第5話 攻略対象1・紫野夏樹
翌日。
中庭のベンチで、綾乃は友人の藤森七美と膝を突き合わせていた。
話題は、今夜開かれる『プレ・パーティー』について。
これは学園主体の催しである『新歓パーティー』の前座に当たる。『新歓パーティー』は大人たちの監視が厳しく、今夜の『プレ・パーティー』もそれは変わらない。
学生たちが本腰を入れるのは、一週間後に学生主導で行われる『ポスト・パーティー』のほう。
今年の『ポスト・パーティー』は面白い趣向で、仮面着用のイベントになるらしい。
なんだかとっても背徳的な香りがする。『ポスト・パーティー』は例年、中等部・高等部合同で行われるので、かなり盛り上がる。今から楽しみにしている生徒もたくさんいるみたいだ。
しかしとりあえずは、今夜の催し。
保護者も出席する『プレ・パーティー』は、社交的な意味合いが強いので、ファッションも気が抜けない。
大人に見られても合格点をもらえるが、同級生に見られてもクールだと思われる――このさじ加減が実に難しいのだ。
攻めすぎると、保守的な層から反発が来る。
けれど守りすぎても、同級生から『いけてない』というレッテルを貼られてしまう。
ドレスひとつで下らないと言われそうだけど、常にマウンティングが繰り広げられている競争社会では、命懸けの勝負といっても過言ではないのだ。
そして綾乃にとって、今夜のパーティーはもうひとつ重要な意味が乗っかってくる。
――実は今夜が、夏樹とヒロインの出会いイベントなのだ。
これは気合を入れなくては。
綾乃はまだヒロイン住吉忍と会ったことがないので、今夜が初対面となる。
会ったことがないというのは、住吉忍が年上であるせいだ。
彼女は姉と同じ学年の、高等部一年。
ということは、つまり。
ヒロインから見て、攻略対象は年下ばかりということになる。――対象者四名のうち、三名が中等部二年なのだから。
年下ばかりと恋愛になるというのは、ちょっと変わっている気もするけれど、それがこのゲームのウリになっているのだろうか。
それで――話を戻すけど、今夜は夏樹とヒロインの出会いイベント。
シナリオの都合上、綾乃はしばらくのあいだ、彼らの関係を静観しなくてはならない。
ヒロインが紫野家の問題を解決してくれるからだ。
けれどまあ、静観する必要があっても、無関心でいられるかといえば、それは難しいわけで。
こちらとしてはふたりの出会いが気になって仕方ないし、今夜はじっくり観察するつもりだ。
ああ、切ない……心臓叩いておこう。でないと止まっちゃうかも。
ため息を飲み込みつつ、ここで夏樹ルートのおさらいをしておく。
……ありがとう、『予言の書』……。
これがなければ、彼の複雑な家庭環境など知るよしもなかった。
* * *
実は夏樹の父――紫野博史(しの ひろし)氏は、若かりし頃、意外な人物を熱烈に愛していた。
それは誰かというと、綾乃の母、西大路玲子(にしおおじ れいこ)である。
しかし彼女は紆余曲折を経て、綾乃の父を伴侶に選んだ。
紫野氏は振られてしまったわけだが、彼は初恋の人を思い切れずにいる。
こじらせちゃったわけですね。
そのため彼が妻を愛することはなかった。
夫婦仲は冷え込み――というか、結婚当初から熱くなったことは一度もなかったようだが――夏樹の母は心を病んでいく。
そして男遊びに走る。
夏樹はある日、父の『秘密の部屋』に入ってしまう。これは時系列的に、一年ほど前の出来事のようだ。
綾乃もこれについては初耳だったので、『予言の書』で知った時は愕然とした。
そして謎が解けた。
あの頃に彼とのあいだに突然できた、正体不明の深い溝――それはこのせいだったのかと。
夏樹は父の『秘密の部屋』に入り、壁に大量の写真が貼られているのを目撃してしまう。
