第6話 猫は父上の見舞いに行きたい

 屋敷に帰っても呆然としたまま数日を過ごした。ベルナールは察したのか仮面舞踏会について何も言わない。

 趣味の盆栽にも手をつける気になれなくて、ただソファでぼんやり過ごしていた。

 これからどうしよう、何かをしなければならないのに、何もできないな、と考えていると、私の膝にルミエラが乗った。


「なあ、忘れてないか私のこと」


 猫王子がしゃべる。忘れていたし、それどころではなかった。そうだ、殿下殺人事件の捜査をしないといけないのだった。


「すみません」

「もう婚約者じゃないから恋愛は自由だし好きにしてかまわないが、私がこのままだと君も困るだろう。しっかりしてくれないと」


 当の猫王子は私が用意した座布団に寝転がり、ごろごろ喉を鳴らしている。猫に言われたくないが、確かに殿下殺人事件に関して、最近なにもしていなかった。


「そうですね。しっかりしないと。でもこれといった手がかりがなくて困っています」

「執事と話してた失恋相手のトリスタンとかいうの、あれ捜査担当の騎士だろう」

「そうですけど、巻き込めませんよ」

「なぜだ?」


 なぜといわれて、考える。理由はいくつもある。敵対する家門だから。容疑者の自分が事件について近づいて信用してもらえると思わないから。一番の理由は振られたばかりで気まずいからだ。


「ちょっと事情が」

「そうか」


 王子は深く考えないので、断ると疑問は持たずにすぐ諦める。隠し事の多い身としては大変ありがたい性格だ。


「男爵令嬢は現在行方不明、動機につながる王様と王子の話は誰も内容を知らないので、私もどうすればいいやら検討がつかなくて困っています」

「父上に聞けばいいではないか」

「それが国王陛下はご病気でそれどころではないと」


 しまった。そう思ったときには遅かった。王子は今まで見たことがないくらい両目を見開いて、固まってしまった。


「父上が、病気?」

「申し訳ありません、殿下の気を煩わせるだけだと思い、言うつもりではなかったのです。不注意でした」


 王子は呆然としている。私が謝ったことも理解するまでに時間がかかっているようでしばらく黙っていた。寝ている間と食事以外はよくしゃべる王子だったので、珍しい姿だった。


「…よい。実際知ったところで私が何かできるわけではないしな。城には優秀な医者がそろっている。まかせるしかあるまい」


 どんどん声が小さくなり、最後のほうはほとんど聞こえないくらいだった。

 明らかに肩を落として、道場からもらってきた座布団のほうにとぼとぼと向かう。


「大丈夫ですか?」


 心配になって声をかけたが、返事はなかった。猫は座布団の上で丸くなり、黒い塊になっている。

 こういう時は気持ちの整理がつくまで、ほうっておくのも優しさかなと、私はそっと猫から離れた。

 王子に言われた通り、私のほうこそそろそろしっかりしないといけない。ぼうっとしている間も男爵令嬢は野放しにされている。次の被害者が今日にでも出ないとは言い切れない。

 男爵令嬢、ミネア・レイトナ。彼女は何を思って、王子を殺害したのだろうか。

 普通に考えて、結婚しようと約束した相手と別れようと思っても、殺害しようとは思わない。リスクが大きすぎるからだ。

 道場で門番に聞いた話では、行きには羽織っていなかったマントを帰りに羽織っていたといっていた。遺体発見までの間に門からでなければ、いくら王子の友人といっても、身体検査は避けられない。わざわざマントを場内で探す時間はなかっただろう。返り血を隠すためのマントをあらかじめ用意していたと考えるのが自然だ。


「つまり、令嬢はあらかじめ殺害を予定していた?」


 少なくとも、その可能性があると想定していたに違いない。


「エリザベス、ちょっといいかな」


 考え事をしていると、声をかけられた。父だ。


「何かご用でしょうか」

「たまにはお茶でも一緒にどうだ? エリザベスの好むあの緑の茶が飲みたくなってな」


 同じ屋敷に住んでいても、父とティータイムを一緒に過ごすことは珍しい。もともと忙しい父は、ほとんど日中屋敷にいることがなかったから。最近は殿下殺害事件の容疑者の1人だから、仕事も自宅でしていることが多く、よく顔を合わせるようになった。

