第5話 仮面舞踏会
屋敷に戻ってから、トリスタンと会う方法をいろいろ考えたが、妙案がなく、結局私は困ったときのベルナールに相談した。
「ええ! それって運命じゃないですか!!」
ベルナールは興奮している。
「そうはいっても敵対する家門の子息なのだから、接点もないし、これからどうやって近づこうか考えていた」
「お嬢様がそんなに積極的になるなんて珍しいですね」
そうだろうか。言われてみれば、生まれ変わってから、特にこれがほしいとか思ったことがないように思う。ほしいと思う前に手に入っていることがほとんどだった。恵まれた人生である。
「まずは直近の仮面舞踏会に参加しましょう。主催の家門に圧力をかけてトリスタンを必ず参加させます。その上で2人でうまく抜けていただければいいのです」
「そんなにうまくいくものか?」
「『またね』と言っていたのでしょう。相手も会いたい様子なら、問題ないです。お嬢様は仮面付けてても目立ちますしね。来週水曜にちょうどいい舞踏会あるので、この件は進めますね。ところで」
相変わらずベルナールは仕事が速く、話がぽんぽん進んでいく。
「男爵令嬢についてわかりましたよ」
すっかり忘れていたが、そうだ男爵令嬢のことを調べなければならなかったのだ。
「男爵家の小間使いに聞いたところ、基本的には普通の令嬢だったそうです。ただ」
「ただ?」
「通常、男爵といえども貴族ですから、衣服の世話をする侍女がつくものですが、彼女だけが自分で着替え、自分で買ってくるそうです。周りには貧乏貴族だから負担をかけたくないと言っていたようですが、屋敷のものが一度も服を脱いだ姿を見たことがないとのことでした」
不自然な話だった。
着替えを自分でするのはともかく、衣服の買い物くらい、ほかの家族と一緒に注文すれば値段が変わることもない。屋敷の小間使いが気が付くのだから、屋敷でも不思議がられていたのだろう。
「何かを隠しているのかもしれない」
「そうですね、身体的な特長を隠しているように思います。あと、今は自宅にいないそうです」
「いない?」
そんなことがありえるのだろうか、と聞き返した。拘束されていなくても、私と同じように自由は制限されているものだと思っていた。
「捜査中ですので、表向き体調不良で顔が出せないということになっていますが、事件以降、屋敷に戻っていないようです。男爵は連絡をとっている様子なので、多少嘘をついても問題ないと思っているんでしょう」
「それは困った」
居場所がわからなければ接触できない。男爵令嬢の身辺を調べて、証拠が残っていれば話が早いと思っていたので、あてがはずれた気持ちだった。
「使用人たちはどこにいるか検討もつかないとのことでした。元々人付き合いもしない。別荘もない。一体どこにいったのやら」
男爵令嬢については行き詰まった。
トリスタンについては、一歩前進だ。
ベルナールはさすがの仕事ぶりで我が家に届いていない招待状を翌日には手に入れ、どこをどうやったのか、トリスタンの参加も勝ち取った。
「いやはや、大変でしたが、何とかなるものですね」
お膳立てはすべてベルナールに任せた。私は舞踏会会場の地図を取り寄せ、トリスタンをどこにどう誘うか、トリスタンがさゆりだった場合、どういう話をするか、等のシュミレーションをしていた。
翌週の水曜日、完璧な装いをした私は馬車に乗り込んだ。衣装の手配までベルナールに任せている。私の趣味よりよほどいい仕上がりになるので、今までもほとんどいつもベルナール任せだった。
ドレスは私の瞳と同じ目が覚めるような明るいブルー。肩から鎖骨までが広く開いていて、ウエストの細さが際立つように上半身はタイトで、腰から下に緩やかに広がるドレスだった。仮面は白が基調で目の周りが金色にふちどられている。仮面と髪には同じ種類の白い鳥の羽が飾られている。
しばらく馬車に揺られていると、会場である伯爵家に着く。仮面舞踏会は初めてだ。王子の婚約者だった頃は外聞が悪いからと参加させてもらえなかった。仮面くらいで正体が隠せるものかと思っていたが、案外目元を隠すと顔の印象が変わるようだ。社交界では顔が広い方だと思っていたが、知り合いのような知り合いじゃないような、で確信がもてない。あえて普段とは違う服装をする人も多い。
異様な空間に圧倒されてやたらと喉が渇く。飲み物がほしいなと移動を始めた時だった。
「こんばんは、お嬢さん」
声をかけてくる男がいた。黒い髪をポマードで撫で付けた、明らかにトリスタンではない男だ。香水の匂いがきつい。
「慣れてないようですね、このようなパーティは初めてですか」
「ええ、今まで機会がなくて」
適当に話しながら目はトリスタンを探していた。私の上の空な様子に気付いていないのか、気づいていて無視しているのか、ポマード香水男はべらべらとしゃべる。
「初めてでは勝手がわからないでしょう。どれ、ご案内いたしますよ。まずはあちらの個室に…」
「失礼、その方は私と先約があるので譲ってもらえませんか」
濃い緑色の礼服で黒い仮面をつけた男性が割り込んできた。両手に飲み物を持っている。
着いたばかりで先約などないが、喉が渇いていたこともあり、ポマード香水男から離れるいい口実だと、新しく現れた黒い仮面の男の誘いにうなずいた。
