第1幕 ちゅうぶらりんしゃん(2)

 ヨミに手を引かれるまま、お銀がみつけてきた宿の前まで来た若者と一行たち。

 その宿を若者は見て思ったことは、なんとも質の良さそうな宿だということ。

 お銀が言っていたような、閑古鳥が鳴く宿だとは傍目からでは到底わからない出で立ちだった。

 手入れが行き届いている外観、店の周りだって草木で荒れ放題というわけじゃない。

 むしろ、庭先、出入り口まできちんと整えられているように見える。

 立地だってそこまで悪いとも思えない。

 繁盛していないのが不思議なくらいだ。

 こうなってくると繁盛しない理由といえば店員の態度や、部屋や食事などになにか問題があるか。

 もしくは曰く付き、憑き物、忌事絡みなどくらいしか考えられない。

 やや不安に感じながらも、空の暗さを見て、意を決した若者は店にかけられた暖簾をくぐった。

 そしてがらんとした入口で、姿の見えない誰かに向けて気持ち大きな声で呼びかける。


「すみません!誰かいませんか?」


 すると、パタパタという足音がだんだん大きくなって近づいてくる。

 奥にいたらしいこの宿の主は申し訳無さそうに若者たちに詫びた。


「すみません、お出迎えができず。奥で食事の用意をしていたものですから」


 そう言って、たすき掛けをした青年が人良さそうに微笑んだ。

 その青年は店主と呼ぶには少々、幼い見目をしていた。年の頃、まだ二十歳にも満たないように見える。

 若者はもう少し年配が来ると想像していた為、面喰らってしまったが、それもほんの一瞬。

 すぐに平静な表情をつくり、若者は穏やかに青年に声をかける。


「忙しいところ、申し訳なかったね。お仕事の邪魔をしてしまったなら深く詫びよう」


 若者の言葉に青年は首を大きく横に振った。


「そんな!お出迎えできなかったこちらの不手際なんですから!」

「……君がここの店主、であっているのかな?」


 優しい声音でたずねられた若者の問いに、青年は少し面映そうに頷いた。


「はい!先代から受け継ぎまして、今は自分が店主です。つい最近なったばかりですけど……」


 照れたように頬を指で小さく掻きながら、若者たちに微笑む。

 その仕草からも、店主の幼さが見て取れる。

 若者は自身より幼いであろう店主に向かい優しく微笑んだ。


「立派だね。では店主さんにお願いがあるんだけれど」


 若者がそこまで言葉を紡いだところで、慌てたように店主が声を上げてペコリと頭を下げる。


「そうだ!あの……いらっしゃいませ!!」


 若者は一瞬キョトンとしてから、微笑ましい店主の行動に時折、頷きながら優しく見つめていた。

 幼い店主は帳簿か何かだろうか、いくつかの冊子をしまったり、身なりを整えながら若者たちに声をかける。


「今日はどんなご用事でしょうか?道に迷われたとかですか?」


 若者は予想外の問いかけをしてくる店主に、言葉を詰まらせながら首を横に振る。

 通常であれば、宿泊の人数や日数を尋ねられる場面だ。


「いや……」

「この辺はどこの宿も混み合ってますから、この時間だとどこも空きがないかもしれませんよ?」


 困ったような表情を浮かべる店主に若者はおずおずとたずねる。


「……ここも満室かな?」


 若者の問いかけに店主は目を見張ってから、信じられないとでも言うような表情をしてから、小さく首を横に振り、か細い声で答える。


「……!?えっ……と、ここにお泊まりを?部屋はもちろん空いてますけど」


 店主の反応から、まさかと思いながらも若者は尋ねる。


「もしかしてここは、宿ではなかったかな?」

「いえっ!!ここは祖父様じいさまの代よりもずっと前から続いている宿屋です……けど、最近はここに宿泊するお客様なんて……」


 若者の問いに、慌てたように答える店主の言葉は次第に歯切れの悪いものとなっていき、そのうち黙り込んでしまった。

 俯き悲しげに影を落とす店主の表情を見つめて、若者は思案げな表情を浮かべた。

 ほんの少し考えを巡らせたけれど、すぐに若者は柔らかい笑みを浮かべて店主に声をかける。


「店主さんにお願いがあるんだけれど、よければ、ここに一夜、宿を取らせてもらっていいかい?」


 若者の思いがけない言葉に店主は、ぱっと顔をほころばせて元気よく頷いた。


「……もちろんです!!ぜひ!!今、お部屋とお食事をご用意いたします!!お荷物もお持ちしますから、ごゆっくり……少々、お待ち下さい!!」


 店主は本当に嬉しそうな表情で若者たちにそう言ってから、奥にいるらしい奉公人に明るく声をかけながらその場を後にした。

 若者は嬉しそうに奥に向かう店主の姿が見えなくなるまで見つめていた。

 そして彼の背中を見送り終えると一息つくように背負っていた重い荷を足元におろす。


「宿がとれて一安心だな。ここらの宿は盛況らしいし、お銀さんはお手柄でしたね」


 若者はヨミに軽く声かけてから、お銀に向かってにこやかに笑いかける。

 お銀は若者に褒められたことに気を良くして、先程のヨミとの小競り合いなど忘れてしまったようだった。


「だぁーんな?宿をみつけてお手柄のお銀さんに何かご褒美をおくれやしないかい?」


 わざと艶めかせた声音でお銀は自身に微笑みかける若者にしなだれかかろうと近づく。

 しかし、ほんの一瞬、出遅れた。

 あと少しで若者の肩に触れる、といったところでヨミが若者の手を軽く引いた。

 そして、手を引かれた若者の意識は完全にヨミに持っていかれる。


「先生。そろそろ店主がまた戻ってくるんじゃないですかね……」


 ヨミの言葉に若者は肯定するように頷いた。

 頷く若者にヨミは言葉を続ける。


「あの店主とやらは荷物を持つなんて言っていたけれど……あんなわっぱに先生の荷を持たせるのはあたしは心配だ。あたしがその荷物持ちますよ」


 若者の足元に置かれた荷物を指差しながらヨミが言う。

 若者はその言葉に軽く首を横に振りながら、もう一度、自身で背負ってしまった。


「ありがとな、ヨミ。でも、大丈夫だ。もうすぐ部屋に案内してもらえるし、自分で持っていくよ」


 ヨミを気遣って荷物を背負い直した若者を、ヨミは大きく肩を落とし、つまらなそうに見ていた。

 そんなヨミに気づくことなく、若者は店主に声をかけられ、一時ヨミたちから離れる。

 離れると言っても、ヨミたちの目の届く範囲ではある。

 お互いの話し声は微かに聞こえる程度、大きく声をあげればすぐわかる場所、目の行き届く距離。

 ヨミは若者と店主のいる場所から決して目を離さない。


「ちょっと!!いい加減におしよ!!ネズミ野郎!またあんたわざと!わっちの邪魔しただろう!!」


 若者の肩にしなだれそこねたお銀が目くじらを立ててヨミを怒鳴りつける。

 ヨミは聞いているのか、いないのか。全くお銀の言葉に反応しない。

 ヨミのその態度に一層お銀の怒りは噴き上がる。

 そんな二人の様子を見ながら利之助は困ったようにため息を吐いた。

 ヨミは少し離れた場所で笑いあう若者たちから目を一切そらすことなくポツリと呟くように問う。


「女狐……この宿、大丈夫なんでしょうね?」







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