第5話 オールド・ウエスト(2)

「先に言っていただければ、もう少し手の込んだものができましたのに」と使用人のメアリはしきりに不平を漏らしていたが、十分に豪勢だった。チキン・サラダには卵黄に塩コショウで適宜味付けをしたソース、もちろんマスタードもかかっている。鶏肉は弾力があり芳醇で、時々に現れるピクルスが食感を楽しませた。焼き立てのコーンブレッドも香ばしく、滴るほどかけられた蜂蜜が食欲をそそる。それに何と言ってもアップルパイ。カスタードとみずみずしいリンゴの甘さ。

「メアリのアップルパイは絶品だろ?」とナプキンで口元を拭きながら、ジョーが得意げに言う。「もう一切れどう」

 いや、たっぷりいただいたよ、とヴァネッサは遠慮し、葉巻に火を点けた。クラリスはかすかに眉をしかめたが、結局何も言わなかった。

 そもそもクラリスは食事中ほとんど話しさえしなかった。時々相槌を打つぐらいで、その割に視線が合った。女主人の割に、どういうつもりなのかとヴァネッサは困惑を覚えたが、気づいていないふりでジョーとばかり会話をしていた。

 ジョーはといえば、下世話な冗談――ニワトリが寝取られた時に何て鳴くか知ってる――だとか、サン・ミランダの船乗りに聞いた南の島について――虹色の、人の言葉を話す動物がいて――だとかで場を盛り上げていた。多少芝居がかっていたのはホスピタリティの現れでもあり、先にいささか暗い話をしてしまった埋め合わせらしかった。

 当然ヴァネッサにも手番は回ってきて、迷った挙句、ネバタの山奥でグリズリーと三日三晩対峙した話をした。

「やつらは執念深い」とヴァネッサは声を低くする。「足跡を真っ正直に追っていったら……真後ろにいる」熊の吠え声を真似してみせた。ジョーはくすくす笑い、クラリスは少し顔を引きつらせたものだった。

 そういうわけで全体的には陽気な夕食は終わり、気づけばすっかり夜の帳が下りている。ヴァネッサはコーヒーを飲み切ってしまうと、話の合間を見て帽子を被り、

「そろそろお暇するよ。おいしい夕食をありがとう、お二人……メアリも」

 あらまあ、とメアリはにっこりした。わざわざこの黒人の使用人に声を掛けるような客はあまりいないらしかった。

 ヴァネッサは愛想の微笑みを浮かべて立ち上がり、しかし行きそびれた。右手に柔らかな力がかかっていた。思うより近くにクラリスがいた。彼女の長いまつ毛がしばたかれた。遠慮がちな碧い瞳が、しかし明確な意志を上目遣いに訴えている。どうされました、とヴァネッサが驚いて訊くと、

「あの、日も暮れましたし。よ、よろしければ……泊まっていって、くださる?」

 そう、つかえながら言ったものだった。


 奇妙な日だ、とヴァネッサはベッドへ腰を下ろしながらつぶやいた。屋根があって、柔らかいマットレスに清潔なシーツまでついている。かえって落ち着かなかった。銃が腰にないこともその一因かもしれない、とヴァネッサは気づく。ピースメーカーはホルスターに入れて壁へかけてあり、代わりにデリンジャーをベストの胸元から出して枕の下に置く。それで幾分か、腹の収まりが良くなったような感じがして、頭の後ろで手を組み寝転がった。ランプの明かりがまだぼんやりと室内を照らしている。

 ヴァネッサがまどろみだしたころ、静かに扉が開いた。

 その人はランプを掲げて室内を見渡し、

「用か」

 デリンジャーを構えているヴァネッサが目に入る。

 闖入者、ジョーは両手を挙げて不敵に笑い、

「大したもんだ。警戒してたの」

「いつものことだ。で、私を撃ちに来たのか。それとも撃たれたいのか」

「何も持ってないよ。まあまあ、そう神経質になりなさんな」とジョーは手でたしなめておいて、椅子を引き寄せる。「あんたの腕を見込んで頼みたいことがあるんだ」

 ヴァネッサはため息をつき、銃口を下げた。

「泊まっていけなんて言われるから、そんなことだろうと思った」

 うん、とジョーは膝を詰めて、「今日見ただろ、最近あんな具合で嫌がらせが増えてきてる。嫌がらせのうちならまだいいけど、どっかで姉さんが襲われたらって考えると」

 真剣な瞳が見上げていた。燃えるような鳶色の虹彩だった。若い賞金稼ぎに似ている、とヴァネッサは思う。血気盛んで、ややもすると無謀さも含んだ色。かつては、自分もそうだったはずの目。

「護衛をやって欲しい」ジョーが囁くような声で切り出した。「もちろん払うべきものは払う。条件を教えて」

「その前に聞かせてくれ。これは君一人で決めたことか」

 ジョーは首を横に振って、

「提案したのはあたしだけど、姉さんも賛成したよ。そもそもあんたを引き留めたのは姉さんでしょ。わかるじゃない」

 おかしそうに笑うジョーをよそ目に、ヴァネッサは腕を組んで考え込んだ。姉妹がどれぐらいのものか測りかねていた。沈没しない船なのかどうか。ジョーはある程度見えている。姉はどうだ。

(銃を持って戦うような柄ではないな)

 しかしそうでなくとも戦う術はある。男たちに切った啖呵が勢いだったのか腹が据わっているのか、食事の時に見極めようと考えていたが、あの振る舞いから決定づけることはできなかった。幾分か評価を下げる形にはなったが。

 そのあたりを勘案すると、

「前金で500ドル」ヴァネッサは言下に言った。「仕事が終わったらもう500ドル。もちろん必要経費は別だ」

 法外なはずだった。ジョーは腕を組み、

「煙草もらってもいい?」

 ああ、とヴァネッサが火を点けて渡してやると、ジョーは苦そうに煙を吐き、しばらく天井を見つめていたが、

「いいよ、それで。さすがに今ここには500ドルないけど、今週中に用意する」

 ヴァネッサはかすかに顔をしかめながら頭の後ろを掻いて、

「もう少し吹っかけるべきだったか」

「ふっ、もう遅いよ」ジョーは手を差し出した。「あんたなら信用できそうだ」

「どうかな。そう簡単に人を信じるものじゃないぜ」

 とヴァネッサもその手を握った。滑らかな掌だったが、存外に力は強かった。

 ジョーは深くうなずいて立ち上がり、

「よ、それじゃあ明日からよろしくね。姉さんにも言っとくから。おやすみ」

 ああ、とヴァネッサは喉で返事をする。ジョーが静かに部屋を出ていき、扉が閉まる。ヴァネッサはランプを吹き消した。部屋がほんとうの闇に落ちた。 

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