第8話 隠密活動には色々と必須です

 執務室に入ると、そこは大きな書棚や書き物机などが配置された、落ち着いた空間だった。細身の男性文官が一人、立ち上がる。

「ラフェド様、おはようございます」

「おう。リオリエル、こいつは執務の補佐をする奴で、エフレンだ」

「奥方様、初めまして」

 文官エフレンは生真面目な口調で、事務的に挨拶する。リオリエルもまずは、

「初めまして、よろしくお願いいたします」

 とシンプルに挨拶をした。

 エフレンはラフェドに尋ねる。

「本宮に奥方様をお連れになるとは、何かございましたか」

「彼女も、摂政の妻としての知識を身につける必要があるんだが、本宮で学びたいと言っている」

「ここで……?」

 エフレンは眼鏡越しに、はっきりといぶかし気な視線をリオリエルに向けて来る。

 リオリエルは、祈りのポーズをとった。

「信徒の私にとって、お城はまさしく神の家。ここでラフェド様や神々を感じながら過ごさせていただければ幸いです。学びに専念し、お仕事のお邪魔はしないようにいたします」

「な、なるほど」

 敬虔な信徒ムーブに、あっさり呑まれるエフレンである。リオリエルの心に嘘がないから、というのもあるかもしれない。

「彼女が学ぶために必要なものを、手配してやってくれ」

 ラフェドに指示され、エフレンは「ではこちらへ」とリオリエルを長椅子に案内した。ラフェドは奥の一角にある執務机のところへ行き、そこから彼女たちの様子を見守る構えだ。


「どういったことを学ぶか、ですが」

 低い机を挟んだ長椅子に向かい合って座り、エフレンは室内を手で軽く示した。

「シェンハーザ王国の歴史や、王族の皆様方、貴族の皆様方についてでしたら、ここに資料がそろっております。そうですね、まずは『スラフ』から神々の名を、それから貴族年鑑の内容を頭に入れるようにしてはいかがでしょう」

『スラフ』というのは、見た目は鍵つきの革表紙の本だ。中を見ることはできないが、触れるだけで頭の中に神々の系譜が浮かんでくる、シェンハーザの神器である。

 といっても一冊しかないわけではなく、公共の建物や国に認められた場所にそれぞれ一冊ずつ保管されていた。

 貴族年鑑というのはそれの貴族版で、神器ではなく、人の手で作られた一般的な書物だ。もちろん、鍵などもついていない。

 エフレンは中指で、眼鏡をクイッと直した。

「一日の終わりに、どこまでご記憶か、僭越ながら試験をさせていただきます」


 それを聞いて、リオリエルは考えた。

(ラフェド様のおそばに置いてもらうためには、私にそれだけの資格があると、エフレンさんにアピールしておいた方がよさそうですね。よし)


「試験ですね、お願いいたします! あ、でしたら」

 リオリエルは両手を合わせて微笑んだ。

「王族の皆様方については、今、試験をしていただいてもよろしいですか? その、確認の意味で」

「と、申されますと?」

「私たち信徒は王族の皆様方、つまり神々に、毎日祈りを捧げております。ですから、ある程度は信徒会で学んでいます。他にどれだけ多くを学ばなくてはならないのかを自覚し、今後の戒めとしたいのです」

「素晴らしいお心がけですね。よろしいでしょう。では……」

 エフレンは、リオリエルから目を逸らさないまま、質問した。

「先代イスファル王についてどの程度ご存じか、語っていただいてもよろしいですか?」


「はい」

 リオリエルはさらりと話し始めた。

「イスファル王は王都の北、ゲタウの地で、アーメド・ウレディ・ハーザ様とスギア・ラデ・ハーザ様の間にお生まれになりました。一度は王都で文官に就任なさいましたが、父アーメド様が叔父のデクレ様と仲違いをされた際、安全のため隣国ティグルに留学という形で出されました。その時にティグルのレルサム王子と親交を持ち、シェンハーザに戻ってからも」


