第2話 愛しませんからご安心を!
「エルセネスト信徒会は歴史もありますし、建国時の戒律を守り続けております。そこの信徒なら、とお選びになったんですよね?」
リオリエルが続けると、ラフェドはうなずいた。
「まあな。だが信徒はお前だけではない。なぜ俺がお前を選んだか、わかってんのか?」
彼は強い視線で、リオリエルを見つめている。
「わかりません」
「なら、わからせてやる」
彼の手が伸び、リオリエルの寝間着の胸元に触れた。
結ばれていた紐が、すっ、と解かれる。ゆるんだ襟元から、手が入ってくる。
静かだ。ランプの芯が、ジジッ、と音を立てるのさえ、聞こえる。
リオリエルはじっとして、されるがままになっていたが──
寝間着を脱がされるのではなく、左の肩だけを露わにされて、一瞬動揺した。
「あっ、あの」
肩口から肩胛骨にかけて、ラフェドの指が肌をなぞる。
そこには、目立たないが、白い傷跡が走っていた。
彼は言った。
「俺は、
リオリエルはギョッと身体を引く。
「気づいてらっしゃったんですか!?」
七年前、ラフェドが王族に迎えられ、実家から王都の屋敷に移った頃のことだ。
十二歳のリオリエルはその屋敷に、
それだけではない。
密かに、彼の護衛を務めていたのである。
実は、エルセネスト信徒会には裏の顔があった。神の子孫である王族を守る、いわゆる『王家の影』、隠密としての顔だ。その存在を知る者は、彼らを『
影徒たちは必要な訓練を幼い頃から施され、様々な姿に身をやつして王族を守った。いざという時は武器を取って戦い、命を捧げることも厭わない。
戦乱の時代の影徒たちは、王族の命を狙う者を暗殺したり、王族を裏切った貴族に制裁を下したりもしたようだ。神々を守るためなら当然、という考え方である。
しかし、時代が変われば倫理観も少しずつ変わる。
現在では誰かを積極的に殺すようなことはせず、守ったり調べたりする仕事に特化していた。もちろん、いざというときに命を賭ける、その信条は変わらないが。
王族の護衛は、最重要任務『対神守護』と呼ばれ、選りすぐりの影徒にしか務めることができない。
若くして選ばれたリオリエルは、その役目を立派に果たした。
暗殺者に命を狙われたラフェドを、身を挺して守ったのである。肩の傷は、その時のものだった。
「で、では、何もかもご存じなんですね……? そうと気づかれずにお守りするのが任務なのに……やっぱり私、とっくに影徒失格だったのだわ」
がっくり肩を落とすリオリエルに、今度はラフェドがギョッとした。
「待て待て。あの時は、お前の正体には気づかなかったぞ」
「……そう、なんですか?」
「ああ。だから驚いた。俺を守って怪我をして病院に運ばれた厩番見習いが、次の日には姿を消してそれっきりなんだからな」
怪我で任務の続行が不可能となったため、傷の縫合が済んだリオは身元がバレる前にと、病院を抜け出したのである。普通なら動けないほどの怪我だったが、訓練された彼女だからできたことだ。
彼女は山の中にあるエルセネスト信徒会本部に戻り、ラフェドには彼の知らない間に、代わりの影徒が派遣された。
そして、七年。
「俺が影徒の存在を知ったのは、摂政になってから。つい最近のことだ。王とか、その代理人は、『支配者の印』とともに『王の精神』と呼ばれる記憶を受け継ぐ。その中にエルセネスト信徒会の秘密も含まれているからな」
イスファルの前の王は、手から『支配者の印』が消えた際に憤死しているため、王族で信徒会の秘密を知っているのは現在ラフェドだけである。
「そうだったんですね。……いえ、でも」
リオリエルはやはり、複雑な思いだった。
「たった一度お守りしただけでお役目交代、だなんて。やっぱりふがいない影徒です、私」
「だが、俺はその……認められた、ような気がした」
ラフェドはわずかに口ごもる。
「信徒会の秘密をただ知っただけだったら、『どうせ庶民出身の俺は適用外だ、俺を守るヤツなんていない』と思っただろう。だがあの時、俺はリオに守られた」
ラフェドの大きな手が、リオリエルの左肩に置かれた。
「命を賭けて俺を守る存在がいるなら、まあ、摂政なんて大役もやってみるかと思ったんだ」
彼の目が再び、彼女を見つめる。口調は荒いが、瞳は真摯だ。
「初めて信徒長に会って話をした時、リオが今も元気だと知って、俺は信徒長に言ったんだ。リオを俺にくれ、とな。そしてお前は、俺のそばに戻ってきた」
(戻って……そう、私、ラフェド様のおそばに戻ってきた!)
胸が高鳴る。
リオリエルは、両手を組み合わせて目を輝かせた。
「なるほど……! つまり再び、『対神守護』の任務に就かせていただけるんですね!?」
「は!?」
ラフェドが目を剥く。
「お前、結婚したこと忘れたのか? 妻だっつってんだろ、妻!」
「はいっ、『妻』ならラフェド様の一番近くでお守りできますものね。夜も! ああ、これが神の許し……なんて寛大なお心でしょう……」
彼女は意気込んで、宣言する。
「あ、もちろん『妻』としてのお役目も頑張ります、跡継ぎを産むことですよね。他にも何でもお命じください、私はあなた様の所有物ですから!」
「所有物とか言うな! お前はモノじゃねぇ、人間だろうが!」
「そうでした、じゃあええと……
「だから妻!」
かみつくように言ったラフェドは、額を押さえてため息をつく。
「まぁそうだよな。お前は別に俺のこと愛してるわけでも何でもないし」
「なるほど……! そこがご心配でしたか」
完全に理解した、という顔で、リオリエルは自分の胸にキリッと手を当てる。
「ラフェド様のような尊い方を男性として愛するような不敬は、決していたしません。ご安心を!」
「そういうことじゃねんだわ」
ラフェドは自分の両足に腕をかけ、がっくりとうなだれた。
「かといって、『夫婦なんだから普通に俺を愛せ!』って無理強いするのもな……」
「え、あの……私がラフェド様を、その、普通に? 愛さないと、ラフェド様は困るのですか?」
おずおずと彼の様子を窺って、リオリエルは少し考えてから、両手をぽんと打ち合わせた。
「では、薬師に惚れ薬を作ってもらいます!」
「は!?」
「信徒会御用達の人がいるんです、武器に塗る毒薬をいつも頼んでいて。すっごく腕がいいんですよ」
「いらねんだわ、そういう得意先」
はあっ、とラフェドはもう一度、大きなため息をついた。
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