 ベルナールを呼んでお茶をいれてもらい、父と最近の天気の話だとかたわいもない話をする。

 小一時間ほどで、母が呼びに来て、お茶の時間は終わりになった。

 両親がいなくなると、猫がのそりと起き出してきた。


「お前の父は結局大した話もせず、何をしに来たのかな」

「多分ですけど、私が落ち込んでるのを聞いて、様子を見に来てくれたんだと思います。人と話すと気が紛れますから」


 父の公爵は愛情深い人間だ。忙しい中でも家族の様子をいつも気にかけている。

 猫は少し目を細めて、思いにふけるように右前足をあげた。


「父上も、お忙しいはずなのに、よく私の部屋に来て、たわいもない話をして…」


 猫は少し考えるように俯いていた。それから、はっと勢いよく顔を上げる。


「父上に会いに行きたい」


 強い意志を感じる声だった。


「え」

「何もできないことはわかっている。父上には私の声は聞き取れないかもしれない。それでも、様子だけでも見に行きたいのだ」


 そんな無茶な、と思った。

 城は依然厳戒態勢だ。私が取り調べで城に行った時も身元確認で長いこと足止めされた。

 特に動物は疫病を持っていることもあるので、厳重に取締られている。ネズミ一匹侵入は許されない。見つかったら殺処分だ。私の可愛いルミエラが処分されるなんて、耐えられない。なんとかいい手を思いつきたくて考える。


「そうはいっても、どうしたら・・・あ」

「あ?」

「1人、心当たりがあります」


 私は思い出した。道場の門下生に、城の門番がいたこと。




「というわけで、お願いしたいのだけれど」


 私はさっそく道場に来ていた。


「もちろんです。北門が私一人で守る時間帯が2度あります。明日でしたら、午後4時と午後5時ちょうどです。同僚がいるところで見逃すことはできないので、必ず時間通りの通過をお願いいたします」


 門番は快諾してくれた。


「申し訳ない。迷惑をかけるようなことはけしてしないよ」

「ええ、私は師匠を信じております。ただ、あの」


 何か言いづらそうにもじもじしている。何をいいたいか察した私は懐に入れていた金貨を門番に握らせた。


「5人目の子どもが生まれたと聞いたよ。何かと入り用だろう」

「ありがとうございます!」


 お願いするのだから報酬は当然だ。金貨一枚あれば、1年くらい遊んで暮らせる。職務違反の報酬としては妥当だろう。

 これで門はクリア。ただ、門を通り過ぎても城の中には無数の役人がいて、よく行きかっている。そんな中、見慣れない猫が歩いていたら、すぐ捕まって殺処分だ。

 私もついていって、王子を隠すしかない。


「ベルナール、かごのようなものはないかしら、猫が入るくらいの大きさの」

「それだと、ピクニック用の大きめのかごがたしかあったと思います。何につかうのですか?」


 執事のベルナールに事情を話そうとして、はたと気づく。猫を王様に会わせるためとそのまま伝えるわけにはいかない。


「殺人事件の調査で城に潜入しようと思ってる。待ってても解決しないでしょう。現場百ぺん、捜査の基本っていうし」

「なんだか面白そうですね、そういうことなら、お洋服もそろえなければなりません。かごは食品の仕入で使っているもののほうが自然でしょうね」


 ベルナールはそう言って、どこからか王宮侍女の衣装と侍女が持っていそうな大きめのかごを用意してくれた。


「またどこでこんなものを」


 ベルナールに頼むと大概のものが手に入る。日本のものに近いお茶も、コメも、盆栽も、剪定鋏も、すべてベルナールに頼んで手にいれてもらったものだ。もう多少のことでは驚かないと思っていたが、よその家、しかもこの国で一番手に入れにくい王城の侍女のお仕着せをいったいどこで手に入れたのか気になった。

 ベルナールは驚く私を見て、いたずらっ子のような顔をして、口元に人差し指を当て片目をつむった。


「禁則事項です」




 翌日、いつものように家を出て、まずは道場へ向かう。

 私には監視がついているし、護衛もいるため、その目をくらませなければならない。道場には頻繁に行くので、怪しまれないだろうと思ったのだ。護衛も部屋の中までは入ってこない。

 道場を任せているケイティと話すため、部屋の中に入り、侍女の服に着替えて、万が一のための脱出路を使って外に出る。

 脱出路は掛け軸のかかっている床の間の壁を押すと、壁が回転して、裏側に行けるようになっている。忍者屋敷のようで、なかなか気に入っていた。


「ご武運を」


 ケイティには詳しく話していないが、最初から私のやることに何の疑問もないようで、ただ協力してくれた。ありがたい。次回のボーナスははずもう。

 猫は籠に入れ、輸送する。

 脱出路はすぐ裏の家につながっていて、そこから何食わぬ顔で出て行った。

 脱出した家から、王城までは歩いて10分、門についたのはちょうど午後4時だった。門には門下生の門番しかいない。顔を一瞥だけして、

「よし、通れ」

 と門を開けてくれた。


 あとは籠の中の猫が教えてくれる道を進む。王子は時々方向が分からないときにちょっと顔を出して場所を確認していた。城で働いている人とすれ違う時は、そっととんとんと合図して、顔や声を出さないようにしてもらう。