「ちょ、ちょっとお待ちを」

 エフレンは何度も瞬きをしながら、再び眼鏡を直す。

「まさかとは思いますが、王族おひとりおひとりについて、そのようにご記憶で?」

「お生まれになった日にはそれぞれ毎年、生涯を祝福する祈りを捧げますので……。あ、でも、私はナダ・ウレディ・ゾス・ラデの四つの王家の方々しか覚えていないのです。時代によっては王家が七つまであったといいますのに、消滅した王家については代々の当主の方々しか存じ上げません。ふがいないことです」

 肩を縮めるリオリエルの頭には、とっくに歴史も王侯貴族のプロフィールも入っているのである。

 国に認められた信徒会にも『スラフ』は一冊ずつ与えられているので、そこから読み取れる内容は全て暗記していた。何なら、目の前の文官よりも詳しいかもしれない。


「お、お詳しくていらっしゃる……」

 呆然とつぶやくエフレンに、

「いえ。神を信じるものとして、少しでも多く神の世界について知ろうとするのは当然のことです」

 とリオリエルは微笑んでみせたが、もちろん普通の信徒はそこまで学ばない。普通ではない影徒だからこそである(もちろんそんなことは言わないが)。

「なる、ほど。ええと、それだけご存じならそれ以上は後回しでも……先に、隣国ティグルの言語を学ぶことにいたしましょうか。教師を手配いたしますので」

「はい、よろしくお願いいたします。シェンハーザとゆかりの深い国々の言語は、摂政の妻として外交に必要ですものね」

 リオリエルは、少し申し訳なさそうに縮こまった。

「私、読むのと聞くのはできるのですが、どれも書いたり話したりが苦手なのです」

「『どれも』……? あの、読むのと聞くのなら数カ国語がおわかりだということですか??」

 諜報活動には必須なので、当然、学んでいる。

「わざわざ布教のために他国の言葉を学んだのに、お恥ずかしい話ですが、話すのがとにかく下手で。片言になってしまうんです」

「十分では……? あー、布教のため、なるほど。しかし政治的なことは、また別ですしね! 例えば、こちらの書類はお読みになれますか?」

 彼は席を立ち、書類を持って戻ってくる。受け取ったリオリエルは、目を通した。

「ティグルに鉱石を輸出する時のものですね。輸出者の名前、品目、あとは数量や価格が書いてありますが……これ、ハビ語ですね」

「そう、ですが」

「ティグルは最近、こういった書類をグルル語に統一したはずです。直してからお出しになった方が、あちらの手間が省けるのではないでしょうか」

 書類を返され、エフレンは口ごもりながら受け取る。

「……よくご存じで」

「ティグルに布教に行った信徒が帰って来たばかりで、私、ちょっと聞いておりまして」

「あっ、では芸術方面を。歌はお得意ですか?」

「賛美歌でしたら」

 普段からめちゃくちゃ歌っていた。古語でもいけるし、竪琴で伴奏もできる。


「は、はぁ」

 エフレンはとうとう言うことがなくなってしまい、執務机で聞いていたラフェドが噴き出した。

「ははは! リオは信徒会の幹部候補だったそうだ。舐めてかかると大変だぞ」

「いや、その……ラフェド様がリオリエル様をお選びになった理由が、よくわかりました……」

 額の汗をぬぐう、エフレンである。


 結局、リオリエルは貴族についての知識と、ダンスだけ習うことに決まった。本当は貴族についても詳しいが、さすがに知らないふりをしないと怪しまれる。そしてダンスは、本当にやったことがない。


 こうして執務室の中にリオリエルの机が用意され、彼女は普段はそこで勉強するようになった。数日おきにダンス教師が来たら近くの部屋で教わり、また戻ってくる。

(執務室は情報の宝庫ですね。何かの役に立つかもしれません、あれこれ覚えておきましょう)

 忙しそうなエフレンをたまに手伝いながら、結構本気マジな目で書類を読んでしまうのは、職業病かもしれない。


 誰か訪ねてくれば、席を外すこともあった。そういった時は、いかにも散歩しているかのように執務室を見張れる場所を歩いたり、下手に誰かにお茶に誘われないよう、突然立ち止まって祈りを捧げたりする。

「神の世界を感じます」

 などと言って。


 おかげで彼女は、信心深いけれど少々変わった摂政妃だと有名になっていった。

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