第17話 亀裂
ランプの光が頼りなげに揺れていた。クレアは物も言わず膝の上で手を握りしめていた。うつむいた顔に影が差している。表情を伺うことはできなかった。
向かいにジョーが座っていた。彼女は机上で手を組み、前傾に、威圧する瞳でクレアを見つめていた。薄い唇が一度真一文字に結ばれ、やがて、意を決したように開かれた。
「ただでは済まないだろうぜ」
「かもしれない」ヴァネッサが横から口を挟んだ。クレアには喋らせまいとする、庇い立てするような気配があった。何よりも座った位置が雄弁に語っていた。二対一の構図が現れていた。ジョーはヴァネッサを強く睨みつけた。
「悠長なこと言ってる場合じゃねえだろ、ヴァネッサ。やつらはこの間そこまで来てったんだぞ、銃を持って。黙って殺されろってか?」
「落ち着け、ジョー。そんなに戦争をしたいのか? それこそいいようにされる。あれは脅しでしかない」
「あたしは、あんたに仕事をしろって言ってんだ!」ジョーが声を荒げた。「ああ、確かにこの間は上手くやった、それは認めるぜ。けどこれからはどうだ? 不安にならないほうがおかしいぜ、次あんたがいない時に来たらどうする、ひとりなら……ってね。なんでこんなにビクつかなきゃなんねえんだ! こっちには大金を払った用心棒がいる、なんで連中を黙らせてない!」
「神経質になり過ぎてる、ジョー。よく考えろ、やつらはここに来ていないんだ。本気なら今すぐにでも押し寄せてきていて、既に襤褸切れになっている。当面殺す気はないんだ。だからまず話を聞いてくれ」
ジョーはまだ憤怒の目をしていたが、やがてため息をつき椅子にふんぞり返った。言ってみろよ、という合図だとヴァネッサは受け取って、
「スタンリーが密造酒をやっている件は、警察に情報は流してある。さすがに私が直接に
「動かなかったらどうする」
「さっき言ったように、スタンリー、いやコールマン・エクスプレスがそれほど強硬に仕掛けてくるとは思えない。彼らは暴力的だが愚かではない。君らを殺したその先まで見ている。参政権運動を落ち着かせたとしても、禁酒同盟の誰かが公に訴え出る。大事になる。やつらにとって痛手だ。そもそも絶対に取り逃さないという自信もないはずだ」
「逆にさ、あんたは逃げ切れる自信があるの……」
「私一人ならば100%」ヴァネッサは落ち着いた声で言う。「君ら二人を逃すにしても同じ。三人は、わからない。だが最初に死ぬとすれば私だ。心配はするな」
「だったら先に殺しに行ったほうが」
ジョーは途中で口を噤んだ。これまで黙っていたクレアが顔を上げていた。怖いほどの懸命さで彼女はジョーを見つめていた。桜色の唇が動いた。
「わたしは、キャリー・ネイションになるつもりはないわ。ネッサとは違う目線だけれど、力に訴えるべきではないと思う。安易な解答もない、参政権運動もゆっくり進めていくしかない。これまでずっとそうやってきたでしょう、ジョー。しかるべきことをすれば、神はお救いになられる。信じなさいと教えられてきたでしょう」
「姉さん、今回はチキンが焼き上がるのを待っちゃいられないんだ」ジョーが目尻を怒らせた。「お客はもうそこまで来てる。どうもてなすかってんだ」
「それはさっきネッサが言ったように、動いてくれてるから……」
ジョーは腕を組んで黙りこくった。親指の爪を噛み、その間に視線が揺れた。何かに迷っている、とヴァネッサは気づいて助け舟を出した。
「ジョー、他にも言いたいことがあるのかい」
「ある」ジョーは短く答えて、ひとつため息をついた。「実のところ、禁酒同盟の中でも噂になりはじめてる。今のところ、幸運にして実害はないが。みんな怖がってるんだ。この件がどうなるのか。あんたがいざというときに戦ってくれるのか、守ってくれるのか不安なんだよ。わかる、ヴァネッサ。
そうか、と言ってヴァネッサは灰皿から煙草を取り上げて一口吸った。ほとんどが白い灰になってしまっていた。
どう説得するか、ヴァネッサは頭を悩ませた。今のまま緊張関係を保つことが最善ではないかと思っていた。二者択一の勝った負けたという話ではない。だから「黙ってベッドに入れ、余計なことを考えるな」と言いたかったが、それはかえって事態をこじれさせるに違いなかった。
「あんたの言うこともわからないではないけど」ジョーが席を立った。「すぐにいい案は出ないだろうから、今日は寝かせてもらう。あたしはあたしで何とかする」
もうひとつ椅子を引く音がした。クレアが立ち上がっていた。
「ジョー、でもひとつだけ約束して」
「聞くだけ聞くよ」
「暴力はやめて。何も解決しない、何もかもが悪い方向へ流れるだけよ」
「姉さん、そいつは言いっこなしだぜ」ジョーは皮肉に唇を歪めた。「ヴァネッサを引き入れた時点で、あたしも姉さんも同罪だ」
階段を登っていく足音だけが聞こえた。ヴァネッサは煙草をもみ消して腰を上げた。はっとした顔でクレアは振り向いて、縋るような眼差しを向けた。
ヴァネッサはただ首を振って、
「クレア、少しひとりにしてくれ。いろいろと考える」
「ネッサ、怒らないで」
「いや、怒ってはいない。本当に。ただ少し時間が必要なだけだ」
縋ってくるクレアを押しのけ、ヴァネッサはテラスへ出た。鞄を漁ってウイスキーを取り出し、一気に飲み干した。一息で飲める分だけしか残っていなかった。しばらくヴァネッサは立ち尽くし、唐突に空き瓶を闇の中へ放り投げた。ガラスの割れる派手な音と、何か動物の鳴き声がした。ヴァネッサは敵を見るような目で、しばらくそちらを睨みつけていた。
強く噛んだ唇の端に、血が滲んでいた。
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