第4話 もしかして、恋

 屋敷に戻ってからも、猫を助けてくれた騎士のことが、頭から離れない。


「お嬢様、どうされたんですか、上の空ですよ」


 いつものようにお茶を持ってきたベルナールに指摘される。


「そんなことは」

「ありますよ、まあ、羊羹でもいかがですか」


 ベルナールはテキパキとお茶の用意を調えていく。


「で、どうされたんですか?」


 主人にお茶を出しに来たはずだが、用意を終えたベルナールはソファにくつろいで先に茶をすすっている。いつものことだった。

 かくかくしかじか、かいつまんで話すと、ベルナールはふむふむと頷いた。


「恋ですね」

「恋?」


 予想外過ぎて聞き返す声が裏返った。

 もうそんな単語は自分とは縁遠いと感じて久しい。

 老人会ではそういう話もあったが、自分は元々興味が薄いほうだったからか、亡くなった妻と出会った頃に感じたそれが最後のはずだ。

 そもそも今回の相手は男性である。私も今世では女性だが、思考は長く生きた前世の気持ちが強い。恋愛対象は女性ではないか。


「信じられない」


 加齢による体調不良の方がよほど身近に考えられる。


「お嬢様、今の年齢分かってます? 私は前世から数えて未だに不整脈の経験者、同年代にいませんから」


 ベルナールは前世が30前後で亡くなり、今世は20歳だ。たしかに若い頃はそんな心配をしたことはなかったように思う。


「しかし相手は男だし」

「気持ちは分かりますよ、私も前世は女性で、今の配偶者が女性です」


 結局気持ちがあればなんとかなりますよ、と笑うベルナールの言葉を素直に受け入れられない自分がいる。

 生きてきた世代か、元々の性質か、どうしても受け入れられない気持ちがあった。


「私は頭が固いのかもしれないね」  

「そうですね。ところで、その騎士って身元分かってるんですか?」

「なにも聞かなかったから分からない。1人だけ身分が違う様子があったけれど、それ以外は何も」

「捕り物にあたる騎士ですか、首元に紋章ついてませんでしたか?」

「たしか、鹿の紋章と金の三本線」


 聞いたベルナールが頭を抱えた。


「お嬢様、よりにもよって、そこですか」

「どういうこと?」

「それ、大将軍コーウォール侯爵の息子、トリスタンじゃないですか」


 紋章だけでそんなことが分かるとは、ベルナールは博識である。


「トリスタン、名前を聞いたことはあるけれど、侯爵の息子なのに会ったことはなかったと思う」

「次男ですからね。表にはあまり出ないんでしょう。はあ、それにしたってお嬢様の初恋にはちょっと難しい相手でしたね」


 名前を出されれば分かる。コーウォール侯爵は父ラマルク公爵と犬猿の仲だ。家族ぐるみで代々大変に仲が悪い。恋をしたなんて口に出しただけで外出禁止になるだろう。

 まさか自分が今更恋をするとは思わなかったが、その相手がロミオとジュリエット並に難しい相手だとは想定外だ。


「しかも攻略対象のさわやかイケメン、お嬢様面食いだったんですね」

「攻略対象?」

「ゲームのですよ、攻略難しいんですよね、トリスタン。ちょっと年上で仕事中毒だから、好感度あげるのが難しかったなあ」


 そこからはゲームの話が続いた。

 ふむふむと聞きながらふと疑問に思う。


「ゲームの中で、王子の攻略に失敗したら他の人に、ということもできたのだろうか?」

「うーん、王子の婚約破棄イベントは最後の方のイベントで、その後に相手を変えるのは同時に好感度上げてかないとなんで相当難易度高いですけど、できます」

「では現実として、男爵令嬢がトリスタン様に近寄っている可能性もあるということかな」

「王子がヒロインに殺害されてる時点でイレギュラーなんで、ゲームの通りってわけじゃないでしょうけど、可能性はありますね。ちなみに坊ちゃんも攻略対象ですよ。氷の貴公子、ツンデレ大魔神」


