第16話 American Venom
赤茶けた台地の上に、キャンプはあった。二十人ばかりが何かと動き回っていたが、ジョーに目をくれる者はいなかった。無遠慮に観察されるよりはよほどありがたかったが、どこか陰鬱な気配が気にかかった。地下倉庫に漂うカビの匂いを思わせた。
ケリーは自分のテントに招いて椅子を勧め、
「ひとまず座るといい、お嬢さん。ウイスキーは?」
「いや……あー、コーヒーなら」
「結構。アリス!」
ケリーの声に応じて、女が慌てて現れコーヒーをついだ。目のくまが酷く、怯えたように顔色を伺って、すぐ去っていった。しかしジョーはそれに気づかなかった。前髪の出来のほうがよほど気にかかっていた。手ぐしで整えながら、ジョーは上目遣いにはにかんだ笑みを見せた。
二人はサン・ミランダで何度か会っていた。ひとりで街へ出かけた――つまり、ヴァネッサとクレアが鳥撃ちに出かけたころに――時に雑貨屋で一度、その後に街路で偶然に会った。世間話の後、去り際にケリーはこう言った。
「困ったことがあったら僕のキャンプに来るといい。ローズウエストの南、峡谷が見渡せる位置にいる。……いや、用事がなくても構わないか。君なら歓迎するよ」
人好きのする笑みに、ジョーは心を奪われていた。もちろん、一人で訪れることの危険は承知していた。けれどこの人なら大丈夫そうと思い込んでしまったし、何より
「いつにも増して綺麗だ」ケリーは愛想を言って、首元に触れた。「その紐タイもいいけれど、ネックレスも似合いそうだね。今度見に行こうじゃないか」
ジョーの頬が赤らんだが、手を嫌がりはしなかった。二人はしばらく時勢の話をした。ケリーは特にメジャー・リーグの話をしてみせた。フィラデルフィアのルーブ・ワッデルが凄い球を投げる、今年こそリーグ優勝してくれるはずだと力説した。彼はずいぶんと野球が好きらしかった。さしてジョーを惹きつける話題ではなかったが、熱心に聞こうと試みた。彼が言うのだから面白いのだろう、と信じて疑わなかった。あるいは自分も勉強してみよう、とさえ。
やがて話は互いの近況へ移っていった。ケリーは足を組みなおして、
「それで、僕にわざわざ会いに来てくれたということは、何か話したいことがあるのかな。もっとも、そうじゃないほうが嬉しいけど」
「大変だとか、具体的に助けて欲しいというわけじゃないんだ。ただちょっと……相談というか、さ」
「いいとも。話せば気も紛れるかもしれない。愚痴は嫌いじゃあない。聞かせてもらえるかな」
ありがとう、とジョーは困ったような笑みを浮かべ、ぽつぽつと語り始めた。
「最近、サン・ミランダでいざこざがあって。例の、選挙権の話でさ。向こうは銃を持ってやってきたし、人数もいそうなんだ。用心棒もいるんだけど、一人で」
「ほう、一応用意はあるのか。どこのどいつだい」
「珍しく女なんだ。ヴァネッサって言うんだけど」
腕はありそうなんだけどね、とジョーはため息交じりに続けたが、ケリーは聞いていなかった。滑らかな顔が酷薄な笑みに歪んだ。糸を引くようでさえあった。
「ジョー、その彼女は」ケリーは息を荒くして言う。「翠の瞳かい?」
「ええ、エメラルドみたいな。知ってるの……」
いや、とケリーは平静を装って首を横に振り、
「僕のジンクスがあってね。それならなおいい。気にすることはないよ」
ジョーはそう、とだけ短く答えた。男の、腹の底に蠢く淀みに気づくことはできなかった。自分が話すことに夢中だった。
彼女は仕切り直すようにコーヒーで唇を濡らして、
「何か、当てはある? もしスタンリーが急に襲ってきたら」
「考えてみよう。もちろん、可能ならば僕も行こう」
「撃ち合いなんてできるの……」
「人並みにはね」ケリーは大仰に肩をすくめた。「撃たれるのは嫌だけども」