「そうなのです。ごめんなさい」
ポマード香水男は苛立たし気に黒い仮面の男をにらみつけ、足早に去っていった。
「ああいう男はよくないですよ。個室に連れ込んで何をするつもりだったのだか。くれぐれもお気をつけて」
「助かりました。ありがとうございます」
礼をしながら、黒い仮面の男を観察する。撫でつけられているが、短い茶髪で、鍛えられた体格はトリスタンと似て見える。
「あちらで、ご一緒しませんか」
仮面の中からは、ヘーゼルの瞳がのぞいていた。
「ええ、喜んで」
一緒に向かったのは狭いテラスだ。周りからは窓にカーテンがかかり見えないようになっている。テラスに入って、トリスタンは仮面を外した。
「やっぱり、あなただったのですね」
私も仮面を外して、笑いあった。トリスタンは自然なしぐさで、左手に持ったグラスを私に渡す。一口飲むと、中身はアイスティーだった。私は前世から、酒と甘い飲み物を好まない。トリスタンの手にはワインの入ったグラスがある。飲み物の選び方も、変わらない。
「びっくりした。同僚に誘われて来たら、いたんだもの」
「さゆり」
「うん?」
当たり前のようにトリスタンが返事をする。トリスタンはさゆりだった。改めて実感すると言葉が出ない。
話しかけると答えてくれる。当たり前のことがかけがえがない。
「正太郎さん、久しぶりね」
優しい語り口は記憶の中のさゆりそのままだった。
「久しぶり、会いたかった」
「私も。会えてうれしい」
前世と合わせると、二十年以上、会話していない妻との会話は、会っていなかった時間を感じないくらい自然だった。
「ね、聞きたかったことがあるの」
さゆりはいろんなことを聞いた。さゆりが亡くなった後の家族のこと、好きだった本の続き、芸能人のスキャンダルのその後。
「私が死んだとき、どう思った?」
「悲しかったよ」
「それだけ?」
「後悔した。もっと伝えておけば良かったって。いろんなことを。世話になってばかりだったから」
「そんなものなのかしら。私も考える時間があったら何か言っておけばって後悔したのかもしれない。生まれ変わってそれどころじゃなかっただけで」
さゆりが私を見た。私はずっとさゆりを見ていたから、目が合った。癖毛で西洋風の顔立ち。低い声。性別。どれをとっても前とは全然違う姿だった。
それでも、私を見つめ返す目の表情で、60年、連れ添ったその人だと確信した。
「また一緒にならないか」
自然に言葉が出ていた。
さゆりと過ごした幸せな数十年間が走馬灯のように頭に浮かんでいた。きっと現世でも、同じような家庭が築ける。
こうやって生まれかわっても、2人とも近く、手の届くところにいる。一緒になるのは運命だと思った。
しかしそんな私とは違い、さゆりは困ったような顔をして、頬をかいた。
「うーん、結婚はよしましょうよ。たまにこうしてお話できれば十分」
まさかそんな答えが返ってくると思わなくて、私は慌てて理由を尋ねる。
「なぜ、後悔しているのか」
「いいえ、後悔なんてしていない。ただ、いろいろと考えてそれがいいかなって思っただけ」
「今の立場か、対立する家門だから遠慮しているのか? だったら私は家を捨てる。それくらいなんでもない。だから」
必死に言い募る私とは対照的に、さゆりはゆっくり首を振った。
「あなた、分かっていないでしょう。今世では私が年上で男で騎士なの。またあなたを置いていくの。そして、もう一度はきっとない」
さゆりが事故に遭った日のことを思い出した。喪失感、絶望、悲しさ、怒り。それをもう一度味わう。そう思うと喉の奥から苦いものがこみ上げてくる。
さゆりは頬杖をついて、庭を眺めながら、わかりの悪い子どもを諭すようにゆっくりしゃべった。
「来世でも一緒になりましょうっていうのはやさしい嘘ね。実際記憶もあって、もう一度なんて…いいこと悪いことをもう一度、同じ人と繰り返す、過去を思い出しながら過去と比べながらまた一緒に年をとるわけでしょ。そしてまたあなたを置いていく。言い方は悪いけど、正直うんざりするの。前世は前世、いい思い出、それでおしまいにしたいっていうのはわがままかしら」
私は何もいえなかった。今の話でわかった。さゆりにとって、私はもう終わってしまった過去なのだ。うつむく私を、さゆり、いやトリスタンは立ち上がって見下ろした。
座ったまま見上げると、意思を強く感じるヘーゼルの瞳が私を見下ろしていた。再会したとき強くひかれた。前世から変わらない、さゆりは一度決めたことはけして覆さない、意志の強さをもっていた。
「いい友達になれると思うよ、俺たち」
そのままトリスタンは立ち去った。
無意識に、驕っていたことに気付く。必ずさゆりは自分とまた一緒になってくれると、根拠もなく思い込んでいた。もう一度出会いさえすれば、きっとやり直せる、相手も私と同じように思っているはずだと、前世の続きを今、また続けられると思い込んでいた。
「そんなわけがない、か」
ショックで、トリスタンがいなくなってから、舞踏会が終わるまで、私は椅子から立ち上がることができなかった。
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