その写真はすべて、綾乃の母である西大路玲子のものだった。
壁に隙間なくびっしりと並ぶ、顔、顔、顔――……
綾乃の顔は、母にとても似ている。
彼はそれを見てから、綾乃の顔が生理的に受けつけなくなった。
ただでさえ顔を見るだけで嫌悪感を抱いてしまうのに、婚約者ヅラをして、しつくこくまとわりついてくる、鬱陶しい女。
彼は綾乃のことが嫌で嫌で仕方なくなる。
そして今宵。綾乃から『プレ・パーティー』のエスコート役を強要された彼は、ケータリングのバイトをしているヒロインと出会う。
住吉忍は成藍生であるのだから、本来ならば給仕を受ける側だ。しかし当夜は人手不足により、働き手として駆り出されていた。
パーティー中、ひょんなことで私的な会話を交わすふたり。
「私にドレスは似合わないから」みたいなことを、ヒロインは夏樹に言う。
飾らない彼女に、心惹かれる夏樹。
ヒロインが夏樹ルートに乗ると、彼女はやがて、彼の家庭問題に踏み込んでいく。
実はここ最近、夏樹の父である紫野氏が、長年こじらせてきた初恋に終止符を打とうとしているらしい。
そのキーになるのが、紫野家に勤め始めたばかりの、若い家政婦さんの存在だ。
紫野氏、紫野夫人、家政婦さんのあいだで、奇妙な三角関係が出来上がりつつあるのだが、ヒロインがここに介入し、話し合いをさせる。
なんていうか……当事者と無関係の高校生なのに、やっていることがすごくお節介ですね? でも大人の中に入って話を纏めてしまうのだから、どんな困難な状況でも結果を出すことができる、選ばれし人間なのだろう。
さすがヒロイン。
ヒロインは紫野夫人と正面からぶつかり、叱り、なだめ、なぐさめ、男遊びをやめさせる。実は夫人、これまで自分を真剣に叱ってくれる人がいなくて、寂しかったらしい。
そして次に、ヒロインは家政婦とバトル。不倫は良くない、と正論を解き、退かせるのだ。
すったもんだの末、紫野氏はこれまでの行いを反省。
家政婦さんに恋をしたことも大きかったかもしれない。
思い込みって誰にでもありますよね……紫野氏はたぶん、初恋の君しか愛せないと思い込んでいたのだ。
けれど別の人を好きになれたことで、それは違うのだとしっかり理解できた。
彼は家政婦さんとの別離を経て、妻と真剣に向き合うことを決める。
夫婦仲が改善し、家族の中でずっと寂しい思いをしていた夏樹は、初めて救われることに。
ところでこれに――悪役令嬢たる西大路綾乃がしゃしゃり出ると、一体どうなるか?
紫野氏の逆鱗に触れ、西大路家の事業に圧力をかけられて、我が家は破産します。
悲しすぎる……器じゃないから、悪役令嬢は余計なことに首を突っ込むなってことですね。
* * *
「そういえば」
綾乃は気になっていたことを、情報通の七美に訊いてみることにした。
「階段から落ちたお姉様をキャッチした男子生徒がいたでしょう? あれ、誰か知っている?」
七美はにんまりする。
「いい男でしょう」
「……顔だけなら」
つい、声が刺々しくなる。どんなに顔が良くても、女の子を放り出すなんて、紳士の風上に置けない行為だわ。
「彼を知らない成藍生がいるなんて、そのほうが私はびっくりよ。あなた、本当に知らないの?」
正気を疑う、みたいな顔をされて戸惑う。そんなに有名人なのだろうか。
「知らないわ」
「アメリカの大統領が誰か知らなくても、彼のことは知っていなくちゃ。もぐりと思われるわよ」
「そんな有名人なら、どうして私は会ったことがないのかしら」
あの容姿なら、どこにいても相当目立つはず。同じパーティーに出席したことがあれば、嫌でも目につきそうなものだが……。
「ああ、なるほど、そういうことね」
七美は考えを巡らせてから、優雅に頷いてみせた。
「彼、高等部一年の久我奏(こが かなた)よ」
久我……それって、じゃあ……?
