人並み

百の桃

人並みの文化祭

文化祭は好きだけど嫌い。嫌いというか苦手である。なぜなら、疎外感を感じるからだ。


僕はひとりが好きな方で、ひとりは苦痛じゃないし、別にひとりでもいいと思っている。なんならひとりって最強じゃんくらい。

大人になればみんなひとりになるもんで、その予行練習くらいに思っていれば徳しかない。でも、そんな風に思っている自分を悲しく感じるときもある。高校生だけの体験を大事にするべきだと思うし、人並みの体験はしておくべきだと思うからだ。でも人並みってよくよく考えるとなんだろう。僕は人並みにできているのだろうか。


夏休みに入る前、文化祭のクラスでやる出し物を決めた。僕は前に立ってまとめる役割。それとは別に生徒会でも活動していた。これは人並みなのだろうか。


文化祭1週間前、バンドをすることが決まった。部活が終わって家に帰ると夜遅くまで練習した。当日はトリで3曲演奏して、会場は大盛り上がりだった。


僕は人並みか?


人並みとはなんだろうか。

ネットで調べると、「一般の人と同様、同程度のこと」だそうだ。バンドをやる人も、生徒会に入っている人も少ない環境では、僕は人並みではなさそうだ。

しかし、文化祭当日のことを考えてみる。僕は友達と2人でいろんなクラスを回っていた。少しばかりの疎外感を感じながら。周りは高いテンションで全身から楽しんでいるように見える。でも僕はそうではない。友達と回りながらもなんとなく心が重い。そこまで高くなれないのだ。

簡単に言えば仕方ない。僕は彼らのような人並みにはなれない。変わらないし変えられないのだから。しかし、よく考えてみると、それは彼らの人並みであって、僕の人並みではない。僕の中での人並みとはこういうことなのだ。誰かの人並みに一喜一憂される必要はないかもしれない。僕の人並みとは誰かと比べてうなだれることも含まれている。そんな僕の人並みは僕が受け入れてやる。


人並みの括りは広い。そして抽象的なものである。だから人並みというのは、文化祭が普通にあって、普通に参加したというようなことではないだろうか。その「普通」という内容については問うてない。


人並みとは、花火を遠くから見たようなものなのだ。

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