冗談めいた言い回しに、ジョーはそっと笑いを漏らして、
「ねえ、ケリー。撃たれるのが嫌ならどうすべきだと思う……」
媚びるような調子だった。明らかに求めている解答があった。わかりやすく単純で、あたかも真理のように見える言葉。ケリーは当然にそれを知っていた。そのくせに迷うように口元へ手を当ててみせた。
「撃たれたくないのなら」ケリーは眉間に皺を寄せた。「先に撃つべきだ」
「まったく、そうなんだよ!」
ジョーは目を輝かせた。訴えかけるような前のめりで、ケリーへ膝を詰めた。
「ケリー、あたしは不安なんだ。ヴァネッサは、姉さんのことなら庇ってくれるかもしれないけど、襲われたのがあたしだったらきっとそうはならない。わかるのさ。最初とはまるで違う。気が合うと思ってたけど、やっぱり姉さんのところへ行った」
ジョーの口ぶりが次第に激しさを増す。間欠泉のように吹き出した感情が止まらなかった。ほとんど独白のように、ジョーはまくし立てた。
「姉さんはあたしにないものをいっぱい持ってる。そうさ、それは認めるよ。でもあたしだって何かある。何かあるはずなんだ。いろんな手助けをしてきたし奉仕活動だって同じぐらい一生懸命にやってきた。なのに、あたしは誰の視界にも入らない。一人を除いて」
泣き笑いのような顔で、ジョーは言った。
「あんたは、二人でいたのに、姉さんじゃなくてあたしに話しかけてくれたよね」
「わかった、わかったともジョー」
ケリーはジョーの背中に手を回し、軽く叩いた。ぐずりかける彼女を立たせてやり、
「君の言いたいことはわかった。今日はもう遅い、誰かに送らせよう。僕はすぐ用意をする。だから連絡があるまで動くんじゃないぞ」
ジョーは熱心にうなずいた。惚けたような顔でケリーを見上げていた。首元から女が香り立っていた。間違いない、とケリーは確信したが、念には念を、と声を潜めた。今から共有する秘密は、二人だけのものだと気づかせるように。
「それから、これが一番大切なことだが。今日の話は誰にもしてはいけない。僕のことも。……いいね?」
「チャールズ! どこにいる!」
ジョーの姿が見えなくなると、ケリーは最も信頼できる部下を呼びつけた。チャールズはぬっとテントの裏から現れ、
「偵察に行きますか、ボス」
「三、四人使っていい。コールマン・エクスプレスを調べろ。人数はもちろん、どんな銃を持っているかまで」
「いつ頃襲撃をかけますか」
「いや、いや。それは動き出してからだ」ケリーは椅子に深く腰掛け、三日月のように笑う。「なにせ
実に幸せそうな笑みを浮かべ、ケリーは椅子に深く腰掛けた。愚痴が嫌いでない、というのは本音だった。金になるからだ。
彼はもちろん、オーカー姉妹のことは知っていた。裕福な家。騙せばいくらか金を引っ張れるだろう、という程度の前知識はあった。それがもちろん、与しやすそうなジョーに声をかけた第一の狙いである。
しかし、こうなれば一挙両得だった。ソウから奪い取った利権で酒は手に入れたものの、捌くルートに悩んでいた。制圧するにしても、サン・ミランダは誰のシマかわからなかった。スタンは実に商売を上手くやっていて、密造酒に関しては尻尾を掴ませていなかった。敵がわかったのならば、殺せばいい。先に撃つだけのことだ。
「それに、何より」ケリーの舌が、蛇のように唇を這う。「やっと君に会えるとはね……逃しはしないよ、『かわいいネッサ』」
凄絶な笑みだった。瞳が充血して、彼の興奮を物語っていた。
ケリーは傍らのウイスキーをひっつかんだ。残った1/4ほどを一気に呷り、天に叫んだ。
「諸君、やってくるぞ!
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