 順調に国王陛下の部屋に近づいて、あそこがそうだと教えてもらった部屋をみると、扉の前に衛兵がいた。

 当たり前だ。国王陛下の部屋の前に、こんな危険な時期に、だれも護衛がいないわけがない。全然考えていなかった。


「どうしましょう」


 小声で聞くと、猫は即答した。


「この階のつきあたりの部屋に入れ」


 指示通り、部屋に入ると、物置部屋で、雑多な生活用品がおいてある。王子によると、この部屋のバルコニーに出ないといけないらしい。

 バルコニーに出ると、猫は籠から出てきた。


「ついて来い」


 猫はひらりとバルコニーの壁際の端から外側へ降りた。


「ええ!?」


 慌ててバルコニーの端まで行ってみると、擁壁を越えたところに、ちょうど肩幅くらいの出っ張りがあった。装飾があるため、一見してはわからないが、人がギリギリ歩けるくらいの出っ張りで、先ほどの国王陛下の部屋まで続いている。


「ここを行くのですか」


 高所恐怖症ではないが、3階の手すりもないでっぱりを歩いた経験はない。足がすくんだ。猫は私には構わず、ひょいひょいと先を進んでいる。このままここで待てばいいのではないか、と一瞬考えたが、もし、万が一何かがあったときのことを考えると、一緒にいるほうが安全だ。私は城の構造をわかっていない。一人でおいていかれでもしたら、困るのは私のほうだった。

 ヒュゥゥと風の音が鳴る。そこまで強い風ではないが、恐ろしいことに変わりはない。ゆっくり一歩一歩確かめるようにすすんだ。油断すると途中の装飾に足を取られそうになる。


「やっと来たか」


 一応国王陛下の部屋の前で待っていてくれた猫が、あきれた顔で私を見ている。


「寿命が縮まりました」

「普段は肝が太いのに、こんなところは小心なのだな。お前はここで待ってろ。無理に入ると警報が鳴る」


 国王陛下の部屋の前のバルコニーは、出入り口の扉が一つと、ガラスの入った窓が二段になってついていた。上の窓は、はめ殺しで開けることができない構造だ。喚起のためか、下に小さな回転窓がついていて、その窓だけが開いていた。ようやく猫が通れるくらいの狭い窓から、猫だけ中に侵入した。

 私はしゃがみこみ、中の様子を観察することにする。

 王子が入っていったとき、陛下はベッドの上に横たわっていた。寝ているのか、起きているのかも判断がつかない。


「父上」


 王子が話しかけるが、反応がない。

 王子はベッドの上に上がり、国王陛下の左手をぺろぺろとなめた。

 そっとその左手が持ち上がり、感覚を確かめるようにやさしく猫をなでる。


「珍しいな、猫か」


 その声は弱弱しい。以前あったときの力強く威厳のある声を思い出して、私は胸が痛くなった。事件によって陛下の受けたストレスは、どれほど大きかっただろうか。


「父上、申し訳ありません。私に人を見る目がないばかりに、このようなことになってしまいました」

「…慰めてくれるのか」


 王子と国王陛下の話はかみあっていない。

 国王陛下には王子の声はほかのひとと同じように、猫の鳴き声にしか聞こえないのだろう。


「慰められる資格もない、私など。子を先に死なせて、ひどい父親だろう」

「違います。父上は悪くありません」

「私が受け入れてやればよかった。そうすれば…」

「違います私がよくないのです。あのような女だと見抜けなかった私が。父上があの時叱ってくれなければ、私はそのままミネア・レイトナと結婚し、冷酷なミネアは国をめちゃくちゃにしたでしょう。父上は間違っていません」


 王子は国王陛下の話が途中でも構わず、ニャアニャア言っていた。国王陛下は話の内容はわからないようだが、猫の様子にくすりと笑った。


「お前をみていると、息子を思い出す。あの子もにぎやかで、よく人の話をさえぎっては、自分の話ばかり、でも正義感のある優しい子だったよ」

「父上…」


 陛下はしばらく猫をなで、猫はおとなしくなでられていた。国王陛下はなでながらそのまま眠ってしまった。

 王子は眠る国王陛下をしばらく見てからベッドを降り、窓を通ってバルコニーに戻ってきた。


「もういいのですか」

「いい。帰るぞ」


 王子はすたすたと壁の道を先に進んだ。私は追いかけるが、一度通って慣れたといっても反対側に壁があるので勝手が違い、猫のようにうまく進むことができない。

 壮麗な城には、西日が強く差していた。

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