 「坊ちゃん」は兄、エーリク・ラマルクのことだ。話した時の様子を思い出す。男爵令嬢に特別想いを寄せているような様子はなかった。


「お兄様は今のところ攻略されていないようだった」

「それはよかった、話を聞く限りとんでもないヒロインのようですから、私はお仕えしたくありません」


 殺人犯が義理の姉になる想像をして、私も恐怖に震えた。

 義理の姉にならなくても、現在進行形でトリスタンを挟んだ恋敵の可能性があるのも怖い。恐ろしいからトリスタンにはなるべく近寄らないようにしようと堅く誓った。

 恋など一時の気の迷いである。

 家同士不仲の結婚もいい結末は迎えないだろうし、この恋? は忘れてしまおう、と決意した。


 人生は自分の想定とは違う思わぬ方向に転がる。前世でも今世でもそれは変わりない。

 翌日、私と兄は王宮に呼び出された。事情聴取である。

 猫はさすがに連れて行けないので、置いて行こうとしたところ、


「私も当事者だ! ついていく!」


 頑として聞かない。その心意気は買うが、事情聴取に飼い猫を連れて行ったところで入り口で取り上げられるのがおちだ。

 猫と押し問答していたところに兄が合流した。


「どうした、エリザベス。そんなところで…ルミエラちゃん、一緒にいきたいんでしゅか?」


 クールな兄のねこなで声を聞くやいなや、猫王子はぴゃっと飛び上がり、ものすごい勢いで退散した。


「さあ、行くか」


 兄は一瞬でいつも通り、冷静な顔に戻っている。


「ツンデレ大魔神…」


 私はベルナールの言っていた攻略情報を思い出して思わず小声でつぶやいた。


「ん? なにか言ったか?」

「いえ、なんでもありません。行きましょうお兄様」


 城まで兄と馬車で一緒に向かった。城の中までは一緒だったが、取り調べは別々の部屋に通されて行われた。

 先に椅子に座って待っていたところ、しばらくして2人の騎士が入ってきた。1人はベテランと思われる壮年、もう1人が、


「昨日もお会いしましたね」


 なんと猫を拾った騎士、トリスタン・コーウォールだった。にこりと笑顔で挨拶され、胸がざわざわする。


「知り合いか?」


 壮年の騎士が、疑わしげに眉を上げる。元々親しいのであれば、取り調べに差し障りがある。担当を変更する必要もあるからだと思った。


「いいえ、昨日落とし物を拾っていただいたのです。お名前も存じません」


 本当はベルナールから聞いて名前を知っているが、お互いに名乗っていない以上、公的には知らないでとおした方が良い。トリスタンもこの部屋に入るまで、エリザベスが私のことだとは知らなかったと付け足した。

 それを聞いた壮年の騎士はそうですか、と納得したように頷き、取り調べを始める経緯を話し始めた。


「年若いご令嬢をこのような取り調べにお呼びたてするのは心苦しいところではありましたが、こちらでも情報が少なく、生前王子と親交の会った方からもお話を伺っているのです」

「親交といっても、私が知ることはあまりありません」

「幼い頃からの婚約者であったではありませんか」

「義務的な関係しかありませんでした。公の場では一緒に紹介されましたが、それ以外でお茶をご一緒したこともありません。最初のうちは親しくしたほうがいいだろうとお誘いしていたのですが、ことごとく断られていました。思えばあの頃から、私の存在は王子にとって親に決められただけの疎ましいものだったのでしょう」


 元々お互いに興味がなかったからかもしれないが、護衛のいる公の場でも挨拶以外ほとんど話したことがない。

 皮肉なことに王子が猫になった今の方がよほどよく話している。


「婚約破棄も恨むことはなかったと?」

「ええ、未来の王妃など私には過ぎた立場と思っていました。こちらからお断りをすると角がたちますし、家の都合もございますからそのままになっていたところ、あちらからの破棄はありがたいお申し出でした」

「見るに見かねる屈辱的な光景だったと聞きますが、その破棄の場や方法についても何も感じることはなかったですか」

「感じることはありました。もう少し穏便な方法の方が、王子殿下のお立場上よかったのではないかと思います。幸い周囲が私に同情的でしたので、被害者として慰められ、屈辱的な思いを引きずることはありませんでした」


