第3話 命を賭けてお仕えします
「……とにかく。跡継ぎなんか必要ない。お前は一度死にかけた上、好きでもない男の妻になったんだぞ? 影徒だってだけで十分、王族に振り回されてんだ」
苦々しさを滲ませるラフェドの言葉に、リオリエルは大きな目を瞬かせる。
「振り回されてなどおりません。ラフェド様のために生き、ラフェド様のために死ねるなら幸せです」
「それは間違った幸せだっ!」
強い調子で、ラフェドが遮った。
シン、と、再び寝室が静かになる。
目を逸らさないまま、ぽつりと、リオリエルがつぶやいた。
「…………私は、間違っている、のですか?」
ラフェドはハッとする。
「いや……そういうわけじゃ……ただ夫婦としてはだな」
「そうですね。間違いは許されません」
リオリエルは素早く、指先で目元を拭うと、改めて彼に向き直った。
目に決意を漲らせ、両手を拳にする。
「私、『普通の妻』らしくなれるように頑張ります!」
もはやラフェドは苦笑いするしかない。
「おお。そっちを主に頼むわ。……他にも色々話したいことはあるが、またにする。今夜はもう休もう、なんか疲れた」
「子作りは、なしですか?」
「ゴフッ……! あ、跡継ぎなんかいらねぇって言っただろ!」
「申し訳ありません、何だか気分が高揚してしまって。あの、私、どこで休めば」
「ここに決まってんだろ。普通の妻になるって言ったばかりだろうがっ」
「そうでした、フツーの妻は夫と同じ寝台で寝ますよね、かしこまりました。あ、火、消しますね」
リオリエルが立って、ベッドの脇に置いてあったランプの火を消した。
寝室は、ふっ、と闇に沈む。
先に横になったラフェドの隣に、リオリエルは上がった。いったん座り、「ゼラーレン」と唱えてから横になり、上掛けを引っ張り上げた。
一言、ささやく。
「私、眠っていてもラフェド様以外の気配がしたら起きますので、ご安心を」
暗闇の中から、返事があった。
「……使命感があるんだろうが、屋敷の中でくらい忘れろ。お前が怪我したあの時に警備体制を見直したから、今は万全だ」
「わかりました、ありがとうございます。おやすみなさいませ」
寝室に、静寂が満ちる。
やがて、穏やかな寝息が聞こえてきた。
リオリエルはそっと、隣にいるラフェドを見つめる。彼女は比較的夜目が利く方なので、うっすらと寝顔が見えた。
(なんだか夢みたい。眠ったら逆に、夢が覚めてしまいそう)
昼間の、結婚式を思い出す。
先代国王の喪が明けた直後だから……という理由をつけて、庶子の摂政と信徒の結婚式は、ほんの形式的なものとして行われた。
清楚な婚礼衣装を身にまとったリオリエルが、聖堂の扉から中に入って顔を上げると、通路の先にラフェドが立っていた。
正面のステンドグラスから彩り美しい光が落ちて、絨毯の上に神の世界を描いている。そこに立つ彼は、まさに荘厳な天界から降り立った、地の神だった。
けれど、彼女は知っている。
厩番見習いとしてそばにいた二年間、同じ屋敷で働く使用人仲間たちさえ、ラフェドを「純粋な神ではない」と侮っていたこと。
そんな屋敷で、若かりしラフェドがたまにイライラしつつも、ひたすら学び、訓練し、努力していたことを。
(戦いの神、美の神、芸術の神……天地の神は様々なものを司っていらっしゃるけれど、ラフェド様は庶民の気持ちを一番ご存じ。国の民を守る神なのだわ)
祭壇の前に立つ彼は光り輝き、リオリエルの心を熱いもので満たす。
リオリエルは思わずラフェドに駆け寄り、彼の目の前でベールを翻してひざまずいたものだ。
『ああラフェド様、命を賭けてお仕えします!』
『結婚にそういう重さはいらねぇが?』
ラフェドには呆れられたけれど、リオリエルの覚悟は固まっていた。
(影徒として立派にラフェド様を守りながら、『普通の妻』としてもお支えしてみせます!)
翌朝、リオリエルはいつも通り、まだ薄暗い時分に目を覚ました。ラフェドはまだ眠っている。
彼女は静かにベッドから抜け出し、隣の自分の部屋で着替えた。地味な紺のドレスだ。
すっ、と腰を落として構え、回し蹴りをしてみる。ふわっ、と裾が広がったかと思うと、ビッと空気を切る音がした。
(よし、動きやすいわ)
この屋敷に来た時、彼女が持っていた服は信徒服と、外出用の地味なワンピースだけだった。
必要なものを揃えることになった時、服はできるだけ動きやすいものがいい、と頼んだのである。もちろん、どんな服装でも神を守れるだけの訓練は積んできてはいるが、動きやすくできるならそれに越したことはない。
「馬にも一人で乗りたいので」
仕立屋にそんなふうに頼むと、
「最近の女性は活発ですねぇ」
といった感じで、特に疑問には思われなかった。
結果、一見スカート、実は足を通すところが二つあり、足にまとわりつかず
自分で髪を梳いていると、ノックの音がして、やや年輩のメイドが入ってきた。
「失礼しま……あっ」
「あら、こんなに朝早くから……おはようございます」
リオリエルはにっこりと挨拶する。
「こちらはもう済みますから、お屋敷の仕事に戻ってください。忙しいでしょう」
身支度の手伝いをするはずだった彼女は、バツの悪そうな顔をし、
「はい……すみませんでした」
と口の中で言うと、出て行った。
(悪いことをしてしまったかしら。でも、メイドは侍女ではないし)
元使用人のリオリエルは、本来なら屋敷の女主人には専属の侍女がつくことを知っている。侍女が決まっていないときは、メイドが本来の業務に加えてその役目を担うことも。それで「忙しいでしょう」と気を使ったのだが。
そっと扉を開けて廊下を覗くと、先ほどのメイドが他のメイドと話している。
「『早いわね』ってイヤミ言われたわ」
「いいじゃない、何か頼まれるまで放っておけば。山奥に住んでた信徒なんだから、自分のことは自分でやるでしょ」
「それもそうか。あの半端男の屋敷を綺麗に保つだけで十分よね」
リオリエルは静かに、扉を閉めた。
(信じられない。いまだにラフェド様はあんな陰口を叩かれているのね! ああダメダメ、怒らないで許すのよリオリエル。メイドとしての仕事をきちんとしているなら、私が何か言うべきではないわ。でも、とりあえず私に侍女は必要ないと誰かに言っておこう。……それと)
少々行儀が悪いが、靴を脱いだ左足を椅子に乗せて裾をまくる。すらりとした足が露わになった。
リオリエルは太腿にベルトを巻き、そこに使い込んだナイフを鞘ごと固定した。いざという時に使うためである。
これで、身支度は完璧に終了した。
裾を直し、朝の礼拝のために敷地内の礼拝堂に行こうとして、少し考える。
(礼拝堂まで行かなくても、神様はここにおいででは?)
寝室に逆戻りすると、ベッドの前でひざまずき、両手を組んだ。
(国をお守りくださり、感謝します。今日も心を込めてお仕えします)
「ゼラーレン」
「……何やってんだ?」
声がして目を開けると、ラフェドが上半身を起こし、呆れた視線で彼女を見下ろしていた。
一日に一度は呆れられる、リオリエルであった。
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