「ヒカルの兄なの?」
久我ヒカルは、攻略対象ではないか。
七美が頷く。
「久我家と紫野家は犬猿の仲でしょう」
確かにそうだ――ヒカルの家と、夏樹の家は、ものすごく仲が悪い。
七美が続ける。
「綾乃の家は紫野家の系列だし、あなたは紫野家のお坊ちゃまと婚約しているくらいだから、敵とみなされているのかも。それで久我奏とはこれまで顔を会わせる機会がなかったのね」
「ヒカルはそういうのお構いなしに、ぐいぐい来るけどね……」
そう呟いて綾乃が遠い目になると、
「だってあいつは変態だもの」
七美は寒気を覚えた様子で肩をこする。
七美は基本、勇ましい女の子なのだが、苦手なものにはとことん弱いという一面を持つ。彼女はヒカルが大の苦手であり、遭遇すると鳥肌が立ってしまうレベルでだめらしい。
でも待って……私はそこである矛盾に気づいた。
「おかしいわ。予言の書には、ヒカルに兄はいないと書かれていた」
ちなみに予言の書に関しては、七美もその存在を知っている。
姉の階段落ちのあとふたりきりになり、どうしていきなりダッシュして現場に駆けつけたのかを問い詰められたのだ。綾乃は動転していたこともあって、七美にすべてを話した。
「そうなの?」七美は小首を傾げる。「その本、すごく詳細なのに、ヒカルの兄に関しては違いがあるんだ……不思議……なぜ?」
興味深げに身を乗り出し、綾乃の膝の上に置かれている予言の書を見おろす。
その問いに、綾乃は少し考えてから首を横に振ってみせた。
「よく分からない。でも……予言の書には、お姉様は階段落ちで大怪我を負うと記されていたのよね。――本来いるはずのない、イレギュラーな存在が久我奏だとするなら、彼がお姉様を助けたことに重要な意味があるのかも。現状でシナリオと少しでもずれている部分があるなら、私は喜ぶべきかしらね?」
「まあ、そうか……でも、あれね。やっぱり難しく考えるのは、無駄ってことよ」
面倒なことが嫌いな七美はすぐに匙を投げ、顔をしかめながら手を振ってみせた。
綾乃は参考までに、彼女の意見を訊いてみることにした。
「ねえ……七美が私の立場だったらどうする?」
「私ならシンプルに考えるわ――ヒロインが邪魔するなら、鉄拳制裁。ぶん殴って、引っ込んでなさいって言ってやる」
「夏樹の家族のことは? 自分が出しゃばったせいで、彼の家庭を壊してしまうかもと考えたら、怖くならない? ヒロインと結ばれたほうが、彼は両親の愛情も取り戻せるし、幸せになれるとしたら?」
「家族なんかより、私が大事って分からせる」
「えっ……」
その考え方って、目から鱗なのですが!
動揺のあまり、綾乃は息が止まりそうになった。……私のような若輩者には、七美の意見は、深いのか、浅いのかすら判別できない……。
「結婚前に上下関係を分からせておかないとね。――とにかく最初が肝心。犬の躾(しつけ)と一緒よ」
気取った仕草で腕組みをする七美の姿は、悪役令嬢のお株を奪う高飛車ぶりである。
組んだ腕の上に豊満な胸が乗っかっているさまは、女同士ではあるものの、思わず視線がそこへいってしまうほど迫力があった。
すると背後から、低い声が割り込んできた。
「――僕の婚約者に、おかしなことを吹き込まないでくれる」
聞き覚えのあるその声に慌てて振り返ると、紫野夏樹が歩いてくるのが視界に入った。
柔らかな日差しが髪に反射して、後光が差しているように見える。
幼い頃はお人形みたいで可愛いばかりだったのに、最近の彼はなんというか、抑え込んだような色気が滲んでいて、どこか近寄りがたい感じがする。
背もうんと伸びてしまって、今は綾乃よりもずっと高いから、余計に距離を感じるのかもしれない。
ところで彼、なんだかとても不機嫌そうな顔をしている。
その瞳がしっかりと七美を睨み据えているのに気づき、胸が痛んだ。
……こんな時でも、やっぱり私の目は見てくれないのね。
そうよね。彼は私の顔が嫌いなんだもの。
ほかの女の子を見つめる彼の姿に耐えられなくて、さっと視線を逸らす。
すると傍らで空気が動いたような気配がして――頭の上から声が降って来た。
「目が赤い……」
驚いて顔を上げると、すぐそばに夏樹が立っていた。考えごとをしているあいだに、ベンチに腰かけている綾乃の前まで来ていたらしい。
冴え冴えと澄んだ彼の瞳がこちらを見おろしているのに気づき、互いの視線が絡んだ瞬間――体に電流が流れたかのように、全身が痺れた。
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