第2話 ヴァネッサ・ミラーという女

「ずいぶんこの街も平和になったものだ。アナベルもラッツィンガー兄弟も、"レフティ"のヴィンセントもくたばったのか」

 そういうことになる、と署長は申し訳なさそうに赤ら顔をしかめた。何とも太った――栄養状態のいい男だった。サン・ミランダ市警の青い制服はボタンが弾け飛ばんばかりだった。彼が身じろぎすると、椅子が不満を叫ぶように軋んだ。

「悪いがヴァネッサ、力になれることはなさそうだ。もうここらの賞金首は片付いてしまったし、例の債権回収も、奴さんが死んじまったし……」

「こちらこそ」とヴァネッサは慇懃に言って、手配書をくずかごへ投げ入れた。

 若い女だった。ギャンブラー・ハットを目深に被り、その下から宝石ほど鮮やかな緑色をした、切れ長の瞳がのぞいている。秀麗な中にも鋭い光があって、それは黒いアイシャドウによって一層強い印象として感じられた。

「ウィル」とヴァネッサは詰問の調子で言う。「死体はもう他所へ運ばれたの」

「まださ。裏にある。見るかい」

 ウィルは汗を拭きながら立ち上がろうとし、机に足をぶつけて顔をしかめた。誰の目にも狼狽しているのが見て取れた。

 不倫相手を『どうにかしてくれ』とヴァネッサに話があったのは三ヶ月ほど前だった。女の後ろには悪知恵の働く男が何人かいて、ウィリアムは金をせびられていた。警察署長という立場もあって、大事にしたくない小心者は信用できる賞金稼ぎに外注を出したのだ。ヴァネッサはたった二日で居場所を見つけ出し、銃でもって男たちを『静かに』させた。女は翌日サン・ミランダを出ていった。後始末は警察が行ったが、アウトローの喧嘩ということで方がつき、万事問題なくなった。その貸しがあった。

「あ、あんたのことは賞金稼ぎとして歓迎してる」ウィルが歩き出しながら早口に言う。「ここ一年悪い話は聞かない。腕もいい。十件はお尋ね者を捕まえたし」

「十二件」

「十二件! そう、そうだな。うむ」ウィルはまたハンカチで額を拭き、「ともかく、死んだ者を生き返らせることはわしでもできん。神じゃあないんでね」

 ウィルは自分の冗談に笑ってみせたが、ヴァネッサは眉一つ動かさなかった。笑いはだんだんとしぼみ、ウィルは気まずそうに黙ってしまった。

 二人は陰気な廊下を抜け、警察署の裏口へ出た。猫の額ほどの空地と馬屋があって、隅のほうに古びた馬車の荷台が打ち捨てられていた。

「これで全部」とヴァネッサが訊いた。ああ、とウィルは鼻をつまみながら答え、

「ひどいもんさ。自分で見てみるといい」

 腐臭は痛いほどだった。ヴァネッサが舌打ちをして布をめくると、死体が四つ、無造作に転がっていた。顔をしかめながらひとつひとつ賞金首を確認しまた元に戻したが、頭の隅に違和感を覚えていた。

「手の皮を、剥いでる」

「そうとも、悪趣味なことだ」ウィルはえづきながら答え、「だがその話は後でもいいか。まずここから離れよう。昼飯のプライム・リブが出ちまう」

「健康にはかえっていいんじゃないか」とヴァネッサは皮肉を言ったが、ウィルの耳には届いていなかった。

 警察署のすぐ裏手には川が流れていて、そこの風に当たってウィルは少し落ち着いたらしかった。まだ顔は蒼かったが、

「ヴァネッサ、酒はないか? 我慢ならん」

「少しだけラムがある。これでも飲んでおいて」

 ウィルはひったくるようにビンを受け取り、一気に飲み干した。飢えた犬か、とヴァネッサは呆れながら、新しいバーボン・ウイスキーを開けて瓶を傾けた。喉が焼け、甘くスモーキーな香りが鼻へ抜ける。先までの生臭さとアンモニアの悪臭がなかったことのように上書きされていく。

 ヴァネッサは口元を手の甲で拭い、

「それで、手の話だけれど」

「トロフィーだろ、連中からすれば。そういう賞金稼ぎがいる……知ってるだろう?」

「まあね」ヴァネッサは目を細め、「連中? そう言ったか」

「そうとも。毎回メッセンジャーで来る黒人の坊主がいるが、他にも何人かで組んでるらしい。だからこれだけ仕事が早いんだ。ラ・トルメンタって聞いたことないか……」

「賞金稼ぎというより無法者としてなら、聞いたことはあるね。あちこちで街を潰し、けれどその首謀者の顔は誰も知らない。……それが、皮剥ぎ男の正体?」

「可能性の話だ」ウィルは肩をすくめる。「小僧がそれらしいことを口にしてただけで」

 そう、とヴァネッサは呟き、もう一口酒を飲んだ。

 ラ・トルメンタ――スペイン語で嵐。北上してきた連中だという説もあるが、ヴァネッサは信用していなかった。ガンマンの話はたいてい尾鰭がつく。自分の目で見るまでは信じないことが、生き残るためには重要だった。

「通り名の話で言えば」ウィルはおかしそうに相好を崩し、「お前さんにだってあるぜ」

「聞いたことはないけれど」

「ビターズ。苦いけどよく効くってな」

 ヴァネッサは何も答えず煙草に火を点けた。流れ者にとって覚えられるのは都合が悪い。買った怨みはその場で捨てていくに限る。いい加減に河岸かしの変えどきだな、と密かに思った。

「私はもう行く」とヴァネッサは背を向けた。

 怒ったかい、と幾分臆病に訊くウィルに、まさか、と答えて、

「そうだウィル。最後にひとつだけ訊かせて」

「わしの知ってることなら」

「白人のガンマンを知らない……手だけじゃなくて、顔のほうも剥ぐやつを」

「いいや、でも賞金稼ぎじゃないだろうぜ」ウィルは残りのウイスキーを呷り、「人相がわからなきゃ、せっかくの金が……」

 言い切らず、ウィルは周囲を見回した。話し相手の姿は既になかった。ただ生暖かく湿った風が吹き抜けただけだった。

  

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