第7話 ブラック・レター・デイ

 火薬が炸裂する。その音がヴァネッサを叩き起こした。耳朶を打ち横隔膜を揺らし頭蓋の中身を撹拌した。何度聞けども慣れることのない音だった。

 テントを飛び出す。視界は赤一色だった。炎の中にいて、食料を載せた馬車も、バーネット先生が仮に作った診療所も、ジェーンのキャンプも燃えていることだけがわかった。木の凄まじく爆ぜる音がした。

 夢だ、とヴァネッサは呟いた。認識は正しかったが、しかしその言葉があの日のものだったか、今ここのものかはわからなかった。

 習性で銃を抜こうとして、腰に何もないことに気づく。八年前はまだ賞金稼ぎではなかったな、とヴァネッサは思う。ただの小娘だった。

「ネッサ! こっち!」

 誰かが首根っこをつかんだ。力強い手だった。わけもわからず引きずられ、掘っ立て小屋の中に放り込まれる。

「床下にいな。いいわね!」

 しゃがれた老婆の声は、有無を言わせぬ調子だった。

 マザー、とヴァネッサはあえぐように言った。紫のドレスと、首元の巨大なブローチが記憶に残っている。実の母ではない。鷲鼻も鈍色の瞳もヴァネッサとはまったく一致しない。サンバルド・ギャングの母だった。

 縋るように、ヴァネッサの手が伸びる。けれどマザーは振り払い、叱りつけた。

「早く! 絶対に出てくるんじゃないよ! 何があってもね!」

 そう言い残し、彼女は戸口のほうへショットガンをぶっ放した。蛙の潰れるような声がして、男が倒れていた。ヴァネッサは身を丸くして、床板の剥がれたところから下へと潜り込んだ。

 頭上で銃声が何度も響き、悲鳴と野太い声がそこら中から聞こえた。何が起きているのかわかりもしなかったが、ギャングが壊滅しようとしていることだけはわかった。軍隊なのか、抗争なのか。この時はわからなかった。けれど。

(今は、知っている)

 裏切り。おそらくは金が原因の。思いつく理由はそれだけだった。

 サンバルド・ギャングはならず者というよりは社会不適合者の集まりだった。アルコール、麻薬中毒、あるいはなぜかひとところで働けない者。そういう面々を集めて、各地を転々としていた。

 リーダーのフランクリン・"ミッドナイト"・アディントンは元銀行員で、鉄道会社に出向した後やり口に嫌気がさして辞めた。先住民を銃で脅し土地を奪い、学のない労働者を騙して働かせ搾り取り、役に立たなくなれば捨てるようなやり方に。

 それゆえミッドナイトはかつての勤め先鉄道会社を襲った――とは言っても人殺しはしなかった。深夜、限りなく被害の少ない時間を狙って盗みに入り、朝にはしかるべき額が消え失せていた。ミッドナイトの所以だった。

 当然富豪たちは怒った。現代のロビン・フッド気取りめ、とあちこちの警察に手を回し無事お尋ね者となった。サンバルド・ギャングは追われ追われ、ついにはメキシコとの国境近くまで野営地を移そうとしていた。その矢先だった。

 やがて銃声が止む。ほとんどの馬車は燃え尽きて消し炭となり、夜闇の中で中央の焚き火だけがあたりを煌々と照らしていた。その回りには無数の亡骸が転がっている。見覚えのある一味と同じぐらい、無法者も殺されていた。

 終わったの、とヴァネッサは這い出ようとして、足音に動きを止めた。

「ああ、まったくやりもやってくれたねえ!」

 苛立った大声が聞こえた。妙にはっきりとした、だった。男はキャンプを見回した。顔が照らされて顕になった。その時の総毛立つ感覚を、ヴァネッサはひどく明確に記憶している。刻み込まれていた。

 男は、顎下から顔を覆う顔のマスクを引きちぎった。

 現れたのは、皺もなく髭の一本もない、無機質な顔。炎に照らされて浮かぶ、嗜虐的な笑み。悪魔。

 ついひと月ばかり前にギャングへ入ってきた男だった。ケリー・ホワイト。数人の仲間を連れて、ミッドナイトに媚びるような笑みを浮かべて。ヴァネッサのことを会ってすぐにかわいいネッサ、と呼び、綺麗な目をしているねと言った。粘りつくような音だった。

 マザーを初めとして何人かは帰ってもらえと言った。なぜ今なのか。探偵社あたりのスパイではないか。しかし若い男手はあったほうが得だ。云々。

 様々議論が交わされた結果、ミッドナイトはこう言った。

「我々を必要とする以上、受け入れなければいけない。それがサンバルド・ギャングだ」

 彼はあまりに博愛主義が過ぎたのだ。

 数人の慌ただしい足音が近づいてきた。ケリーの部下たちが後を追ってきたのだった。

「ボス、逃げた者も片付けました」チャールズが言う。「これで全員かと」

「本当か? 後から死体の数を確認しないとな」

 ケリーがそう呟いた時、ヴァネッサの頭上でうめき声がした。だめ、とヴァネッサは叫びかけた。マザーはまだ生きていたのだ。

「捕まえて来い」ケリーは冷淡に言う。「それから、やつも」

 ヴァネッサは懸命に手で口を塞いだ。叩きつけるような足音を頭上に聞いた。マザーが引きずられていく。その口から呪詛の声が漏れる。「このクソ野郎め……あんたなんか、地獄に……」

