第12話 紫煙

「勝負するかい?」

 その言葉を受けて、ジョーは手札を見て唸った。人差し指に黒髪を巻き付けて考え込んでいた。

「ジョー、髪が痛むんじゃないか」

「え? 大丈夫さね」ジョーは気づいてやめたが、「別にいいんだよ、こんなもん。好きじゃないし。姉さんのと替えてくんないかね」

 どう言葉を選んでも突っかかられそうなことばだった。ヴァネッサはただ肩をすくめ、

「さ、どうしてくれる」

「うーん、ショウダウンだ」

 ジョーはヴァネッサの挑発に答えてトランプを放ったが、手札を見て天を仰いだ。

「スリーカードなら勝てると思ったんだけどなあ!」

「悪いね、私もいい手だったから」

 にやりと笑ってヴァネッサはチップをかき集める。ストレートだった。これで五連勝になる。勝ち続けていた。ヴァネッサは足元に置いておいた――クレアに見つからないようにだ――ウイスキーの瓶を傾けた。一口よこせ、とジョーも唇を濡らした。残りはだった。

「それで」ジョーが座り直した。一転、真面目な顔だった。「先手を打つかどうかさ」

「まあ落ち着きな、ジョー。手番ってものがある」

「スタンリーの話だよ。わかって言ってんだろ、あんた」

 ヴァネッサは鼻の頭を掻き、腕を組んだ。上目遣いにジョーを見やり、

「どうしたい」

「殴り合うなら、先制パンチが一番さ」「どういう風に」「待ち伏せ、不意打ち」

 ヴァネッサはかすかに首を傾げた。その曖昧さに、ジョーは眉間へ皺を寄せ、

「あんまり馬鹿にするなよ。あたしだって何かできるさ」

「ああ、そうだと思って話してる。銃を持つ気なんだろ」

 スタンリーが脅しをかけてきたことは、この二人だけの秘密だった。クレアには話さないほうがいいと判断したのはジョーだったが、ヴァネッサも同感だった。知ればクレアは何とか話し合いで解決しようとするし、それはあまりにも正直すぎる。善良であることと甘いことは違う。交渉だとしても、銃口を向けながら話す相手なのだから。

 その点ジョーは実際的で、しかし同時に気が逸っているようでもあった。彼女は納得がいかないとばかり唇を尖らせて、

「あたしもいきなり銃はヤバいと思うけどさ。向こうはギャングなんでしょ」

「用意しているところへ単身乗り込むか? 向こうの戦力もわかっていない」

「それならあたしが調べてくる。女の情報網って凄いんだぜ」

「ジョー、これは私の領分だ」たしなめる口調だった。「銃を抜くのは私一人でいい。だからその機会も、私が計る」

 実際のところ、警察署に足を運んで聞き込みを始めていた。ウィルは「やったか……」と頭を抱えたが、スタンリーについての情報は引き出せた。コールマン・エクスプレス――名目上は運送業。実情はローズウエストから運ばれてくる酒と金を守る用心棒で、大手酒造家の懐刀。売掛の取り立ても任され、その分野では拳と鉛弾が成果を上げているとのことだった。

(それに、密造酒と言っていた)

 独自に酒造りを始めたのだろう。商品を捌くルートは既に持っているから、展開はさして意外でもない。

(こう考えると、やつもビジネスマンではあるな)

 ヴァネッサは短くなった煙草を灰皿に押し付けた。背中をむず痒いような痺れが走って、足を無意味に組み替えている。冷静な頭の働きと、穏やかなランプの光に反して。違和感には身体のほうで気づいていた。

 結局、命を賭けるに値するか。姉妹に肩入れしつつある自分に気づいているからこそ、用心棒としての本分に返らなければいけない。仮にスタンに手練れの部下がいて、五人を超えるようであれば勝ち目はなかった。依然として仕事を続ける気ではあるものの、天秤の片側に明確な重さクレアが乗ったことで揺らぎが生まれていることもまた、確かだった。

 続きを、とジョーはため息まじりにカードを拾い上げかけて、その言葉の端がすぼまっていった。彼女は他所よそを向いていた。つられてヴァネッサも振り向くと、柱の陰からクレアが顔を出していた。照れくさそうな笑みを浮かべ、盆にカップを乗せて立っていた。

「姉さん、まだ寝てなかったの……」

「だって、あなたたちもまだ起きているじゃない」

 クレアは鼻を鳴らし、気取った調子で歩いてきてヴァネッサの隣に腰を下ろした。押し付けられた身体の重みと思いがけない暖かさに、ヴァネッサは座り直していた。

「ジョーの旗色が悪そうね」とクレアは紅茶を配りながら言う。「相変わらずポーカーは弱いの?」

 姉さんに言われたかないや、とジョーは噛みつく。「よっぽど姉さんのほうが顔に出るじゃない」と唇を尖らせたが、たいして変わらないだろうとヴァネッサは思った。状況によって違うにすぎない。誰しも得手不得手がある、それだけのことだ。

