第3話 奴隷の印〈サイ〉

 俺は既に上半身は裸になっている。


《すぐに始めましょう》


 挨拶も抜きで、彼女は息でささやいて俺の目を見つめた。



 俺は無言で頷き、背を向ける。受け取ったライトで自分の肩を照らす。



《これでOK?》


《ええ。でもなるべく揺らさないで》



 左肩の後ろの、拭われた皮膚がスーっと冷える。


《行くわよ?》


 続けて冷めたい感触の後、じわじわと痛みが走り出し、やがてズキズキ痛みが増して来た。


《‥‥うっ‥‥痛ってぇ‥‥》


 グリグリと肉を穿たれ、俺は唇を噛み締める。


《もう少し‥‥‥》


 耳元で彼女が囁いた。


 グリグリと毛抜きのようなもので引っ張り出しているらしい。


 壊さぬように注意しながら。



《‥‥‥取れた! これ、落とさないでね》



 ミキさんは俺の手のひらに、長さ1センチくらいのボールペンの芯のような細い円筒状の金属片を乗せた。


 GPSマイクロチップだ。



 これで俺たちの位置は奴らに把握され見張られてる。



《ぎゃーっ!!! し、しみるッ!!!》


 消毒薬。心で叫ぶ。今のが一番痛いかも。



《動かないで!》


 俺の肩にガーゼを乗せたテープがペタッと貼られた。



《今はこのままで。開いてしまったら後で縫合しましょう。次は私ね、躊躇しないでさっさとお願い》


 彼女は懐中電灯を俺の手からサッと奪うと、後ろを向き左肩だけ脱いで素肌を俺に晒す。


 結んで避けた髪から晒されたセクシーなうなじに、ドキリとしてしまうけど、そんな場合じゃない。


 看守が今にもここに見回りに来るかもわからない。故障中の張り紙はあれど、2つも並んでたら不審に思われるかも知れない。


《‥‥刺すぜ?》


 俺の囁きに身を固くした彼女の後ろ肩の赤い小さな点の傷痕に、消毒液で拭ったナイフを突き立てた───




 ***



 二人互いに取り出すのに、ほんの10分もかかっていない。


 案外簡単に外すことが出来た。めちゃくちゃズキズキしてるけど。


 部屋に一端戻ってGPSマイクロチップを、布団のダミーの膨らみの中に入れたら、すぐに出発だ。4Fに部屋のある彼女も同様にしてるはずだ。



 俺たち、ゲートさえ抜けられれば、どうとでもなる‥‥‥はず。


 このゲートの外、首都圏の周囲の街は、俺たち奴隷によって整備途上にあるけれど、大半は未だ破壊された死の街のまま。かつての面影はない。



 イスターン中央議会堂周囲と皇宮エリアは全くの無傷。


 この都市の破壊も、全ては上層部では水面下での合意通りってことかな。



 飽和し切って停滞気味の世界は壊して仕舞えば再び経済は活発に動く。


 背後には貪欲。


 新しき産業を開発するより手っ取り早く、労働力は奴隷を使えば安上がり。




 この一般人は侵入規制されている廃墟都市の中だけど、無関係に入り込んでる人たちはいる。工事現場へ移動のバスの中からチラッと人影を見たことが何回かある。ミディカン人は彼らを『G』と呼んでいるらしい。

 

 いくらなんでも、イスターン中央議会堂を中心としたこの半径15㎞という広いエリアから『G』を追い出したり、入り込んだりするのを阻止するのは難しい。だって、立ち入り禁止エリアの境界線にバリアがあるわけじゃないから。


