨拶はおかしいですよね)
ガネットはそんな彼女をちらりと見たが、ただ一言、
「このたびは、おめでとうございます」
と言って口をつぐんだ。
ノックの音がして、ガネットの侍女らしき女性がワゴンを押して入ってくる。
茶器の用意をする間、ガネットは何も言葉を発しなかった。そんな母親の様子を窺っているのか、ルドゥクも静かだ。
侍女が出て行き、ラフェドは紹介の続きを口にする。
「リオリエル。俺は摂政としての仕事を本宮でこなしているが、ルドゥク陛下ともよく食事したり、勉強を見たり、狩りに出かけたりしている」
「狩りにも? 素敵ですね。陛下、どうか私もお仲間に入れてください!」
リオリエルが願い出た。もちろん、ラフェドを守るために狩りについていきたいからである。
ルドゥクはどこか嬉しそうにもじもじしつつ「はい」とうなずいた。
「ありがとうございます!」
リオリエルが頭を下げると、ラフェドがニヤリとして言った。
「ではルドゥク陛下。今度の狩りで、結婚祝いにテンチェを狩っていただこう」
テンチェは森や草原に住む動物で、長い耳を持つ。
「えっ」
あわてた様子のルドゥクに、ラフェドは口調を変えて続けた。
「楽しみにしてるぞ、俺は今の季節のテンチェの肉が好きなんだ」
「わ、わかりました。がんばります!」
うなずいたルドゥクが、ちらりと振り向く。
「あの……ははうえも」
ガネットは薄く笑みを浮かべ、口を開いた。
「私は、狩りは苦手ですから……。ラフェド殿、あまり何度も、陛下を私から引き離さないで下さいね」
(あら……)
どうやら、ラフェドがルドゥクを狩りにちょくちょく連れ出すことを、ガネットはあまり快く思っていないようだ。
彼は愛想良く微笑んだ。
「義姉上、不快に思われたなら申し訳ない。摂政として陛下との関係を築くのに、狩りを通してのつきあいくらいしか思いつけない無作法者なもので」
「執務の記録を残していただいていますし、それで十分ですわ。国王の務めについても、
ガネットの返事は、直接的な非難こそしないものの、『国王の教育は私にもできる、あなたは出しゃばりすぎないで』と匂わせているように、リオリエルには思えた。
(ガネット様も、ラフェド様の出自がお気に召さないのかしら)
心配していると、ラフェドはさらりと答える。
「なるほど。では後は、政務の実際を直接見て頂くのがいいでしょう。執務室には、ほとんど入ったことがおありではないだろうから、少しずつ視察に来られては?」
イスファル王は家族を本宮にはあまり連れてこない方針だったそうで、ガネットとルドゥクは本宮にすら、ものの数回しか足を踏み入れていないと聞く。
ガネットは考えながら、口を開いた。
「そうですね。ラフェド殿がそうおっしゃるなら、時々は。私も一緒で構いませんね?」
「もちろんです。陛下も安心でしょうし、義姉上の知恵をお借りすることもできます」
このやりとりを、リオリエルは少し緊張しながら聞いていた。
(現在、執務室はラフェド様お一人が使われているけれど、ガネット様にしてみたら『本来の王であるルドゥク様がいるべき場所なのに』とお思いでしょうね。だからラフェド様は、ルドゥク様ガネット様のお二人を招いて、ご不興を解こうとされている)
合意を取り、ガネットを持ち上げ――
――ラフェドは最後に、ニッと笑って付け加えた。
「俺はそれこそ狩りとか、義姉上が苦手でいらっしゃることをお教えするのに専念しますよ」
うっ、と軽く息を呑んだガネットは、「……ええ」とだけ答えて黙り込んだ。
国王は儀式としての狩りをすることもあり、技術は学ばなくてはならない。ガネットは先ほど狩りが苦手だと言ってしまっていた手前、これでラフェドがルドゥクと狩りに行くことについては口が出せなくなってしまった。
(ラフェド様は、商家で育ったお方。こういった駆け引きも得意でいらっしゃるのかも)
リオリエルは密かに感心した。
ラフェドはルドゥクに視線を戻す。
「陛下も忙しいだろうから、今日はこれで失礼しよう。ではな、ルドゥク」
「はい!」
ルドゥクは大きくうなずき、リオリエルも
「狩り、楽しみにしております」
と再び礼をした。
「……怪我はさせないで下さいね。大切な御身ですから」
ガネットはただそう言って、扇で口元を隠した。
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