「ああ、でもせっかくだから少し休憩にしようか」ジョーが言った。「勝負は後で」

「君にとって流れが悪いからね」

 ヴァネッサが口の端に皮肉な笑みを浮かべると、ジョーは聞こえないふりでカップに口をつけた。果物のように華やかな香りだった。

「相変わらず、と言ったが」ヴァネッサも紅茶で唇を濡らして、「二人もカードを?」

 遊びだけどね、とジョーが答える。クレアもうなずいて、

「お金を賭けたりはしなかったわ。……ジョー、今は」

「してないよ、もちろん」ジョーは素知らぬ顔でいる。「しかし姉さんとやる時は賭けときゃよかったって思うよ。今頃億万長者だ」

「それはどうかしら」

「勝敗、しっかり書き留めてあるけど」

 まあ、とクレアは斜に睨んだ。ニンジンも食べなさいと言われた子供の膨れようだった。

 ヴァネッサは笑みがこぼれるのを抑えきれなかった。クレアが睨むので、「悪かったよ」と手を上げて、

「クレア、君も存外負けず嫌いなんだね」

「わたしは事実を述べているだけです。それにずいぶん子供の頃の話だから、今は違うわ」クレアが得意げに言う。「ボストンでもいくらかは遊んだもの」

「誰と」とヴァネッサが訊く。

 クレアは思い出すように指を折って、

「下宿していた部屋に、四……五人は来たかしら。もちろんおしゃべりのほうが多かったけれど。ああ、でも相部屋のナンとは掃除を賭けたかしらね」

「おおい、賭け事をしてるじゃん」ジョーが言葉の端を捉えて言った。「よろしいのですか、聖書に照らして」

「直接賭け事が悪いとは言っていないもの……マタイに『人は神と富の両方に仕えることはできない』とあるけれど。だからお金は賭けないわ」

 見事にやり込められて、ジョーは舌打ちした。けれどそれはヴァネッサの目に留まらなかった。相部屋のナン、という言葉が川魚の骨になって喉に引っかかっていた。

「クレア、そういえば」とヴァネッサは切り込んだ。「君が留学していた時の話は聞いたことがなかったね」

「それほど面白いことはないけれど」

「私は東のほうに行ったことがないから興味を持ってね。ご友人も他から来ていた?」

 クレアは話がつながっていないことに首を傾げたが、まあいいわ、と思い直して、

「ナンのこと? 彼女はボストンの少し南が実家でした。キングストン、プリマス……そのあたりだったと思うけれど。わたし、行ったのに忘れちゃったわ。でもとにかく港町で。ここも海に近いでしょう? だから共通の話題ができて、仲良くなったんです」

「友人に恵まれたんだね」とヴァネッサは意図的に微笑を浮かべた。胸に覚えた痛みを隠すために。

 それ故にクレアは気づかず、かえって上機嫌に、

「そう、他に学内で友人もできたけれど、ナンが一番でしたね。誕生日には一緒にプラム入りのバースデー・ケーキを作って。大家さんがキッチンを貸してくれたのだけど……」

 幸せな時が、今目の前で起こっているような手つきで話した。濃密な記憶をひとつ聞くたびに、ヴァネッサはなぜか自分がみじめに感じた。天を仰ぎ、帽子を被り直した。どうしてこんなことを考えている、と自問した。ただその原因に迫ろうとするほどに胸が詰まって、ただクレアの語りにうなずいていた。

「ご、ごめんなさい! わたしばかりこんなに話してしまって!」

 やっとクレアも二人の浮かない様子に気づき――ジョーは何度も聞いた話に欠伸を噛み殺していた――慌てて祈るように手を組んだ。それから取り繕うように、

「二人は何を話していたの? わたしが来る前に」

「姉さん、聞かないほうがいいと思うけど」ジョーがカードを片付けながら訊いた。「あんまりいい話じゃないから」

 どういうこと、とクレアは顔を曇らせた。ヴァネッサは思わず舌打ちしかけた。適当に天気の話だとか、農場の話だとか言っておけばいいものを。

 するとジョーはその場しのぎの早口で、

「別にそんな大したことじゃないんだ。あたしとヴァネッサで何とかなるから」

「二人だけの、秘密……」クレアは悲しげに目を伏せ、「わたしには話せないのね」

 問われて、ジョーは助けを求めるようにヴァネッサへ視線を向けた。

(参ったな)

 とヴァネッサは内心困惑したが、スタンリーとの一部始終を語るわけにもいかない。心配をさせるか怒らせるかのどちらかだ。仕切り直しに空咳をして、

「実はジョーがどうしてもサン・ミランダへ行きたいと言ってきかなくてね。君は……」

「二人で、行きたいんでしょう?」

「いや、そんなことはないが……」

「いいえ、そうでしょう。話しにくいのだもの」クレアは席を蹴った。「行きたいのなら行けばいいんじゃないかしら。わたしに隠さなくても。やましいことがあるのだったら別ですけど」

 言い放つとクレアは背を向けた。肩に手を掛ける間もなく、逃げるように行ってしまった。大股で早足な足音は、いつになく乱暴だった。

 やったな、とジョーはため息をつき、

「ああなると姉さんは長いんだよ」

「ほとんど君のせいだと思うが」

「いや……否定はできないけど」ジョーは頭の後ろを掻いて、「あんたも嘘が下手だ」

「何を言う。即興で助けてやったじゃないか」

 気づいてなかったんだ、とジョーは首を捻り、

「そっちのことじゃないよ。途中から姉さんの話聞いてなかったろ。上の空だったぜ」

「それこそ君もだろう」

「だってあんたに話してたじゃん」ジョーは開き直って、「つまり最初の原因はあんたにある。というかあたしではどうしようもない。妹に機嫌とられたって、ねえ?」

 ヴァネッサは口の端に煙草を咥えた。しばらく火も点けないまま呻いていたが、

「どうすればいい」

「出来ることをしてやればいいさ。ザ・デルのスイート取れって言ってんじゃないんだ」

「君は来ないのか」

「あたしは本当に街へ行くよ」ジョーはウインクしてみせた。「デートの邪魔にならないようにね。土産でも買ってきてやるよ」

 じゃあ、とジョーも腰を上げた。

 ヴァネッサは舌打ちをして、煙草に火を点けた。困ったものだ、という呟きが、味のしない煙とともに虚空へ消えていった。 

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