第11話 ビターズ

 男は迷いのない足取りで進んでいった。曲がりくねった路地だったが、よく知っているらしかった。昼間でも暗いような場所で、薄く開いた左右の扉からは視線を感じた。痩せた子供も薄汚れた服を着た女も、一様にうらみがましい目でヴァネッサを見定めていた。食う側か、食われる側かと。それがサン・ミランダの本質だった。ヴァネッサは目を向けさえしなかった。ああなりたくなかったから、自分は銃を手にしたのだ、と思い出した。

 けれども、殺したり殺されたりすることと、善良なまま貧窮にあえぐことの、本当はどちらが善いのだろうか。


 ここだ、と男は一角で足を止め、狭い入り口のスウィングドアを押し開ける。看板もない店には奥へと長く伸びるカウンターがあって、ならず者らしい男たちが十人ばかりたむろしていた。濁った無数の瞳が一斉にヴァネッサへ向けられ、好奇と侮りの色が浮かんだ。口笛を吹いてみせるものもいた。ヴァネッサはそれにいちいち反応を返すこともしなかった。ただ眠そうな目で応えた。

「俺が酒を卸してる店だ」男がカウンターの一番手前に肘をついて手招きする。「気兼ねしなくていい」

 注文するまでもなく、二人の前にはショットグラスとウイスキーの瓶が置かれる。白髪のバーテンはずいぶん古びたチョッキを着て腰にナイフさえ携えていたが、それでもこの場では最もまともな人間に思えた。

「時間をやるとは言ったけど」ヴァネッサは目を細め、「少しだけだ。用件は」

 落ち着けよ、と男は鈍そうな笑みを浮かべて、「スタン。スタンリー・コールマンだ」と名乗った。そう、とだけヴァネッサは返して、握手しようとする大きな手を無視した。カウンターに寄りかかり、店全体を意識の中に入れる。薄汚れた天井のシミも、角にある蜘蛛の巣も、誰が一番銃を抜きそうかまでも。

「ここは俺のおごりだ。飲んでいってくれ」

 どうも、とだけ小声で返したヴァネッサは隣のスタンを改めて推し量っている。自分より高い身長と長い腕。特注らしい銃身のピースメーカーは、今の態勢から抜いたとてカウンターの端にかかる。スタンはさすがにその視線には気づいたらしく、固くなるなよと言ってウイスキーを自分のグラスに、それからヴァネッサにも注いだ。荒っぽい注ぎ方で、琥珀色が天板にこぼれて池を作っていた。

「今日は話し合いだけさ。本当だぜ」

 スタンは一息でグラスを乾す。なるほど、とヴァネッサも頷き、真似るようにして飲んだ。石のような味だった。

「あんたは凄腕だと聞いた」スタンは煙草に火を点けながら言う。「どうしてオーカー姉妹なんかに肩入れしてる。同志諸君だからか」

「賞金稼ぎの仕事があがったりだからさ。それ以上でも以下でもない」

「金の話か」

 かもね、とヴァネッサは他人事のように答えた。そのうちにわけもなく手が伸びて、真っ直ぐ下ろした右肘のあたりをつかんでいた。思いがけず憂鬱な女を自分の中に見て、ヴァネッサは密かに眉をひそめた。

 スタンは金か、と改めて呟き、軽く目を閉じた。紫煙が烟っていた。

「他に何がある」ヴァネッサは引き継いで、まるで取り繕うように言葉を続けた。「それが仕事ビズだ。私は鉛弾で取引する。あんたもそうでしょう……」

「俺はもっとクリーンだぜ」

清潔クリーンな取引先と商売しているものね」

 バーテンはわずかに顔をしかめたが、スタンは愉快げに喉を鳴らして笑った。

「ここがどういう店かわかるかい……」

「私じゃ見当もつかない」

「冗談も言うんだな」スタンは酒を注ぐ。「密造酒の店だ。いや、もちろん真っ当なやつもあるがね。払うべきところには払ってる」

「さぞ便宜を図ってくれてるんだろうね」

 スタンは答えずに鼻の根本を擦り、

「答えは……今は言わないでおくぜ。だが俺たちの後ろについてるのはあんた方よりデカいとだけ言っておく。俺のイチモツぐらいには」

「なるほど。豆鉄砲なら恐れるに足らず、だ」

 言うねえ、とスタンは口笛を吹き、わざわざベルトに手をかけてみせ、

「試してみるかい?」

 ヴァネッサは天を仰ぎ、帽子をかぶり直した。下卑たことばに、男たちの下世話さに、いつになくひりついている自分を感じた。いっそここで撃ち合ってやろうかさえ思った。連中が向かってくるなら、まず殺せるとは感じた。けれど一人でも逃せば、間違いなく姉妹に累が及ぶ。むかつきを抑え込み、ヴァネッサは酒を呷った。