 入ろうと思えば誰でも入れる。だけどパトロール隊に見つかったら、それ相応の扱い受けるし、殺される場合もあるから普通の人は入らないだけ。


 エリアにいるのは、どこにも行く当てがなくて、命以外失う物はない無敵の人か、家捜ししてる火事場泥棒もどき、又はテロリスト、とか。



 首都圏や大都市以外は、ここまでは破壊されてはいないようで、地方の住民は不安を抱えつつも、いまだ自宅で暮らしている人も多いらしい。


 けど、いずれ財産は没収されて俺たち同様に厳しい監督下に置かれる。俺たち同様、GPSマイクロチップを体に埋められて。


 自分では取り出しにくい背中側に入れられる奴隷の印。



 あれが体に打ち込まれた屈辱の日のことは、一生忘れない。



 ***



 植え込みの低木の上に、野生のクズつたがわさわさに覆い被さって、ちょっとした茂みになってる場所。


 植物ってすごいよな。人間のことなどお構いなしに、隙さえあれば地上をどんどん侵食して行く。その中でも、葛の繁殖力はスゲェよ。お陰で俺は助かってんだけどね。



 投げ落とした荷物を拾ってから、葛のつたの中に身を潜めてる。


 ここはミキさんとあらかじめ決めておいた落ち合う場所。数週間前に内部を刈り込んで空洞を作っておいた所だ。



『この茂みから子猫の声がした気がする』って口実で、野良猫探しをしている振りをしながらやったけど、本当に使うことになるとは思わなかった。


 実際、この辺には野良猫が多い。戦争で放置された子たちが野生化して繁殖してるから、これは怪しまれるような口実じゃない。



 この空間は野生動物の巣って感じに仕上がってる。


 残念ながら、今は冒険少年の秘密基地気分を味わう余裕は無い。



 ここからは出入口ゲートがよく見えるし、繁みの裏側はゲートからは死角になってる好立地。



 にゃお~ん、にゃお~ん



 猫の鳴き声で、2回合図。


 ミキさんが来た! 彼女は無類のネコ好きだから、そこは。



 みゃおん‥‥みゃおん



 俺も2回返す。俺、ネコの声になってる?


 

 彼女ががさごそ潜り込む茂みの音は、時おり吹き抜ける春の強風に紛れた。



 月明かりがほんのりと辺りを照らしてる。暑くもなくそこまで寒くもない3月下旬で助かった。どうやらお天気は、全力で俺らを味方している。



《お待たせ! サイさん、なかなかいい鳴き声だったわよ?》


 ミキさんは髪に葉っぱを絡ませながらにょきっと現れ、俺の横にくっついて笑顔を見せた。


 無言で頷く俺。


 ミキさんの甘い匂いが、一瞬ふっと鼻をくすぐった。



《良かった。サイさんがいてくれて‥‥》



 俺も無事合流出来て嬉しいけど、あのゲートを越える相談までは事前に出来てはいない。


 そうそう二人だけで話せる機会など無かったから。


 彼女は、脱出計画のお供になぜ俺を選んだのかは不明だけど、俺を信用してくれたのは嬉しい。


 奴隷集団の内部にはスパイだって紛れているはずだし、仲間を売って自分だけ優遇されようとするやつだっているわけで。



 ミディカンはGPSマイクロチップで俺たちを把握して見張っている。


 俺たちは見かけ自室にいることになってるとはいえ、ここに長居してるのも危険だった。早くゲートを越えたい。


 ゲートを抜けるのが最善だと判断力してる。この奴隷収容所の周囲に張り巡らされた高い金網を登っていては、すぐに気づかれて捕まってしまう。監視カメラからも丸見えだろうね。



 ゲートの見張りの二人の内の一人が、周囲の見回りに出る9時の消灯時間がチャンスだろうけど、その前に建物内では俺らには寝る前の点呼があって、その時いないのバレる。猶予はあと約1時間。


 その前に脱出しないと、総動員で追われる羽目に。




《大丈夫、サイさん。きっとうまく行くの‥‥‥もう少しだけこのまま様子をみましょう。焦ったらダメ‥‥‥》



 ミキさんは俺の心情を察してる。焦れてる俺の腕を掴んで俺の肩に頬を寄せた。


 



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