 ケリーは屈み込み、マザーの髪をつかんで引き上げた。その顔にはあまりにこの場所に不似合いな、紳士的な笑みが浮かんでいる。さながらダンスに誘うような。

「よく戦われましたな、お母様」ケリーは喉で笑う。「勇ましいことで」

「必ず……この報いを……受けるときが……」

 そうかもしれませんなあ、とケリーは大口を開けて笑い、「おい、用意できたか」

 へい、と品のない返事が聞こえる。男たちは即席の十字架を抱えて持ってくる。そこには、ミッドナイトが縛り付けられている。

 あんた、とマザーは目を剥いた。ミッドナイトは口を固く引き結んで何も言わない。観念した顔をしていた。

「さて、さてさて」ケリーがサーカスの司会者の調子で言う。「これからちょっとした見世物をしよう。ここまで戦ってくれたお返しだ。マザー、あなたはよく見ていてくれ」

 ミッドナイトの素足が炎に近づけられた。燃える寸前の、炙られる距離。一瞬漏れた男のうめき声は、歯ぎしりとともに喉の奥へ押し込まれる。

 ケリーは極上の笑みで、

「そうそう、よく我慢してくれ。もっとも、ここからなんだが」

 取り出したナイフの刃が、炎を受けて不吉に輝いた。ケリーはそれを軽く振って、ミッドナイトの手の甲へ突き立てた。ミッドナイトが歯を強く噛み締めた。

「ここから、こうやって刀身を回していくんだ」

 手の皮が剥がされていく。ミッドナイトが獣の唸り声を上げ、マザーは涸れた声で叫んだ。ケリーは鼻歌混じりに作業をこなしていく。

 異様な光景だった。“かわいいネッサ”はただ震えるだけだった。失禁でズボンが濡れていたことにも気づかなかった。

「気に入った相手を自分のものにしたくはないかい。きっと誰でもそうだ」ケリーは滑らかに笑う。「なぜ皮が必要だと思う?」

 問いには誰も答えなかった。ケリーは手を止め、肩をすくめて振り返り、

「マザー、あなたに訊いているんだ。人間には対話が必要だからね」

「獣だ、あんたは。人なんかじゃない」

 マザーは唾を吐いたが、足元に落ちただけだった。ケリーは融資の相談を断られたように首を振って、

「落ち着いてくれよ。あなたが今何を思っているか、僕は知りたい」

「地獄に落ちな、クソ野郎」

「面白くないな」

 ケリーは無造作に銃を抜いて、撃った。老婆の頭が弾けた。赤いものが飛び散った。ヴァネッサは必死に口を塞いだ。漏れ出そうな嗚咽を辛うじて留めた。涙で視界がぼやけていた。

「さて、ミッドナイト」ケリーは死の淵に立つ男へ話しかける。「どうかね、今の心持ちは。自分の守りたいものが全部死に絶えた様はどうだい。ん?」

 ミッドナイトは凄まじい目でケリーを睨んだ。憤怒に震えていた。自分が殺さえることなど頭から消えてしまったようだった。

「そういう顔が見たかったのさ」

 ケリーは満面の笑みを浮かべた。誕生日の子供だとしても、これほどの笑顔にはなれなかっただろう。ナイフを手の中で回し、剥がれかけた左の掌へ改めて取り掛かった。。

「今回はね、顔は剥がない」ケリーは心底残念そうに首を振った。「なにせ500ドルだかね。いくら僕でも、趣味でそれだけの金を失うのは惜しい」

 つまるところ、とケリーは平然と続ける。

「君には利益を最大化してもらう必要がある。生死問わずとはいえ、引き渡す時に生きていたほうが賞金も上がる――おっと、舌を噛ませるな。ハンカチを突っ込んでおけ」

 言葉に応じて、チャールズが如才なくやってのけた。ケリーは我が意を得たりとばかり大きくうなずいて、

「そういうことだ、ミッドナイト。君は一晩、全てを殺してしまった罪責に苦しむといい。君のせいだ。君が守れなかった。君が殺した。その証をこうして」ケリーは剥ぎ取った手の皮を見せた。「僕が持ち続けよう。君の屈辱と痛みは僕が覚えておこう。未来永劫伝えようじゃないか」

 ミッドナイトが目を剥いた。

 静かに、ケリーはうなずく。滑らかな笑みを、口元に湛えている。

「さて、次は右手にいこうかな。片手の手袋では具合が悪いだろう」

 ミッドナイトのくぐもった咆哮が夜に木霊した。鼻歌の、オールド・ブラック・ジョーが聞こえる。人の死を嘲弄するかのような響きが。

 ヴァネッサは泣きながら、ただ愕然と見つめるだけだった。

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