「あんたが飲んだバーボンも」スタンはすかさず言った。「このままじゃ飲めなくなっちまうぜ。あんたがたの手でな。それでもいいのか?」

「その時は他所に行くさ……」

 スタンは唇を尖らせ、

「じきに自由の国アメリカ全部がそうなっちまうかもしれない。物のわからない女に余計なものを与えてやるせいで」

 ヴァネッサの空いた右手が動いた。その場にいた誰も反応できなかった。銃口がスタンへ向けられていた。男たちが色めき立ち腰に手をかけた。

「私も女だと忘れたかい」ヴァネッサは低い声で言った。「それから、クソで汚れた口でクレアのことを話すんじゃない」

 スタンの顔から余裕の微笑が消えた。本気の度合いを測っているようだった。

 ヴァネッサは親指を撃鉄にかけている。合理的に言えば撃つ場面ではないしその気もないはずだったが、怒りが破裂しかけていて、本当のところは自分でもわからなかった。

 スタンはショットグラスを弄んでいた。ヴァネッサはその右手の行方を追っている。

 抜くのか、抜かないのか。痺れるような数秒の緊張の後、

「やめろ。全員、馬鹿げた真似をよせ」

 スタンは男たちを手で制し、改めて作り直した笑顔を見せた。それがほとんど情けないようなものだったから、ヴァネッサも気を削がれ銃を収めた。

 誰かがため息をつき、一様に安堵の空気が流れた。

「そんなに血の気が多いとは思わなかったぜ」スタンは苦笑いを浮かべた。「賞金稼ぎってのはみんなそうなのか?」

「さてね。酒のせいかもしれない」

 スタンはストレートフラッシュに負けたような顔で、

「禁酒法だって? そいつは困る。卸す店は減る、俺たちみたいなところへの締付けもきつくなる。処女みたいにね」

 向こうで男たちが再度下卑た笑いを漏らした。ヴァネッサはもう顔色ひとつ変えず、

「真っ当に商売をするといい。牧場でも鉄道の仕事でも。私が言えたことじゃないが、銃と酒は一組だ。ディナーにデザートがつくように。新世紀だ。そろそろ洗い時なんだろう」

「とにかくだ、こっちは禁酒法なんか困る。そのための選挙権は通したくねえんだ」

「さっき物のわからない女と吐かしたが」ヴァネッサは冷たい瞳で、「クレアはあんたよりよほど物がわかってる。権利を求めるのは必然だ」

「いいかい、"ビターズ"。もう一度訊くぜ。荒野で喉が乾いてもビールの一口さえ飲めなくなるんだぜ。馬鹿げてると思わないか?」

 話は堂々巡りになるようだった。ヴァネッサはここまでだな、と金をカウンターに投げた。待てよ、とスタンは立ち塞がって、

「最後に聞かせろ。金の話と言ったな。あの世間知らずなお嬢様方からいくらもらってる」

「まだ決まっちゃいないさ。なにせ仕事が完了して初めて支払いだ」

「嘘を言っちゃあいけねえぜ、ヴァネッサ」スタンは粘着質に笑った。「あんたほどの人間が着手金もいただかないはずがないだろう」

 ヴァネッサはかすかに首を傾げただけだった。答えてやる必要はない。押しのけて歩き出すところに、スタンはなおもしつこく食い下がって、

「1000ドルだ。やつらをサン・ミランダから追い出すだけでな。悪くない仕事だろ? それに今後ともあんたとは仲良くできるはずだ。密造酒ってのは儲かるんだ。銃が必要にもなるしな」

「考えておくよ」ヴァネッサは言い捨て、だが最後に振り返った。

 その視線に、スタンは射すくめられた。翠の瞳は殺気の光彩を帯びていた。

「私が返事を寄越すまでは彼女たちに触れるな。指一本。もし約束を破れば」

 低く、濁った声が言う。

「どこへ逃げようと、必ず殺す。お前が生まれてきたことを後悔するようなやり方でね」

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