第22話 奪還
街の喧騒は遠く、どこからかフクロウの鳴き声が聞こえた。雲間から薄い月明かりが落ちる、静かな夜だった。
壁にもたれかかりながら、
「飲んでるな。社長に怒られるぜ」
「おう、ビル。お前もやるか?」
とブラッドリーは気さくに手を上げてみせた。ビルは苦笑を浮かべ、
「やめとくよ。一応は勤務時間だぜ」
「なーにが勤務時間だぜ、だ。急に集められた上に、この時間飲みに行けないなんて聞いてないぜ。スタンの下にいていいことはたまにタダ酒が飲めるってことぐらいなのに、これじゃあたまんねえや」
「それは同意するが」ビルは煙草に火を点ける。「警戒しておけ。相手は結構な腕利きだと聞いたぞ」
「ヤバいも何も女ひとりだろ、なんてこたぁねえよ。俺様の腕を知ってるだろ……」
「ギルが返り討ちにあったらしい」
「はん、あのクソガキか」ブラッドリーは吐き捨ててウイスキーを呷った。「いい気味だ。他のギャングとかち合った時に一発だって撃てなかったんだぞ。あの腰抜けめ。二度と面を見たくなかったからちょうどいい」
「まあそう言うな。お前だって若い頃はあっただろう」
「あんな腑抜けじゃあなかったぜ。タマついて生まれてきて、親父も本物のモノでおれをこさえたんだ。木のアレじゃなくてな。だからやるときはやる。えぇ、ビル? お前さんだってそうだろう?」
ビルは何も言わず首を傾げ、
「だが早撃ちの話は本当らしい。見えなかったとスタンが言っていたし、別のところから聞いた話じゃこの辺りの賞金首の半分はあの女が平らげたって話だ。……なんだその顔は。信じてないな?」
ブラッドリーは下品にげっぷをしていた。その目は充血していて、勢いをつけるどころか使い物にならなさそうだった。ビルは首を振って、
「まあいいさ。とにかく気をつけておけ。寝るんじゃないぞ」
「ああ、いい景気づけさ。それに、ビルよ」
「何だ。煙草ならやらんぞ」
「そもそもだ。女は来るかねえ」
ビルは眉間に皺を寄せて、
「賢ければ来ないさ。噂が本当なら来るかもな」
「どっちに賭ける」
「そうだな……お前とは逆のほうに1ドル」
ビルは手を泳がせながら裏手へ歩いていった。面白くねえや、とブラッドリーはその背中に呟いて座り込んだ。
ブラッドリーは元々腕の立つ猟師だった。だがアルコール依存症になって妻と子供に逃げられ、やけになってあちこちで問題を起こしていた。そんなところをスタンリーに誘われて今に至っている。酒を飲むと、人を撃つより鹿のほうがよっぽど難しいぜ、などとよく言ったものだった。野生は気配をよくわかるんだとこぼして昔の自慢話をした。だから賞金稼ぎなど当然に見下し、まして女というのなら、
「3マイル先からでも匂うぜ、やつらは」
「貴様のクソが、か?」
目の前に影が立っていた。ブラッドリーは視線を上げ、ぎょっとした顔になった。
翠の瞳が見下ろしている。背中に死の影が浮かんでいた。ビターズ、と呟きかけた男の顎を、ヴァネッサは迷わずに蹴り上げた。悶絶する間にライフルと拳銃を奪い、後ろ手に縛り上げる。何人も生け捕りにしてきたヴァネッサにとっては
「何人いる」ヴァネッサは額に銃を突きつけた。「さえずってみせろ」
ブラッドリーは口が利けなかった。銃口が額へめり込む。撃鉄の金属音がしたときには、小便でズボンを濡らしていた。あれだけ女風情が、と侮っていたというのに。
おい、と業を煮やしたヴァネッサが低い声で脅すと、
「外に5人、中には多分……同じぐらいだ、ライフルは全部で7挺、いや8挺か。……な、なあ殺さないでくれよ! 悪かったよ、あんたは確かに腕っこきだ……」
立板に水のごとくわめき出した。情報をすっかり聞いてしまうとヴァネッサは手頃な布を男の口に押し込み、けれども「デカい声を出すな、うすのろが」と悪態をついただけで、撃ち殺しはしなかった。無論クレアをさらった怒りは収まっていなかったし、八つ当たりをしてやりたかったが、引き替えに居場所を知らせるのは下策だった。
(何より10人もいる。囲まれれば……)
苦戦するのは目に見えていた。左右を見回すと、ヴァネッサは男を担ぎ上げ、転がっていた空き樽に投げ入れた。ブラッドリーは必死の形相で呻いていた。
「黙ってろ、汚いものを触らせやがって」
と手を払う。さて、と呟いたヴァネッサの耳がかすかな物音を聞きつけた。背後だった。ビルが戻ってくるところだった。視線が合い、彼は目を剥いた。
「ブラッド、だから言ったじゃねえか!」
すかさずヴァネッサの手首が跳ねた。ナイフが閃光のように飛び、刃がビルの喉に突き立った。一瞬痙攣したように動きが止まったかと思うと、仰向けに倒れた。その弾みで彼の人差し指が動く。銃声が闇夜を切り裂き、弾丸があらぬ方向へ飛んだ。わずかな空白の後、あちこちで怒声が聞こえ人の走る音が続いた。
(結局これか。……まったく、これだけ用意しても綺麗にはいかないものだな)
ヴァネッサは舌打ちし、内心でクレアに詫びた。この有様を知られれば、「ネッサ、わかるわ、けど……」と悲しげにうつむく顔が想像できた。
しかし言い訳を考えているほどの暇はなかった。気配はそこまで来ていた。
ヴァネッサは陰に身を移し、ひとり呟く。
「なるべく殺さないようにするから、今夜だけは許してくれ」
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