 他にも当日の動きや、周囲の人間の様子について等、事細かに聞かれた。私にはやましいことはないので、正直になるべく感情を交えないように話すことを心がける。

 主に質問をしてくるのは壮年の騎士でトリスタンは手元の紙に回答を書き付けている。最初はなんとなく見ていたが、その姿に引きつけられるものがあり、目が離せなくなる。

 握りこむようにペンを持ち、普段はピンと伸びている姿勢が少し丸くなっている。美しい姿勢ではない。それでもなぜか惹かれてしまう。


『恋ですね』


 ベルナールの声を思い出す。

 しかしこれは恋のようなそんな若々しいものではないと、否定する自分がいる。

 これは芽生えたばかりの恋ではない、もっと懐かしく見慣れた、安心する…


「さゆり」


 もうずっと見ていない、亡き妻の家計簿を付ける姿と重なって、思わず名前をつぶやいた。


「え、今、なんと?」

「すみません、なんでもありません」


 トリスタンが不審そうに顔を上げた。失言だった。取り繕うように微笑んで、次の質問を促した。



「以上になります。お疲れ様でした」


 尋問が終わったのは一時間くらいが経った頃だった。

 壮年の騎士が最初に出て行き、私が後に続く、トリスタンが最後だ。


「私は片付けがありますのでこちらで失礼します」


 トリスタンはそのまま部屋に残り、扉を閉めた。これで終わりだ。ほっとする。尋問相手がトリスタンとわかったときは、動揺したが、個人的な接触はなく、最後まで冷静に終えることができた。さあ帰ろう、と背筋を伸ばして壮年の騎士の後に続いて廊下を歩きだした。

 その時、ドアの閉まり際に部屋の中から、ささやくような声が聞こえる。


「またね、正太郎さん」


 バタンと閉まった扉。私は思わず振り返り、ドアを信じられない気持ちで見つめる。壮年の騎士が不審に思ったか声をかけてきた。


「どうしましたかエリザベス嬢」

「いいえ、何でも、何でも、ありませんわ」


 本当は引き返してトリスタンに問いただしたかったが、人の目がある以上それはできない。


 正太郎はわたしの前世の名前だ。


 なぜ知っているのか、幻聴でもなければ、答えは一つしかない。トリスタンは間違いなく前世での私を知っている。


「さゆり…?」


 そうであってほしい、急逝した最期にはやってやれなかったことがあまりにも多く未練がある。その時に伝えたかったこと、聞きたかったこと、その後のこと。

 彼女が亡くなったときに諦めたことを、取り戻せるのではないか、今までに考えたこともなかった可能性がでてきた。


「なんてこと」


 今までは敵対する家門の子息など面倒でもあるし関わらなければいいと考えていた。しかし、たった今、関わりたい理由がでてきてしまった。

 対立する侯爵家の異性と隠密に会う方法。

 どうすればいいのかを考えながら、兄と合流し情報交換をしながら帰った。

 兄の方も私と同様、心情的なことを聞き出され、兄からもいくつか質問をしたそうだ。私は自分からも質問できるとは思っておらず、何も質問していなかったため、兄の機転がありがたかった。


「尋問官にも聞いてみたよ。前にエリザベスが気にしていた、国王陛下と皇太子殿下の婚約破棄後、何を話したか」

「どうでしたか」

「わからなかった。誰も知らないらしい。部屋に入ったところまでは知っている者もいたが、中でのことは陛下と殿下、お二人だけしか知らないようだ。こうなると直接陛下に確認するしかないだろうな」

「ありがとうございます。十分です。まさか病気の陛下に確認するわけにもいきませんから」


 そのあとも兄は殿下殺人事件について話していたが、申し訳ないが私はほとんど聞いていなかった。私の関心事は別にあった。トリスタンの最後の一言が頭から離れない。


「またね、正太郎さん」


 またねということは、次また会えるだろうか。それは、一体いつ、どこで?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る